第9話 そして別れを
「……こ、こんなことして、ちゅ、中将が、お許しになると、思のか……」
満身創痍で木にもたれた男が、切れ切れに呟く。
「言いたいことはそれだけか。……貴様は我が軍の恥さらしだ。せいぜい許しを乞うんだな、地獄で」
「や、やめ――」
ジクムントは剣を振り下ろす。
悲鳴があがり、鮮血が飛び散り、顔に飛沫がかかる。
かすかに温かくどろりとした感触……。
ジクムントはそれを乱暴に手の甲で拭った。
足下には、他にもブレネジア軍の男たちが目をかっと見開き、絶命している。
下草の生えた大地には黒々とした血が広がっていった。
ジクムントは剣についた血を払うと、鞘に収める。
「隊長……」
振り返ると、部下たちが立っている。
「責任は俺がとる。……いいか、我々は夜盗じゃない。陛下の命を受け、軍人と戦うために、ここにいる。それを忘れるな」
部下たちの背後、丘陵を見下ろせば、赤々と燃え、
昨日までそこには村があった。
しかし今はもう何もない。今も燃え続ける炎が、すべてを飲み込んでしまった。
黒い隊旗たいきが焦げくさいにおいを孕んだ風を受けて、膨らんでいる。
黒狼こくろう。
それは真っ黒に塗りつぶされた旗と、部隊の面々が黒い軍服に身を包んでいることから、誰かが言い出したか分からないが、今ではそれが正式な部隊名になっていた。
ジクムントは自分たちが仲間たちから恐れられていることに関して何とも思ってもいない。
自分たちは下される命令を、ただ淡々とこなすだけ――。
「いくぞ」
部下たちはジクムントの手足のように動く。誇るべき仲間だ。
しかしその翌日。
ジクムントたちは裏切りものとして逐おわれる身になっていた。
野営地に不意を食らい、部下のほとんどがちりぢりになるか、目覚めるのことのない永遠の闇へ堕とされた。
敵が接近しているなどという情報は入ってこなかった。
「あれは、中将オルゲイ閣下の部隊だ……」
部下の一人が、襲撃者の一人を返り討ちにし、その顔を見て、言った。
オルゲイは今回の派遣軍の司令官だった。
それが前日の報復であることは明らか。
オルゲイとは最初から反りが合わなかったが、もはや、弁解の余地はない。
「……誰でも良い。王都へたどり着け。そして我々の正当性を軍部に伝えるんだ」
ジクムントは一時的な黒狼の解散を言い渡した。
だが、追っ手は執拗だった。
ちょうどエール王国との争いが膠着こうちゃくしていたこともあったのか、昼も夜も関係なく、追っ手は繰り出された。
そして王都まであと数日というところで、ジクムントはついに力尽きたのだ――。
■■■■■
ジクムントが意識を失ってもうすぐ、一日が経とうとしていた。
意識を失ってすぐに軍の本営内にある医務室に運ばれ、以来、彼は眠り続けている。
軍医によると、特に目立った外傷は見当たらない、考えられるのは精神的な要因だと言われた。
エイシスはつきっきりで看病していた。
といっても、汗を拭いてやることや、異常が起きた時のために見守ってやることくらいしか出来ることはないけれど。
「ジーク」
前髪をそっと払う。
ジクムントは小さな寝息をたてている。
と、ノックがされた。
「はい?」
「エイシス様、ジクムントはどうです?」
エリオットが顔を出す。
「まだ眠っています」
「……眠っていると、凶暴さがないね。ずっとこうして欲しい……っと、失礼を」
エイシスは首を横に振った。
「ここに来てから、ほとんど寝ずの番です。人をやりますから、少し休んでは?」
「ご配慮、ありがとうございます。でも、もう少しだけ……」
エリオットは柔らかな表情でうなずく。
「……分かりました。何かありましたら、すぐにし知らせてください。私は三階にいます」
「分かりました」
それからまた数刻が経った。
エイシスはうとうととした。どれほど頑張ってみてもエイシスは心身共に、疲労していた。
ギッ……。
ベッドの軋きしむ音にはっと、目を覚ます。
「ジーク!?」
ジクムントが目を開けていた。
「良かった……」
