第14話 幕間

エイシスが目を覚ましてから数日後。


「父上、ユープレヒトです。……入ります」

 扉をノックし、部屋に入る。

 すると、母はドレスの裾をひるがえし、入れ違いに出ようとする。

「母上」

 呼び止めようとするが、

「私は邪魔でしょうから。男二人で、どうぞ楽しいおしゃべりを……」

 母のそっけない態度に、苦笑しながら父・ギュンターの前に進み出た。

 扉が閉まると同時に、

「どうかしたか? まさか、エイシスに何かあったのか」

 と、ギュンターは妻の態度など目に入っていないかのようにつぶやく。

「いえ、そのような報告はありません。今日も様子を見て参ります」

「うむ……報告を忘れるなよ」

「かしこまりました」

 ギュンターもまたぎっくり腰からだいぶ回復してきて、三日に一度くらいは少し歩いたりしているようだが、まだまだ王城に出仕することはできないだろう。

「……ん、どうした。お前、病院へ行くのにそれは大げさだろう」

 やたらと装飾をつけた格好をしているユープレヒトに眉をひそめる。

「私はこれから父上の名代として王城へ参りますの。今回はそのご挨拶に」

「……あぁ、そうか。まったく、ベッドにいつまでもいるのはいかんな……。ぼけてしまいそうだ」

「ぼけるに早すぎます」

「まったくだ」

 ギュンターは苦笑いしながらうなずいた。

「お前のことだから心配はしないが、くれぐれも非礼のないようにな」

 ユープレヒトはうなずき、それから部屋から出ようとして、

「――ところで父上」

 振り返る。

「ん?」

 ギュンターは眠たげに目をとじかけ、ぼんやりとした声を漏らす。

「エイシスの珠たまのことですが」

「……うん?」

「非常に珍しいものです。あれほどに様々な色をもっているというのは……」

「まあ、そういうこともある」

「書物に残っている限り、魔ゾディアックを冠かんするどの家にも、あのような珠が出たという記録はありません」

「調べたのか」

「はい」

「そんな暇があるなら、ユリア嬢ともっと会いなさい。ただでさえ、お前のわがままで結婚を伸ばしているのだから」

「……ユリアとは折を見て、会っています。それにまだまだ私は浅学せんがくな身。家庭をつくるにはまだ早すぎます」

「お前はバレンタインの嫡男だぞ――」

「父上」

「何だ」

 ギュンターは言葉を遮られ不機嫌そうに声をあげた。

「先ほどの珠のことを調べていたら美しい物語を見つけました。書き写して参りましたので、暇つぶしにもどうぞ」

 差し出したのは、貴族であれば一般教養ですらない常識中の常識、この世界の建国を顕あらわした物語の一節だった。


“――偉大なる創造主あるじは十二色の翼をもち、慈愛の心をもち、この地に大いなる器をかたちづくる。

しかし穢けがれし者がそれを乱そうと立ち上がり、創造主と争いを成す。

長き戦いの果て、穢れし者は斃たおれ、地上の安寧は守られた。しかし創造主は力尽き、もはや神の力はなく、新たな存在として世界の行く末を見守ろうと決した。

溢れた血は世界に豊穣をもたらし、流した涙はあらゆる生命の源となって大陸を包んだ。

創造主はみずから“人”なる、大陸の支配者となり、王となった。その折れた翼は王を守る御盾みたてとなり、同じく人として永久とこしえの従者となる……”


 ブレネジアは中原の制覇をなしえたことこそ、その創造主の末裔である証と各国に宣言していた。

 もちろん、どの国も自分たちこそ、と同じように主張してはいるが。


「父上、エイシスの魔法石は……」

「さあ、早く城へ行け。陛下を待たせることがあってはならんぞっ」


 ギュンターはそう言い、話は終わりだと目を閉じる。

 ユープレヒトは苦笑し、「では参ります」と、今度こそ部屋を出た。


                      ■■


 エイシスはまだ病院での療養生活を送っていた。

 外傷はなかったが、念のため、ということだった。

 同じように入院していたジクムントは一足先に退院を許され、今は、エリオットの融通で軍の施設で寝起きしているということで、毎日欠かさず会いに来てくれていた。


 エイシスはよく晴れた昼下がり、いつものように庭に出ていた。

 隅々まで手入れが行き届き、芝生は青々とみずみずしく、花壇に咲き誇るベロニカやペチュニア、マーガレットがかぐわしい香りと共に、目を楽しませてくれる。


 王立病院は貴族街・庶民街それぞれに設置されている。

 貴族街のほうは貴族や一部の高級軍人、王族などに開かれているが、貴族などの絶対数が少ないため、入院患者と顔を合わせる機会は少ない。

 こうして広々とした庭に出る時も、誰もいないことはよくあることだった。


「エイシスっ」

 その静寂に、力強い声が響いた。


「ジーク」

 振り返ると、ジクムントが駆け寄ってくるところだった。


「病室にいなかったから心配したぞ」

「散歩してただけ。だって、私もう元気よ?」

「それだけ、みんなが心配してるってことだろ」

 こうして入院生活が長引いているのは父や兄がそうするように仕向けているからだった。

「俺としては、悪くないけどな」

「どうして?」

「……邪魔な連中の目を気にせず、堂々と会える」

 ジクムントに抱きしめられる。

「ジーク……っ」

 胸が甘く疼き、吐息が漏れる。

 ついそれにほだされそうになってしまうが、腕でやんわりと押し返す。

「やっぱり、嫌。それに、こうしてようやく、ジークのことも解決したんだから私としては早く屋敷に帰りたいの。だってあの大雨でしょう。きっと今頃、ひどいことになっていると思うの」

