第18話 間諜

エール王国の王都・ネーヴルは国境での戦争などないかのように、賑わっている。

 大通りに面した商家は女性客や家族連れで活き活きしている。


「すごいわね」

 エイシスはお上りさん丸出して、車から外を見る。


 目についたのはやっぱり酒をあつかう店やバーだ。


 ブレネジアにおいては酒類全般は一部の人間――つまり貴族だ――の嗜好品としてのみ、流通する。


 農村アソルなどの農村部では禁止してもどうやっても造ろうとするものがあとを立たなかったり、五穀豊穣を祈る祭りの際、“天の雫”という名前で公然と飲まれてはいるが、基本的に、酒は人間を堕落させる、害毒として禁止されている。


 それがこの国ではワインが特産品だけあって、多いに販売が奨励されているようだった。


 お酒が売られれば当然、肴も必要というわけで、そちらのほうも品揃え豊富だ。

 西から運ばれてた魚介類に、南方特産の果実、獣肉と素材を売るところから、良いかおりをふりまく屋台でまるでお祭りでもおこなわれているかのよう。

 往来には食欲をそそる良い香りが、そこかしこから漂ってる。


「先輩、どっかに寄りましょう!」

 キリフが早速とばかりに声をあげた。


「馬鹿、観光にきてるんじゃないぞ」

「えー、でもぉ」


キリフがしょんと肩を落とすのを、エイシスがそっと背中を撫でながらフォローする。

「いいわ。宿を見つけたらちょっとのぞいてみましょう」


「おい、エイシス、その馬鹿を甘やかすな」

「ジーク。お願い。少しで良いから……ね? それに、商売をしにやってきたっていうのに宿から一歩もでないんじゃ、かえって怪しまれるんじゃない?」

「……とにかく、宿を見つけてからだ」


 人混みのなかを進むため、どうしても馬車の動きはのろのろとする。

 そのうち、路地を曲がれば大通りの喧噪が遠くなる。

 路地は大通りと違って石畳の整備が行き届いていないせいか、やたらと揺れる。


 そして馬車はある一軒家で停まった。

 わかりにくいが、軒先に『宿屋』と看板が下がっている。

「ちょっと見てくる」

 しばらくして戻ってくると、「いいぞ」と呼びかけてくる。


 エイシスたちは荷物を下ろして、宿屋をくぐった。

 この三日間、一日の大部分を幌馬車に揺られながらの移動だったせいか、足で地面を踏みしめると、心なしぐらぐらして、落ち着かない気分にさせられた。


「いらっしゃいませっ」

 気っ風の良さそうなおかみさんからの挨拶を受けた。

「しばらく、ご厄介になります」

 エイシスは頭を下げると、

「しまーすっ!」

 キリフも、子どもモード全開で対応する。

「あらあら、元気がいいわねえ。部屋は二階です。夕飯はどうしますか? 旦那さんは中で食べるって仰ってましたけど」

「旦那さん……?」

「ええ、旦那さん」

 と、吹き抜けになっている二階の廊下に立っているジクムントを指さす。

「え、あ! ジークは!」

「違うんですか?」

「い、いえいえ、ちがくなくて。はい、そうなんです」

「はあ……」

 エイシスの百面相に、おかみさんはぎこちなく笑う。

「えっと、食事は中でお願いします」

 あはは、と笑いながら、足早にジクムントのあとを追いかけて二階へ上がる。

「エイシス。お前の部屋は隣だ。――おい馬鹿、お前は俺と一緒だっ」

 エイシスのあとを追いかけるキリフの襟首をつかんで、引っ張る。

「え、でも、僕はエイシス様の護衛が……」

「俺がいないときだけでいい。エイシス、部屋に来てくれ」

「分かったわ」


 というわけで、早速、話し合いがもたれる。


「俺は今から間諜スパイとあって、情報を仕入れてくる」

「じゃあ、僕たちはその間に観光ですねっ!」

「状況が分かるまでここにいろ」

「……はい」

 ジクムントの一睨みで、キリフはすぐにうなだれた。

 ジクムントは立ち上がる。

「いってくる」

「ジーク、いってらっしゃい」

「ああ。――おい、キリフ。いつまでうなだれてる。いいな、エイシスを任せたぞっ」

「あ、はい!」

 現金なキリフはすぐに立ち直る。

 ジクムントはやれやれと内心、不安を覚えながら出て行った。


                         ■■

(問題の相手とはどうやったら会えるんだろうな)