ジクムントの目がゆっくりと動き、エイシスを捉える。
「私のこと、分かる……?」
言って、一目見て、いつもと目がおかしいことに気づいた。
背筋がぞくりとするような冷たさと、息を呑むような鋭さがあった。
「お前は、誰だ」
「じ、ジーク……?」
「……気安く、俺を呼ぶな」
「駄目よ、まだ動いたら……」
身体を起こそうとするのを押しとどめようとするが、手を払いのけられる。
エイシスはどうしていいか分からなくなってしまう。
「――ここは、どこだ?」
「ここにいて。今、エリオット様を呼んでくるっ」
エイシスは混乱のただなかにありながら、自分のするべきこと果たそうとする。そうすることで、今、自分に降りかかったことがすべては悪い夢であると信じたいかのように。
今は真夜中で、明るい月明かりが窓から差し込み、廊下を照らしている。
三階まで駆け上がると、兄・アルフォンスの執務室で書類整理をしているエリオットに声をかける。
アルフォンスは今、ジクムントの起こした騒動の事後処理に奔走ほんそうしてくれていた。
「エリオット様、ジークが、目を。すぐに来てください」
「分かりました」
ドタドタという二人の慌ただしい足音がしんと静まりかえった建物に響いた。
「ジークっ」
「おい……俺の軍服はどこだ?」
「ジクムント……きみ」
エリオットは驚いたようだった。
「エリオット、どうした」
ジクムントは怪訝けげんそうな顔をする。
「……目を覚まして良かった」
「ああ……。俺は、どうしてここに……? 戦場にいたはずだ」
「思い出したのか」
「思い出す……?」
二人のやりとりを、エイシスは扉のそばでただ見ていることしかできない。
「きみは……負傷して、ここに送られた」
エリオットは咄嗟に嘘をついた。
「……そうか。ところで、その女はなんだ。俺のことを気安く呼びやがる」
「彼女は……」
エリオットは言葉に詰まる。
「エリオット様に頼まれて、ジクムント様の看病をしていました」
エイシスは頭が真っ白になりながらも、醜態しゅうたいをさらすまいと必死に口を動かす。
「彼女のことを、覚えてないのか? エイシス様だぞ」
「知るか」
ジクムントは吐き捨てるように言った。
と、その鋭い眼差しが、射貫くようにエイシスを見る。
「いつまでいるつもりだ。……消えろ」
「ジーク……」
「聞こえなかったの」
その冷たい眼差しに、射すくめられエイシスは何も言えず、踵を返して部屋を飛び出す。
「エイシス様っ!」
エイシスはエリオットの制止の声にも構わず、走り続けた。
「これで、良かったのよ……」
エイシスは自分に言い聞かせるようにつぶやく。
(ジークの記憶が戻った。これは喜ぶべきよ。それを期待して、王都ここに来たんだから……)
しかしあまりにも突然で、頭も心も何もかも混乱していた。
喜ぶべきだと思う頭に反し、涙が流れ続けていた。
■■■■■
医務室にはしばらく沈黙が降りていた。その沈黙は硬く、息苦しいほどだった。
しかしそれをエリオットが破る。
「満足かい?」
「あ?」
「……僕が参謀で、きみが前線部隊の将軍に選ばれた理由が分かったよ」
「何の話だ」
「きみには腹芸ができない。
僕がもし、今のきみと同じ状況なら、彼女のことだけを忘れたことにする。もっと冷静に、もっと穏やかに、彼女に接する。もし僕が彼女に対して怒鳴り散らしたら絶対、おかしいだろう? 僕がそんな感情的な人間であればともかく、ね」
「エリオット、何を言ってるんだ。俺は……」
「ジクムント。きみは確かに愛想のかけらもなく、融通もきかない、どれだけ返り血を浴びようと何とも思わないような冷血漢の朴念仁ぼくねんじんだ。
だけど、きみは、人をいたずらに傷つけるような真似はしない。女性相手なら、なおさらだ」
ジクムントは口を開こうとするが、エリオットは腕を組んだまま言葉を重ねる。
「最低の演技だと言っておくよ」
「…………」
ジクムントはそっと目を伏せた。
「彼女を覚えているんだろう?」
