第20話 休息

「ジーク、どうだった?」


 エイシスは部屋に帰ってきたジクムントを出迎えた。

 しかし、ジクムントの顔色はあまり冴えない。


「どうしたの? ……まさか、兄上に何かあったの……?」


「いや、それすら分からない。どうやらまだ詳しい状況が連中もつかめていないらしい。また、あっちから接触してくるとか言ってた」


「……そう」

 それは喜ぶべきなのか、憂うれうべきなのか。


 しかし今、まさしく敵対している外国の要人を手にかけたとすれば、何かしら国民の気持ちを高揚させるために、宣伝するはず。


(そうならないってことは、まだ何も起きていないってことよね)

 そう、自分に言い聞かせるように思う。


「エイシス様、大丈夫ですか……?」

「ありがとう、キリムくん。平気よ」

 キリムが、エイシスの心を敏感に察して言う。


「ねえ、先輩! 用事がすんだことですし、外に出ません? エイシス様も、気分転換に」

「いいのよ、キリムくん。私たちは遊びに来たわけじゃないんだし……」

「でも」

「兄上が酷い目に遭ってるかもしれないのに、遊ぶなんて……」


「いや、行くぞ」


 重く沈んだ空気を破ったのはジクムントだった。


「ジーク?」


「あの間諜スパイの暢気さには腹が立つが、連中がああやって余裕があるってことはすぐにどうこうなるってわけじゃないはずだ。

それより、ループレヒトを救う前にお前が参ったら意味がない。だろう?」


 ジクムントが笑いかけ、手を差し出してくれる。


「……ありがとう、ジーク」

「礼なんて」


「よーーーし! 決まりですねっ!」

 キリムがはしゃぐ様子に、エイシスは笑いをこぼす。


 早速、三人で街に繰り出すことになった。


 なんだかんだ、夕方近い。


 むっとした人いきれが、夕暮れ時のこなれて、柔らかくなった空気に漂う。

 東の空が青紫色に染まり、ときどき吹く冷えた風が、うっすらと汗ばんだ首筋に涼しかった。


 季節の変わり目は空気で分かる。

 今ここで感じる空気は、かすかに夏の息吹を孕んでいる。


(もうじき、夏ね)

 自分の16歳の誕生日も間近。

 それまでに王都に戻れるかどうか……。


 そこかしこにある店頭に明かりがともると、光の線が南北を通る大通りにまっすぐ伸びているようで、思わず、目を奪われる。


「先輩、この街は夕方のほうがにぎやかだって、おかみさんが言ってましたよ。夜だけ営業するバーもあるそうですし!」


「馬鹿、酒なんて飲むわけないだろう。メシだけだ」

 そう言う、ジクムントの顔も少し浮かれているように見える。


「何だ?」

「ううん、何でもない」

 エイシスが笑うと、彼は不思議そうに肩をすくめる。


「エイシス、何か食いたいものはあるか?」

「先輩、肉が食いたいですっ!」

「お前は聞いてねえよ」

「えー、でもでも! ハラ空きましたからぁぁぁぁぁ……!」

「あのなぁっ」

「いいわ、まずは腹ごしらえにしましょう」


 キリムは、留守番をしている間に、ちゃっかりおかみさんから聞いたという羊肉を扱う店をリクエストする。


「羊肉って、ダイエットにもいいらしいですよ、エイシス様!」

「そうなの?」

 そう言われると、乗り気になる。


「エイシス、お前はもう少し肉付きがよくなったほうがいいぞ」

「そ、そう……? これでも、その……太っちゃったのよ。

たぶん、王都にきてから大工仕事とか、歩くことがなくなっちゃったせいね」


 森の屋敷にいた頃は、食事をするにも何をするにも自給自足だったから、とにかく身体をつかった。

 今は、いわゆる上げ膳ぜん・据すえ膳というやつで、明らかに身体のナマリを感じた。


 紹介された店では、南方出身らしい店の主が羊を一頭、客前で豪快に焼き、それを料理人らしい妙技で、薄切りにしたものを小麦粉を薄く平たくしてパンみたいに焼いたものに挟み、しゃくしゃきとした生野菜に辛味のあるソースと一緒に挟んで食べる。


「うん、おいしいっ!」

 かぶりつくと、肉汁が口いっぱいに広がる。ソースのほうはやや辛みが強いのだが、それが食欲をそそるし、ほどよく肉汁とからみあうと、辛みがほどよく舌に残る程度に中和される。

