第15話 誘拐

 ブレネジア王国・エール王国 国境線――。


 数多の血が流されたこの地で、今、調停会議が行われようとしていた。


「本当によろしかったのですか……?」

 副官が心配げに尋ねてくる。


「……よろしいもなにもあるものか。お前も聞いただろう、我々は指示に従うしかあるまい」

 そう言ったのは、オイゲン中将が王都へ出向いている最中、指揮下の役目を代行している、

 ライオネル・ヴァリエントス少将。

 42歳の男盛りだ。

 今回、オイゲンから事実上の作戦指揮官として幕僚の一人と加えられた猛者である。

 それが示す通り、胸の前で組んだ腕は筋肉が大きくふくらみ、まるで大木のように太い。

 軍の幹部学校にも入らず、現場のたたき上げとして異例の昇進を果たした通り、部下からの信頼は篤い。


 そんなライオネルの許に、王都より、陛下の勅命ちょくめいをたずさえた、ループレヒト・リョン・ヴァレンタインがやってきたのは、数日前のこと。


 白銀しろがねの髪に、陶器のようになめらかで白い肌、紫水晶のような美しい瞳。

 まるでおとぎ話の世界から抜け出してきた……そんな形容がぴったりくる。

 服装も、塵と埃の舞う戦場には不釣り合いな、これからパーティーにでも思うような、鮮やかな空色の上衣ジャケットに白い長袴ズボン。


 赤みがかった刈り上げた短髪に、あごひげ、女・子どもをたやすく泣かす鋭い眼光、でかい口に、空気をぴりつかせる低い声――という、野生児のようなライオネルとはあまりに対照的だった。


 ――会場の幕舎までの護衛を。腕のたつものを選抜しておきました。

 ――いえ。事前の取り決めで、向こう側とは代表者同士で臨むことになっています。余計な随行員はいりません。

 ライオネルの提案を、ループレヒトはあっさりと却下した。

 ――馬鹿な。相手はつい先日まで血で血を洗っていた相手です。そんな無茶苦茶を現場指揮官として認認めるわけにあ……

 ――少将。あなたが認める認めないは関係ないんですよ。私は陛下より全権を委任されているんですから。

 ループレヒトは笑顔の中にも、ぞくりとさせるような冷たいものを感じさせ言った。

 ――ですが……

 ――これ以上、軍人同士のいざこざでは解決できないでしょう。よしんば解決できたとしても多大な代償を支払う。こういう時にこそ、我々、貴族はいるんです。

 そう言って、供を残し、ここから一里ほど先にある場所に建てられた会場へと単身、向かった。

 当然、エール王国の軍も、会場から一里の距離に軍を配備している。


「まあ、何かあれば、魔法でどうにかするだろうさ」

 ライオネルは言いながら、顔には不満がありありと浮かんでいた。

 自分を差し置いて今まで血の一滴すらこの国のために流していない優顔やさがおの貴族風情に、一番良いところをかすめられるのがどうしても気に入らなかった。


 それもその男は、オイゲンが謀反の罪を起こして殺されたといった。

 たしかにオイゲンに関する黒い噂は聞いていた。

 曰く、村を私兵に襲わせ黒い資金を得ていた。

 曰く、軍人から賄賂をとり、昇進の際、便宜を図っていた。

 しかし謀反とは……。


 確かに、ライオネルもオイゲンのことは頭の先から爪先にいたるまで気にいらなかったが、そうはいっても自分よりも階級が上だ。

 上意下達じょういかたつ。

 それが軍籍に身をおく者としての“絶対”だ。

 だからこそ王の命をふりかざし、何もかも仕切る貴族相手にはどうにも納得しかねた。


 それになにより魔法だかなんだか分からないが、うさんくさいものを使う連中など、一体どれほど役に立つと言うのか。陛下が絶大な信しんをおいていることも気に入らない。

 連中は硝煙や、血のにおい、戦友との別れ、眠れぬ夜――それらを何ら経験することなく、安穏として毎日パーティー暮らしだ。

 ライオネルは、庶民街出身なだけに貴族への反感もそれだけ強かった。


(まあいいさ。お貴族様の腕前拝見……だ)

