第3話 そんな君の笑顔

「ふーむ……」

 デミスは、ジクムントの傷口を診て、いくつかの質問をし終えると、顎に手を当てた。


「先生、どう?」

 エイシスがたまらず聞くと、

「まあ、怪我の治りは驚くほど早い。よほど暴れない限りは大丈夫だろう。

 ……記憶のほうについては、こればっかりはどうにもなぁ……。今日思い出すかもしれんし、明日かもしれん。一年後か、十年後か……。身体の表面的なキズはどうにかできても、身体の中までもわしにはわからん、すまん」

「そうか」

 ジクムントはぶっきらぼうに頷いた。

「そうか、じゃなくて、記憶が戻らなくて不安じゃないの? 昨日は、何にも覚えてないことに、びっくりしてたくせに……」

 エイシスは呆れる。

「混乱はしたが、考えないようにすれば問題はないからな。それに、忘れたのは記憶だけで日常を送るのに支障はない」

「まぁ……そうだけど……」

「何かしら記憶につながる品物やら出来事にあたればその憂いはなくなるはずだ。ま、何事も気長にな。

 ……そうだ、エイシス。野菜が育ったからいくつかもってけ。確か、そのあたりに、サナが籠に入れといたはずだ」

「ありがとうございます。奥さん(サナ)は?」

「どーせまた、井戸端さあ。まったく。主人がこうして患者のために粉骨砕身しとるっちゅーのに……」

「王都での暮らしを捨ててついてきてくれたんだからもっと感謝しないと。

それに、先生だって農作業の格好のままできといてよく言ゆーわ」

「失敬な。わしはこれでも患者を見取るからな。こいつなら、多少のことなら大丈夫大丈夫」

 ふはははは、とデミスは笑う。

「先生、お代だけど……」

「構わんさ。それより、また何か料理したらもってきてくれ。お前さんはあれより、料理がうまいからな。それか、そいつに支払わせればいいさ。なあ」

「記憶が戻らないことには払いようがない」

「それじゃあ、早く戻ることを祈ろう」 


 ここはエリスの住まう森から西に東に進んだ、農村アソル。

 ここに、デミスは医者として住んでいる。元々は、王都で医者をやっていたようだが、都会暮らしが嫌になってここで暮らすようになったらしい。

 エイシスたちは診療所を出る。ジクムントが肩に野菜を一杯につめた籠を抱えている。

 今、ジクムントはエイシスの父の古着姿。といっても、清潔なものを選んだ。

 白いシャツ(袖も裾も丈がたりないので袖は折り返し、裾は適当に結んで、結構ワイルドだ)に、長袴ズボン姿。

 エイシスはスカートにブラウスという格好だ。

「やっぱり私が持つわよ」

 エイシスは振り仰ぐ。

「いや、これくらいさせてくれ。ただ飯喰らいは性に合わない」

 ジクムントとこうして並ぶと、あらためてその身長の高さを実感する。六尺は越えているだろう。

 五尺のエイシスとしては首が疲れることこの上ない。

「おお、エイシス、うちの鶏が産んだ卵だ。ついでに、一羽、絞しめたからもってきなっ」

「あーら、エイシスちゃん。これ、うちでとれて、形は悪いけど、味は保証付きだから、受け取ってぇ」

 と、ちょっと歩くだけでどんどんお裾分けを頂く。

 そのたびにエイシスは、

「ありがとうございまぁすっ」

  満面の笑みでありがたく頂く。貧乏生活には欠かせない補給線だ。

「……ねえ、ジーク。大丈夫? さすがに持つわよ?」

「……大丈夫だ」

 そういうジクムントの顔はやや辛そうだ。それはそうだ。次から次へと渡される荷物を、大道芸人さながらにバランスをとりながら抱えている。おかげで、首が45度くらい傾いてしまっている。

(……男の人の強がりにを尊重すべき、かしら)

 ――男の意地は黙って受けとれ、とは愚兄の言葉だ。

 それでもやっぱり病み上がりの人間に負担はかけられないと思った……が。

「エイシスだーっ!」

「エイシス、エイシスっ!」

「お姉ちゃぁんっ!」

 子どもたちがわらわらと集まってくる。小さな村だ。エイシスの訪問はあっという間に村中を駆け回るのだ。

「うぉ! でけぇっ!

