第26話 嫉妬

「カルメ焼きございます」


 エイシスはマリアの前に、皿を差し出した。


「これが……」


「故郷の農村でよく食べていたお菓子でございます」


 嘘ではない。農村アソルではよく子どもたちにつくっていた。


 マリアはちょんちょんと指先でつっつく。


「硬いんですわね」


「さくさくしておいしいですよ」


 エイシスが食べてみせると、ほうほうとマリアはうなずく。


「陛下、やっぱりこのような味も素っ気もないようなものを召し上がるなんて」

「シェフにいって、豪華なケーキを作ってもらいましょう」

「そうですよ、あまーいクリーム、ふわふわスポンジ、みずみずしい果実を添えて……」


 お馴染みの3バカである。


 なぜ、カルメ焼きを作ることになったか。


 事の発端は、ティータイム時、マリアがエイシスに、農村ではお菓子は食べるのかと聞いたことがきっかけだった。

 だいたい農村では果物を丸かじりしたりがポピュラーだが、時々、カルメ焼きをつくったりもする、と言ったのだ。


 材料は、水・砂糖・卵白。


 たしかに3バカの言うとおり、味も素っ気もないといえばない。


 要するに、砂糖を食っているようなものだから。


 それでもマリアは、「ん……。薄味で、ほんのり甘いですわ。……くせになりそうですわねえ」となかなか気に入った様子。


 なおかつ、マリアが気にいたのは、作る過程だった。


 お玉に材料を乗せ、火で温めながら適宜、かきまぜると、膨らんでくる。


 これがちょっと実験みたいだと、好評だった。


「さすがは陛下です。見事な膨らみ方ですね」

「ええ、エイシスがつくったときよりも膨らみ方に気品がございますっ」

「これも、エールの王家の血筋とよべるでしょうか」


(王家の血……って、お菓子職人じゃあるまいし……)


 もはや、何も言えなくなるような、意味不明なおべっかである。


 その結果、カルメ焼きが大皿に山盛り積み上げられることに。


 さすがにこの部屋のメンツだけで食べきれない……。


「ちょっと衛兵の皆様にも差し上げてきます」


 エイシスは大皿山盛りのカルメ焼きを袋に小分けにして、廊下で警護に努めてくれている兵士たちに「おつとめ、いつもご苦労様でございます、もしよろしければ甘いものはいかがですか?」と渡して、歩いた。


 甘いものに飢えていたのか、エイシスの手ずから受け取った年若い兵士たちはみな、感極まったようなじーんとした眼差しでそれをうやうやしく押し頂いた。


(みなさん、やっぱり食事もとれず、警護の任務についていて、ご苦労なのね)


 マリアにお願いして、何か飲み物も差し入れようと思った。


                        ■■

 近衛部隊・銀牙隊の宿舎。


 もうすぐ日が暮れようとしていた。


 その宿舎の一階、食堂で汗臭い男たちが、一日の労をねぎらっている。


 いついかなる時でも緊急事態に即応するためという理由で、酒は厳禁だから、柑橘系の果汁を搾った炭酸水を酌み交わす飲み会。


 ジクムントとキリムの姿もそこにあった。


「なんだか、アソックさん、盛り上がってますねっ」


「あいつは、いつもああ、だろう?」


 銀牙隊一のお調子者アソックが、周囲に人を集めてなにやら演説をぶっているらしく、一言一言に他の隊員たちが歓声をあげていた。


「何、話してるんでしょうね」


「気になるなら行ってきたらどうだ?」


「……先輩、勘弁してくださいよう」


 キリムは目を伏せる。犬だったら耳が伏せていることだろう。


 というのもキリムは入隊直後からその中性的な顔立ちが人気を呼び、一躍銀牙隊のマスコット的キャラクターへと祭り上げられ、当初は犬の着ぐるみを、とか、女の子の服を来てくれ!というわけのわからない勧誘をされ続けたのだった。


