第23話 志願
侍女というのは要するに、メイドが作業的なものをつとめるとするならば、ご令嬢のコーディネートや、買い物の時の相手など、その本人個人に関する仕事を担当するものらしい。
つまりメイドよりもずっと、主人との距離が近しい。
だからこそ侍女というのはある意味、“特別”になる。
エイシスは今、マリアの髪を整えていることに悪戦苦闘していた。
その場には屋敷を案内する時にはいなかった年上の侍女が三人いて、三人がそろいもそろってほくそ笑みながら、見守っている。
「……ま、巻き方は、これくらいでよろしいでしょうか」
鏡を前に椅子に座っているマリアは三面鏡などで確かめる。
「もっと巻き方はきつめ、ダイナミックにして。これではまったく、さざ波ですわ」
「さ、さざ波……?」
「あなた、海、とういうものを見たことはあって?」
「いえ」
これは本当のことだ。
もちろん知識としては知っているが、今回のエール訪問がはじめての外国旅行だ。
大陸のほぼ中央にあるブレネジアには湖はあるが、海はない。
「海というのは地平線の彼方まで水が満ちている場所のことをいいますわ。もう、どこまでもどこまでも、果てが見えないんですの。そして地平線のあたりで空と溶け込んで、それはそれはとても綺麗な場所であると聞いています」
「え、では、陛下はごらんになられたことは……?」
「わたくしは、幼い頃、お父様が健在であったときに一度あるわ。ただ、噂に聞いていた時のような美しさとは無縁でしたけど……。その時はあまり天候がよくなくて、波が大きくふくらんでいましたの」
「ふくらむ、ですか?」
「ええ、何かが今にも顔をだしそうなほど……。風に煽られ、海が暴れ回っているかのようで。
みなは、怖いと言っていましたが、なぜだか、わたくしはとーっても、それが気に入りましたの。なぜかは分からないけれど、力が出る、というか……。
この毛先のカールはそれをイメージしているんですの。
ですからもーっと大きくカールさせるんですわ」
「は、はい……っ」
やり直そうとすれば、
「陛下、そのようにド素人の田舎娘にやらせるのではなく、わたくしどもにさせてくださいませ」
「そうですわ、陛下のお体を触らせるなど……」
「お時間がどんどん遅れてしまいますよ。摂政殿や大臣の方々が待ちくたびれてしまいます」
侍女たちが後ろでごちゃごちゃと口うるさく言う。
というのは今から朝議ちょうぎに赴く予定だからだ。
「最初から誰もがうまくいくわけではないわ。……エイシス、さあ、続けなさい」
そうして何とかかんとかさっきよりも大きく巻きあげることに成功する。
しかし、左右が非対称で、お世辞にも成功とはほど遠い。
「陛下、も、申し訳ございません……!」
「まあ、しょうがないわね。――ルリオナ」
「はい」
入れ替わってルリオナが髪を直せば、所要時間、五分とかからず、左右対称の完璧な巻き具合を実現する。
「ありがとう。では、行ってくるわ
マリアは衛兵たちを引き連れ、部屋を出て行った。
途端、パチン!という鋭い音がして、エイシスはびくっとしてしまう。
音の正体は侍女の一人が扇を閉じた音だった。
「まったく。陛下の時間はあなたのようにお安くはないんですよ」
「そうですとも、そうですとも。あなたのような田舎時間と一緒にしてはいけませんよ」
「いい? あなたは、物珍しいから取り立てられてるにすぎないわ。すぐに飽きられてポーイされるに決まってるの」
侍女三人組みはなかなかのいびりを見せる。
(姉上たちそっくり……)
内心、エイシスはげっそりしてしまうが、それは表に出さないよう気をつける。
「も、申し訳ございません……。精進し、きっと、陛下に気に入っていただけるよう、がんばりたいと思いますので、どうかよろしくお願いします」
「あなたのようなどんくさい田舎大根の相手なんて……」
「ごめん被るわ」
「そっちの薄暗い影女かげおんなと一緒にいなさいな」
ホホホホと三人組みは部屋を出て行った。
侍女というのは基本的に主の部屋にいるものだが、勝手に出て行ってもいいものだろうあ。
「あの三バカは目に見えるスパイだから、気にする必要はありません」
ルリオナは首をコキコキ鳴らしながら言った。
「スパイ……?」