エリオットの語調が和らいだ。
ジクムントは親に逃げ場をふさがれた幼子のように、うなだれた。
「記憶は」
「戻った、と思う……」
「思う?」
「もしかしたらいくつか欠けはあるかもしれない。だが、少なくとも……あいつのことと、戦地で襲われ王都を目指して逃げたことは、覚えている」
「エイシス様への態度はどういうことだい?」
「……あいつがそばにいたら、またいつ巻き込むか分からない。良い機会だ……。あいつは俺が何といようと、そばにいようとする……。これ以上、危険にさらすわけにはいかない……」
「彼女を失ってしまうよ」
「……分かってる」
「にしては、沈んでいるな。後悔先に立たず」
「黙れ、俺にはやることがある」
「療養?」
「ふざけるな。――部下の仇かたきをとる」
「相手は?」
「中将オルゲイだ。
あいつは厭戦気分が広まるのを警戒して、部下の士気をあげるため村を襲わせた。エール王国の責任になすりつければいいからな……。
俺たちはそれを見つけ、関わった兵士全員を殺した」
「中将を殺すのか」
「当たり前だ」
「……なら、もう少し待て。今、中将に不利な証拠を集めさせている」
「待つ? 冗談はよせ」
「今、あいつを殺したところで、死に損ないが反逆したとしか思われないぞ」
「実際にそうだ」
「ジクムント」
医務室を出ようとするジクムントの前に、エリオットは立ちはだかった。
「どけ」
ジクムントが強い力で肩を掴んでくるが、エリオットは少しも表情に出さず、ジクムントの目をじっと見つめた。
「きみは復讐を果たせて満足だろうが、お前の部下はどうなる。お前と同じに賊にする気か? このままだと黒狼は味方殺しの汚名を一生背負い続ける。純粋な隊員もろとも。それでもいいのか。それがきみの最終決断なのか?」
「……情報が集まるのは」
「あと十日はくらいだと思う。中将の部下の買収も進めている」
ジクムントは舌打ちをしたが、大人しくベッドに戻った。
自分はどうなってもいいが、部下に裏切りの十字架を背負わせるわけにはいかない。
「ついでに、エイシス様のことも考えろ」
「余計なお世話だ」
「このまま終わらせるにはあまりにあの方は素晴らしい女性ひとだ。もしきみが捨てるなら、新しい受け皿は必要だな」
「エリオット、お前……」
エリオットは憎たらしいほどの爽やかな微笑を浮かべる。
「安心してくれ。黒狼の女に手を出す度胸はないさ」
「違う、あいつと俺は……っ」
「とにかく。しっかり滋養じようを取り、しかるべき刻ときがくるのを待て。その間に、エイシス様への謝罪の言葉でも考えていろ」
いいね、とエリオットは薄気味の悪いウィンクをして、部屋を出て行った。
ジクムントはベッドに横たわった。
(これで、いいんだ。エイシスは……俺にはもったいない……っ)
しかし最後に見た、彼女の泣き顔を思い出すと、胸が痛いほど締め付けられる。
ジクムントは自分が未練を感じていることが信じられず、それを振り払ように目をぎゅっと閉じた。
■■■■■
何とか気持ちの収まったエイシスの足が向かったのは自分の屋敷ではなく、親友の元だった。
「ごめんなさい、こんな夜分に……」
エイシスは声が上擦るのをこらえながら言う。
応対に出た家令が優しく招じ入れ、客間へ案内してくれた。
「どうぞ、中へ。今、お飲み物をお持ちいたします」
「……ありがとうございます」
しばらくすると、飲み物を手に現れたのはディアナだった。
彼女は夜着にガウンを羽織っている。
「ごめんなさい、こんな遅くに……。その、あそこには、戻りたくなくて」
今、あの姉たちの嫌みを耐えられる自信がなかった。
「いいの」
しゃべろうとするエイシスの隣に座ると、ディアナはそっと背中をさすってくれる。
「客室に用意をさせてるから、休んで。話は明日にでも」
「…………」
エイシスは頷く。ディアナの優しさにまた泣きそうになった。
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