第21話 侍女
エイシスたちが宿屋に戻ると、
「おかえりなさい」
おかみさんが笑顔で出迎えてくれる。
「ただいま戻りました。あの、キリフくんは……?」
「おぼっちゃんでしたら、先ほどの女の人と」
「女の人……?」
「お二人がゆっくり外を回れるようにと……違うんですか」
おかみさんは不思議そうに聞き返す。
「そうだったわ。すっかり忘れてたわ」
エイシスとジクムントは顔を見合わせ、やや駆け足でジクムントの部屋に入れば、キリフと一緒に、細身の女性がベッドに座っていた。
「エイシス様、おかえりなさい!」
キリムが暢気に言う。
エイシスは「ええ」とぎこちなくうなずき、女性を見る。
「あなたは――」
「……ルリオナ」
ジクムントが言った。
「知ってるの」
「こいつが、間諜スパイだ」
ジクムントは顎をしゃくる。
「え」
「お久しぶりね」
「昼に会ったろう」
「まあ、そうね」
ルリオナはにこにこしながら肩をすくめた。
(兄上ループレヒトに似てる……すっごく……)
特に、こちらに考えを読ませない、雰囲気が。
「なんでここにいる」
ジクムントの声はやや尖っていた。
「あなたたちにお願いがあって。ついでに、この子を保護しといたわ。今にも泣き出しちゃいそうだったから」
「い、言わないでください……!」
キリムがやや頬をあからめ、慌てるような声をあげた。
「あなた、ループレヒト様の妹よね、エイシス」
「そうです」
「まあ、二人ともそんなところに突っ立てないで、どうぞ座って」
「俺たちが借りてる部屋だぞ」
「はいはい」
ジクムントがうなっても柳に風とばかりに受け流す。
(やっぱり兄上にそっくり)
ジクムントを何とか制し、エイシスたちは椅子に座った。
「で?」
ジクムントが警戒心を全身に漲らせる。
「エイシス様にはどうか、城でループレヒト様とお会いして欲しいの」
「兄上と……?」
「そう」
「俺たちは?」
「ここでお留守番よ」
「何でだ」
「ループレヒト様が呼んだのはエイシス様だから」
「兄上は今、どうしてるんですか? 無事、なんですか?」
「安心して。危害は加えられていないから……」
「それじゃあ、すぐにでも逃げられるんじゃ……?」
「そうはいかないの。まあ、なんだかんだ色々あって、ループレヒト様はマリアを助ける協力をしたから」
「そのなんだかんだを説明しろ」
「ジーク」
エイシスが言うと、ジクムントは不満たらたらの顔ながらとりあえず口をつぐんだ。
「マリアっていうはエールの女王様よね」
「そう。その方をお助けするためにも是非、エイシス様のお力が必要だと……」
「分かりました」
「おい、エイシス!」
エイシスの即答ぶりに、ジクムントは目を見開いた。
「何はともあれば兄上と話しができるのは望むところだわ。そうでしょ? そのためにここまで来たの」
「ご健康ですよ……まあ、毎日毎日お酒を飲まれすぎていますけど。
ともかく、了解していただいて良かった。明日、迎えに参ります」
「罠、じゃないだろうな」
「罠?」
ジクムントの、大男でもちびってしまいそうな睨みを、ルリオナは笑顔で受け止める。
「お前が、連中に通じてるって証拠はない」
「裏切るって? バカね、裏切るうまみがないのに」
「ルリオナさんっ」
「エイシス様、ご安心を。仕事がら、嘘ばかりですが、これは本当。私は味方です」
「なら、ジークたちも一緒に。そうすれば、今後のルリオナさんとの信頼関係も築けると思うんです」
「分かりました」
「罠だったら覚悟しろ」
「ええ、覚悟しますとも」
最後まで煙に巻くような態度で終始し、部屋を出て行った。
「エイシス様、大丈夫でしょうか……? あの人、なんか、怖いです……。良いにおいでしたけど……」