 さすがに目に余ったので、ジクムントが間に入って――迫った相手を気絶させた――、事なきをえていた。


 一人、あの集団のなかにはいるのは自殺行為もいいところ。


「にしても、炭酸水で酔えるとは、安いやつらだ」


「……どうやら、意中の相手からプレゼントをもらったらしいぜ」


 近くにいた隊員が言った。


「意中? メイドか?」


「さあ」


(ま、そんな楽しみの一つもなきゃ、日がな一日、訓練・警備のくりかえしなんてやってられないからな)


 この間にも国境では戦いがつづけられている。


 しかし近衛部隊は当然、お留守番だ。


「実は、この菓子を、その子から受け取ったんだよなぁ。

『おつとめ、いつもご苦労様でございます、もしよろしければ甘いものはいかがですか?』

……つまり、これはあなたが好きですってことだろう!?」


 炭酸水をちびちび舐めるジクムントの耳に、聞くともなしにそんな声が聞こえてきた。


(……なわけねーだろう)


 想像の飛躍にもほどがある。


「おいおい、で、どの子なんだよーっ」

「さっさと言えよ、この色男っ!」


 観衆の一人が身を乗り出し声をあげた。


(あんなやつを好きになるとは、見る目がないやつもいたもんだな。

あの3バカの一人か……? それだったらお似合いかもな)


 アソックはわざとらしい咳払いをして、もったいぶったような雰囲気満載で口を開く。


「お教えしよう。

その子は綺麗なブロンドに青い目をして、最近、陛下の侍女に採用された、エイシスちゃんでえーーーーーーーーーすっ!」


 バリンッ!


「先輩っ!?」


 炭酸水が半ば入ったコップが、ジクムントの手のなかで粉々に砕ける。


「この愛のこもった菓子を受け取ったからには、あの子の気持ちに答えなきゃ、男がすたるってもんだろうが。俺は、エイシスちゃんへの愛をここに宣言するぜええええええええええええええええええ!!」


「おおーーーーーーーーーーーーーーーーっ!」

「いいぞーーーーーーーーーーーーーーーっ!」


 囃はやし立てる声や、指笛がところどころからけたたましく聞こえ、食堂をざわつかせる。


「エイシス様って……本当なんですかね? って、……せ、先輩……?」


 無言で立ち上がったジクムントの気迫に周囲の男たちが顔を引きつらせ、道を譲る。


 観衆から注目されて気持ちよさに恍惚としている、アソックのアホヅラめがけ、速球よろしく乗馬用の革手袋を思いっきり投げつけてやる。


「どぅあっ1?

 な、なにしやがる、ジクムントっ!」


「決闘だ」


「は? 何で……」


「黙れ、決闘だ。表に出ろっ」


(貴様みたいなちゃらんぽらんがエイシスに会えて、俺が忍ばなければならないんだ!)


 忍ぶどころか、ともすれば盗み見という犯罪すれすれの所行だ。


(エイシスがこいつに……ありえない、あいつは俺の女だ)


