第11話 そして迫る刻限

 ジクムントは馬にまたがり、風を切って駆ける。

 上体を低くし、前を見据える。

 馬は軍の厩舎きゅうしゃにあったのを借りてきた。

 ディアナの家令から聞き出した場所へ急行している最中だ。


 王都を出た時には晴れ渡っていた空がみるみるかき曇り、やがて小雨がぱらついてきた。

 風もでてきたせいで、雨粒が顔をたたく。

 それでも構わず、馬に鞭をくれた。


 しばらくすると一両の馬車が道の脇にあるのを見つけた。

 馬から下りると、ややぬかるみはじめた地面を踏みしめ、駆け寄る。


「エイシスっ!」

 扉を開けると車内にはぐったりしているディアナと、中年の男がいた。

「おいっ」

 ディアナの肩を揺する。

 長い睫毛に縁取られた目がかすかに揺れたかと思うと、ゆっくりと開かれる。


「……あなた……ジクムント……?」

 ディアナは頭が痛む様子で、少し手でおさえる。

「エイシスは?」

「エイシス……そうだわ、エイシス……!」

「何があった」

「……変な男たちが……」

「覆面かッ!?」

「違うわ。……白髪のある、中年の男……それから、馬に乗った男たちに襲われたの」

「……賊か?」

 ジクムントは怒りに身体が熱くなるのを必死におさえながら、冷静に話を聞け、とみずからに言い聞かせる。

「本人たちは賊じゃないって言ってたわ。それから、エイシスのことを知ってた……連中、エイシスに、用があったみたい」

「エイシスに……」

(どういうことだ?)

 男たちはオルゲイの部下で間違いないだろう。だが、ジクムントではなく、エイシスを襲う狙いが分からなかった。

「……ごめんなさい、私が無理矢理、ピクニックに誘わなかったら……」

 ディアナは辛そうに顔を曇らせ、つぶやく。ハンカチを握りしめる手が小刻みに震えている。

 ジクムントはそっとその肩にさする。

「いいんだ。エイシスのことを思ったんだろう? だったら責任はない……。悪いのは連中だ。怪我は?」

「大丈夫」

「そうか。――そいつは?」

「彼は御者よ」

「俺が馬車を動かす。気分が悪くなったら言えよ」

「……ありがとう」

 ディアナはかなり憔悴しているようで、顔が紙のように白かった。

 ジクムントは自分が乗ってきた馬を馬車の後部に結びつけ、御者の席に座る。


(俺のせいだ……あいつを一人にしたから……。守るって言ったのに……っ)

 かみしめた唇から血が滲み、口の中に鉄錆てつさびの味が広がる。

 手綱を握る手には否応なく力がこもった。


                      ■■

(まったく、あの馬鹿、仕事を増やしてくれやがって……)

 アルフォンスは報告書の束を抱えながら、足早に城内の回廊を歩いていた。


 というのは昨日、何者かによって軍の厩舎が奪われるという事件が起きたのだ。犯人はフードを目深にかぶって正体がしれなかったが、エリオットの証言でそれがジクムントで間違いないことが分かった。