「お前はそんなことしか言えないのか。それに勝手にはぐれやがって……」
「うぅぅ、すみません……なんだか、食べ物にめうつりしてしまって、気づいたら……」
「二人とも、落ち着いて。
ともかく、あの人を頼るしかないんだから。明日のために今日はよく寝ましょう」
■■
そして翌日。
もうすぐ昼ということで、ルリオナはエール王家の紋章である、七つの花びらの描かれている馬車で迎えに来た。
昨日のラフなシャツと、黒いパンツ姿と違い、今は、細身のシルエットの黒薔薇を散らしたドレス姿。
「あなた……」
馬車に乗り込んだエイシスがいぶかしめば、
「わたくしは今、女王陛下の侍女として働いております」
見送りにきたおかみさんは、驚きのあまりあんぐりと口をあけていた。
「お世話になりました」
エイシスはそんな呆然とするおかみさんに頭を下げれば馬車に乗り込む。
向かい席に座れば、馬車がゆっくりと動き出した。
ジクムントは、事前にエイシスから『ルリオナにつっかからないで』という約束を不承不承守り、口をつぐんでいる。
しかしその猛禽類もうきんるいのような眼差しはたえず、ルリオナの動向に注意を払う。
少しでも不審な仕草をすれば、懐におさめてある短剣でそののど笛を斬り裂く――。
王家の紋章がある馬車だけあって、大通りの人々は次々と道の脇に寄ってくれるせいか、王城まではとてもスムーズだった。
城門を抜け、馬車止めに到着し、城内へ。
城内はあらゆるところに廊下が延びているせいか、ルリオナとはぐれたが最後、たちまち道に迷いそうだった。
どこをどう進んだのか、階段をいくつか上り下りして、少し歩き疲れはじめたところで、ようやくルリオナは立ち止まった。
「こちらです。――お二方は、ここでお待ちください」
エイシスはジクムントにアイサインを送り、うなずく。
扉があけられる前に、昨夜、ジクムントからもらった七宝のネックレスに触れ、この部屋の中で何があっても心を乱さないと念じながら、部屋に入った。
「兄上……?」
広々とした部屋に、いるのはたった一人。
「待っていた」
出迎える人はいつもの笑顔をみせてくれる。
「兄上!」
エイシスは駆け足で近づくと、抱きついた。
ループレヒトはやんわりと妹を抱き留める。
「……兄上、お酒くさい……です」
「すまない、今のんでいたから」
「真っ昼間ですよ!?」
「そう言うな。これくらいしか、楽しみがない」
「……もう。それよりお怪我は? 体調のほうはどうですか?」
「ないよ。もし連中が何かしようとしたら、エールは今頃、大火災さ」
「安心しました」
ほっと胸をなで下ろす。
「ジクムントは?」
「外です」
「そうか」
「それで……私に、お話があると。マリア様に協力する……と、ルリオナさんからは聞きましたが」
「どうやら今回の紛争の責任者は女王ではなく、実質的な権力を独占している、叔父ギデオンにあるらしい」
「では、女王様をお救いする、ということですか」
「そう……。その役目を、エイシスにやってもらいたい」
「そんな……。私は、あまりに非力です……魔法だって、あの時、一度かぎりで……実は、二度は使えていいないんです」
「荒事をして欲しいわけじゃない。きみには陰ひなたに、女王陛下のそばにいて欲しい」
「どういうことでしょうか……?」
話が見えない。
もし女王を助けたいのなら、ループレヒトが魔法をつかえばいい。
「たしかに、和平は望むところだよ。でも、今の王女様はいかにも立場が弱すぎるんだよ。仮に今、ギデオンら主戦論派の一味を排除したところで、彼女は一人だ。
むしろ、彼女は叔父によってお膳だてされたからこそ、お飾りでも“女王陛下”でいられる」
「どうしたら」