 すぐにジクムントの存在に気づいて、子どもたちは目をまん丸にする。

 確かにこんな図体の大人はこの村にはいな。子どもたちからすればジクムントは巨人だろう。

「エイシスのカレシだぁ!」

「カーレーシー、カーレーシーッ!」

「はいはい、みんな!」

 エイシスはぱんぱんと手をたたくと、すぐに静まる。

「この人はジクムントさん。さあっ、挨拶して。ジクムントさん、はじめまして……」

「ジークームーントーさーん、はーじーめーまーしーてー」

「……あ、ああ」

 ジクムントは戸惑ったように相づちを打つ。

「ジーク。笑顔笑顔」

「……っ」

 ジクムントはやや頬を引きつらせ、ニヤッ…と獲物を前に舌なめずりする狼のような微笑を見せた。

「うわ、こえーっ」

 さすがの怖いもの知らずの子どもたちは不評の声をあげながら後退ったが、そのうちの一人が不意に泣き出す。

「あー、エイシスのカレシが、ケアンを泣かしたーっ!」

 いーけないんだー、と子どもたちが囃し立てる。

「こら、やめなさいっ……まったく。

 ケアン、泣かないで。良い子でしょ。よしよし」

 エイシスは身をかがめ、少女の頭を撫でる。

 ハンカチで少女の涙をそっと拭ってやり、声をかけつづける。えぐえぐ……と声を震わせていたケアンも、どうにかこうにか落ち着かせられた。

「……悪い」

 ジクムントが片膝をつき、少女と目を合わせる。大きな体躯をぎゅっと縮めているさまが少しおかしかった。

「……うん」

 ケアンは小さく頷く。

「さあ、みんな、私たちはもう帰るんだから」

「えー! 遊んでけよぉーっ! あの黒い石でキャッチボールしよーぜっ!」

「私だってそうしたいけど、大人は色々、忙しいの。また近いうちに来るから。その時、遊びましょう」

 見送る子どもたちに、エイシスは大きく手を振り、村を出た。

 ちらっと、横を歩くジクムントを見る。

「子どもは苦手?」

「……たぶん」

「ま、苦手でも一緒にいるうちに、可愛くなるわ。私だって最初は小生意気な揚げ足とり大人をなめんじゃないわよ!、って思ってたから」

 森の中の屋敷に戻ると、エイシスは早速、彼が着ていた軍服を見せる。

 血が滲んで汚れていたのを今朝、洗って干しておいたのだ。

「ねえ、これ、あながた来てたんだけど、何か思い出せる?」

 ジクムントを軍服をひっくり返したりして、隅々まで観察するが、表情に変化はない。

「いや……」

「そう」

 これが軍服であるかを教えるべきか否か迷っていた。

 あの状況を考えると、やっぱり軍人であることを教えるのはためらわれてしまう。あれは誰かに襲われたわけで……。何かわけがあるのは間違いない。

(無理に思い出させるのは、危険かも……)

「大工道具はあるか」

「有るけど……?」

 いきなり何を、とエイシスはいぶかしんだ。

「屋根に穴があいているだろう。直す」

「いいわよ、そこまでしてくれなくても」

「世話になってるんだ。それくらいはさせてくれ」

「……分かった」

 納戸なんどにしまってあった道具を引っ張り出す。窓なんかは素人でもどうにか修繕できても、屋根までは手がとどかなかった。そのせいでこの屋敷にある、いわゆる高級な器は大雨の日には雨よけのためにほとんど出払うという具合だった。

 ジクムントは外に出て梯子をたてかけると猿マシラのようにひょいひょいと、その大きな体格からは正反対な身軽さで昇っていく。

「気をつけてねーっ!」

 ジクムントは分かったというように手を軽く振る。


 エイシスは部屋に戻る。食事の準備をするまではまだ時間がある。

 ジクムントにかかりきりで忘れていたが、エイシスも他人を心配できるほど余裕はない。

 うんともすんとも言わない魔法石を手のひらで弄ぶ。

(ほんと、参っちゃう……)

 魔法石をじっと見つめながら、ふぁ……と小さなあくびがこぼれる。


                   ■■■■■■


 柔らかく、そして暖かなものに包まれる。 

 ――エイシス……。

 甘い、声がそっと囁いた。

(お母さん……?)

