第17話 道中
ジクムントたちはその日のうちに、王都を発たった。
商品を売りに向かう農民の設定。
今回はエール王国に果実を販売するため――である。
エイシスもほっかむりをして、一目見てあまり質の良くない亜麻布リンネルをつかったブラウスと、麻のスカートという姿。
ジクムントは丈の短い上っ張り《ジャケット》に、膝丈の長袴ズボンだ。
移動につかうのはロバが引く幌馬車。
ジクムントが御者役。エイシスは荷物と一緒に後部の車部分にいる。
エール王国までの長い道中、エイシスとの二人旅は本来、予期してはいなかったが、それでも不満はない。ジクムントがやるべきことは変わらないからだ。
それどころか嬉しいことだ。
そのまま二人きりの旅ならば、だ。
「僕、エール王国、はじめてなんですよねえ」
車部分からのんきにはしゃぐ声が聞こえる。
ちら、っと後ろへ視線をやる。
車部分ではたくさんの木の箱にまぎれるようにいるエイシスと向かい合うように、膝を立て、背中を丸めたジクムントと同じ格好をしたキリフがそこにいる。
(こいつがいるのは、絶対、エリオット《あいつ》のいやがらせだ……っ)
――子どものいる夫婦の設定のほうがきっとあちらも油断するだろう、なにせ無邪気に勝るものはないからね。
エリオットはいかにもな理由をほざいていたはいたが、エイシスにしゃべって余計なことをしたジクムントへの嫌がらせであることは疑いようがない。
未だ実戦を知らないキリフの存在は邪魔でしかなかったが、エイシスは楽しそうに話している。
「エイシス様は行かれたことはありますか?」
「私もエールに行くのははじめて」
「どんな国なんでしょうねえ」
「お酒ワインが特産っていうのは有名ね。私はあんまり強くないからあれだけど、果実を発酵させてつくるの。特に、貴腐酒っていうのが一番有名ね」
「きーふー?」
「カビのついた果実からつくるのよ」
「うぇ、の、飲めるんですか、そんなの……?」
「かなり造るのは大変だっていう話だけど、できあがるともう他のお酒はもう口にできないっていう話は聞いたわ」
「駄目です。僕、話きいただけで、舌が痺れてきちゃいそうで……」
エイシスがくすくすと笑う。
(かなり、盛り上がっているな)
ジクムントはまったくの蚊帳の外に置かれて、良い気分はしない。
今頃、二人きりであれば、エイシスとなんだかんだ話しているだろうが、これでは本当にただの御者だ。
(なんか、腹立つな……)
かといって道もろくすっぽ知らないキリフに御者役を任せるわけにもいかない。
(クソ……)
子どもじゃあるまいしと言い聞かせながらもなんだかイライラしてくるのは何故なのか。
そんなことをジクムントが悶々と考えている間も、エイシスたちは盛り上がる。
「――キリフ王国の王様は女性らしいわ」
「え、女の人でも王様になれるんですか!?」
「先代の王様の一人娘だそうよ」
「へえ、エイシス様は物知りなんですねっ!」
キリフはどこまでも無邪気。
ジクムントもそれくらいは知っている。
軍人といえども一軍を率いる者であれば自国が置かれている状況はある程度、知っていなければならない。
兵の特徴はもちろん、指揮官の行動やおおよその兵力動員数……。
それに密接に関係するのが君主だ。文人か、武人か。
何より君主が交替した際にまつわる前線の軍の将校の動きはどの国も、密偵スパイを送って探り合っている。
「えっと、名前は……たしか……」
「――マリア・ユンフォミア・エール」
つい口を挟んでしまう。
「ジーク、よく知ってるのね」
「まあな」
エイシスの声に、うなずく。
「さすが、先輩すごいですっ!」
「キリフ、これくらいお前も分からないでどうする」
「はいっ!」
元気の良い返事がかえってくる。
返事ばかりでないことを祈るばかりだ。
「ついでにいえば年齢は十八歳。政治の実権は叔父のクルトフが握っている。女王はただの飾りだ」
「それじゃあ、戦争をはじめたのは、女王様の意思ではないのね」
「そうだ。ただでさえ女が王に即位するのを周辺国が歓迎していない状況で、即位まもなくの開戦だからな。もし、それを女王が一人で全部お膳立てしたというのなら、とんでもない名君の誕生だ……まあ、そうでなくて助かってはいるな」
「違うの?」
「そこまで出来る人間が泥沼に陥るような用兵をするはずがない。それに今回の誘拐事件だ」
何を考えてるのか分からない、とジクムントはつぶやく。
「誘拐されたのってエイシス様の兄上様なんですよね」
「ええ」
「ご安心ください! 僕と先輩が何が何でもぜーーったい、救い出してみせますからねっ!」
「ありがとう」
ジクムントはどうして俺よりお前のほうが先に来るんだ、とどうでもいいことに、心の中でつっこみをいれる。
「あ」
「キリフくん、どうしたの?」
「いいにおい……。エイシス様、とても良いにおいですねっ!」
(においじゃない。香りといえ、香りと)
手綱を握りしめるジクムントの手に力がこもる。