「そこで、エイシスにはマリアの覚悟を固めて欲しい」
「覚悟……、ですか?」
「本人は大丈夫だと言っているが、まだ少し迷いがある。それに、あまりに彼女の地位は不安定だ。お前の力で彼女を勇気づけてやって欲しい。ついでに、もし余裕があれば、マリアの見方作りを」
「兄上は、この先に平和があると……?」
「信じているよ」
兄は、宮廷という場所を知っている。
エイシスが知っているのは舞踏会の和やかな姿でしかない。
その兄が、平和があると信じるのであれば――
「分かりました」
「ありがとう。詳しいことはルリオナに」
ルリオナにうながされ、部屋を出かけた時、「エイシス」と呼びかけられ、ふりかえる。
「久しぶりに、お前の顔をみられて、安心した」
「私もです、兄上」
エイシスは笑顔を返すと、部屋を出た。
すると、今や遅しと待っていたジクムントとキリムが駆け寄ってくる。
「兄上はいたわ。お変わりなく」
「そりゃそうだろうな、あの男がそう簡単に弱るとは思えないからな」
ジクムントはうんうんと頷いた。
「……エイシス様にはしばし、この国のために働いていただくこととなりました」
「そう。女王様の侍女として」
ルリオナの言葉を引き継ぎ、エイシスは言う。
「どうして」
「えっと、詳しいことはまたあとで。――エイシス様、こちらへ」
「待てっ」
エイシスの手を引っ張ってどっかへ行こうとするのを、ジクムントが追いかけようとしたその時。
「二人とも」
ループレヒトがひょっこり部屋から顔を出すと、ジクムントとキリムを引き留める。
「お、お前……っ!」
ジクムントが目を見開く。
「召使いくん。私は魔ゾディアック伯爵の嫡男だよ、そういう口の利き方はいただけないな」
「は、伯爵……すごい人なんですね……!」
キリムは目をキラキラさせながら叫んだ。
「きみとは仲良くなれそうだ」
「キリムです!」
「キリムか、覚えておこう。ほら、召使いくん」
「ジ ク ム ン ト だ……!」
「召使いくん、キリム、さあ、中へ」
ふざけてんな、ぶっ殺すぞ、という悪態を無視して、ループレヒトは二人を誘った。
■■
と、エイシスはぐんぐんとルリオナに手を引かれてたどり着いたのは、美しく薔薇の咲き誇る庭園である。
紅いものの他にも、黄色や白い薔薇が咲きほころんで、甘酸っぱいかおりがみずみずしい庭を鮮やかにいろどっている。
「あの、ここは……?」
「お庭です」
「女王陛下の元へ向かうのではないのですか?」
「いいえ。ここで大丈夫です。
侍女は、女王様の身辺を守る大切な役目です。それなりに信頼されているとか、そばにおきたいと思われなくてはならないんです。
もちろん侍女募集中なんてものは、城下の職安しょくあんには掲示されていませんし」
「分かっています」
子どもに話しているような口調に、思わずむっとしてしまう。
「侍女になるには、まずはマリア様に目をとめていただかなくてわ。それをこれからします」
胸から金メッキの懐中電灯を取り出す。
「女王様はいつもここへ来られる習慣があるから、その時を狙って、あなたを気に入ってもらいます。
――いい? これから私のすること、恨まないでね」
「は、はあ」
と、なにやら人の話し声が近づいてくる。
「いくわよっ!」
身構えも何もできていないエイシスは不意な衝撃を覚えて、仰け反った。
ルリオナにつきとばされたのだ。
芝の上に、身体を大きく横たえさせる。
「る、ルリオナさん……急に、何を……」
「この無礼者!」
ルリオナは大声をあげて、ビシッ!と指をさしてくる。
突然の展開に、エイシスは目を白黒させる。
「? ? ? ? ?」
「あなたのように、何の教養のない、農民風情が、女王陛下の侍女になりたいですってえええええ!?
