第25話 接触

 ジクムントが入隊してからというものの、隊長に一歩も譲らなかったという噂を聞きつけた、先輩諸氏がひっきりなしに勝負を挑んできた。


 ジクムントは後輩である。つまり軍隊社会で否やは許されない。


 というわけで、見事に全員を返り討ちにした。


 それでも連中が、頼もしい後輩だと喜んだのには少し面食らった。


 他の軍隊なら生意気なヤツだと自分たちのことを棚に上げてつっかかってくるのが普通なのに。


 それは、上を束ねる者が公平を尊んでいる証拠だ。


(だけど、上をいく隊長殿は宮廷の様子を指をくわえて、静観中……か)


 ルリオナ経由でエール王国の内情をある程度、知っているとはいえ、今の宮廷は一から十まで摂政ギデオンの決済を必要とする。


 女王マリアではなく。


 誰もが女王ではなく、摂政を見ている。


 顔色はもちろん、一挙手一投足まで。


 なのに、王を守護するべき銀牙ぎんが部隊の隊長殿はまるで何事もないかのように粛々と日々を費やしている。


 女王がないがしろにされているのを目の当たりにしながら、見ないふりを決め込んでいる。


 軍人は政治に関わらず――を実践しているといえば聞こえはいいが。


(ただの腰抜けか……?)


 その点で言えば、あの男はまったく底が知れない。


「あ、先輩、お帰りなさい」


「ああ」


 宿舎の部屋に帰ると、早速とばかりに、同室のキリムが出迎えてくる。


 キリムは兵士というより事務屋として活躍中だった。


 副官のサリスと一緒に仕事をやっているようだ。


「……って、これ、何ですか」


 差し出された白紙を反射的に受け取ったキリムは目をパチパチと瞬かせる。


「ダードルフが、訓練メニューを組み立てろだと。任せる」


「ええっ!?」


「テキトーに軍学校のメニューでもいれておけ。俺がそれらしい理由をつけておく」


「そんなこと任せられてるんですか……? つい、この間入隊したばっかりなのに」


「あのダードルフ《アホ》が、ウチは実力主義だからな、わーっはっはっは、だとよ」


「はあ。

……先輩」


「何だ、まさか、メニューを忘れたとか言う気か」


「そうじゃなくて。

……僕たち、ここにいるのは、エイシス様のお助けをするためですよね。何もしなくても大丈夫なんでしょうか……?」


「急に動けばそれだけ目につくだろうが、お前はそんなことを気にしないで仕事をこなせ。そのあたりは俺がやっておく」


「……分かりました……って、先輩はどこへ?」


「散歩だ散歩」


「先輩、最近よく散歩しますね。一体どこにいってるんですか」


「お前、もっと緊張感を持て。

俺たちはいずれはエイシスたちと城を出るんだぞ。そんな時、右も左も分からないじゃすまないだろうが」


 キリムは胸を打たれたようにはっとした顔になる。


「す、すいません! そうですね! そうですよね……。すいません、僕、手元の仕事をかたづけることばかりに躍起になって……自分の不明が恥ずかしいです!」


 間道の眼差しを注ぐキリムに、ジクムントは「仕事をやっておけ」と部屋を後にする。


 寝ても覚めても考えるのはエイシスのことだ。


 それはもう身を裂かれるように辛いことだった。


 だからこうして口実を設けては、彼女の姿を見守りにいっている。


 どうやって?


 簡単だ。


 屋根伝いに内宮まで潜入しているのだった。


 話せなくても良い。実際に、その姿を一目見るだけで。


 ジクムントは早足で官舎を出て、城内に入る。


 青地に流れ星をイメージしているらしい斜めのラインが入っている銀牙隊の制服をつけているだけで、とりあえず城に入ることに対してケチをつけられることはない。


 ただ、行政区画より先はいくら銀牙隊の一員といえども単独で動いているだけで怪しまれる。


 だからこその屋根ルート。


 屋根へ昇るのは庭に出て、バルコニー伝いにいくのがベスト。


 するすると猫のような俊敏さで屋根へ昇り、駆ける。


 いくつかの屋根に音もなく飛び移り、重臣すら脚を運ぶことは滅多に許されない内宮の一画にもうけられている薔薇の大庭園に面した場所にある宮殿へと飛びついた。


 バルコニーにそっと下りた。


 壁に身を隠し、カーテンが半ば開けられている窓をそっとのぞき込んだ。


 じっ……。


 ルリオナ他に、三人の女と一緒にいるのが見えた。


 マリアはいないらしい。


 遮音性が行き届いているらしく何を話しているのかは分からないのが悔しい。


 三人の女たちが、エイシスに指をつきつけ、ぎゃんぎゃんと声をあげているのが、その大口から見てとれた。


(あいつら……。俺のエイシスに、ケチをつけやがって)


 エイシスは申し訳なさそうな顔で、頭を下げている。


 ここ数日、こんな場面によく出くわす。


(お前が頭を下げる必要なんかない。間違ってるのは、3バカに決まってんだろっ!)


