第16話 出立

「へえ、綺麗。これが魔法石なのね」

 ディアナは病室に差し込む日差しに透かして、うっとりと眺める。

 今日は彼女が見舞いに来てくれていた。

「いろんな色がまざってるのね」

「でしょ?」

 エイシスはベッドの端に座りながら同意する。

 ディアナは日光の当たり具合で石の中に封じ込められている色彩が様々に輝くのを面白そうに眺める。

「そんな魔法石を見るの、はじめてなの。兄上たちの魔法石は一色で塗りつぶした感じだから」

「特別製?」

「どうかな。落ちこぼれだから?」

「エイシス」

 ディアナがたしなめるように声を出す。

「冗談」

 エイシスは肩をすくめる。

「もうっ」

 ディアナは唇を尖らせる。


 昔から、魔法が一切つかえない自分のことを落ちこぼれやら出来損ないやらと自虐すると、ディアナはよく怒った。


 ――魔法が使えないからってエイシスはエイシスよ。魔法が使えたってエイシスのお姉さんたちみたいな人たちもいるんだし。魔法が使えない人がほとんどなのに……そんな風に言うのは、絶対に間違ってる。卑下ひげしすぎると、本当に何もかもうまくいかなくなるわよっ


「いいじゃない。何でも綺麗に越したことはないわ」

 ディアナはありがとう、と魔法石を返してくる。

「で、魔法はどんなものが使えるの?」

「それが……、使えないの」

「え? でも、魔法が使えたから綺麗な珠たまになったんでしょ?」

「……そのはずなんだけど」

 入院中、散歩にも飽きて、魔法を使おうと悪戦苦闘しているのだが、いっこうにそれらしいものを使えなかった。

 オイゲンに監禁された時のような大規模な魔法が発動してしまっても困るけど……。

「なんだか、振り出しに戻ったみたーいっ!」

 エイシスはうーんと両手を頭の上にもちあげて伸びをすると、ベッドに寝転んだ。

「魔法ってさ、呪文とか唱えたりするの? アブラタカブラ~みたいな」

「たぶん、いらないと思う。兄上たちが唱えてるの見たことないから。

イメージで言うと、近いのは手品かな。指をちょっとこすったり、鳴らしたり、ちょっと手を振ったり……」

「馬に乗る感じ?」

「馬?」

 妙なたとえに、エイシスは聞き返す。

「最初は怖いし、手綱を握っててもバランスをとるのがすっごく難しいでしょ? 

でも馴れちゃえば何となく乗れてるって感じじゃない? 別に意識してバランスをとるわけでもない。それでも身体は勝手に揺れに合わせて動くコツが分かるし、足で締め付けるちょうどよい力加減だって……ね?」

「言われてみれば、そうかも、ね」

「まだまだ精進が必要だってことみたいだから、研鑽に励んでがんばりたまえ」

「はーい、先生」

 エイシス身体を起こして冗談めかして言うと、二人がくすくすと笑いあった。

「……で。次の話題、だけど」

「何?」

「ジクムントとはどうなの?」

「ど、どうって……?」

 いきなりの方向転換に驚く。

「親しくなったのかなーって。親しくなったとしたらどこまでいってるのかなーって」

「別に、ジークとは……」

 不意にそんなことを聞かれ、口ごもってしまう。

「でもあなたを助けにたった一人で行ったんでしょ。すごいじゃない。まるで物語に出てくる騎士みたいで」

「……それは、うん、格好良かった……わ」

「で?」

「で……って?」

「あとは」

「終わり。別に何もないわよ」

 ディアナのいたずらな光を浮かべた碧みどり色の眼差しから逃げるように顔を背ける。

「ふうん。

ま、エイシスとジクムントが良い仲ってことが分かっただけでも良しとしますか」

「誰もそんなこと言ってない……!」

 なのに、みるみる頬が熱くなるのをとめられない。

「言ってなくとも顔色で分かっちゃうんだなぁ、これが。親友ってそういうもんよ。あーあ……羨ましいなあ。私にもそんな素敵な騎士様、現れないかなぁ~」

「ディアナ……何かあった?」

 おどけたディアナの横顔に、一瞬、何か憂うれいの色を見たような気がしたのだ。

「ううん、何でもなーい」

 しかしやっぱりエイシスに向ける顔は、おどけたままで。

「……ねえ、何か相談したことがあったら言って。なんだか、ずっとディアナに心配かけてるばかりで……。私だってあなたの力になりたい」

「良いのよ。私が好きでお節介焼いてるんだから」

「でも」

「分かってる。何かあったら相談するわ」

「約束よ、絶対に」

「ええ」

 ディアナは頷き、「そろそろ行くね」と立ち上がった。

「玄関まで送る」

「それじゃ、エスコートよろしく」

「任せて」

 ディアナが差し出す腕をそっと取った。


 と、玄関まで降りると、そこにジクムントの姿を見つけた。

「ジーク!」

 ほとんど反射的に呼びかけていた。

 振り返ったジクムントが駆け寄ってきた。

「どうしたんだ」

「ディアナのお見送り」

「どうも、ジクムント」

 ディアナは淑女らしくお辞儀をしてみせる。

「そうか」

「――それじゃ、私はここで。お二人とも、どうぞ、ごゆっくり」

「でぃ、ディアナっ……」

 じゃあね、とディアナは笑いながら玄関を出て行った。

「何だ?」

 ジクムントは状況を理解できないらしく、怪訝けげんそうな顔をする。

「……何でもない」

 エイシスはこのまま病室に戻るのもあれだからと、庭に出た。


                        ■■

 ジクムントは、エリオットに宣言した通り、エイシスにちゃんと王都を離れることを告げるためにこうしてやってきた。


「エイシス、実は……軍の仕事で、王都を離れる」

 気の利いた枕など用意できないから、単刀直入に切り出した。

 こういうことは、変に回りくどいやり方をするほうがかえって失敗しそうだと思ったのだ。


「軍の? エール王国の調停がうまくいかなかったの」

 鋭いところを突かれ、少し慌てたものの何とか軌道修正だ、と言葉を探す。


「……いや。違う。別の目的だ。悪いが、詳しいことは」

「分かってる。軍事機密、でしょ? 