 エリオットの部下らしいその間諜のもとにはすでに、ジクムントたちの情報がいっているはずだ。

 向こうから接触してくるから――ということだったが……。


 路地裏を抜け、大通りに向かう。

 人混みの中を縫うようにとりあえず歩き回る。


 エイシスたちより先に、市場をひやかしているようで少し申し訳ないが、仕方がない。

 動き回らないことには向こうも接触できないだろう。


 食料品の値段に目を向けつつ歩いていると、目に留まったのはアクセサリーを売っている店だ。


 といっても、高価な宝石というわけではないようで、ちょっとしたブローチや指輪、ネックレスやブレスレッド、イヤリングなどを商あきなっている。


「いらっしゃいませ」

 見てみると、おかれているものは、これまで見たことのない独特の光沢感と透明感がある。

「これは……玻璃ガラスか?」

「いえ、東邦とうほうよりもたらされた七宝しっぽうというものです。金属の下地に釉薬ゆうやくを塗って仕上げたものです。値段はお手頃ですが、宝石にも劣らぬものですよ」

「これはいくらだ?」

 いろいろある商品の中でも、パールピンクの釉薬の塗られた花を模したネックレスだ。

「それはわすれな草をイメージもので、値段は……」

 早速、それを包んでもらい、再び人混みの中にもぐる。


「お花を……」

 しばらく歩くと路地で花売りをしているほっかむりをした女性が花を差し出してくる。

 反射的に受け取ってしまい、まあいいかと代金を渡そうとすると、すでにその姿はない。

(何だ……?)

 と、花を見ると、造花の茎には紙がくくりつけられている。

 紙をひろげると、数字が書かれている。

(番地か?)

 ところどころ市街の目立つ場所に刻まれている、エール周辺国で採用している公用語であるアルフ文字と数字の組み合わせを手がかりに、歩いて行く。

 と、どうやらここらしい場所にたどりつくと、そこにはこぢんまりとしたカフェがあった。

 周辺にはそれらしい人間はいないし、場所もない。


 適当に店員に案内されるまま、店の奥へ向かうとそこにはすでに先客がいた。

 フードを目深にかぶったやつだ。

「おい、席なら他にも」

 しかし店員はさっさと厨房に戻っていく。

「おい」


「ここで、良いんですよ、ジクムンド様」

 思わず懐にある剣に手をかける。


「血の気が多いんですね」

 フードを、ジクムントが近づくと、女はさっとフードを外す。

「女?」

「びっくりしちゃった? 間諜が、女で」


「お前……宋なのか……?」

「ええ」


 顔をみせたのは赤みがかったショートヘアの女だった。猫のようにつぶらで、淡褐色の瞳が興味深げにジクムントを眺め――いや、値踏みしている。


「お前が、エリオットの、か?」

「ルリオナです」

「状況は?」

「単刀直入ね」

「そのために会いに来た。――で?」

「五日前に国境の軍の一部が引き上げたてきたわ。その列は都ここを出たときよりも、護衛の数が多いように見えたわ、つまり……」

「ループレヒトが生きているってことか」

「可能性だけをいえば」

「お前、今がどんな状況か、分かっているのか」

「もちろん。お偉い伯爵様のご子息が誘拐、でしょう。それも魔ゾディアック印じるし。魔法でささっさと抜けだしちゃえばいいのに、ねえ」

「さあな」

 と言いつつ、あの風変わりな男なら何をしても、しなくても驚きはない。


 それにしても、とジクムントもまたルリオナという間諜を値踏みする。


 本当に、前線に出ない連中は、エリオットを含めて何を考えているのか分からなく。

 やっぱり、エリオットを含めて油断ならない相手だ。

 それでも今はこいつに情報を求めるほかない。


「連中はどこに?」

「もちろん、王城よ。大通りをずっと北上していった先の、白亜はくあの宮殿。綺麗よ? 同行してる人たちと見物にいってみるといいわ」

「……連中は何を考えてる? 戦線は硬直しているにもかかわらず、すすんで調停の使者を誘拐するなんて」

「さあ」

 ルリオナは肩をすくめる。

「まあでもあれよね。この活気を見たでしょ。戦争をしてるっていうのに……」

「物価にそれほどの変化はない。新たな軍事行動を起こすわけじゃないってことか」

「そう」


 そうなるとますます誘拐の目的が分からなくなる。

 交渉材料にするにしても、いざその交渉の最中に相手を怒らせる必要がどこにあるのか。

(くそ、こういうことは苦手だ)

