第6話 その仮面の下は
王城へ伸びる道へ、貴族たちの馬車の車列がいつまでも延々と続いている。
馬車に下げたランプの火が連なり、闇夜に神々しい光の尾を引く。
エイシスたちの姿もその馬車の連なりの一つにあった。
エイシスはディアナに選んでもらった袖や裾、首回りにフリルをふんだんにつかた薔薇色のドレスに目元を隠す猫を象った仮面を。
ジクムントは細身の黒いタキシードに、エイシスと同じく目元を隠すタイプの仮面。
向かいに座っているディアナは濃紺の、昨今、都で流行っているという身体にぴったりしているドレスに、水の精霊ウンディーネを象った仮面をつけている。
「一緒に行けて良かった。ユープレヒト様のことだからあなたを掴んで離しそうにないと思ったのに」
ディアナは鳥の羽で豪奢に飾り立てた扇を揺らめかし、深紅にラメを散らした唇をほころばせた。
「確かに引き留められたわ。でも、せっかくの仮面武闘会だというのにヴァレンタイン家の馬車に乗っていたら、誰であるか分かってしまいます……って説得したら、案外あっさり」
「ジクムントもよく似合っているわね。私のコーディネートに間違いはなかったわね」
ディアナはすでに満足そうだった。
「……少し、喉が苦しいがな」
「正装は、苦しい・きつい・てとんでもない、って相場が決まってるのよ」
「タイをきつく絞めすぎなのよ」
エイシスは笑い、そっと直す。
「どう?」
「あぁ、さっきよりはマシだ」
「あらあら、お熱いこと」
「ディアナ」
親友は素知らぬふりで、肩をすくめる。
やがて馬車が城門前に到着すると、エイシスたちはようやく外の新鮮な空気を吸うことができた。
広大な庭園を眺めながら、城内へ向かう。
玄関広間では、ホストを務める、ブレネジア王国の国王夫妻が出迎えてくれる。
国王であるアルベルト2世に、王妃・ペリアネも仮葬して、にこやかに貴族たちを出迎えた。
エイシスたちも国王夫妻に挨拶をし、会場である銀角の間へ足を運んだ。
舞踏会の会場は王城の一角、クリスタルで造られた、王家の守護神・ユニコーンが前肢を勢いよくもちあげている画が飾られていた。
王立楽団が軽やかな演奏を奏でる中、出席者たちがめいめい食事をしたり、知己の人々と話したりしている。仮装はしていても声やなにやらで分かる人も何人かいた。
(やっぱり軍人も来てるのね)
女性も男性も着飾る中、いかめしい紺色を基調にした服に、胸元に仰々しい勲章をさげた人間たちがちらほら見える。
ジクムントを見ると、彼も気づいて、じっと軍人あちらを見つめている。
「あら、エイシスってば、ジクムントがいるのに他の男ひとを見るなんて関心しないわよ」
「そんなんじゃないわよ。……ただ、国境線では戦争をしている最中なのに、のんきなものと思っただけ」
「もしかしたら長引く戦争の憂さを晴らす、っていう意味もあるんじゃない? これは噂だけど、結構、苦戦してるっていう話だし……」
「そうなの?」
「そういえば、あなたのお兄さん、軍人じゃなかったっけ?」
「そうだけど……。家にはいなかったからまだ会っていないの。兄上は、変わりもんは困るって言ってたけど」
「それはユープレヒト様流の冗談?」
「まさか」
「さすがは“狂才トリックスター”ユープレヒト様、ね」
ディアナは苦笑する。
給仕から赤ワインをもらい、しばし歓談にふける。
と、宴もたけなわになってくれば楽団の曲調が変わり、男女のペアが次々と中央へ出て行く。
「お嬢さん、私と踊ってくださいませんか」
ディアナにそっと壮年の男性が近づき、手を差し出す。
「よろこんで」
ディアナは男性の手を優しくとった。
そしてエイシスにだけ分かるよう小さくウィンクをすると、人混みの中へ消えていく。
(ディアナはやっぱりもてるわね)
そんなことを思いながら、楽しげに踊る人々を見つめる。
いつもエイシスはそうして壁の花になっていた。一通りの踊りは学校で習いはしたが、どうしても義理で踊ることができなかった。
どうして初対面の相手とあんなに近づかなくてはいけないのか、そんな気持ちを抱いてしまう。
