第24話 御心

 爽やかな初夏の風が吹き付ける午後。


 マリアたち一行は薔薇の花開く庭園を望むテラスでティータイムを送っていた。


 今日、マリアが飲んでいるのはミルクティーだ。


「あぁ、いつ来ても、ここは本当に素晴らしい景色ですねえ」

「まったくその通りですわ。あぁぁ、ですが、こんな美しい薔薇でさえ、マリア様の美しさと神々しさを兼ね備えたその美貌の前では霞んでくすんでボロボロですわ」

「わたくしどもは、常にマリア様という名の、萎れることのない花を見ているようなものですね!」


 侍女たちが、いつもと同じくわいわいがやがやと、マリアへのおべっかと称賛を言い立てる。


「はあ……」


 そんな侍女たちの空虚な言葉は、マリアに届いておらず、彼女はうつろな眼差しで溜息をただ、漏らすばかり。

 心ここあらず、という調子だ。


 たしかに3バカが言い立てるだけあって、美しい光景だ。


 しかし少なくともこの場に、溜息は似つかわしくない。


「陛下、大丈夫ですか」

「体調が優れないのですか」

「ちょっと、あんたっ!」


「あ、はいっ!」


 3バカの視線が一気に、エイシスに集中する。


「あなた、また何かヘマをやらかしたんじゃないの!」

「今朝も、ドレス一着選ぶのにかなりお待たせしたし!」

「夜会に出る時につかう香りの強い香水をかけてしまうし!」


「も、申し訳ございません……! 陛下、わ、私の失敗が……」


 言い方はともかく、三人の言っていることは正しく、エイシスは平謝りしかできない。


「謝って済む問題でも?」

「陛下を悩ませるなんてとんでもない!」

「即刻、侍女をおやめなさい!」


 ここぞとばかりに攻撃してくる。


「陛下……どうされましたか」


 うるさく騒ぎ立てる3バカを尻目に、ルリオナがそっと声をかけると、意識がどうやら戻って来てくれたらしい。


「三人とも少し黙りなさい。わたくしは別にそんなことで怒りなどしないわ。

ただ、暇だと思っただけです。あまりにも……何もなくて」


「ではチェスなどお持ちいたしましょうか?」

「いえ、それより観劇は? この庭園をつかって」

「それはナイスアイデアですわね!」


「エイシス、何かある?」


 三人を無視して尋ねられる。


「……そう、ですね……。お、お手玉作りなど……いかがでしょうか……?」


 ぷっ!

 3バカは一斉に吹き出す。


「お手玉だなんて、あ、あなた、陛下を一体いくつだと思われるんですの」

「そうですわ、そーんな、ババくさい遊び、したがるはずがないでしょ!?」

「さすがは農家出身、お里が知れるとはこのことですわっ」


「ではそれをするといたしましょう。――材料は?」


「あ、はい」

 エイシスは尋ねられるまま材料を挙あげる。


「陛下……?」

 3バカは信じられないという顔つきになる。


「あなたたち、何を突っ立っているの。さっさと準備をなさいっ」


「畏まりました」

「童心に返るのもよろしいかと存じますわ」

「手作りのぬくもりもよろしいですねっ」


(……この人たち……)

