第7話 その真実の顔

 仮面舞踏会の翌日。

 エイシアとジクムントの姿は、ヴァレンタイン魔ゾディアック伯爵家の屋敷にあった。


 エイシスは庭先でお茶を飲みつつ――姉二人は昨日、知り合った男ひとたちとデートだ――、上の空だった。

 昨日、接触した男のことを考えていた。ジクムントを知っている、あの軍人。あれは、ジクムントの敵なのか否か。もしジクムントと親しい相手だったら、どうにかして会うべきではないか。

(でも……)

 もしそれがきっかけで、ジクムントの記憶が目覚めたら最後、今の関係が終わるどころか、ジクムントは自分の前からいなくなってしまうかもしれない。

 しかしそれはあまりに利己的で、ジクムントの人生を棒に振らせることになるかもしれない……。

「――エイシス、どうかしたのか」

「え?」

 はっと我に返り、自分がジクムントを誘ってお茶をしていたのだと、思い出す。

「具合が悪いんじゃないか」

「ううん、何でもないわ。たぶん、昨日、張り切り過ぎちゃって……そのせいだと思う」

「そうか」

 心配するジクムントに、エイシスはできる限りの笑顔で応対する。

「ねえ、ジーク、こんな良い天気にここでお茶を飲んでるだけなんてもったいないわ。出かけましょ。つきあって」

 エイシスは家令のハルトマンに挨拶をすると、屋敷を出た。

「ディアナのところか?」

「ううん、ちょっとお腹空いちゃったからパンを買いに」


 貴族街には、飲食物や洋服、宝石などを許された店がいくつかある。

 そのなかの一つ、パン屋でバターをたっぷりつかったクロワッサンと、オレンジの果汁をしぼったジュースをテイクアウトする。

 帰りに寄ろうとディアナへのお土産も包んでもらう。

 パン屋にはカフェが併設され、購入したパンを食べられるが、エイシスはそれを無視して歩きながら食べる。義母や姉たちが見たら血相を変えるだろう。


 焼きたてのさくさくした食感と口の中でじんわり広がる香ばしい風味がたまらない。


「うまい」

「おいしいでしょ? この濃厚なやつ、無性に食べたくなるのよね。

……ねえ、ジーク。少し寄り道してもいい?」

「ああ」

「来て、こっちよ」


 エイシスが足を向けたのは貴族街と平民街とを隔てる高い壁だ。

 壁に寄り添うようにある灌木の裏手にまわると、灌木の影になって分からなかった鉢植えをそっとどかし、壁に開いた大穴を見せる。

「おい、それ……」

「来て」

 エイシスは四つん這いになり、なんとかくぐった。

「良かった。何とか、成功。ぎりぎり二年前と体型が変わってなかったってことが証明されたわ。

――ジーク、通れそう?」

 穴からのぞき込むが、ジクムントは顎をしゃくる。

「離れてろ」

「うん……?」

 壁から距離を取ると、壁の向こうで、タッ……タッ、と音がしたかと思うと、壁の上を大きな影がすり抜けるのが見えた。逆光のせいで、エイシスにはよく分からなかったが。


 音もなく着地したジクムントに思わず拍手をしてしまう。

「これくらいなんでもない」

「でもどうやったの? いくらなんでも飛びついてどうこうって高さじゃないわよ!?」

「壁に出来たキズに足をかけたんだ」

「……やっぱり猿マシラね」

 エイシスが心の底から驚いていると、それ、褒めてるのか、とジクムントは微笑んだ。

 彼の笑顔がやっぱり好きなのだ、とエイシスはやっぱり思う。


「それで、どこへつれてってくれるんだ」

「こっちよ」

 エイシスは口元をほころばせ、道を進む。

「それにしても、あの穴、お前が開けたのか?」

「元々は小さな穴を見つけて、それを少しずつ大きくしていったの。

だって家族の誰も、壁の向こうは行くべきじゃない、の一点張りだったもん。どうしてって聞いても、理由も教えてくれなくて。じゃあやっぱり、自力でいかなくちゃいけないでしょ? 子どもの頃はわんぱくだったんだから」