 今しがた、大臣への説明を終えたばかりだ。

 これ以上、不祥事が続けば人事考査にも影響がおきかねない。

 それでも黙々とこなしているのは、すべてはジクムントを守るためだった。


 エリオットもそのために、アルフォンスから離れ、オイゲン中将の調査に注力していた。


「……オルゲイ中将」

 アルフォンスが回廊を歩いていると、対面から複数のお供を引き連れ歩いてくる人物の姿に、踵かかとを合わせてて気をつけの姿勢をとる。


 栗色の髪を七三に分け、口ひげを生やした細身の男。オルゲイ・スミルノフ中将。


 オルゲイは前線の報告という名目で、ずいぶん前から王都へ戻って来ていた。

 あの仮面舞踏会にも参加しており、ジクムントを目撃した可能性は高い。


「アルフォンス、ここで会うとは珍しいね」

「……大臣たちに昨今の騒動についての説明を……」

「最近、軍の規律はもちろん、練度も落ちているのではないかね。この間の乱入者といい、昨日の軍馬の盗難といい……」

 オルゲイはやや耳障りな甲高い声をしている。それが聞くものにさらなる、不快感を抱かせる。

「申し訳ございません」

「そんなことでは先が思いやられるぞ」

「はっ」

「軍の俊英という評判をおとさぬようにな」

「……ご忠告、痛み入ります。肝に銘めいじ精進しょうじんいたします……」

 頭を下げる横を、オルゲイたちが過ぎ去っていく。


 しばしその後ろ姿を見送っていたアルフォンスは踵を返し、歩き出した。


                      ■■

「……エイシスの様子は」

 床に伏せっているヴァレンタイ魔ゾディアック伯爵家当主・ギュンターがうめき混じりに、目の前にいる長子・ループレヒトに言う。

 最近は、水に鎮痛剤を混ぜているおかげか、ぎっくり腰は快方かいほうに向かっているせいか、表情は一時に比べてだいぶ良い。


「今、探している最中です」

 ループレヒトは静かな表情のまま言う。


 今、母のカレリーナには席を外してもらっていた。

 母は口を開けば、「あの子は我が家に迷惑ばかりかけて……っ!」で、うんざりしてしまう。


「手がかりは」

「……いえ」

「あの子になにかあれば」

「決してそのようなことにはさせません」

 ループレヒトのいつにない強い口調に、一瞬、ギュンターは虚を突かれたような顔になったが、すぐに気を取り直してうなずく。

「頼むぞ」

「はい」

「……あの子は、特別だ」


 それは愛おしい末の娘、というだけでは説明のつかない、あまりに深い物言いだった。

 父の、エイシスへの執着は前々から知っていたが。

(やはり、父にとって、エディット様はそれだけ特別だということか……)


 ループレヒトにとってもエイシスは目に入れても痛くないくらい可愛い妹だが、父の意識は若くして亡くなったエディットを、エイシスの中に見いだそうとしているように見えるような、深刻さがある。


 ループレヒトは母、カレリーナが不憫になることもあった。

 幼い頃にも、父がエディットに執着するあまり、通い通しで王都にはほとんど居着かなかったことはよく覚えている。

 決して、子どもを邪険にするような親ではなかったが……。


「絶対に、見つけ出すんだ」

「承知しています」

「行け」

 ギュンターはアゴをしゃくると、目を閉じる。


 ループレヒトが部屋を出ると、待ちかねたというようにカレリーナが様子を聞きたがった。もちろんそのまま言えば、母を不機嫌にするだけだ。

「見つけろとそう仰られていました」

「本当にそれだけですか」

「母上」

「あなたは少し、エイシス《あの子》に構い過ぎではありませんか。カリオナとシェリもあなたとは同じ血を分けた妹なんですよ。それにくらべると、エイシスは……」

「母上、残念ながら、私は恋愛問題は不得手です。それ以外であれば乞われればいつでも、妹たちの面倒は見ますよ」 

「……行きなさい」

 カレリーナはかすかに失望の色をみせると、父の部屋へ入っていった。


(これ以上は、いくら人手を出しても効果は薄そうだ……)

 それなら国家権力に助力を願おう、とループレヒトは家令のアルトマンに馬車を出すように言った。


                      ■■

(ここにきて、どれくらい経ったのかしら……)

 エイシスは、窓一つない物置のような場所で、膝を抱え身体を小さくしてうずくまっていた。

 扉は厚い木材でつくられ、何度か体当たりをして壊せないかと思ったがどうにもならなかった。

 男たちに馬車に乗せられ、ここへつれてこられて以来、食事を届けに来たのが二度ほどあったくらいで、どうしてここに連れて来られたのか未だ何の説明も受けてはいなかった。


(兄上たち、心配してるわよね)

 荷物を起きっぱなしにしたまま行方をくらましたのだ。

 事件に巻き込まれたのだろうと屋敷中は大騒ぎになっているだろう。

 ディアナの家へ行くこと自体、誰にも言っていない。

 書き置きでも残しておくんだったと今更思ってもしょうがない。

 あの時点ではそこまで頭が回らなかったのだから。


 食事は最初、毒が入っていないかと警戒していたが、わざわざここまでつれて来て、毒を飲ませる意味もないだろうとおそるおそる屑野菜の浮いた塩だけで味をつけたようなスープを飲んだ。