 手の平返しをここまで臆面もなくできるのは才能という他ない。


 そして三人が材料を運んでくる。


 反射的にお手玉作り、といったのは、この大きな空と庭園の緑とを見て、農村アソルを思い出していたからだった。

 あそこで子どもたちにねだられ、村の人たちから作り方をきいてつくったのだ。


「それでは見本を作ります……っと、あの、こんなちゃんとした布じゃなくて、端切れで構わないのですが……」

 シルク生地で、ドレスでもつくるようなものだった。


「構わないわ。やってちょうだい」


「はい」


 布を断たち、まち針に針と糸をつかい、チクチクと布を縫い、包みをつくり、中に植物の種を詰め込んだ。


「へえ、あなた、器用なものねえ」


「いえ、あんまり技術はいりません。布を縫い合わせるだけですから」


 というわけで、こんな良い天気にバルコニーで簡単な裁縫教室が行われることに。


 なんだかんだと3バカも没頭しているし、ルリオナはさっさとつくって手の中で弄んでいる。


「陛下、どうぞ」


「あ、ありがとう」


 マリアはエイシスから針に糸を通したものを受け取ると、布に慎重に慎重に刺す。


「……な、なかなか、難しいですわね……って、あ、あら? あら?」


 糸をぎゅっと引っ張りすぎたせいで布がぐちゃぐちゃになってしまう。


「陛下、そんな力一杯やらずとも、貸してください。よろしいですか、このように……」


「ああ、そうでしたの。えっと、糸を通したあとは……このままですの?」


「糸をこう、指をつかって……小さなコブをつくって、糸を切れば。どうぞ」


「凄いですわね、ちゃんと閉まりましたわ」


「あとはそこに種をいれて、底と同じ要領でぬえば……」


「なあるほど……」


 できあがったお手玉を掌にのせ、しげしげと眺める。


「お手玉は?」


「はじめてですわ。そのー……さわり心地がとても良いですわねっ。こうしてマッサージになど使うと最適かもしれませんわね」


「違います、お手玉はこうして……」


 エイシスはルリオナのお手玉を受け取ると、それを中にぽんぽんとリズミカルに放りつづける。


「道化師が似たようなことをやっていましたわね、投げるのはお手玉ではなかったですけれど」


 エイシスはなんだか懐かしくなって、自然と歌を口ずさみながら、お手玉をする。


「何ですの、急に」


「ああ……。

農村ではこうして子どもたちが遊ぶんです。お母さんやおばあさんから童謡とか、農民の歌などをおそわって。今、歌ったのは豊穣を願うものです」


「……それはとても楽しそうですわね」


 マリアは優しく微笑をこぼす。


「男の子たちは、これをぶつけあったりもしますけどね」


「――陛下」


 と、低いバリトンの声が笑いさざめくテラスに入ってきた。


「叔父上」


「これは、摂政様」


 3バカがさっと立ち上がり、頭を垂れる。


(この人が……)


