第19話 独白
「どこへいかれていたのですか、陛下」
マリアが侍女をつれて部屋に入ると、しゃんと背筋を伸ばした叔父・ギデオンが振り返る。
ギデオン・バーディッヒ・エール。
香油でなでつけられたブラウンカラーの豊かな髪に、鼻の下に蓄えた威厳のある髭ひげ。
瞳は灰色がかり、理知的にものごとを見つめる真摯しんしさを思わせる。
今年、五十五歳になるようには見えない若々しく、精力がみなぎっている。
若い頃はかなり浮き名を流し、宮廷へ参内さんだいする妻をもつ者は誰もが、ギデオンに目をつけられまいと警戒していた――そんな噂話を聞いていた。
唯一の汚点はやや出過ぎたほお骨くらいか。しかしそれすらひとたび、彼に狙いを定められてしまえばほとんど気にならないどころか、相手の女性にとっての美点チャーミングになるとか……。
「少し散歩を」
マリアは目線で侍女を下がらせる。
「あの男と会っていたのだろう」
議場ではあくまで家臣の態度をとるが、二人きりの時は叔父・姪の関係になる。
「知っていたのでしたら遠回しに聞かないでください、叔父上。それにその物言いはまるで秘め事のようですわ」
「一体、あの男をどうするつもりだ」
「人質です」
「人質? あれは元々、停戦の使者だった。それをお前が捕らえ、めちゃくちゃにしてしまったんだぞ。その自覚はあるのか」
停戦交渉の代表にマリアが出ることは家臣たちの反発を呼んだが、それを王命として無理矢理、承諾させたのだった。
「これで停戦の目は詰まれた。一体、どうするんだ」
「どうするもこうするも、戦争をはじめたのは叔父上ですわ。もうお忘れに?」
「しかし裁可したのはお前だ」
ギデオンはツラの皮の厚さを全面に押し出して答えた。
(卑劣な)
「必ず勝てると仰られたのは叔父上以下、将軍たちです。あの場でわたくしが裁可していなかったら、わたくしは殺されていたかもしれない」
マリアは顎をそびやかして反論しつつ、叔父の顔を眺める。
心の中で、父のように……という言葉をつけたす。
しかし、ギデオンは馬鹿な、と言うだけだった。
「ともかく、あの人質をどう扱うか、近々、家臣たちに弁明をするんだ」
「分かっています。叔父上こそ、国境紛争の解決を……エールの勝利という形で」
「分かっている」
ギデオンは目をそらし、そう言って、部屋を出て行った。
「はぁ……」
溜息が漏れる。
(まったく、心臓に悪いことこの上、ありませんわ……)
叔父を前にすると、いつもマリアは冷や汗を禁じ得なかった。
叔父が、父・前国王アルフォンを殺したことは明確な証拠はでていない――というより、叔父があらゆる家臣を抱き込んで、自分の味方につけていたから、不利な証言・証拠などでるはずがない。
誰もが父の死を、ギデオンの即位を願っていたのだから。
マリアの父、前国王アルファンは地味という一言につきる。
五歳年下の議場でよく発言をし、家臣たちから絶大な支持を得る叔父の影で、じっと玉座に座っているような人だった。
多くの意見を聞き入れようとする姿勢は、柔弱と陰口をたたかれ、熟考しようという言葉は優柔不断ととられた。
それにくらべて叔父はいつも自信に溢れた発言をし、多くの貴族が惜しみない称賛しょうさんと拍手を送った。
(たしかに父上は政治に向かない方でしたわ)
よき家庭人で、芸術家肌だった。
ヴァイオリンを弾き、ダンスに長じ、さまざまな語学に習熟し、文学を愛した。
父はそれでも勉学に励み、精一杯、エールを守ろうとしている尊敬すべき王だった。
しかし国の情勢がそれを許さなかった。
エール王国は昔から国境を接するブレネジアとの紛争が絶えなかった。
祖父の頃からも何度か中小の軍事衝突はあり、決着がつくことはなかった。
それが一転、父の代の在位では戦争は一切、おこなわれなかった。
それどころか和平の道すら模索されたが家臣たちの怠慢によって物別れに終わった。
柔弱・優柔不断と言われた父だったが、将軍や叔父の開戦の直訴に対して、一切ゆずることがなかった。
そしてあらたに自分の側近をつかい、ブレネジアとの恒久的な和平に向かおうとしていた最中、突然、帰らぬ人となった。
側近が言うには、獣しし狩り中に突然、意識を失ってそのまま……ということらしかった。
一番疑われのは昼食への毒物混入だったが、前述したとおり、それが本格的に解明されることはなく、形ばかりの国葬、そして一人娘のマリアの即位。
そして叔父が摂政に就任した。
一時期はギデオンが王にと言われたが、叔父はそれを固持し、姪のマリアがこそふさわしい…という大演説と供に、国民からの支持を集めた。
しかし実質、叔父が宮廷を動かしているも同然だった。
それまで鬱憤うっぷんがたまりつづけていた将軍たちに命じ、ただちに国境戦の火ぶたが切って落とされた。