「摂政を務めるギデオンの」
「そうなんですか? でも、どうして……。二人は身内じゃ」
「権力が絡むと、いろいろ歪むものですから。最終的にはギデオンを排除し、マリア様に名実ともにこの国の実権を握っていただくことこそ、最大の目的なんです」
「はい……。
あ、ルリオナさん、事前に教えてもらったはずなのにうまくできなくてごめんなさい……」
ルリオナは一瞬、ぽかんとしてから笑う。
「エイシス様、あなたはそこまで侍女に染まる必要はないんですよ。ほどほどテキトー、でね」
「でも、あの人たちの言う通り、陛下に飽きられてしまって侍女をやめさせられたら」
「陛下のおそばは今の人員で十分、回っているんです。ある程度、おもしろいことが好きな方でしたから、薔薇の園でのコントで、おそばに置かれるということは計算通りでしたが、あなたはなにやら好かれているようです」
「そう、ですか?」
「色々教えるのが楽しいのかもしれませんね。まあ、陛下は最近、落ち込みがちでしたから、そういうことも大切ですね。我々の行動の前に陛下が参られては困りますし。そういう点では、あなたはしっかりループレヒト様の期待に応えられていますよ」
「はあ」
褒められているのか、馬鹿にされているのか。
「で、次はお掃除ですよね」
「ええ。まあ、テキトーにユルユルとやりましょう」
ルリオナの緊張感のない物言いに、それでいいのかあ、とも思う。
「あの、他に陛下と親しい方はおられないんですか。陛下を助けてくださるような……」
「いれば、我々がこんな苦労をせずともいいんです。そばにいる人間はすべてギデオンの息がかかっていると思ったほうが賢明です」
「そんなに……」
それをマリアは知っているからこそ、ループレヒトを引きこんだ。
(こんな広い場所で、仕える人間はたくさんいても一人きりなんて……)
その胸中ははかり得ない。姉たちにいびられ、魔法を使えない落ちこぼれだったエイシスにも父や兄など味方がいてくれた。
でも、マリアは本当に一人なのだ。
少しでも、その心を癒やしてあげたい。
女王の心をおもんぱかるなど不遜ふそんなのは百も承知ながら、エイシスはそう静かに胸に決めた。
■■
エイシスが王城で、侍女として働いているその時。
ジクムントキリムの姿はエール王国の軍の本営にあった。
しの手には新兵募集のチラシ。
どうやら国境紛争で足りなくなった王城の警備兵を補充しようというらしく、ジクムントたちの他、二十名はくだらないだろう志願者がいた。
警備兵は賃金が良いせいだろうが、この中で選ばれるのは二名だけ。
こうして行列に並んでいるのは、食いっぱぐれたから、ではなく、ループレヒトから言われからだった。
――エイシスに女王をみてもらっているから、きみたちは軍を。女王陛下に協力してくれそうな有望株を探り、勧誘して欲しい。
あいつの指示に従うのは癪しゃくだが、警備兵に採用されたらエイシスの様子が探れるかもしれないと考えたのだ。
(いつまでもあいつを、城に一人でいさせるものか)
そばにはルリオナというとんだ女狐もいるわけだし。
「せ、先輩……。僕たち、ホントにいいんですかぁ? 僕たち、隠密行動中とはいえ、ブレネジアの軍人ですし……」
「お前はまだ幹部学校を卒業もしてもない半人前だろうが」
「むぅ、先輩、イジワルですねー……」
(そういや、コイツ、将来の幹部か……。ブレネジアの将来が不安だな)
「ともかく、こんなもんに合格できなかったら、俺がお前を放校処分にするから覚悟していろ」
「そ、そんな!」
列が動き出す。
どうやら試験官らしい男が立っている。短く刈った短い髪に、あごひげの中年男。鎧は身につけず、簡易な服装だ。
隣にいる小柄なシルエットのやつは副官だろう。
「試験内容を発表する! 私と戦い、最後まで立っていた者を採用する、以上!」
あごひげ男が宣言した。
「うへえ、バトルロワイヤルだぁ~」
「ま、わかりやすくていいな」
ここ最近、潜入任務で身体がなまっていたからちょうど良い。
武器は木製の模擬剣。相手もそうだ。
志願者たちが次々と男の元へ殺到する。
「先輩、僕たちは行かないんですか?」
「様子見だよ」
しかし数にものを言わせた第一陣・総勢十名は瞬きを二度するかしないかで全滅。