 しばらく待っても異常はなかったから、食事には手をつけることにした。

 パンとスープでだけとはいえ、いつか訪れるであろう逃走の機会に力が出ない、ではしょうがないと思ったのだった。


 それから壁にもたれ、目を閉じる。

 またどれくらい時間が経っただろうか。

 うとうとしていると、不意に、扉が開き、廊下から差し込んできた明かりに目を覚ます。


「お休みでしたか」

 現れたのは、ここまでエイシスをつれて来た集団のリーダー・白髪交じりの壮年の男。

「ご気分は?」

「……最低よ」

「まあ、しばらくの辛抱です。実は、あなたに是非お会いしたいという方が参られましてね」

 すると、一つの影が差した。

 ひょろりとした細身に、七三分けの髪に口ひげという男だった。風情からして軍人らしい。これみよがしにつけている勲章が煩わしい。


「はじめまして、お嬢さん」

 声は男にしては甲高い。

「……あなたは」

 答えるはずがないと思いながら聞くと、

「オイゲンだ」

 男はあっさりと言った。

「オイゲン……。あなた、エール王国との戦いを指揮しているって人ね」

「ほう、ジクムントから聞いたのか?」

「…………」

 エイシスが口をつぐむと、オイゲンは少し口角をもちあげた。

「まさか、彼が生きていたとは驚いた。……黒狼がまさか、ダンスとはねえ」

「……軍の人が、こんなことをするなんてどういうつもりなんですかっ!」

「お前には餌えさになってもらう」

「えさ……?」

「ジクムントをここへおびきやすたための、だ」

「……軍人なら正々堂々と戦えばいいのよ。こんな卑怯なやり方……。それに、あなたは考え違いをしているわ。ジーク……ジクムントは、私のためにはこないわっ」

 軍の医務室でジクムントから言われた思い出したくない言葉が一瞬、脳裏をよぎりかけるが、それを思い出さないフリをする。

「……だから、無駄よ」

「まあ、来なければお前は一人寂しく死ぬだけだ。想像はついているだろうが、ここまで話すのは死人への手向たむけなのだよ」

「……最低ね」

「何とでも。では、ジクムントが来くれば、また会おう」

 オイゲンは薄ら笑いを浮かべながら、ひらひらと手を振りながら部屋を出て行った。

 扉が閉められ、再び室内が闇に閉ざされる。


「……ジークは、来ないわ」

 エイシスは膝に額をおしあて、ぽつりとつぶやいた。 

                    ■■


 王都へ到着し、ディアナを屋敷へ届けると、ジクムントは馬を引きながら軍の本営に向かう。


 エリオットのもとに、何かしらの情報が入っているかもしれない。

 そこに、今、エイシスがどこにいるかのヒントがあるはず――そう、祈るような気持ちで。

 自然、ジクムントの歩みは早くなる。

 と、向かいから歩いてきた男と肩がぶつかる。

 振り返ると、男は角を曲がっていくところだった。

 今は、苛立つ余裕もない。

 そんなことよりも、エイシスの居所を掴まねばならない。

 そのためにはエリオットたちの力がいる。

 と、歩き出そうとしたジクムントははかすかに長袴ズボンのポケットに違和感を覚える。

 探ると、そこには覚えのない封筒があった。


(あの男……?)

 それを開き、文面に目を通すや、男のあとを追いかけるがすでに影も形もない。


 ジクムントは駆け足で城門前に行くと、門の守りについている兵士に封筒を突き出す。

「エリオット・ダースマン少尉にこれを渡せっ」

「何だ、貴様……」

「俺は、ジクムント・フィデラーデ。エリオット少尉の部下だ。いいな、確かに渡したぞ」

 フードの奥から鋭い眼光をのぞかせれば、兵士たちはぎょっとしたような顔つきになる。

「あとで渡っていないことが分かったら、貴様の首をねじきってやるっ」


 戸惑う兵士を脅しつけ、ジクムントは軍馬にまたがると、手紙に書かれた目的地へ向かって駆け出す。


 ――女を助けたいならば、一人で、以下の場所に来い。来なかった場合、この手紙を受け取って一日ののち、女を殺す。

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