第8話 そして開かれる
東の空が未だ明けやらず、王都の誰もが眠りについている時刻。
ひんやりと身体にまとわりつく夜の気配のわかだまる庭先に、ジクムントは一人、立っていた。
手には自分を知っていると言う、エリオットから受け取った軍刀がある。
これをなぜか、突き返すことができず、気づくと受け取っていた。
柄をしっかり握りしめ、鞘にほどこされた縛いましめをほどき、抜く。
清澄な光をたたえた剣身が露わになる。その研ぎ済まれた刃に目が惹きつけられる。
(俺の、剣……)
自分の姿を映した剣を一閃する。空気を裂く鋭い音が響く。
はじめて手にとるはずの剣であるはずなのに、どうすれば一番、剣これが活きるかを身体が知っているようだった。
(あの男の言っていたこと……本当なのか……)
ブレネジア王国の精鋭・黒狼こくろう――。
仲間を裏切り、処分された……軍団を統率した将軍。
「関係ない、俺は、エイシスと共に……」
こみあげようとするものを断たち切るように剣をふるう。
■■■■■
エイシスの姿は一人で、王城内にあった。
城門で案内されたとおり、赤煉瓦でつくられた本営にどうにかたどり着くことができた。
パーティー以外のことで城門をくぐったことがはじめてなら、城の外縁部に来たのも初めてだった。
すぐそばに練兵所があるらしく、男たちの威勢の良い喊声が響く。
すでに連絡がいっていたらしく、本営の前には軍服姿の角刈りの若い男が立っていた。
「エイシス嬢ですね」
「はい」
「ガルパスです。ご案内します。こちらです」
案内されたのは三階、その廊下の突き当たり、南に面した部屋だ。
廊下を行き来するのは紺色の軍服姿の男たちばかりで、鮮やかな桜色のドレス姿のエイシスはさすがに目立ち、人目を引いた。
ガルパスは扉を叩く。向こうから応じた声は、聞き覚えのある声だった。
(でも、エリオット様じゃない……)
その疑問を考える間もなく、扉が開けられ、室内へ促された。
「よぉ、エイシス」
「兄様にいさま!? ど、どうして」
「どうして? 俺が軍人になったことを忘れたか?」
豪華な執務机の向こうにいるのは誰であろう、ヴァレンタイン魔ゾディアック伯爵家の次男にして、狂才トリックスターである長男から、“変”人と評されてしまっている、アルフォンス・リー・ヴァレンタイン。
そのあいかわらずのくせっ毛は、懐かしい気分にさせる。
「お久しぶりです」
「お前が来ることは知っていたんだが、軍務こっちが忙しくてどうしても屋敷のほうに足を運べなかった。悪い」
アルフォンスはあいかわらず、ぶすっとした表情のまま。
次兄は常々、笑顔を母親の腹のなかに忘れてきたと世間から言われるほど、むっつりとしているが、それは笑うと出てくるえくぼのせいだった。
男がえくぼなんてつけていられるか!
ということを十五歳の誕生日に宣言し、みずからに“笑禁”を言い聞かせているのだ。
それでも笑顔の証はしっかりでている。口元を妙にむずむずさせるのがそれだ。
まあ、今のアルフォンスは傍から見れば、二年ぶりの妹を見てもくすりともしないどころか、早く帰れと言わんばかりに無愛想にみえるだろうが、エイシスにはしっかり兄が歓迎してくれているのが伝わっている。
そしてその傍らにエリオットがいた。
「ようこそ、エイシス様」
あいかわらず色気のある微笑をたたえ、どうぞ、と椅子を差し出してくれた。
「ありがとうございます。エリオット様、昨日は……」
「いえ」
エイシスは椅子に座った。
「あの……兄様は……その、」
「ジクムントのことだろう、知っている。
何せ、あいつとエリオットは将来、俺が軍のトップに立った時の側近にしようと目をかけていたからな。だが、黒狼がよもや、お前と一緒だったとは……」
「しかしよくジクムントがここにくることを許しましたね」
エイシスは少し気まずい気持ちのまま首を横に振った。
「ジークにはディアナの家へ行くと言ったんです。女二人で話したいからって……」
「で、エイシス、お前は何をしにきた?」
「……本当にジークは、裏切ったんですか」
「それに関しては現地に人をやって今調べさせています。昨日も言いましたが、ジクムントが裏切るなど、考えられない」
エリオットが言うと、アルフォンスも同意するように頷いた。
「ジークの命を狙っているのは誰なんですか」