「おい、どうしたんだよ、アルフレッド」


「そうだよ、落ち着けよ」


「はっはーん、お前、エイシスちゃんにホレてたな? 残念だな、俺が最初に……」


「殺すっ」


 アソックめがけ、ジクムントは駆け寄り、拳を叩き付けようとするのを、


「おい、やめろっ!」


 すんでのところで隊員が羽交い締めにするが、一人の男の力ではとてもとめられない。周囲の隊員たちがこぞって、止めに入る。


 アソックはその気迫に腰を抜かして、落ち代から転落、今にも食いつかんばかりの猛獣ジクムントを呆然と見上げている……。


「――何をしているのっ! これは何の騒ぎ!?」


 食堂に飛び込んでいたサリスの姿に、食堂はしんと静まりかえった。


 同僚たちから下敷きされ、藻掻きあがいているジクムントに、サリスは目をつけた。


「アルフレッド、すぐに隊長室に来なさい」


 ジクムントはそれだけでも気の弱い人間なら死にかけない眼光を向けるが、サリスには通じない。


 女だてらに副隊長をつとめてるだけのことはある。


「自分からいく? それとも、手錠足かせ猿ぐつわをして連れて行かれたい?」


「…………分ーったよ」


「もう一度」


「分かりました、了解。アルフレッド、出頭いたします」


「よろしい」


 というわけで、サリフに先導され、数人の同僚たちと供に隊長室まで行く。


 ジクムントとサリフが隊長室に入ると、ダードルフが執務中だった。


「食堂で、アルフレッドが騒ぎを……」


 サリフはかいつまんで、その場にいたものたちから聞いたことを告げる。


「若いもんは、それくらいせんとな。礼儀正しいだけじゃ、つまらねえ。がっはっはっはっは!」


 ダードルフは筋肉満載の太鼓腹を揺すりながら笑った。


「隊長!」


 落ち着けって、とダードルフは副官をなだめる。


「サリフよぉ、何でも規律ばかり重んじでもしょうがないぞ。色恋が大事な若人さ、むしろそれで喧嘩でもしなきゃ晴れねえよ。

日常業務に支障さえなきゃ構わん。アルフレッド、反省は」


「しています、今後二度とないように気をつけます」


 と感情のいっさいこもっていない、平板な声で言う。


「ってえ、わけだ」


「隊長……」


「被害はなかったんだろうが、どうだ?」


「だからといって……」


「まあ、カリカリすんなよ。……な?」


 ダードルフのにっかり笑顔に、サリフは疲れたようにがっくりとうなだれた。


「では、出ても?」


 ジクムントは部屋を出ようとするが、


「まあ、待ちなって。……サリフ」


「……はっ」


 踵を合わせたサリフは部屋を出て行く。


「ま、意気が良いのは望むところだが、あまりやすぎないように」


「はっ」


「良い返事だ、ところで、お前のおかげで他の連中も気が引き締まったようで、嬉しく思ってるよ」


「光栄です」


 背筋を伸ばして応じる。


「……お前ならば、勝てるか?」


「隊長との勝負は、副隊長の目がある限り無理でしょう」


「おめえ、そりゃ、俺が勝つに決まってんだろう。

じゃなくてな。

ブレネジアに、黒狼と呼ばれる猛々しい軍人がいるという。知ってるか?」


「いいえ」


「黒髪に浅黒い肌、彼が戦場にお見向けば、敵も味方も誰か彼もが震えおののく……らしいぞ」


 ダードルフの目からは何も読み取れない。


 疑念、興味、嘲笑、喜悦……。


 何でも煙に巻く、狸親父。


 ジクムントはそれで尻尾を巻くようなつもりはない。


 鉄面皮てつめんぴをわずかも崩すことなく口を開く。


「それは是非、お手合わせをねがいたいところです」


「まあ、今後はあまり騒ぎを起こすなよ。いってよし」


「……隊長、我々は、いつ戦うのですか」


「そりゃ、王都に危険が迫ってきたときだ」


「女王陛下、ではなく?」


「それもまたしかり」


「……失礼を承知で言わせてもらいます。あなたは、誰に忠誠を誓われているんですか」


 踏み込みすぎたかと思うが、ダードルフと冷静に話し合えるのは、早々ある機会ではない。


「王女陛下に決まっておるだろうが、何を言っている、がっはっはっはっは! 王都はこの国の顔。陛下のお庭よ」


「愚問でした」


(最後まで煙に巻かれたか)


 出際、呼び止められる。


 振り返ったジクムントは、炯々けいけいたるダードルの目に射貫かれる。


 不覚にも、息を呑んだ。


「すべては女王陛下だ、アルフレッド。

我々はエールの剣であり盾である。

だが、剣も盾も、自分だけで動くことは出来ねえ……分かるか?」


「はい」


「いけっ」


 一礼をして、廊下に出ると、控えていたサリフが視線を寄越す。


「隊長はああ言ったけど、あまり目立つ行動は慎みなさい」


 目礼のみで、すれ違った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る