結果は、膠着。泥沼。
その責任を一身に受けるのはマリアだ。
実際、宮廷ではマリアの軽率な判断をなじる声があがりはじめている。
ギデオン以下将軍たちがあらゆるお膳立てをしたにもかかわらず、だ。
このままではこの国は身勝手な連中によって壊されてしまう。
そんな危機を打開するため、今回の前代未聞な行為にはしった。
あの調停交渉の場で、マリアは単刀直入に言った。
――わたくしが求めるのは、国が平和になること。
――では、兵を引き、賠償金の支払いを。
女性のように美しい貴族・ループレヒトは不適な微笑をたたえながらうなずく。
――それでは恒久的な平和の実現はならないどころか、禍根を残すことになりますわ。
ブレネジアにはさっさと国境を自力で突破していただいてネーヴル周辺まできていただきたいのです。
そうした上で、あらためて調停を。我が国は戦争を推進した首謀者どもの首を差し出しますわ。
――戦争をはじめたのはあなたではないのですか。臣下の首を差し出して、あなたは無事? ひどい王だ。
――小娘に操縦できるほど今の宮廷は優しくありませんの。
第一、王に信服しているようであれば、すでに父の代で和平はなっています。
――なるほど。父君の意思を継ぐ、と?
――ええ。和平実現のためにも、口ばかりの戦争好きの首をとっていただきたいのです。
――しかし、そこで調停とは……。我々があなたを裏切り、全面的に征服されてしまうかもしれないとお考えにならないのですか?
――それはありませんわ。
――なぜ。
――そんなことできる軍事力があれば国境での局地的な戦いで膠着などしないでしょう。それに、エールはブレネジアの侵略を受け入れないどころか、本格的な戦争が起きれば四方の国へ難民が押し寄せます。
そうなれば、貿易や治安などに大きな問題が残る……。あなたがただって、エールの貴腐ワインが飲めなくなるのは困るでしょう?
――なるほど……。しかしたとえ国境を突破できても、さらに進軍するかどうか。それ以上は防衛ではなく、侵略になる。
――大義名分さえあればよろしいんですわよね。ずばり、あなたに人質になっていただきたい。
――あなたはなかなかウィットをお持ちの王ですね。
――冗談ではありません。
――私を拘束できるとでも? ご存じですか、私は……
――魔ゾディアック伯爵家……。火魔法サラマンダーをお遣いになられるとか。無理でしょう。ですから、人質になっていただきたい、と辞を低くしているのです。
――……仮に、そうなったとして、私にそれだけの危険を冒す利点は?
――エール、ブレネジア両国の和平の偉大な功労者となります。それと、もう一つ。わたくしはあなたを賓客として遇します。あなたはブレネジアにおけるエールの第一人者に。長年の宿敵を懐柔したとなれば宮廷でのあなたの価値はさらに高まるでしょう。
――悪くない。
何かの計算をしているであろう、ループレヒトは笑う。
――では人質になるとしましょう。
というわけで、今に至るのだが、いっこうにブレネジアは国境から動かず、にらみ合いを依然、続けている。
これでは計算が狂いに狂う。
このままではマリアの身が危ぶまれる。
叔父たちは国内の不満を交わすすべとしてマリアを贄にえに差し出すかもしれない。
そうかといって、今、マリアは引くわけにはいかない。
ここで逃げれば、それこそ本当にエールという国を裏切ることになる。
(もっと、親しい家臣がいれば……)
今では、侍女や下女にいたるまですべて、叔父の息がかかっている。
本音も弱音もこぼせるのは皮肉にも、ループレヒトだけ。
母は父の悲憤の死の直後、精神的ショックでそのまま後を追ってしまい、マリアは光明のない闇の中でぽつねんと立ち尽くすことしかできない。
(でも、ここで諦めるわけにはいきませんわっ)
■■
マリアが退出していったあと、ループレヒトはワイングラスを傾ける。
マリアはしっかりと飲み干していった。
(良い子だ)
失礼いたします、と先ほど、ギデオンのことを伝えに来た侍女が現れる。
きみは、という意味を込め、ワイングラスを見せるが、ルリオナは首を横に振った。
彼女は侍女として潜入している、ブレネジアの諜報員だ。
ルリオナは大切な王都との連絡係。
一体、ネーヴル内にどれだけの人間がいるかは分からないが、彼女はそれをすべて束ねている。
「エイシスたちは」
「いらっしゃいました」
「ようやくか。待ちわびたよ」
「どうされますか」
「呼んでくれ。大切な使命がある。できるかぎり、血を流さないために」
頼むよ、とループレヒトは、ルリオナにウィンクを送った。
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