第27話 再会

マリアの侍女になってから2週間あまりが経った。


 エイシスは、マリアが朝議に出席している間(3バカは留守中)、ルリオナ経由で、ループレヒトから会いたい旨の知らせを受け、部屋を訪問した。


 名目はマリアからカルメ焼きの差し入れ、である。


 あいかわらずループレヒトはワインを飲む日々を送っているようだった。


 しかし顔色は普通と変わらず、言葉遣いも流れるのようによどみない。


「エイシス、宮廷暮らしはどうだい?」


 一体、自分がどんな状況におかれているのか理解しているのか。エイシスは暢気な兄の物言いに脱力してそうになってしまう。


「えっと、毎日、どうにかこうにか……。

それにしても兄上、大丈夫なんですか。そんなに、飲まれて……」


「美しい酒は水と一緒だよ。何杯でもいけるし、悪酔いもしない。

ただ、気持ち良くなるだけだ。今にもバルコニーから飛び立てそうだ」


「……大丈夫じゃないみたいですけど」


 じとっとした目を向けると、ループレヒトは笑ってとりあわない。


「陛下の信頼を勝ち得たようで嬉しいよ」


「……騙しているようで心苦しいですが」


「すべては彼女のためだ」


「でも……」


「ん?」


「先日、はじめて陛下にお叱りを受けてしまいました……」


「どうして?」


「警備にたってくださってる衛兵さんたちにお菓子とお茶の差し入れをしたのがまずかったようで……」


 就寝前、いつものように着替えを手伝ったあとのちょっとした会話の時間のときだった(最近は、ルリオナはおらず、エイシス一人でやることが多かった。無論、マリアからの指示だった)。


 ――エイシス。衛兵のとろこへ通っているようですわね、一体、なにをしているんですの?


 ――通っているわけではありません。毎日、お食事や飲み物もほとんどとらず、ほとんど一日中たっておられるので、少しでもと思い、差し入れを……。


 ――衛兵は何もボランティアでやらせているわけではなく、賃金は払っているのよ。

あなたがそこまで気を回す必要はないの。あなたはわたくしの侍女であって、軍付きの女中ではないのだから。


 ――……申し訳ございません、以後、気をつけます……


 ――気を引き締めてもらわないと困りますわ。わたくしの味方は宮廷ここで味方はルリオナとあなたくらい……。誰もが、摂政の手下なんですのよ? 少しでも気を許せば摂政の思うつぼ。あなたがそのような見える落とし穴にはまって一体、どういたしますの?


 ――ですが、衛兵の方々は、皇帝陛下をお守りするために……


 エイシスが反論すると、まるでわがままな子どもをあやすようにマリアの声のトーンが落ち着いたものへと変わる。


 ――誰もがそう言うんですのよ。

わたくしのため、国のため。ブレネジアとの戦いの時も。わたくしのため、国のため。

それが今や、議場の流れはすべて、わたくしに非ありと言うものになりつつあるの……といって、明確にわたくしの名前を出すわけがないというところが、いやらしい……。

男とも思えない恥知らずな真似……。近衛といっても名前ばかりの連中。エールも落ちたものですわ。

よろしいわね?