身の程をわきまえなさいっ!!」
ルリオナはペシペシと頭を叩いてくる。
エイシスは腕で構うが、遠慮のない力のせいで、平手でもかなり痛い。
「い、痛い! 痛いです、ど、どうして、こんな……こんなことを……っ!」
「――何をしているのですか」
突然、割って入ってきた声と供に、ルリオナの折檻せっかんがやんだ。
割って入ってきたのは、腰までとどく曇りのないブロンドの毛先をカールさせた髪の、焦げ茶の双眸をもった女性だった。
そのあとを、カナリアみたいに女性たちがあとをおいかけてくる。
「ルリオナ、どうしたというんですの?」
「これは……女王陛下……」
ルリオナは控える。
「女王陛下……?」
エイシスはぽつりとつぶやけば、すかさずルリオナの声がとんだ。
「ええい、この腐れ娘!」
(く、腐れ……?)
「何をぼんやりつぶやいているの! 頭ずが高いのよ、頭がっ! 一体、お前はこれまで何を学んできたというの、母親の胎はらに脳味噌を忘れてきたんじゃないの!?」
ルリオナからとんでもない声と供に、地面に額をつけるよう頭をぐいぐいと押される。
「ルリオナっ!!」
「は、はい……!」
ルリオナはひれ伏す。
間髪入れない、ルリオナによる罵倒で茫然自失の、エイシス。
「一体、どうしたというの」
「実は、この小娘がどうやらこっそりと城内に侵入しまして。それで、女王陛下のおそばで働きたいと、そのような小癪なことを言いまして。
すぐに近衛兵の衛所まで引っ立てようと思っていた次第にございます……」
ルリオナは立て板に水のごとく、すらすらとありもしないことをまくし立てる。
「名は」
「……エイシスと申します」
マリアの眼差しが、頭の先から爪先までをじっくりと眺める。
無論、今のエイシスの服装は農民の婦人の格好で、とても貴人の前に出て良いようなものではない。
「本当に、あなた、わたくしの世話をしたくて、侵入してきたみたいね。それも警備の目をかいくぐってやってくるなんて、たいした度胸ですわ」
「……あ、ありがとうございます……?」
「よろしいでしょう。あなたを侍女にします」
「陛下!」
後ろにいた女性の一人が声をあげた。
「そ、そんな素性のわからぬものを、おそばにおくなんて……。何かあったらどうするおつもりですか」
「そうです、そんなことを勝手に……」
「勝手? わたくしは女王よ。わたくしが一体どこの誰に、許可をとらねばならないと言うの? この国にわたくし以上に偉い人間がいるとでも!?」
「そ、それは……」
女性たちは揃って口ごもる。
「いいじゃない。わたくしのそばに仕えるものは、本当の意味でわたくしを慕うものでなければ。叔父の御用聞きばかりでは……ね?」
とどめとばかりにマリアにちらっと見られた女性たちが気まずそうに目を伏せる。
「大丈夫、エイシス」
「あ、はい」
差し出された手をおそるおそる掴む。
「怖がらなくてもいいわ。別にとって食ったりはしないから……。まずは、湯ゆ浴あみ……それから、服装ね。髪もととのえて……。あなたの髪はとても櫛の入れ具合がありそう……」
マリアはエイシスの髪を一房そっとすくうと、そのさらさらした具合をうっとりと眺める。
「あ、ありがとう、ございます……」
「……何をしているの。さっさと準備にはいりなさいっ!」
マリアの鋭い声にカナリア女性たちは「は、はい!」と一斉に走り出す。
「それから、ルリオナ、あのように乱暴なことは今後一切、禁じます。いいですわね?」
「かしこまりました。ご無礼を……」
ルリオナは頭を下げ際、エイシスのウィンクをした。
「さあ、参りましょう」
マリアに手をとられ、エイシスは促されるように歩き出した。
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