見境なく男と踊る姉たちを見たときの嫌悪感がよみがえってしまうからかもしれない。
それにくられはディアナのほうがよっぽど大人で、自分はどうしようもないくらい子どもだなと痛感してしまう。
だからエイシスは基本的にパーティーが嫌いだった。
「……お嬢さん、わたくめとどうですかな?」
声からしてきざそうな男が現れ、エイシスはたじろぐ。
タキシードにラメを散らし、ネクタイの色や、胸元に挿している薔薇など、見るからに趣味が悪い。
まるで成金だ。
「え、あ、私は……いいです、踊りが苦手で」
「そう、仰らず。苦手であれべ、わたくしめが手取り足取り教えて進ぜましょう」
男はにかっと、これみよがしに白い歯を剥き出しにしながら、乱暴に手を取ってくる。
「あの、やめてください……っ」
しかしエイシスが抵抗すると、男はもっと居丈高に迫る。
と、その手の力が唐突に緩んだ。見ると、男の手が誰かに捕まれていた。
「――申し訳ない、先約がいるんだ」
「なんだい、君は。私のほうが先だ」
「聞こえなかったのか、先約がいる、と言ったんだ」
見た目にはそうと分からなかったが、みるみるうちにキザ男は脂汗を浮かべ、「……ぃ……ぁ……」と呻きを漏らす。
「消えろ」
男はほとんど逃げるように人混みをかき分け、消えていく。
ジクムントがエイシスの手をそっと引いた。
「あ、ありがとう。どこへ行くの?」
「あいつがまた見たら、しつこいからな。踊ろう」
「ジーク、踊れるの?」
「さあ、でも適当に会わせれば大丈夫だろう」
ぷっと笑ってしまう。
「そうね。なら、私のステップに合わせて」
「よし」
エイシスたちも踊りの輪に加わる。
手を重ね、お互いの身体が触れあいそうな距離にまで近づく。
ジクムントはいつになくコロンをつけているのが分かって、少し胸の奥が疼く。
(やだ、私、何、意識してるんだろう……)
これまでジクムントは記憶をなくした同居人――であったはずなのに、今日の彼は、いつもと雰囲気がまったく違う。仮面の奥の強い光を秘めた視線を意識すると、自分でも混乱してしまうほどのどぎまぎした気分になり、目を伏せてしまう。
「どうした、ステップ、おかしかったか?」
「う、ううん……。大丈夫」
身長差がありすぎて、少し不器用な踊りになってしまったが、それでも人生の中で一番楽しいダンスができた。
■■■■■
「――いい気なものですね」
エリオット・ダースマン少尉は、食を楽しみ、酒を味わい、踊ることに真剣になり、猥雑なおしゃべりに夢中になっている貴族や軍人の高官連中へ冷めた眼差しをぶつけたまま、ぽつりと呟く。
エリオットは同輩から“エリス”と時に呼ばれるほど女性的な顔立ちをしている。
そのせいか、彼はそのあだ名をおもしろがって、女優をしていた母親ゆずりのプラチナブロンド髪を伸ばしていた。その髪の艶やさが灰色がかった瞳ともあいまって、そのコントラスがさらに美しさをきわだてた。
親ですらエリオットが俳優や何かになるものとばかり思っていて、軍人になったときは、軍人を演じる、と思ったほどだった。
「あの方々には前線の将兵を思う心はないのでしょうか」
エリオットの視線はいつになく厳しい。それは戦友を思うだけではない。今、彼の心にはひどく重たい懸案があるのだ。
「上はいつもそういうものだ。戦争は楽観主義者によってはじめられるものだからな」
その隣に立つ、ややくせっ毛気味なブラウンカラーの髪に、灰青色の双眸に掘り深い顔立ちのアルフォンス・リー・ヴァレンタイン中佐は唇をワインで湿らせ呟く。
兄のユープレヒトよりも精悍な顔立ちをしており、口元はむっつりとへの字だ。
今宵、二人がパーティーに列席しれてるのは軍高官のお供だった。
アルフォンスは高官のお供として、エリオットはアルフォンスの秘書役として。
「中佐、およびですよ」
高官がにこやかにこちらに来るように手を振っている。
「……お前はここにいろ。犠牲は少ないに限る」
「了解いたしました」
冗談めかした敬礼を送る。