 拳を硬く硬くに握りしめる。


 可能であれば今すぐあいつら全員の首をへし折ってやりたかった。


(まあいいさ。エールを離れる寸前にでも、全員、そうしてやればいい)


 そんな物騒なことを平然と考える。


 顔は全員、しっかり覚えた。


 エイシスと比べれば月とすっぽん。


 いや、石ころといったほうがいいか。


 のっぺりとして凹凸がなく、子どもの落書きのほうがまだ上等というような印象が薄い顔つきだ。


 そのくせ態度ばかりは尊大なのだから、典型的なゴミクズ。


(くそ、見ていることしかできないなんて……。

にしてもルリオナのやつ、エイシスがあんなに責められてるっていうのに、何も口を挟まないのはどういう了見だ)


 しかし思っていることはだいたい想像がつく。


 どうせ、ここでエイシスを助けようが助けまいが事態の進展に多少の誤差もない、と思ってるのだろう。


 ジクムントはついつい傍観者でいることを忘れ、熱中して前のめりに……。


 と、ルリオナの目がさっと窓辺に向く――。


「……っ」


 慌てて引っ込んだ。


 間一髪、逃れられた、と思う。


 あの女は気に入らないが、油断ならないことに違いない。


 まさかジクムントの動きに気づいているとも思えないが、年のためにジクムントはバルコニーの手すりに脚をかけて屋根に飛び移り、戻ることにした。


                       ■■

 3バカが言いたいことを言ってスッキリしたようで、部屋を出て行く。


 エイシスは「はぁ」と息をつき、がっくりとうなだれた。


 それは本日、マリアの使いおわった香水を元に戻す際、位置が最初の場所より一つずれていたということを叱責するものだった。


「……ルリオナさん、どうしたの?」


 ルリオナはバルコニーのほうをじっと見つめている。


「亀」


「かめ?」


「出歯の」


「出っ歯の亀……? それがどうしたの……?」


 エイシスは小首をかしげると、ルリオナは小さく首を横に振った。


「いいえ、こちらのことです。

それにしても3バカの叱責するために理由を無理矢理つけているような強弁に、よくお怒りにならず耐えましたね」


「あの人たちに反論したら、何十倍にもなって帰って来そうでしたから……」


「それは賢明な判断です」


「ルリオナさんもこれに耐えられたんですよね」


「ええ」


「我慢するコツとかってあります」


「ございます」


「本当ですか! 是非、教えてくださいっ!」


「こんな小娘ドモ、簡単に殺せると思うことです。

私の場合、3バカの首がぴょーんって飛び、床へゴロゴロ転がることを思い浮かべていました。これが結構、おもしろくて……」


 ルリオナは虫も殺さぬ微笑のまま言った。


「………へ、へえ」


「エイシス様には無理でしたね、申し訳ございません」


「あ、いえ、あ、謝らなくてもいいです……けど」


「ま、ともかく、下手に反撃して面倒が増えても困るでしょうから、テキトーに相づちを打っていればいいです」


                        ■■

 ジクムントは猫のように音もなく屋根から庭へと飛び降りる。


 手帳に、やるべきことノートに『3バカを殺す』と一応かいておく。


 一番上には『いざとなったらエイシスだけを連れて逃げる』とあった。


(くそ……)


 手帳を閉じると、吐息が出た。


 さっきまではその姿を一目見れば十分だと思っていたはずなのに、今ではもうこの腕に彼女を閉じ込めてしまいたいという欲求を覚えてしまっている。


 あの華奢な身体を、あのかぐわしい香りを、さわり心地の良い髪を、そしてあのサファイアブルーの目の中に自分の姿を映して欲しい――。


 その柔らかい花びらのように可憐な朱唇を……。


「…………」


 自分が内宮で盗み見をしてきたことなんておくびにも出さず、城内から出ようとすると。


「きみ」


 声をかけられて振り返ると、そこにはギデオンがいた。


 背後には上衣脚衣、そろって黒い、噂の私兵を連れていた。


「もしかして、最近、入隊したアルフレッドだね……。こんなところで出会うとは、奇遇だ」


「これは摂政様……」


 ジクムントは背が高い分、余計に深く頭を下げる。


「ああ、いいよ、楽にしたまえ。きみの噂は聞いている。何でも、入隊早々、ダードルフ以外、まともに手合わせできるものがいないとか」


「いえ……」


「謙遜はやめたまえ。私はきみのような有望株は銀牙隊のように、名前ばかりで、じっと王都で手足を引っ込め、首をすくめた亀のような部隊には不釣り合いだと思っている。

――おっと、言いすぎかな?」


「いいえ」


 ギデオンは満足そうに口元をほころばせる。


「もし、銀牙隊ではダメだと思ったら、是非、私の下へきなさい。すぐにでも幹部にしよう、きみの腕ならば問題ない」


「ありがとうございます」


「励みたまえ」


 去りゆくギデオンを頭を下げて見送り、姿が角に消えたところで顔をあげる。


(近衛部隊よりも自分を優先、か。露骨だな)


 それにここは王城の廊下。こんなところで、あんなことを言うなんて、王を捨て、自分に仕えろといってきたのも同然だ。


 それもジクムントが誰にも告げ口をしないと頭からかかった物言いだった。


(肝が据わってる……いや、こういうのは驕おごり、というのか。

さて、どうするかな。意外に、相手は大きい……)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る