「……そ、そう?」
「はい、とっても甘い……。ずっと果物かと思ってましたけど……。エイシス様のにおいだったんですね!」
「香りだっ」
思わず声をあげてから、はっと我に返る。
「ジーク?」
「先輩?」
おそるおそる後ろを振り返ると、二人そろってきょとんとした顔をしている。
「……何でもない」
調子が狂う、とむしゃくしゃする。
「先輩、エイシス様とーってもいいにおい……じゃなくて、香りがしますよ。かがせてもらったらどうですか! なんだか、とっても幸せな気持ちになりますっ!」
「ちょ……キリフくん!?」
「お前は何を言ってるんだっ!」
たまらず馬車を止めて、振り返りざまに怒鳴ると、さすがにキリフはしゅんとする。
動物なら耳が伏せてしまっているところだ。
「……先輩、すみません。僕、なにか変なこといいましたか……?」
「お、お前……っ」
無自覚か!と怒鳴りつけたくなるのをぐっとこらえる。
これが計算ずくだったら、とんでもないクソガキだが、それはないことを、少ない寮生活ですでに知ってしまっているジクムントとしてはどうしたらいいのかよくわからない。
「いいの、ジーク。私は大丈夫だから。……キリフくん。嬉しいわ、いいかおりって言ってもらえて。でも、他の女性には言わないほうがいいわ。もっと別の、髪型を褒めるとか、服装を褒めるとか……そういうほうがいいと思うわ」
エイシスは場の空気を壊すまいと、笑顔で言った。
「――ねぇ、ジーク。エール王国の境界線まであとどれくらい?」
「三日はかかるな」
「結構ね」
「仕方がない。国境線は軍が睨み合っているからな。一度、南に下り、ザクムント王国領を経由して、そこからエール王国に入る」
ザクムントはかなり歴史の古い王制国家で、領土は東西に長く、ブレネジア・エール両国と国境を接する。
領土の広さはどちらの国にも及ばないものの、交通の要衝を国内に抱え、その交通税だけでもかなり莫大なものになるという。
ブレネジアの商人の多くは、今度の国境紛争においてもザクムントの街で支店をつかってエールとの取引をおこなってもいた。
戦争がおきても、商人は黙々と自分たちの利益を積み重ねるというたくましさを見せる。
■■
ジクムントがエイシスに告げた通り、二日後の昼頃、エール王国の関所にたどりついた。
武装をした兵士が馬車を挟むように調査に入る。
「どこからだ」
兵士たちはぶっきらぼうに聞いてくる。
「アトスから」
ジクムントはにっこりと笑いながら言った。
ザクムントのさらに南にある熱帯の国だ。
ジクムントの肌の色も幸いしてそれほど疑われなかった。ついで、車両があらためられる。
「こいつらは?」
「家族です。――キリフ、挨拶を」
「はい! キリフです! 七歳です! よろしくーっ! かっこいい、鎧ですね! 僕にも着られますかぁ?」
「あ? ああ、もっと大きくなったら……」
「へえ、楽しみだなぁっ!」
うるさいガキだと内心おもってそうに兵士はまだしゃべろうとする、キリフに「分かった分かった」と言って、エイシスに目を向ける。
「そっちは?」
「妻です」
「ほぉおう。お前にはもったいないべっぴんさんだな」
警備兵がいやらしい目で、エイシスをなめ回す。
任務さえなければ、今すぐ男の目を潰してやりたいところだ。
「ありがとうございます」
荷物のほうはおざなりにあらためられ、ようやく通行を許可された。
それほど心配することがあったわけでもないが、今回は自分一人だけじゃない、それもキリフもいることで、無事に抜けられたことで、ほっとした。
「うわぁ、すっごくどきどきしましたぁっ……」
キリフも胸をおさえ、ふうっと息をつく。
「よくがんばったわね」
「あいつら、許せない、エイシス様のことをいやらしい目でっ!」
「いいの、別に。気にしないわ」
エイシスは幌の合わせ目から、外を見る。
街道の両端にはたくさんの果実畑が延々とつづいている。
「でも先輩、すごかったです、あの笑顔。先輩が笑ってるのはじめてみました! 先輩も笑えるんだなぁって!」
「キリフくん、そんなこと言っちゃだめよ。ジークは凄く良い笑顔なんだから」
「エイシス様、見たことあるんですか!? 私生活の笑顔!?」
「まあね」
いいないいなぁ、と駄々をこねはじめるキリフに、ジクムントは釘を刺す。
「おい、キリフ、そろそろ切り替えろ。もうここは敵国だ。
――お前の役目はエイシスを守ること。ふざけててエイシスを危険な目に遭わせたら……分かっているな」
「もちろん分かっていますっ! 先輩に変わった、絶対にエイシス様をお守りしてみせますっ!!」
道の向こうに、エールの王都・ネーヴルの黒々としたシルエットが見えてくる。
果物畑の中には不釣り合いな頑健な城壁に囲まれた城砦都市だ。
「王都に入ったらまずは何を?」
「密偵スパイと会う。何か変化があるかもしれない」
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