「今も、だろ? 今のお前が通れるんだ」

「最後に来たのは二年前。王都を出る前。

……大人になったらこの壁の意味が分かるかなって、思ったんだけどね。やっぱり今も分からないまま。だって確かに綺麗な洋服とか大きな家や馬車はもっていないかもしれないけど、みんな素敵な人たちよ」

「あの門から入ればいいだろ」

「貴族街から子どもが一人で出て行くのを許したらそれこそ大騒ぎよ」


 貴族街とは違い、石畳の舗装がおろそかなせいか、歩きにくい。

 それにもうずっと前に降った雨がまだところどころに水たまりとなって残っている。


 民家はどれもこれも元々は紅く壁が塗られただろうが、今はどの家もすすけたり、色がくすんだりで、同じ紅でもまちまちだった。

 貴族街のほうは数ヶ月に一度は必ず壁の色が塗り替えられるから、こういうムラはあまりない。


 それに空気が心なしほこりっぽいし、道が貴族街のように区画整理されていないせいか、うねうねとそこら中に道が延び、その道はどこかの道と合流してはまた二股、三股…別れて伸びて、まるで迷路。


 ただ静かな貴族街とは違い、子どもたちの黄色い声がどこからともなく響いて聞こえるのが、良いBGMだ。


「小さい頃は良く、こうして冒険したの。友達もできたわ。まあ、もうその子たちは私のことなんて覚えてないわよね。なにせ、遊んだのは一度きりだったし……」

 到着したのはそこは平民街の一角。

 いくつもの路地が交差して小さな広場になっている。

 といっても何があるわけではないが、そこかしこに石が転がっている。

 子どもたちがケンケンパをしたと思しき、いくつもの白い線で描かれた○が石畳に描かれている。

 エイシスは白い○に従って、片足でケンケンをしたり、両足をぱっと広げたりする。

「ジークも」

「?」

 不意を打ったらしくジクムントが間の抜けた声を出した。

「お、俺は、良い」

「いいから、一度だけ。ね?

 ジークだって子どものころはこうして遊ばなかった……? あ、ごめん……」

 ジクムントは優しく笑ったまま首を横に振った。

「いいさ。何となく分かる」

 ジクムントは気にしない様子で○の動きに従って足を動かし、進んでいく。

 しかし子どものサイズに合わせているから、ジクムントは手足をもつれさせ、○の線からはみだしてしまう。

 思わずエイシスは吹き出してしまう。

「ねえ、ジーク」

 言わなくちゃ。ジクムントのためを思うならば。

 昨日のあの人を探して、会おう。記憶はやっぱり、大切なものだから……。

「あのね……」


 その時、石畳を擦る音に振り返ると、そこに覆面をした人が立っていた。がたいからして男だ。


 思わず後退ると、ジクムントの右腕が伸び、身体を引きつけられる。その拍子に包んでもらったクロワッサンが石畳を転がってしまう。


「……離れるな」

 ジクムントが周囲に視線を向けながら言った。


 路地からは、五人の覆面の男たちが姿を現した。手には短刀を持っている。


「金か? 悪いが小銭しか持ってねえよ」


 しかし男たちは構わず短剣を構え、間合いを詰めてくる。

 ジクムントは舌打ちをする。

「……エイシス、よく聞け。

 今から男たちの中を突っ切って、あの路地に向かう。お前はとにかく逃げて、貴族街へ走れ」

「ジークはっ……」

「こいつらの足止めをする」

「でも」

「いいからっ」

「……分かった」

 ここにとどまりたい気持ちをぐっと押し込み、頷く。エイシスがいたら余計、ジクムントを不自由な目に遭わせてしまう。


「いくぞ。……いち、にぃっ…さんっ!」


 ジクムントはエイシスを腕にかかえたまま、跳躍し、男たちの一人の顔面めがけ、不意打ちの膝けりを見舞う。男はもんどりうって倒れ、ジクムントは見事な着地を見せる。すぐに走り、路地にエイシスの背を押す。

「走れ! 止まるなっ!!」


 エイシスは歯を食いしばり、駆け出す。

 走るのは本当に久しぶりだが、そんなことはいってはいられない。あの男たちに追いつかれ、ジクムントのくれたチャンスを不意にするわけにはいかない。

 子どもの頃に比べると、やっぱり身体の重さを意識してしまい、息がすぐに乱れる。それでも決して立ち止まらないと走りにくいドレス姿のまま駆けつづける。


(あと、もう少し……っ!)