 それに野菜もスープもほどよく吸ってしんなりしながら、しゃくしゃくと歯ごたえもよく、食感を楽しませてくれる。


「おじさん、もう一つっ!」

 キリムはあっという間に一つ目を食べ終えてしまったらしい。


 そのはしゃぎようを、エイシスはにこにこと眺める。


「悪いな、騒がしい奴で……」

「そんなことないわ」

 エイシスは首を横に振った。

「ジークこそ、もっと食べなくて平気なの?」

「何でだ」

「なんでって……それは、だって……すっごく身体大きいんだし、足りないんじゃないの?」

「あいつみたいに燃費が悪かったら、軍人としては失格だからな。飯なんて食わなくても歩けるくらいじゃないと役にたたないんだ」

「そうなの……大変なのね」

「いや、馴れればどうってことない」

「……だから、ジークって筋肉モリモリなのねえ」

「なんだそりゃ」

 ジクムントは苦笑する。

「だって、ね……うん……抱きしめられると、なんだか、すごいなって……」

「………」

「ごめん、変なこと言っちゃって」

 私、何いってるんだろう……と内心でつぶやき、目を伏せる。

「いや……」

 ジクムントは首を横に振りながら、あからさまに対応に困っているように目がふらふらしている。


「あ、そうだ、エイシス。実はさっき出かけた時に、お前に――」


「……あれ? キリムくんは?」

「何?」


 エイシスが火照った顔を手で仰ぎつつ周囲を見渡せば、キリムは影も形もない。


「くそ、あいつ……っ! 護衛が迷子になってどうすんだっ……!」

 ジクムントはドスの利いた声をあげた。

「探そうっ」


 エイシスたちは人混みを縫いながら、キリムの姿を探すが、彼はやっぱり見つからなかった。

 三十分ぐらい大通りを探し、それから路地を抜けて、キリムの名を呼ぶが反応はない。


 二人はいくつかの路地を抜けた先の広場にある長いすで休憩することにした。


「まあ、いい」

「え?」

「俺がいれば、お前の身は安心だ」

「キリムくんは?」

「あいつが誘拐されるタマか。自分でなんとかしてるさ」

「でも」

「あいつは素人じゃない。自分の身くらい守れる。そうじゃないと、戦場出ればすぐに死ぬ。

……ん、どうした?」


「ううん」

「今、動いただろ。どうした」

「何でもないわ」

 ジクムントは自分と、エイシスの間にあいた空間を目で示す。

「……気のせい、じゃない?」

 それでもエイシスは知らぬフリで粘る。

「言え」

 ジクムントが距離を詰めてくるが、エイシスはやっぱり身動いで距離をとろうとするが、肩をぐっと掴まれ、抱き寄せられる。

「ジーク!?」

 その拍子にエイシスはジクムントの胸にとびこむ形に……。


 かすかに彼の汗ばんだかおりがした。


「う、うぅぅぅぅ……っ! 駄目ったら!」

 腕をばたばたと振って抵抗するが、あっという間に腕を捕まれる。

 ジクムントからすれば大して力を入れていないのだろうが、エイシスはあっという間に動きを封じられてしまう。


「俺が何かしたか?」

 エイシスの顔をのぞき込むジクムントは怒っているようではないけれど、むっとはしているらしい。


「……そうじゃなくて」

「じゃあ、なんで、俺から離れようとする」

「……だから」

 ジクムントはじっと見つめられる。

「……汗、かいてるの」

「は? ……俺もかいてる」

「じゃなくて! 汗! 私がかいてるの!」

「蒸し暑いから、そうだろう」

 それの何が問題だとものといたげな顔。

「じゃなくて……汗のにおいがしたら嫌だから……その、あんなに近くにいたら、その……かがれちゃう……って思ったの……」

 言ってみたが、語尾が小さくなってしまう。


「そんなことか。軍人は男所帯だ。汗くらいでわーわー言うわけないだろう。一週間、身体を洗わない奴もざらだ」


(そういうのと一緒にするのは絶対に違うからっ!)


「だーかーらーっ」

 ぐっと身体を抱きしめられる。

 首筋に、かすかに吐息を感じた。


「俺はお前のにおい、好きだぜ」


「……っ」


 力が抜けると、さらに抱きしめる力が強くなる。今にも身体が壊れてしまいそうな力に息ができなくなるのに、心臓がうるさい。

 ジクムントにそれが伝わってしまうのが恥ずかしくて……。


「ジーク……っ」

 息ができなくて死んでしまいそうになりながら、ようやくそれだけを言う。


「においだけじゃない、お前のすべてが好きだ。髪も、瞳も、声も……」


 抱きしめる力が強くなる。


 もっと強く――。

 すべてをゆだねてしまう。


 と、不意に抱きしめる力がゆるんだ。


 どうして。寂しい気持ちにかられ、彼の澄んだ眼差しを見つめてしまう。


「エイシス、これを」


「え?」


 渡されたのは小さな包みだった。


「宿じゃ、キリムがうるさいからな。――開けてくれ」


「う、うん」


 そこにはこれまであまり見たことのないつやつやした光沢と透明感のある花の形をしたネックレスだった。


「これ……」


「間諜スパイと会う時、外煮出た時に見つけたんだ。七宝しっぽうとかいうらしい」


「七宝? 聞かない響きね……。でも、綺麗……。ありがとう、ジーク」


「かけてやる」


 ジクムントはそっとネックレスを首にかけると、戦う彼の姿からは想像ができない優しい力で髪をそっと撫でる。


「綺麗だ」


「大切にするね」


「……そろそろ、帰るか」


「うん」


 立ち上がろうとした時、あまりに自然な所作で顔を上向かされ、唇を奪われる。


 口づけの時間はあっという間だったのに、彼の唇が離れたあとも、その熱は確かに残る。


 風が通る。それはあまりに頼りないくらいの微風に思えるほど、身体が熱かった。


「いくぞ。あいつのことだ。きっと宿に戻ってるはずだ」


 それでもジクムントは何でもない風に言った。


(なんだか、悔しい……)

 自分ばかり恥ずかしがったり、どぎまぎしたり、慌てたり、戸惑ったり……。

 道化どうけにでもなったみたい。


「…………………………うん」

 その気持ちが露骨に言葉に滲んでしまい、

「どうした?」


「何でもない」

「何でもなくないだろう」

「何でもないったら……」

「また怒ってるだろ」

「ない」


 二人はやんやと言葉を交わしながら路地を戻っていった。

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