それに続き損ねた第二陣は、男の猛々しさにすっかり腰が退けてしまっている。
「来ないなら、こっちからいくぞーっ!」
そのただ中に突っ込んでいく中年男は力強い一閃を見舞い、なぎ払う。
数など問題ではない。挟み撃ち、囲い込みなど、押し包もうとしても無駄だった。
あっという間に、ジクムントとキリムの二人だけになってしまう。
「へえ、やるじゃねえか」
「先輩、関心してる場合じゃないですよ!」
中年男が、ジクムントたちを捕らえる。
「おい、そこの二人、臆したかっ!」
「なあ、俺たちは二人。募集は二人。合格で、どうだ?」
「そ、そうです! 先輩の言う通りですよ、僕たち、生き残りましたし!」
「そんなわけあるか、実力を確かめさせてもらうぞっ!」
その大きなガタイからは想像できない素早さで駆ければ、木刀を振るう。
二人はぱっと別れて、男を挟み込むように対する。
「キリム!」
「は、はいっ!」
ジクムントの合図で背後から木刀を振るうが、あっさり受け止められ、はね飛ばされる。
「きゃああん!」
情けない声をあげてキリムはぶっとんだ。
「隙ありっ!」
後ろ――キリムに意識が向いている隙に、剣を打ち込んだが、それを足裏で剣筋を逸らされてしまう。
「……っ!」
力がこもっていた分、かえって体勢を崩したジクムントの脳天めがけ木刀が振り下ろされる。
しかし素早く転がり、紙一重でかわす。
「おい、殺す気か」
素早く起き上がり、剣を構える。
「己の無力を嘆くんだなっ!」
「あんたがその気なら……」
ジクムントも木刀を振るって応じる。受け止め、受け止められ、互いに譲らぬこと三十合――。
(さすがに体重差が……)
上背こそジクムントよりも低いが、相手は腕なんかは丸太ん棒のように太い。その分の力が木刀にのっているせいで、手が痺れる。
「ほう、ここまでやっても息を切らせていないか」
「あんたこそ。おっさんの割りにはよくやる」
「ふははは! 久しぶりに骨のある男だ、いいだろう、次は本気を……」
「おっさん、後悔すんなよ」
これはどちらかが大けがを負わない限り終わらないな――緊張感に、ジクムントの顔からは笑顔が消える。
「――そこまでですっ!」
そこへ割って入ったのは、男の隣にいたやつだ。
「おい、邪魔をするなっ!」
「そうだ、せっかくの相手だぞ、久しぶりに血が騒ぐわいっ!」
「隊長、これは試験です、実戦ではないんですよっ!?」
「隊長……?」
「ふはははは! ワシは泣く子も黙る銀牙ぎんが隊の隊長、ダードフルよ! 小僧、どうだ? 驚いたか? エールの男子ならば誰もがあこがれる、男じゃぞ?
ぶわーっはっはっはっはっっはー!!」
銀牙隊はエール王国の、王直属の親衛隊だ。
(こいつが、ダードルフか)
軍の情報では、この男はかなりの実力者として要注意人物とマークされているはずだ。
(こんなおっさんが、なぁ)
「隊長が申し訳ありません。私は、副官のサリスです」
「女か?」
「問題が?」
眼鏡のブリッジを押し上げるそぶりをして、気の強そうな声がとび、ベリーショートのヘアスタイルの女は不機嫌そうな目を向けてくる。
「いいや。――で、俺たちは合格か?」
「ええ。あの子も隊長にとびかかった身のこなし、太刀筋はなかなかでしたから……」
「そうか。俺はアルフレッド・トーマスだ。そいつは、キリム」
キリムはそもそもまだ軍歴がないから、名前をいつわる必要がない。
もちろん、二人ともルリオナが用意した偽造のエール王国の身分証明書を持参している。
「小僧、ようこそ、銀牙隊へ。歓迎するぞっ!」
「そりゃ、どうも」
差し出された手を握ると、手を粉々にせんばかりに強い力がかかった。
負けずに、握り返す。
すると、ほう、ダードルフはにこにこしながら手を離した。
「サリス、あとは頼むぞ。久しぶりにちっと汗をかいちまった、がーっはっはっは!」
豪快な笑い声と供に、ダードルフは去って行った。
「……あんたも苦労するな」
「まあ、その……」
サリスはすぐに反論はしなかった。
同じ軍人として副官に同情を禁じ得なかった。
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