 声が、記憶の水面にさざ波をつくる。

 それは大きく広がり、エイシスの心を満たしていく。

(お母さん……私、駄目よ。ぜんぜん、魔法が使えない……。ヴァレンタイン家なんてどうでもいい。でも、お母さんが、馬鹿にされるのは嫌……なのよ……)

 ――エイシス、良いの。あなたは、そのままで……。

(でもっ)

 ――破局の力を、思い出す必要は、ないわ……。

(はきょく……?)

 それって何?と尋ねようとするが、そっと額にキスをされてしまえば、何もかも白い光の中に吸い込まれてしまう。

 夢の中なのに、まるで本当にそうされているみたいな現実感があった。

 口づけをされた額が熱くなり、うずうずする。

 ――お母さん、……会いたい……。

 それに答える声はなかった。


                   ■■■■■■


 どんどん!

「っ……」

 エイシスは扉をノックされる音にびくっとして、顔をあげる。

 どうやらいつの間にか、眠ってしまったらしい。

(よだれ……)

 指で拭う。

 窓の外はすっかり夕暮れどきで、エイシスの髪よりも少し色を深めた夕暮れの日差しが、景色を茜色に染めていた。


「エイシス、いないのか……っ?」


 ジクムントの声が聞こえる。

 エイシスは声を出そうとしたが、まだ寝起きのせいか頭の動きが悪く、かすれた声が出るばかり。


「……待って、今……」

 開けるから、と独りごちて、起き上がろうとすれば肘が魔法石にあたり、ガタンと大きな音をたてて床を転がる。

「エイシスッ!」

「っ!?」

 ジクムントが勢い込んで部屋に飛び込んでくる。

 その手には金槌をもち、素早く視線を部屋中へ向ける。


 茜色の夕焼けの色のなか、ジクムントの肌が燃えるような色合いをみせる。


 瞬間的に、ぞわっ、と全身の肌が粟立った。


 睥睨する眼差しは、エイシスの知っているジクムントの目よりも険しく、そう、猟犬を思わせる油断ならぬ目つきだった。


(……今のが、ジクムントの……本当の……?)


 だが、当の本人はそんな自覚はないらしく、

「……悪い。いきなり。大きな音が聞こえたから……」

 驚かせてしまったことを弁解する。

「あ、私こそ……。うとうとしちゃってて」

 さすがのエイシスも、よだれが出ちゃうと熟睡してて、とはなかなか言えない。

「そうか。……これ」

 爪先に転がっていた魔法石を、クムントが拾ってくれる。

「ありがとう」

「石炭……か?」

 これは、記憶喪失とは関係ないだろう。普通の人間は一生、お目にかからないだろう。魔法石の原石はとくに。

「いいえ。これは魔法石よ」

「魔法石……? お前、魔法が使えるのか」

「だったら、いーんだけど」

 エイシスは机の上にひょいと飛び乗る。

「私、落ちこぼれなの。家の人間はみーんな、言葉をしゃべるみたいに簡単に魔法を使える。はいはいするか、魔法使うか……って言うぐらい。

 でも、私はぜんぜん駄目。魔法の素養がないみたい……」

 自分で言って笑えてくるが、苦笑にしかならなかった。

「今の俺と一緒だな」

「え?」

「俺は記憶を失って、どうしようもない。でも、この世のどこかに俺を知っているやつはいる。俺のこれまで歩んできた足跡はどこにきっと、あるはずだ。あの医者が言ってたみたいに、いつか、ひょっこり記憶が戻るかもしれない。

……お前だって、そうだ。周りが魔法を使えるんだ。ゼロじゃない。お前だって、ある時、いきなり魔法が使えるようになる……かもな」

「あれ、私って、今、慰められちゃってる?」

「事実を言っただけだ」

「そっ……。でも、ありがと。なんか、元気でてきた」


 エイシスはくすりと笑うと、まるでそれにつられたみたいにジクムントも口の端をもちあげた。


(へえ……)


 黄金色の日差しの中、彼がみせた笑顔はとても自然で優しかった。 

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