「それを知ってどうする?」
「ジークを守ってください」
「――エイシス様、何人か、候補はいますが、まだしぼり切れていません。昨日あなたがたを襲った連中も金で雇われただけで、雇い主に関しては知らないようです」
「……王都ここを離れればいいんでしょうか」
「ジクムントの生存を先方が知ってしまった以上は無理でしょうね」
「兄様。どうにかならないんです。どうにか……ジークを助ける方法は……」
エイシスはすがるような眼差しで、アルフォンスを見た。
少しの間を置いてアルフォンスを口を開く。
「一つだけある」
「何ですか!」
「落ち着けよ」
「……あ、はい……」
「ジクムントを軍へ戻す。そうすれば、ある程度、監視もしやすい。その間に、我々は命を狙う者の洗い出しをする。エイシス、あいつを説得できるか?」
「……はい」
話を聞く以上、それしか手段がないのは明らかだった。
できるできないではなく、何が何でも説得しないと。
「エイシス様、折角、いらっしゃっられたんです。兄妹水入らずで、お茶でもどうですか」
「あ、はい、いただきます」
「では、中佐。つなぎをお願いします」
エリオットはにっこり笑うと、部屋を出て行く。
「……なんだか、気まずいな。こうして、二人きりになるのは」
アルフォンスは目を宙にさまよわせながら呟く。
「そうですね」
確かに屋敷のなかで、次兄と二人きりになることは珍しいかもしれない。早くからアルフォンスは軍の幹部学校で寮生活を送っていた。
「父上にはあったか?」
「はい。ぎっくり腰で、おつらそうでした」
「まったく、見栄っ張りで医者を呼ぼうともしないらしい、呆れるてものも言えねえよ。……向こうの暮らしは、どうなんだ?」
「なんだかんだ、自由を満喫しています」
「魔法は?」
「……申し訳ありません」
「謝んじゃねーよ。もしものときは、行方知れずということにするから安心しろ」
「それでは、私が王都へ帰れなくなります」
「……まあ、そうか……そうだな。ま、そのことはおいおい考えてやる。……馬鹿どもとの仲は?」
アルフォンスの物言いに、思わず笑ってしまう。
馬鹿どもとは、二人の姉のことだ。
「お二人とも近頃はデート続きで、私をいびる暇もないようです」
「あいつらに何かされたら言えよ。今度こそ古井戸に閉じ込めてやる」
アルフォンスが言うと、本当にやりそうだから怖い。
小さい頃から、長兄のループレヒトと、次兄のアルフォンスは、末の妹で、兄姉のなかで一人だけ母の違うエイシスを何かと気にかけてくれた。
二人が家にいたころは、さすがに姉たちも手をだせず、学校に行くようになってから、ちょこちょこ嫌がらせをされた。
今、思えば、兄たちの愛情を独占しているように姉たちには見えたのかもしれない……
(って、それはよくおもいすぎかな)
「中佐っ!」
ガルパスが血相を変えて駆け込んできた。
「……客の前だぞ」
「し、失礼しました! ……今、王城に侵入者が出たということで、エリオット様が……」
胸騒ぎのようなものだった。
立ち上がったのはアルフォンスと同時。
「お前はここにいろっ」
「いいえ、私も参りますっ」
視線を絡ませると、アルフォンスはガルパスにエイシスを守るよう命じた。
「二人とも。俺から離れんじゃねえぞっ!」
駆け足でエイシスたちが軍営に出ると、軍服姿たちが剣を抜き、駆けだしているところだった。
(ジークっ……!?)
剣を抜き、相手を次から次へと相手にしているのは誰であろう、ジクムントだった。
■■■■■
一人、取り残されたような格好になったジクムントは手持ちぶさただった。
屋敷の家人たちは、エイシスの連れということで何くれと気を遣ってくれてはいたが、それでもジクムントはここにおいて異質な存在であることは変わらず、どうにも居心地が悪い。
考えることはエイシスのことだ。思うと、今朝から何かそわそわしていた気がした。
ディアナの元へ行くと言っていた時にも、その笑顔はぎこちなかった……。
胸騒ぎを感じたジクムントは射ても立っていられずディアナの屋敷へ向かう。
迷惑と言われれば、帰れば良い。それだけのことだ。
しかしいざ、現れたディアナはエイシスはいないと言う。
真っ先に思いうかんだのは、女顔の男のことだ。
(あいつ、エイシスに何か吹き込みやがったなっ!)