 いくつかの路地を抜ければ、あの抜け穴だ。

 が、すぐ間近の角を折れた瞬間、思いっきり何かにぶつかり、はねとばさ、尻もちをついてしまう。

「ご、ごめんなさ……」

 顔をあげると、そこにはあの覆面がいた。短刀をふりかざし、迫る。

 エイシスは手を動かし、必死に逃れようとするが、スカートの裾を踏みつけられてしまう。

 そして男の太い指がエイシスの手首を潰さんばかりの力で握りしめてきた。

「は、離して……!」

 手足をじたばたさせるが、刃が放つ硬質な光に身体がこわばり、恐怖のあまり目を閉じた。


(ジーク……!)


「んごぉ……っ」と呻きが聞こえる。

「………」目を開ければ、そこには。


「大丈夫ですか」


「あ、あなた……」


「ジクムントではなくて申し訳ない」

 きまじめに言うのは、昨夜の仮面武闘会で出会った、軍人。そう、ジクムントに話しかけた……。

 仮面がなかったが、それでもその女性のような顔立ちは覚えている。


「エイシス様、エリオット・ダースマン少尉と申します。陸軍参謀本部に籍を置いております。

ご安心を。あなたの敵ではありません」

「……味方でも、ないのね」

 エイシスは身構えると、苦笑される。

「まあ、その話は……」

「エイシスから、離れろっ!」

 自分が走ってきた路地から、ジクムントが姿を見せる。

「ジークっ!」

 エイシスはジクムントの腕の中に飛び込み、彼もしっかりと受け止めてくれる。

「無事か」

「え、ええ……。あの人……エリオット様が……」


「お前、昨日の」

 ジクムントは目を細める。


「やぱり、ジクムントだね。これはどういうことだい?」

「何を言っている」

「もう、その他人ごっこは終わりにしてくれ。君は自分が一体どういう状況におかれているのか認識しているのかい? いや、してないだろうな。していたら、そんなわけのわからないことをしているはずがない」

「何のことだ」

「ジクムントっ! いくら、僕でも怒るぞっ! 僕はきみを心配して……」

 白皙はくせきに怒りの色が浮かぶ。

「お前こそわけのわからんことをいつまでほざいてる。いいから、そこをどけっ!」

「待ってくださいっ!」

 エイシスはジクムントとエリオットの間に割って入る。

「エイシス様、どいてください。あなたは関係ない。これは我々の問題です」

「違うんです。……ジークは、記憶を失ってるんです」

「……」

 エリオットはあまりに虚を突かれたせいか、すぐに言葉を返せないようだった。

「とりあえずお話をさせてください」


                      ■■■■■

「ディアナ、ごめんなさい」

「いいわ。……私は席を外してるわ。何かあったら部屋に来て」

「ありがとう」

「バターたっぷりのクロワッサン。また買ってきてくれればいいわ」

 ディアナは何の事情も聞かず、客間を貸してくれることを承諾してくれた。


 エイシスは客間に戻る。二人の間には重たい沈黙が横たわっていた。

 いや、エリオットがいくら話してもジクムントは一切、沈黙を続けている。


「エリオットさん、私たちの事情を話させてもらいます」

「待て」

 ジクムントが制する。

「どうしたの?」

「こいつがどうしてあそこにいたか。話すのはそれからだ」

「いいとも」

 エリオットは緊張感をいっぺんも感じさせず、朗らかに笑う。

 エリオットは見ればみるほど女性的だった。


「僕はきみたちを監視していた。昨日の晩から。おっと、勘違いしないでくれ。僕はあくまで、ジクムント、きみが気にかかっていたんだ。きみは常に彼女と行動するから、彼女も見ていた。