 一応、部下には異常があればすぐ報告するよう言っている。


 会談のはじまりからおよそ半刻が経った、中天にあった太陽がやや傾いた頃。


「申し上げます!」

 案の定というか何というか、兵士が幕舎に駆け込んできた。


「何だ? 爆発でも起きたか?」

「い、いえ。先ほど会場の幕舎と思われるところから照明弾があがり……エール王国の軍が動きはじめましたっ!」

「何だとっ!?」


 ライオネルは目をかっと見開き、幕舎から飛び出し、副官から望遠鏡をひったくり、見る。

 確かに、エール王国の軍旗である、白い乙女が槍と盾を持った意匠いしょうが風にあおられ、はためきながら、会場を包囲しはじめている。


 ライオネルは軍馬にまたがるや、部下たちをおいて、一人駆けだした。

「これはどういうことだっ! 停戦はどうなったっ!」

 剣を抜き、声をあげるが、向こうから帰ってきたのは矢の雨だった。

 手綱をさばき、剣を振るい、矢を打ち落とし、自陣へ退く。


「少将、無茶をしすぎですっ!」

「ふん、あんなもんに殺されるほど柔じゃないさ」

 全軍に戦闘準備を命じる。

「……あ、あの方はどうなったのでしょうか」

「さあな。殺されたか、連れ去られたか……。ふん、魔法というのもたいしたことがないっ

――だが、このまま放っておくわけにはいかない、な」

「しかし……軍をぶつける許可は受けておりません」

「それだ。くそ……王都へ使いを出せっ、――状況が悪化したとな」


 エール軍は動きをみせたものの会場を包囲したかと思うと、こちらに軍を向けることなく整然と後退していった。

                      ■■


 ジクムントは王城の外郭がいかくにある軍の施設、士官学校の寮の一室に部屋をあたえられ、そこで寝起きをしていた。

 懐かしかった。黒狼こくろうと呼ばれ、一軍を率いるようになってからは別の宿舎を与えられたが、それまではずっとここで過ごしていた。


「先輩っ!」

 夜明け前、ジクムントが目を覚まして部屋を出ると、気をつけの格好をする後輩が、洗面セットをもって部屋の前に立っていた。

「……キリフ、そんなことをする必要はないと言っただろうが」

「ぼくが勝手にやっているだけなので、お構いなく!」

 小動物でたとえるならば、子犬だろうか。

 キリフ・ラヴル。

 くるくると毛先が丸まったクセのある黒髪に浅黒い肌をした少年だ。

 なぜか、同じような容姿をしているということで、妙な親近感をもたれてしまっている。

 こうして要らないと言っているのに、何かと世話を焼こうとする。

 それをおもしろがったエリオットから直々に、ジクムントの世話役に任命されたのだった。

 とはいえ、無視するのも気が引けて、なんだかんだキリフが用意したものを使うことになる。


(俺は甘くなったのか?)

 エリオットに言われたことだった。

 ――以前のきみだったら蹴りの一つでも入れていただろうに。すっかり丸くなったね。……これも、エイシス様効果かな。

(そんな馬鹿な)

 俺は変わっていない。


「ジクムント様……?」

 じっと虚空を見つめたままのジクムントに、キリフが不思議そうに声をかけてくる。

「……何でもない」

 洗面をすまし、ジクムントは寮の外に出ると、キリフも後につづく。

 運動場では後輩たちが朝の運動に励んでいる。

 ストレッチをする者、ランニングをする者、組み手をする者とさまざまだ。

「……キリフ、お前はやらないのか」

「僕にはジクムント様のお世話を」

「俺の世話なんてどうでもいい。お前は軍人だろう。だったらもっとやることがあるはずだ」

「では、お手合わせを願いますっ」

「いいだろう」

 ジクムントはうっすらと笑みをみせると、そばにあった模擬剣を手にとる。

 木製だが、力加減をまちがえれば骨くらいはたやすく折れる代物だ。

「かかってこいっ」

「いきますっ」

 キリフは両手でしっかりと木刀を握りメルト、声を上げる。

 それをジクムントは片手で操る剣で受け止める。

 カンッ……と甲高い音が響いた。

「どうした、そんなもんじゃ、雑兵ぞうひょうにも首をとられるぞ」

「はぁっ!」

 少年の声に気迫が加わる。

 さっきよりも鋭い一撃を受け止める。

 ジクムントは少し手首をはねあげ、キリフの剣を弾く。

 キリフはその場でたたらを踏みながら、すぐに体勢を立て直して打ちかかってくる。

(筋はいいなっ)