ジクムントは駆け出し、王城へ向かう。
もちろんそんな殺気満々な男が城門を突破しようとすれば、どうぞどうぞと通すはずもない。
そしてジクムントもまた、礼儀正しく通してもらう気などさらさらない。
槍を構え、留まるよう叫ぶ二人の兵士に、軍刀を薙ぐ。
死人を出そうとは思わないから鞘ははめたまま。
一閃しただけで突き出された槍を叩き折り、男たちのアゴへ蹴りを見舞い、突破する。
軍刀を持った男が王城へ乱入の報はすぐに広まるが、関係なかった。
止まるよう声をあげる連中を次々とのしていった。
「おい、エリオットとかいう女みてえなツラした野郎はどこにいるっ!」
倒れた男の一人の襟首をつかんで、引き起こす。
「……ほ、本営……だ」
「そこはどこだって聞いてるんだっ!」
男は赤煉瓦の建物を指さす。
しかしその行く手にはものものしい軍服姿の男たちが剣を抜いて立ちはだかる。
ジクムントは剣を構える。
「怪我をしたくなきゃ、どけ!」
男たちのなかから「黒狼だ……」「あいつ、死んだんじゃ……?」とざわめきが聞こえる。
「お前ら、さっさと捕まえろっ! 軍の恥をさらす気かっ!?」
指揮官の号令に、軍人たちが一斉に襲いかかってくる。
ジクムントは二十人はいるだろう集団のまっただ中に、何のためらいもなく飛び込んだ。
混乱したのはむしろ、軍人たちのほうだ。
味方同士のただなかにこられたせいで、同士討ちをためらない、かえってその密集陣形が仇あだとなっていた。
たちまち、ジクムントの剣に昏倒させられていく。
ジクムントは剣を閃かせ、足を使い、腕をつかい、一騎当千を地でいき、たちまち男たちをのしてしまう。
「……っ!」
指揮官が剣を抜くよりも先に、その顔面を踏み台にして、跳んだ。
「ジクムント」
しかし煉瓦の建物を目前に、エリオットが立ちはだかる。そこにかんに障るような薄笑いはない。
「エイシスを返せ。きたねえ手を使いやがって」
「我々には誤解があるようだが……部下のカタキはとらせてもらう」
エリオットは抜剣する。得物はサーベルだ。
「上等だ」
これまでの相手とは違うことくらい、向かい合っただけでも分かる。
だが、不意にエリオットの背後、赤煉瓦の官舎から男が現れる。それにつづいて現れたのは、
「エイシス!」
「エリオット、どけっ」
一番最初に建物から出てきた男が鋭い声を上げれば、エリオットは従う。
「部下どもをよくも……。この落とし前はつけさせてもらうぞ、ジクムントっ!」
ジクムントの目は、啖呵を切る男などに興味はない。そのそばにいるエイシスにだけ向いている。
「軍人だかなんだかしらねえが、女エイシスを人質にするなんざ、それでも武人かっ!」
「飼い犬に手を噛まれるほど馬鹿じゃない。しつけはするぞ」
「何をごちゃごちゃ言ってやがるっ」
ジクムントは駆け出す。
と、男の身体がぼんやりと青白い光を帯び、ジクムントへ掌が差し出される。
光が掌中へと収束していく――次の瞬間。
「兄様っ!」
男をとりおさえるようにエイシスがとびかかる。
「ジークを、殺さないで……っ!」
「エイシス、は、離せ……っ」
もみ合いになる二人へ、飛びかかろうとするが、エリオットが立ちはだかる。
「邪魔をするなっ!」
ジクムントは縛めをほどき、鞘を抜き、応戦した。
「上官に剣を向けるとは……朋輩ほうばいといえども容赦はしないっ」
何合なんごうか斬り結んだが、エリオットに隙はない。
レイピアの鋭い突きに、シャツのところどころが斬り裂かれ、細かな傷が出来、血が滲んだ。
これまでの相手のように命だけあ……なんてことを考えていると、こっちが殺される。
声をあげ、剣を振り下ろすが、すかさずレイピアで受け止められた。
眼前で火花が散る。
と、同時、ジクムントの頭の中でも何かが爆ぜる――。
「っ……!?」
頭の中にいくつもの映像が流れる。
火柱 濛々とあがる黒煙 泣き叫ぶ女子ども むせるような鉄錆てつさびの臭い 自分の名を乱暴に呼ぶ男たち
――隊長ぉっ、逃げてください……っ!!
はっと我に返った時には、エリオットに押し切られていた。
まるで木偶でくにでもなったように地面に仰向けに倒れる。
レイピアの剣先が喉元につきつけられる。
身体に力が入らない。
エリオットが何を言うが、聞こえない……。
「…………」
ジクムントは自分が何かを話した気がしたが、目の前が真っ暗になった。
■■■■■
「ジークっ!!」
エイシスは制止するアルフォンスを振り切って、駆け出す。
エリオットが抱き起こすところだった。
「エリオットさん、あなた……何をしたんですか……」
自分を振り仰いだエリオットの顔にあるのは戸惑いだった。
それでも軍人らしく手早く呼吸を見、首筋に指を添えて脈をはかる。
「私は何も……。突然、手ごたえがまったくなくなったと思った途端、倒れたんです。
――ご安心を。気を失っているだけのようです」
「そう、ですか……」
しかし、安心できるような状況ではない。倒れうめく軍人たちの姿を見ながら思う。
「エイシス」
「兄様……。ご、ごめんなさい……」
「――エリオット、無事な者と協力して負傷者を収容。……俺は上への言い訳だ。エイシス、お前はジクムントについていろ」
「……ありがとうございます」
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