 ――…………はい。


 マリアのかたくなな横顔を見て、それ以上は何も言えなかった。


「――というわけでなんです」


「すっかり不信のようだね。まあ、それもしょうがないといえばしょうがないかな……。

摂政以下、誰もが今回の戦争責任を陛下一人に押しつけようと虎視眈々と狙っているのだから」


「笑い事ではありませんっ」


 薄笑いを浮かべる兄に、さすがのエイシスは本気でムッとしてしまう。


「陛下はお一人で、この敵ばかりの宮中で必死に胸を張り、顎をそびやかしていらっしゃり、必死に耐えていらっしゃるんですっ」


「すっかり侍女として板についたね。それだったらいつでもブレネジアに戻ってからも皇后陛下のおそばにつけられる」


「兄上……っ!」


「静かに」


 ループレヒトは口元に人差し指をあてた。


「あ」


 外の衛兵に聞かれたら大事になりかねない。


「陛下に味方する人は本当に誰もいらっしゃらないんです……。このままでは、陛下を今の状況からどうにかすることなんで無理です。

兄上、どうにか出来ませんか……?」


「召使いくんとは最近、どうだい?」


「兄上、私は真剣に」


「恋しいかい? 召使いくんのことが」


 くるくるとワイングラスを回しながら、つぶやく。


「兄上、雰囲気が悪役みたいですよ」


「そう?」


「それから何度も言いますが、召使いじゃなくて、ジークはジクムントというれっきとした名前があるんです。彼とは、その……友人です、大切な」


「それで?」


 言わなければ、話がぜんぜん前に進まない気配が濃厚だった。


「……会いたいです」


 目を伏せ、言った。


 毎夜、寝る前、彼からプレゼントしてもらった七宝のネックレスに、ジクムントと早く会えますようにと祈るのが習慣になりつつあった。

 恋しい気持ちはあるが、今ここでマリアを見捨てることもできない。

 ジクムントと会うのはにはそもそも城をでなくてはならない。

 そんなことはできない。当分、叶わない夢も同じだ。


 と、ノックがされた。


「兄上」


「そのままで。――開いてるから、勝手に入ってきたまえ」


 扉が開き、のっそりと現れた長身の人影。


 と、エイシスと目が合う。


「ジーク……?」


 ぽつりと。


「エイシス!?」


 ジクムントは扉を乱暴に閉めるや、突進してくるような勢いでエイシスにぶつかってきた。

 思わずはねとばされそうになったが、彼がしっかりと抱きしめてくれて事なきを得た。


「どうして、お前がここに」


「兄上に呼ばれて……」


「俺もだ!」


 ジクムントとエイシス。二人の顔はみるみる笑みでいっぱいになった。


 どうしても頬が緩むのをとめられない。それに、涙が出そうになる。


「……ね、ジーク、その格好」


 それは近衛に所属する衛兵と同じ格好だった。


「俺は今、銀牙隊にいるんだ。こいつの指示でな」


「兄上の……?」


「お前、あの3バカからいびられてないか? 大丈夫か?」


「さん、ばか……? どうして知ってるの……?」


「いや……何でもない」


 珍しくジクムントが動揺をみせ、目をそらした。


「?」


「――私がエイシスの様子を教えていたんだよ。ルリオナから聞いてね」


 ねえそうだろう、とループレヒトが、ジクムントに話を振れば、なぜだかジクムントは渋面をつくり、「……ああ」と首を絞められでもしているみたいな呻き声を漏らした。


「そうだったのね。

あの人たちは、うん……大悪人ってほどじゃないし、いざとなったらルリオナさんもいるから」


「だが、あいつだって見ているだけじゃないか。本当なら割って入るべきじゃないのか」


「本当に詳しくルリオナさんから聞いてるのね」


「……ま、まあな」


「それはいいの。反論したら何倍にもかえってくるような人たちだから。嵐が過ぎ去るのをじっと黙って待つ感じ……かな」


「そうか」


「――ところで、そろそろ二人とも、抱擁はやめてくれないか?」


 ループレヒトの前で大胆な行動をとっていたことに気づいて、二人はぱっと離れる。


「召使いくん、今のは見なかったことにしてあげるよ」


「俺は召使いじゃねえよ」


「言って置くけど、二人を合わせたのは別に抱擁させるためじゃないんだよ」


「兄上、わ、わかっていますから……」


 恥ずかしさに、耳がひりひりするくらい熱かった。


「エイシス、さっきのマリアさんの話を」


「あ、はい。……ジーク。実はね」


 エイシスはマリアが、近衛軍、いや、自分の周囲のあらゆるものへ強い不信感を抱いていることを伝えた。


「……なるほどな」


「何がなるほど、なの?」


「銀牙隊うちの隊長が言ってたんだ。

我々はエールの剣であり盾である。だが、剣も盾も、自分だけで動くことは出来ない、ってな。

つまり女王の信任がなきゃ、何をするもないってことだ」


「それでは、近衛部隊はマリアさんが命じれば動くっていうことよね……?」


「だと思う」


「思うでは困るよ。確信が得られなければ、いざという時、マリアさんは犬死にになってしまう」


 ループレヒトが口を挟んできた。


「……今の時期、二名とはいえ新兵を集めた」


「二名増員しただけで何かが変わるのかい?」


「ブレネジアが国境を突破したときに備えるっていうんだったら、もっと兵を大量に募集するはずだ。

銀牙隊としては質は落とさず、できうるかぎり増員がしたかったんだろう。それに、こんな新兵に訓練教官をやらせてる。ただの備えだけでこんな大胆なことをするとは思えない。