 カンカン、と響き合うこぎみ良い音に、次々と下士官たちが見物に集まってくる。

 その野次馬の輪の中で、キリフの剣を受け止め続ける。

「どうした、もう疲れたか?」

 鋭さや速度が欠けてきた。

「ま、まだまだぁっ」

 キリフは息を上げながらも、打ちかかってくる。それをあっさりと裁いて、足を引っかけて地面に転がせた。

「ひ、卑怯です、足を使うなんて!」

「戦場で卑怯もへったくれもないぞ。殺されそうになっても卑怯だと、相手に言うつもりか」

「……っ」

 キリフは悔しそうに目を伏せる。

「キリフ、お前は筋が良いが、剣捌けんさばきが素直すぎるから読みやすいし、受け止めやすい。もっと相手を撹乱かくらんすることを覚えろ」

「はいっ!」

 身軽そうに飛び起きると、キリフは溌剌とした返事をする。

 すると、野次馬だった下士官たちから「次は俺を!」「いや、俺と勝負してくださいっ!」と、殺到してきた。

「全員でかかってこいっ!」

 二十人はいるだろう、下士官たちに向け、ジクムントはそう言い切った。


 寮の食堂で、朝食を取っていると、エリオットがいつものにこやかな笑みを見せながら現れた。

「今朝はずいぶんと、太っ腹だったみたいだね」

 そう出し抜けに言う。

「……何のことだ?」

「後輩たちさ。可愛そうに……。きみがあんまりにも気合いを入れるから、教官が困っていたぞ。全員、役に立たなくって困るって」

「無駄な力が入ってるって指摘しただけだ」

「おいおい、後輩を潰すなよ」

「今日の授業を全うできたやつが将来有望だ――そう思えよ」

「おいおい」

「……実力があっても運が生死を分ける世界だ。ふるいに落とすやつは一人でも多いに越したことはない」

「きみが黒狼と呼ばれ、敵味方から恐れられることが僕には信じられない。どうしてきみのように優しい人が恐れられるのか……。

僕なんか下士官は多ければ多いほど良いと思うよ。どんな駒こまにも使い途みちがあるからね」

「戦場を知らない奴らしい言いぐさだ」

 メシを食い終わると、空の容器をカウンターに置いて、さっさと食堂を出る。

 エリオットが駆け足で追いかけてくる。

「僕はいつだって最前線を望んでいるんだ。それを汲まないのは上さあ」

「そりゃ賢明だ。お前みたいに人間を駒扱いするやつは現場向きじゃない」

「なるほど……。そうかもしれない。――っておい、そんな悠長に世間話をしにきたんじゃない」

 肩を掴まれ、ジクムントを眉をひそめた。

「何のようだ」

「来てくれ、中佐がお呼びだ」


「来たか」

 アルフォンスの横顔を見ただけで、ろくでもないことが起きたと分かった。

 ただでさえ笑顔のない表情が苛立ちに曇っている。

「……用があると聞きました」

「エール王国との調停に向かった使者が、エールの軍にさらわれたらしい」

「使者は……」

「ループレヒト……愚兄あにだ」

 アルフォンスは毒を飲んでもそんな顔をしないだろうと思えるような、しかめっ面をする。

「しかし国境にはまだ我が軍がいたはず。どうしてそんなことに」

「どうやら愚兄バカが手出しは無用と宣言したらしい。軍は調停の会場を遠くから眺めているしかなかった、と」

「魔法は使われなかったのですか」

「使っていたら今頃、こんな悩みを抱えず、すんだ。……お前はまだ軍人だ。つまり、命令に従う義務がある」

「前線へ向かい、エールとの戦いの指揮を執とれ、と?」

 そこは因縁の場所だ。仲間によって部下を皆殺しにされた……。

「いいや。仮に戦争をしても、ループレヒトが殺されては意味がない――それが陛下のご意志だ。

お前には秘密裏に彼の地エールに潜入し、兄……ループレヒトを奪還してもらいたい。黒狼だからこそ、任せられる任務だ」

「俺はまだ軍籍があります。命令に否やはありません」

「細かいことはエリオットに。――今日にでも出立してくれ、頼んだぞ」

「了解しました」

 部屋を出ると、エリオットの部屋へ場所を移す。

「このことはくれぐれもエイシス様にはご内密に」

「なぜだ。身内のことだろう」

「このことを知っているのは陛下と大臣、軍の一部。……ヴァレンタイ家の方々も知らない」

「……大事だな」

「まったく」

 エリオットは呆れているのか、微笑する。

「……生きている確証は」

「どうかな」

 エリオットは肩をすくめる。

「骨を拾うことになるかもしれないぞ」

「その時はその時。死人を生き返らせろという命令は受けていないからね。

――出発は迅速に。

エイシス様に会おうだなんて考えてはだめだよ。僕があとでテキトーな理由をつけておくから」

「余計なお世話だ。エイシスとは話す」

「きみは嘘がつけないだろう」

「仕事はする。俺のやり方に口を出すな」

 ジクムントはエリオットに二の句を継がせず、さっさと部屋を出た。

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