 軍同士がぶつかり合ったときは、目の前に相手がいての駆け引きだ。

 絶え間なく入ってくる斥候せっこうからの報告で行動や陣形を変える。


 今回は相手の姿さえろくに見えない。これがまともに王国のていをなしている国のやることかと、腹がたってくる。


「王城にも仲間はいるのか」

「さあ、それは」

 ルリオナはにやりと笑い、唇に人差し指をあてた。

「どういうつもりだ」

「脅しても情報は入らないわ」

「俺は道楽でここにいるんじゃない。軍命を帯びている。……逆らうのか?」

「いいえ、少尉からの命令はこなすわ。でも、だからといってこちらの手ををすべてあなたに見せる必要はないわ。

 あなただってそうじゃない?」

「いや、俺の領分じゃ、秘密は仲間をいたずらに殺すだけだ」

「脳筋のうきん万歳、ね。また連絡する」

「おい」

「急いては事をし損じる、よ」


 ウィンクと供に、ルリオナはテーブルに小銭を置くと、フードをかぶって店を後にする。


 やっぱり、自分とは違う世界のやつだ、とジクムントはあらためて思った。


                        ■■

 大理石でつくられた噴水が勢いよく水しぶきをあげている。


 それが日の光を反射して、まるで中空へ舞いあがった薄絹のように、キラキラとやわらかな光を放つ。


 噴水広場を中心に、左右対称に翼を広げた鳥を思わせる造形をかたちづくる庭園を眼下に見下ろすバルコニーに立つ、ループレヒトはワイングラスに注がれた赤ワインをくるくると回し、一口すする。


 さすがは、エールの貴腐ワインだと関心しながら、そろそろこの部屋に監禁されっぱなしは飽きたなとも、しみじみ思う。

 いつでも出ることは可能だが、それでも“約束”をしてしまったからには守らなければいけない。

 できない約束はしないものだ。


「ループレヒト!」

 背後から甲高い声が響いた。


 現れたのはハイウェストの薔薇の刺繍が入ったハイウェストのドレスを身につける、女性――いや、そのあどけない顔立ちは、少女というべきか――だ。

 腰までとどく曇りのないブロンドの毛先をカールさせた髪を揺らし、顔には不満を隠さず、進み出る。


「これは、女王陛下。ご機嫌麗しく」


 そう、目の前の少女こそ、エール王国の女王、マリア・ユンフォミア・エール、その人だ。


「どうですか、お酒でも。誰かと飲めば、さらにおしいい」

 のんきにワイングラスを傾けるループレヒトに構わず、マリアは突進するように接近するなり叫んだ。


「あなたの国は一体どうなっているんですの!?」

「どう、とは?」

「いっこうに軍が国境線を突破しないではありませんか!」

「それは、まあ……。ですが、そちらの軍も一応、いる話でしょうから」

「ですが、あなたがさらわれたんですのよっ!? 国王の信任を受けたあなたが突然、我が軍に拉致されたのであれば、当然、助けに来るのが筋すじというものでしょうっ!!」

「……確かに」

 ループレヒトはうなずきながら、ワインを飲む。


「信じられませんわ、あなたも、あなたの国もっ!」

 頬をふくらませ、マリアは応接セットに座った。


 ループレヒトは、ワインをもう一つのグラスに注げば、不満たらたらの顔をしながらもマリアはそれをしっかり手にとり、テイスティングをする。


「おいしいでしょう?」

「当然ですわ、わたくしの国のワインは大陸随一ですのよっ!」

「まあ、待つとしましょう。待てば海路の日よりあり、といいます。まあ、我が国に海もありませんが」

「エールにもありません」

「ともかく、待つことが肝要です」


 ループレヒトの励ましてるのか、煙に巻いているのか、もっと他の意味があるのか、まったく分からない物言いに、マリアは気が抜けたような顔をする。


「……あなた、わたくしとの約束、守りますわよね。途中で、逃げたり、いたしませんわよね……。わたくしを一人には……」

 それまでの強気な態度が急にしおらしくなる。

 みずみずしく咲き誇る薔薇の花弁がしおれるように、部屋の空気がやや陰る。


「逃げる気があれば、いつでも。まあ、そんな気がないからこそ軟禁生活に甘んじてもいるんです。どうぞ、そのあたりのことはお気になさらず……」


 と、扉がノックされる。

「どうぞ」

 ループレヒトが言うと、侍女がしずしずと現れる。


「陛下、摂政殿がお探しになられていました」

「……分かりました、わたくしの部屋にお通しして」

 溜息混じりに言って、立ち上がる。


「またいらしてください。陛下」

「当然、また来ますわ」

 ループレヒトは虫も殺さないような溌剌はつらつな笑顔でマリアを見送った。

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