 エールを牛耳る男――。


 緊張感がこの場にみるみる満ちていく。


「エイシス様、ほら」

「あ、うん……」


 ルリオナに促され、エイシスも立ち上がり控える。


 ギデオンはしかし、風評とは違い、なかなか優しい顔立ちをしていた。


「よくいらっしゃいました、この三人から誘われましたか」


 マリアはさっと笑顔を消して顎をそびやかし、尋ねる。


「いえ、陛下が近頃、侍女を一人召し抱えたと聞き及びまして。是非、その者の顔を見ようかと」


「……エイシスでございます」


 エイシスは一歩、踏み出した頭を下げた。


「摂政のギデオンである」


「はい」


「なにやら、お前は城に潜り込んだ上で陛下のお側で働きたいと言ったとか」


「左様にございます」


「なかなか肝が太いな、そうは見えないが……」


「あの時は、ただただ夢中でありましたから」


「そうか」


 ギデオンの視線が絡みつくようで、ぞっとしてしまうが、それを顔には出すまいと踏ん張る。


「くれぐれも陛下を頼んだぞ」


「はい」


「邪魔をしました、ごゆるりと……」


 ギデオンは微笑をたたえつつ、うやうやしく礼をすると、下がる。


 引き締まったというより息苦しいほどの場の空気がやっと緩んだ、気がした。


「すっかり興きょうが削がれてしまいましたわ。……部屋に戻りましょう」


 マリアは言って、裾を払った。


                        ■■

 ジクムントたちは近衛部隊・銀牙隊の正式な部隊員になるために叙任式に赴こうとしていた。


 銀牙軍は総勢、五百人あまりで、部隊として規模は小さかった。


「副隊長」


 叙任式の控え室で、ジクムントは段取りを教えに来たサリスに声をかける。


「俺たち、国境に出向いたりとかはしないのか?」


「私たちは陛下を守る、剣となり盾となる栄誉ある近衛部隊よ。

陛下が御親征ごしんせいあそばされるならばともかく、陛下がこちらにおられる以上、私たちはここにとどまるわ」


「ふうん、受け身なんだな」


「そんなに戦争がしたければ、今から部署替えで一般部隊に編入してあげるけど? それより、あなた、段取りは覚えたの?」


「ああ」


「あなたは、キリム」


「え、あ、……お、覚え中です!」


 段取りを記した紙に顔面を押しつけんばかりに熟読しているキリムは呻くように言った。


「なんだか、あなたたち、正反対よね。変わってる」


 キリムは苦笑する。


「隊長ほどじゃないさ」


「あの人は……戦いとなると、目の色が変わる人だから」


「それじゃここでくすぶってる……もとい、陛下を守ってるだけじゃ、足りないんじゃないか」


「そんなこと、あなたが考えることじゃないわ」


「でも、この次期に近衛部隊の増強なんて二人だけとはいえ、なんでだろうなって思ったんだよ。

そうだろ? 俺たちは守るだけなんだろう。

国境の部隊が破れたわけじゃないのに。それとも、王都に兵が迫る可能性を考えるくらい戦況は危ういとか?」


「無駄口を叩かない。――そろそろ時間よ」


 サリスは銀メッキの懐中時計を見て言うと、キリムが熱心に呼んでいる紙をとりあげた。


「せ、先輩……! ど、どうしましょう、き、緊張しすぎて……い、息が……」


 呻く後輩の背中をばんとどつけば、ゲホゲホとむせいだ。


 とりあえずまともに呼吸は出来るようになったようだ。


「安心しろ、こういう儀式は胸を張って、真面目なお顔してれば、たいてい問題ない」


 係員に案内され、練兵場に出る。


 そこには銀牙隊隊長、ダードルフがこの前とは様変わりして、真面目くさった顔をし、儀礼用の装飾過多な鎧に袖を通している。


 銀牙部隊の“剣と盾”が風を受けてパタパタとはためく。


「――汝らを王家を守護したてまつる、近衛部隊・銀牙の隊員として認める。

三十五代銀牙部隊隊長、ダードルフ・リヒテンシュタイン」


 ダードルフの声が朗々と響く。


 そして段上に、ドレス姿の少女が現れる。大きく跳ねた毛先を揺らし、現れたのは女王の、マリアだ。


「このように朕わたしを守る勇者が増えたことに喜びを感じます。日々、その技術を磨き、王家を守ることを切に願います」


 次いで現れたのは、摂政の、ギデオン。


 まるで女王が前座かのように、王と間違えてもおかしくない風格と威厳をもっている。


 ジクムントはギデオンの動きを追いながら、頭の中ではどうやれば一番、邪魔が入らず、やつの首を獲とれるかを考えていた。


 あいつがいなくなれば、エイシスと一緒にさっさと国に戻れる。


 こんな潜入なんていうガラにもないことをせずに済む。


(あの男ダードルフが味方につくかどうか、だな)


 今、とびかかったらあの男はギデオンを守るために立ちはだかるか、それともわざと反応を遅らしジクムントを通すだろうか――。


「銀牙は王を守る剣であり盾である。秋霜烈日しゅうそうれつじつの心を忘れず、邁進することを願う」


 式はあっさりとしたもので、締めくくりに部隊章がそれぞれ与えられ、同僚たちからの拍手と供に退出することで終わった。


                       ■■

「おつかれさまでございます」


 ルリオナと一緒に、マリアを夜着に着替えさせる。


「ええ」


 アロマが焚かれ、部屋には柑橘系のかおりが漂う。


「ホットミルクなどいかがでしょうか」


「いらないわ、もう休んでいいわ。――あなたは、まだ少し残って」


 ルリオナを退出させ、エイシスだけを残るように言った。


(わ、私、何かしちゃった……?)