 エイシスにとってみれば、あの屋敷は母を感じられる唯一といっても良い場所で、あれに替わるものはない。

 ジクムントもそれを理解している。

「分かった。俺が見てきてやるよ。ちょうど、屋根の修理もまだだったからな。それも含めて報告する」

 エイシスの少し不満そう顔を、ジクムントはのぞき込んだ。

「俺じゃ、あてにならないか?」

「……ううん。ありがとう、私としても兄上にどうにかして退院させてもらいたいんだけど……」

「まあ、無理だろうな」

 ジクムントは苦笑しながら言った。

 彼が断言する通り、エイシスもそう思っている。

 ベッドの中でシミュレーションしてみたのだが、どうやってみても兄が「分かった、なら、退院手続きをとろう……」と言ってくれる展開にはならない。

 あの笑顔で、「わかったから、休みなさい。そんなことを言うのは誰かの入れ知恵か、身体の不調がそうさせるんだ」とはねのけられてしまうに決まっている。


(抜け出しても、連れ帰られるだけだろうし……)


「風がでてきた。戻るぞ」

「……ええ」

 ジクムントの手を握り、歩き出せば、病院のほうかれ誰かが歩いてくる。

 エイシスは頭を軽く下げて通り過ぎようとしたのだが、

「ここにいたのか、エイシス」

 歩いてきたのは長兄・ユープレヒトとその従者だった。

「あ、兄上……。来てくださったのですか」

「そうだよ」

 ちら、とジクムントを見て、「召使い君も」とつぶやき、二人の繋いだ手をやんわりとほどいた。

「妹を心配してくれるその気持ちは身内としてとても嬉しいが、身体に触れてはいけない。それは召使いという身をわきまえぬことだよ」

「だから、俺は召使いじゃなく……」

 ジクムントはむっとして反論しようとする。


「――兄上、来ていただいて嬉しいですっ」

 喧嘩になってはまずいとエイシスが二人の間に割って入る。


「そうか、しかし外に出ては危ない。お前は一週間、ずっと目が覚めなかったんだ」

「分かっています。でも、今、私はとても元気なんです。食事だって全部食べていますし、検査のほうも異常は……。もう退院しても」

 エイシスの頬にやんわりと手を添える。

「エイシス。私は心配しているんだ」

「……存じております」

「父も、アルフォンスも、みんな、だ。おまえが行方をくらましたとき、あのままずっと戻ってこないんじゃないかと不安になってしまったんだ。……分かるだろう。だから今は休みなさい。そんなことを言うのは誰かの入れ知恵か、身体の不調がそうさせてしまうんだろう」

「……はい」

 ユープレヒトはにっこりと微笑むと、良い子だとつぶやいて、エイシスの頭をぽんぽんと撫でた。

「あ、兄上、私はもう子どもではありませんから……」

 エイシスはジクムントを気にして、少し頬を赤らめた。

「いいや、お前はいつでも小さなエイシスのままだよ」

「ユープレヒト様、そろそろ屋敷に戻らなければ、出立が」

「もうか?」

 ユープレヒトは渋々うなずいた。

「どこかにお出かけになられるんですか?」

「これは他言無用だ。陛下の命により、私はエール王国との調停へ向かうんだ。本当は父が行くべきなんだが、あの腰だからね」

「戦争が終わるんですねっ!」

「まあ、向こうの出方次第ということもあるだろうが、調停の提案にのってきた以上、向こうもこのまま泥沼の状況で良い、とは思っていないだろうから。――それから、召使いくん」

「ジクムントだ」

「名前はどうでもいい。――妹は伯爵家の娘だ。あまり近づきすぎないように。距離は守りたまえよ」

 ジクムントの肩をぐっと押し、エイシスとの間に、小太りの人間一人分ほどの空間をつくる。

「それから、召使いは主人のあとを歩くもの。肩を並べるなどあってはいけないよ」

「……仰せの通りに」

 ジクムントはうやうやしく頭こうべを垂れた。そうするのが一番と思ったのだろう。反論してもユープレヒトがそれを認め、引き下がることは天地がひっくりかえってもありそうにない。

「よろしい」

「兄上。ジークは召使いではありません。私を助けてくれた大切な……」

「大切な、召使い、なんだろう。分かってる。

彼ほど凄腕の召使い兼護衛はそうはいない。

何せ我が軍随一、なんだろう。妹を守ってくれ。節度をわきまえて、ね。――では、いってくるよ」

 ループレヒトは笑顔のまま、しっかりと釘を刺し、従者と共に去って行った。

「いってらっしゃいませ」

 エイシスは深々とお辞儀をして、兄を見送る。


「……エイシス、俺は、お前の召使いになる気はないぞ」

 兄の姿がいなくなるとジクムントは即座に言った。

「分かってる。――あなたは私の、大切な人よ」

 エイシスは、拗すねた物言いをする恋人の手をそっととり、笑いかけた。

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