俺は、これを、女王へのアピールも含まれてると思っている。問題の女王サマは分かっちゃいないみたいだけどな」


(……必要なのは、陛下が近衛軍を信用すること……)


 エイシスは二人のやりとりを聞き、考える。


 陛下はこの国を憂いている。


 田舎の農民出身だと話したエイシスに向けた眼差し、つむいだ言葉に嘘いつわりはないはず――とエイシスは信じている。


 しかしエイシスが近衛軍は信用がおけますと言ったところで、摂政派にとりこまれたと思われてしまうだけだろう。


 どうにかできないだろうか。マリアが近衛軍に信頼……といわず、少なくとも身を預けるだけの決断ができるような、背中を押すこと……。


 と、エイシスはジクムントの顔をみているうちに、閃くものがあった。


「――まずは近衛軍じゃなくて、ジークに信頼をよせてもらえばいいんじゃないかな」


「俺……?」


「私と同郷の幼馴染みということで陛下に紹介をするの。陛下は軍人たちが勝手にはじめて収拾のつかなくなった戦争で被害を受けている弱い立場の人々にとても同情を寄せてくださるから……。だから、もしかしたら、ジーク経由でならもしかしたら」


「エイシスもすっかり、人を使うことを覚えたようだね」


「……兄上、やめてください。私はそういうつもりで言ったんじゃ……。とにかく今は突破口が必要なんです。陛下のために。だから」


 とは言ったものの、確かにこれは兄の得意とする策略だ。


(また、陛下マリアへの隠し事が増えちゃった)


 このすべてが終わったら、マリアにすべてを謝罪し、どんな罰をも受けるつもりでいた。

 人をだますということはそれだけ悪いことだ。


「……分かった。それでいくか」


 ジクムントが賛同してくれる。ループレヒトはもちろんだ。


「なかなか順調に進みそうで安心したよ」


「――で、お前は何をするんだ。このまま、酔いつぶれてんのか?」


「全体を俯瞰する者は必要なのだよ、召使いくん。それに私は囚われの身、だからね。出歩くこともままならない」


「ものは言い様だな。こんなに酒をカッ食らいやがって。まだ昼だぞ」


「ジークっ」


 ループレヒト相手につっかかっても意味はないと、エイシスはジクムントの袖を引いた。


 ジクムントは不満たらたらの顔のまま引いた。


「いいかい、私が国境の部隊に命を下せば、今の均衡はたやすく崩れる。そうなれば、ギデオンも動くはずだよ。今、マリアさんに大事が降りかからないのは、前線が一進一退のように見えているからだ。

だから、ここで色々な情報に耳を澄ませ、ワインを飲んでいることも大切なんだよ。まあ、生粋の脳筋のきみには分からないかもしれないけれどね」


「お、お前な……っ!」


 エイシスはジクムントを抑えるように前に進み出た。


 兄をかばったのではない。ジクムントを心配したのだ。


「――兄上、では、そういうことで動きます。また何かあれば報告を……」


 口早に言って、ジクムントの背中をぐいぐいと押して部屋を出た。


「ったく、いつあっても腹の立つヤツだっ……。はじめてあったとき、簀巻きのまま、河にでも流しておくんだっ」


 吐き捨てる。


「ごめんなさい、兄上が……」


「お前が謝ることじゃ……」


 ジクムントの言葉が消えた。


 背中に、温かな感触を覚えたからだった。


「……ジーク」


 溜息混じりに愛しい人の名を呼んだ。


 エイシスは久しぶりに感じた彼をいっぱいに腕の中に閉じ込める。


 と、そんなエイシスにそっと手が伸ばされた。


 エイシスはその手をとり、しっかりと手を握りあった。


 エイシスの手がすっぽりと包み込まれてしまうくらい大きな手。豆の潰れたあとが硬くなっているのがわかる手、硬い手の平。


 男の人の、ジークの手――。


「ずっと会いたかった」


 エイシスは涙で上擦らないよう言葉を紡いだ。


「俺も、だ。ずっと、ずっと……お前のことを……」


「ん……」


 振り返ったジクムントは顎をそっともちあげ、唇を塞ぐ。


 そんな息苦しささえ、今は心地よかった。


 彼の指が目尻に浮かんだ涙の粒をそっとぬぐってくれる。


「……ジーク、、、、陛下に……会わないと……」


 吐息まじりに切れ切れの声を漏らした。


「もう少し」


 ジクムントのかすれた声、かかる吐息に、エイシスは身をゆだねた。

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