――それに、僕が彼らの仲間だったらとっくに彼女を殺している」

「もう一度言ってみろっ」

 腰を浮かせたジクムントを前に、エリオットはやや困惑ぎみに微笑する。

「確かにきみが記憶を失ったというのは嘘ではないらしい。……誰かのために怒れるなんて、前のきみにはなかったことだ」

「……私の、いえ、ジクムントを見つけた経緯をお教えします」

「エイシスっ」

 エイシスはジクムントに首を横に振り、これまでの経緯を話した。


 ジクムントが疑いを持つのは分かる。しかしエリオットは、エイシスの知らないジクムントを知っているし、それ以上にエイシスに似た気持ちをジクムントに抱いているのが、彼のジクムントを見つめる眼差しから分かった。

 もちろんそれはエイシスの抱いている感情と完全に同じ、というわけはないだろうけど。


「……それがこれまでの経緯です」


 ジクムントはエイシスの話の中に、自分の知らないこともあっただろが、表情を少しも変えなかった。


 昨夜言ったとおり、記憶のことなんてどうでも良いんだろうか……。


「ありがとう。では、私も知る限りのことをお話ししよう。

単刀直入に言う。ジクムント。きみは、味方を殺した罪で告発されている」

「えっ」

 エイシスは声をあげてしまう。

「知っての通り、我が国とエール王国は国境を巡って戦争をしている。

 ジクムント、きみは一軍を率いる将軍だった。

 その勇敢な武勇と、その褐色の肌とを重ねて、きみの部隊は黒狼こくろう、そう呼ばれている。

 もちろん我が我が国きっての精鋭であるきみは戦線へ投入され、初戦において華々しい活躍を遂げたという報告が届いている。

 しかし開戦してまもなく、戦況が硬直すると事件が起きた。

 黒狼部隊が味方の部隊を斬り殺し、隊長であるきみを入れ、部隊全員が処刑された、と……ね。

 軍団長・オルゲイ中将より報告が届いている」

「ジクムントが、裏切ったということですかっ!?」

「……信じたくはないし、事実、きみは敵味方から恐れられたが、これまで一度として武人として恥ずかしい行いをしたことなどないし、味方を傷つけるはずもない。

 それを僕は知っている。なにせ、幹部学校時代からの同窓生だからね……といっても、きみは覚えてはいないだろうが」


 エイシスとエリオット、二人の視線を浴びても、ジクムントは表情を変えなかった。

「エイシス、帰るぞ」

「ジーク!?」

 立ち上がったジクムントはひややかな眼差しで、エリオットを一瞥いちべつする。

「お前の知っている黒狼だかなんだかは死んだ。俺とは無関係だ。悪いな」

「さっきの連中がただの物盗りだとでも?」

 去りぎわのジクムントたちへ、エリオットは言う。

「……きみは命からがら逃げだし、エイシス様に助けられた。君を狙った人物はきみが死んだとおもったんだろう。だが、その人物は君が生きていることになぜか気づいた。

 君が昔の自分を捨てるのは勝手だが、賊はきみだけでなく、彼女を狙った。……その意味をしっかりと考えろ軍の本営ならば今ならいつでも会える。

 それからジクムント、きみは変装をしてきたほうがいい。パニックになりかねない」

「行くかっ」

 ジクムントは吐き捨てる。

「では、これを」

 エリオットは腰に帯びた剣を差し出す。

 ジクムントは怪訝けげんそうに眉をひそめた。

「軍の保管庫からかすめてきた、きみの軍刀だ。素晴らしい得物も主と離ればなれになって可愛そうだ」

 ジクムントは受け取ることを拒否しなかった。


 エリオットはエイシスと向き合う。

「……エイシス様、話し合いの場を貸していただきありがとうございます、とディアナ嬢にお礼を申し上げてください。後日、あらためてお礼に参上します、と」

「……分かりました」

 エリオットは甘い笑顔を浮かべると、出て行った。


「……ジーク。私ね」

「お前のことは、俺が守る。それで問題はない」

 その頑なな横顔に、言葉をつげられなかった。

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