エリオットに早速近づいてくる男ににこやかに応じ、傍からはそうと分からないように腹に拳こぶしをたたき込んで、酒を飲んだり、食事をとったり、女性と話したり……とできるかぎりのことをしたが、やっぱりつまらない。
(ここには緊張感がない、まったく退屈ですね)
エリオットは軍人ながら最前線にいけない我が身の不遇を嘆く。
こんなことを言うと、アルフォンスには申し訳がない限りだが、自分のように胸の内に激情を買うような人間は参謀には向いていない。
今回の国境紛争においてもそもそも第一希望は前線への配属だったくらいだ。
一応の礼儀としてあくびをかみ殺しつつ、何か話して面白そうな相手はいないだろうかと仮面の奥から探る――と、人混みから頭一つ分、頭がとびだしている男に目が留まる。
連れの女と話し、にこやかに笑うその顔は、仮面をしていても分かる。
褐色の肌に、黒髪――。
目が吸い寄せられる。人を押しのけ、ひたすらに目指す。
「……ジクムント……?」
一人でに声がこぼれると、褐色の男がこちらを向く。
「何だ、お前」
迷惑そうな声……。
その声は間違いなかったが、ジクムントがこちらに向ける眼差しは、ほんとうに怪訝そうだった。
「あの、ジークを知っているんですか……?」
男の傍らに立っていた、はっと目の覚めるような可憐な少女が聞いてくる。
そうしてエリオットは今更ながら自分があまりに非礼なことをしたと気づく。
「こちらはあなたの連れ、ですか」
「はい」
もう一度、男を見る。
見ればみるほど似ている。仮面を外して欲しい、いや、今すぐはぎ取りたい衝動に駆られる。
そう思うと、似ていると思った声も、不確かになってくる。
それに相手はエリオットのことを本当に知らないようだった。
付き添っている少女は、貴族だろう。
あの男は天地がひっくり返ってもそんなことはしないはずだ。
とりあえずここは引くしかない。
「……申し訳ありません。近しい人に似ていたもので、つい」
「そうですか」
少女は何かを押し込めているような顔をし、男を促して人混みの中へ消えていく。
その姿を、エリオットはじっと見つめつづけた。
■■■■■
エイシスは給仕へディアナへの伝言を頼んで、ジクムントと庭に出た。
噴水の周りに、パーティーを抜け出したカップルたちが何組かいるのを遠目に見る。
(さっきの人……)
あれは軍人だった。仮面に合わせた装い、ではないだろう。
「……ねえ、ジーク。あの人、知ってる?」
「いや」
「何か、思い出せた?」
「軍人を見て何かを思い出すわけじゃないだろう」
「……そうね」
なぜか、安堵してしまっている自分がいた。
「エイシス」
ジクムントはエイシスの隣に来た。
「俺は、別に無理に思い出す必要はないと思ってる。……お前には悪いが」
「どうして」
白々しいと思いながらも聞いてしまう。
「忘れたからには理由があるはずだ。思い出す必要はないんだろう。……お前との生活も楽しいしな。俺はこのままで良い。お前の隣にいられるだけで」
胸がズキッと痛む。
ジクムントが倒れていた様子を、エイシスはまだ言えないでいた。軍人が傷ついて倒れていた。それも戦場とは遠く離れた場所に。誰かに狙われた可能性だってあるのだから放っておいていいわけがない、そうであるはずなのに……。
「……ジーク」
「ん?」
その茶褐色の眼差しのなかに、エイシスがいる。そこにある光は力強く、それでいて優しい――エイシスにはそう思えた。
「……月が綺麗よ」
しかしそれに触れたら、今の平穏が崩れてしまう――そう思うと、言い出す勇気が持てなかった。
静寂の夜を照らし出す、真珠のように淡い光を投げかける月を見ても、心は晴れなかった。
■■■■■
一方、ジクムントの存在に気づいたのはエリオットばかりではない。
賑やかに進む仮面舞踏会。
その会場のなかで、にごやかに周囲と歓談しつつ、内心の驚愕を抑えきれない人物の姿がいることに気づく者は誰もいなかった……。
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