兄様アルフォンスがつかってるのを聞いたことがあるわ。ねえ、調停の状況とかは分からない?」

 エイシスの心配そうな顔に、心が揺れる。

 喉元まで言葉が出そうになるが、なんとかそれを飲み下した。


「……すまない」

「ううん、謝ることじゃないわ。……そっか。しばらく寂しくなっちゃうわねえ」

 エイシスは気丈に笑うが、その中にある憂いをなかなかぬぐいきれないようだった。

「なんだか、立て続けだわ。兄上が、そして今、ジーク《あなた》が。それなのに私は、ずっとここで療養中……。見送ることもままならないなんて」


 その表情に、胸をぎゅっと握りしめられたような錯覚に陥る。

 何とかしてやりたい。その気持ちを少しでも和らげて――ループレヒトのことは心配するな、絶対に自分が助けだす……。そう言って、少しでも安心させてやりたい。


「ジーク? どうかした……?」

 まるで、ジクムントの惑う心を透かしたようだった。


(……エイシスなら、取り乱すこともないだろう)

 オイゲンに監禁されても尚、自暴自棄にならなかったのだ。


 エリオットは不必要に心配させることは酷だと思って何も言わずに出立しろとジクムントに言ったのだろうが、こちらからすれば黙っているほうがよっぽど残酷なことに思える。

 あとでことの真相を知ったらきっと、蚊帳の外を置かれたことを寂しく思うはず。

 家族なのだから知るべきだ――。

 見上げてくるエイシスの顔を見ながらの葛藤の末、その思いが勝った。


「エイシス、よく聞いてくれ」

 ジクムントは膝を折り、目線を合わせると、そう静かに言った。

「どうしたの?」

 突然のことにエイシスは戸惑っている様子だ。

「……ループレヒトのことだ」

「兄上に何かあったのっ」


 ジクムントはかいつまんで状況を説明する。


「だが、安心しろ。俺がエールに潜入し、きっと助けてみせる。だから――」

「私も行く」

「エイシス」

「お忍びなら、女もいたほうがそれらしくなるんじゃない? ジークみたいに眼光鋭い人が一人でいたら、怪しまれるわ」

「駄目だ。これは遠足にいくわけじゃない。相手は敵国で、すでにループレヒトを誘拐している。もし俺たちの素性が割れればただではすまない」

「それはジークだって」

「俺は軍人だ。修羅場はくぐってる。死ぬ覚悟もできてる」

「そんな覚悟なんてっ!」

 ごめんなさい……とエイシスはつぶやく。

「でも、兄上はヴァレンタイン家の嫡男なの。すべてを国任せにしたらヴァレンタイの沽券こけんにかかわるわ」

「エイシス、お前が家名にこだわるなんて……」

「私だから、よ。私は兄上たちにずっと甘えてきた。本当なら私のわがままは決して許されるようなことではないのに……。だからこそ、今こういう時に助けて差し上げたいの。お願い、ジークっ……お手伝いをさせて。女の使い途みちもきっとあるはずよ」

 懇願するエイシスの頼みをはねのけることは、出来なかった。

「……俺の指示に従え、いいな」

「ありがとうっ」


                       ■■

「……まあ、こうなると薄々、想像はしていましたが、実際そうなると、まるでコントですね」

 軍の本営にエイシスがジクムント供に向かうと、エリオットが苦笑しながら出迎えてくれた。


「ですが、私の判断では」

「お願いします、エリオット様!」

「アルフォンス様に聞いてみなければ」

「兄様は絶対に首を縦に振るはずはありません!」


 エリオットは眉間に皺を刻み、アゴに手をあて、思案顔。

「俺の独断ということにすればいい。あとで問題になれば、俺が責任をとる」

 ジクムントが言った。

「そんなのだめよ! エリオット様、罰は私が……」


「分かりました」

 エリオットはやれやれと、二人をなだめた。

「エイシス嬢、あなたの同行を許可しますが、これは特別な措置で有ることを肝に銘じてください。つまり、あなたは私に“借り”をつくる……よろしいですか?」

「承知しています。それに、ジークに面倒をかけるつもりはありません。私には魔法があります」

 それは半分本当で半分嘘だ。

 使う方法は分からない。けれどそれでも確かに、ヴァレンタイン一族の落ちこぼれの、無能力者だと思っていたが、確かに自分の中には魔力の種”が存在しているのだ。


 エリオットは「そうですね」とうなずいた。

「しかし、今回はくれぐれも穏便に。魔法の使用の結果、多大な損失を与えた場合、再び戦争になるでしょう。我々としてはループレヒト様をお救いしたあとは、再び調停をしようと考えています」

「分かりました」

 誘拐されながらどうしてそれでも和平なのか――そんな疑問が浮かぶが、それを指摘する立場に、エイシスはいない。

 今はただ兄を助けることだけを考えるべきなのだ。


「潜入するための小道具を用意させてあります。それを身につけ、出発してください」 

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