 思い当たることはお手玉のことくらいしかない。


 あの3バカが言ったとおり、あの場ではとりあえず良かったけれど、思い返してみるとどうして女王のわたくしがこんな貧乏くさいものを……! と叱責されるてしまうのだろうか……。


「陛下、申し訳ございません!」


 いきなりの謝罪に面食らったマリアは目をパチパチとさせる。


「いきなりなんですの……?」


「……私はなにせ、無粋きわまる田舎者でして……。

あのようにお手玉という、陛下のお気に召す遊びなど一切、知らず……。

よりにもよってほとんど勢いでお手玉作りなどというエレガントからは最も離れた遊びを提供することしかできず、申し訳ございません! 平に、平にご容赦くださいませぇ……っ!」


 最後に馬車に潰されたカエルのようにひれ伏してしまう。


 すると頭の上から振ってきたのは、思わず出てしまった……というような笑みだった。


「え……?」


 手をとられ、起こされる。


「何を勘違いしていると思えば。平気よ、お手玉はとても興味深かったわ。こうして握っているだけでなんだか、気持ちいいわ。種がポイントのようですわねえ」


 ほら、といって、昼につくったお手玉を見せる。

 なんだかんだ、全員分のお手玉を回収したらしい。


「さっきちょっとやってみましたけど、あなたのようにうまくぽんぽんと回せるようになるのはだいぶ時間が必要ですわね」


「そう、ですか。……気に入って頂けて光栄でございます。

それでは」


「聞きたいことがあったの。――立ってないで、座りなさい」


「あ、はい」


「戦争がはじめてもうすぐ半年が経つわ。

叔父……摂政は、たくさんの人々を徴兵で動員してるわ。

今朝の朝議でも、エールの兵は無限にわき出て尽きることを知らない、なんてことを大まじめに言って……。

摂政あれは兵を人と見ず、ただの数としてしか把握できないものだわ……。そんなものに任せなければ、にっちもさっちもいかないわたくしも情けないですけれど」


(陛下……)


「ねえ、あなたはどこの出身?」


「……アントスースでございます」


「あまり土地が豊かではないわね」


「はい」


「男手おとこでは?」


「ほとんど徴兵に取られてしまい……。女の腕では耕す土地もなく、収穫の際も限界がありまして……」


 全部、ルリオナから与えられた“設定”であったが、実際もそういうことらしい。


 さらに戦争に伴う物品統制によって食料品は都市部ではまだまだだが、田舎では何割か値段が上がっているらしい。


 度たび重かさなる増税に、農地を放棄して逃散するところも増えているようだった。


 エイシスは、そう告げた。


 マリアを騙しているようで心苦しかったが。


「やっぱり、そうだったんですわね。……城の中ではそんなものごとを深刻に捉えているものは誰一人としていないわ。

みな、国境戦をどう打開できるかに汲々きゅうきゅうとしている……。誰も彼も、最終的な戦争責任を誰に負わせるかの目配せをしている。

誰一人として、民のことを考えているものはこの宮廷にはいないわ。わたくしも、そのうちの一人……」


「いえ、陛下は……」


「だからこそ、あなたをこうして侍女にしたの。

あなたはわたくしの弱さがゆえに、起きているこの国の数多くの不幸の象徴、なんですわ。

あなたが不幸というんじゃない、王家が無軌道にばらまいた不幸の被害者……というべきかしらね」


 マリアは立ち上がると、エイシスのもとに歩み寄る。


「陛下……?」


 そっと手がのばされ、白魚の指先がネックレスをそっとすくいとる。


「綺麗ですわね」


「あ……七宝しっぽうというもの、みたいです……」


「そうなの……。

綺麗だわ。誰からの贈り物?」


「はい……」


「大切な人からのようですわね」


「はい」


 恥ずかしくなって、目を伏せる。


「その方も戦地に?」


「……そう、です」


 マリアはそっと虚空を見つめ、


「……わたくしは……なにがなんでも、踏ん張らなければなりませんわね……。

そして……」


 そのあとにどんな言葉が続くはずだたのか。


 マリアの横顔は険けわしかった。

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