第10話 ヴィクトリアの手紙(前編)
「ないねー」
ユゥンはそう言いながら、眼下に広がる栄えた町並みの上を飛行していた。
赤レンガ作りの建物が多く、ユゥンが普段よく行く木造ばかりの村々とは違う景色がそこには広がっていた。
しかしそれもそのはず。
ここはこの国の首都・セダに近い都市・バチンなので、ユゥンが普段行く首都圏から離れた村とは様相が違っているのだ。
今日はこの辺で配達があったユゥン達であったが、まだ所属する郵便局に帰らずに街の上を飛んでいるのには理由があった。
「まあ、いつもあるわけじゃないからな。無い日もあるだろう」
「それはそうだけど……あ!」
ユゥンが嬉しそうな声を上げたので、ドゴンは思わず町を見渡した。
「あったか?
郵便旗というのは、届けて欲しい郵便がある時に家の軒先に下げておく赤い旗の事である。
普通だったらそれぞれの町村にある郵便所に郵便物を持って行ってどこに届けて欲しいと頼みに行くのだが、足腰の弱い老人や家から離れられない人が家に郵便を取りに来て欲しい時に郵便旗を使うのだ。
「おーい!」
しかし、ユゥンが見つけたのがこちらに手を振る子供だと分かると、ドゴンは尻尾でユゥンの頬を軽く叩いた。
「痛いっ! もう、なに? ひどいなー」
「ひどいのはお前の勤務態度だ、まじめに探せ」
「それはそうだけど……あ!」
またユゥンが声を上げたので、ドゴンはジト目で彼女を見た。
「なんだ? また町の連中か?」
「ううん、あれ!」
ユゥンが指差す方を見ると、確かに郵便旗が風に揺れているのがドゴンにも見えた。
「ほら、見つけたよ! ちゃんと真面目にやってるでしょ!」
「……ああ、前言撤回はするが、お前……」
ドゴンはそう言いながら、面倒臭そうにその郵便旗が揺れている建物を見た。
「なんてところのを、見つけてるんだ」
その建物――町のはずれに位置する小高い丘にある赤い町並みとは趣の違う白い外壁に覆われたその大きな屋敷は、王族の別荘の一つだった。
「ここでお待ちください」
ユゥンとドゴンが屋敷に向かうと、すぐに兵士によって
豪華な装飾に溢れた広々とした部屋の奥に至る長い絨毯の両端には槍を持った兵士たちが整然と並んでいる。
そしてその先にはひと際豪華な玉座が鎮座されており、その横にはガタイの良い燕尾服の老人が控えていた。
「わあ、すごーい!」
ユゥンはのんきにその場所の煌びやかさに驚いていたが、その肩ではドゴンが対照的な暗い顔をしていた。
「ここに通されたという事は……そういうことだよなぁ……」
「見て見てドゴン! あの壁に掛けてある絵すごく上手だよ!」
「……お前の能天気さが、今だけ羨ましいぞ」
「えー? なんで? あ、こっちの綺麗な壺もいい!」
「はあ……」
ドゴンがため息を付いていると、
「第一王女、ヴィクトリア様、ご入室!」
玉座の傍らに控えていた老人が大声で告げた。
「ユゥン、跪け。早く!」
「あ、うん!」
ドゴンに指示されたユゥンは慌ててその場に片膝をついて
そして少しして誰かが奥の扉から入ってきた気配があり、先ほどの玉座に腰かけたようだった。
「こんにちは、郵便屋さん達」
若い女性の澄んだ声が、ユゥン達にかけられた。
「こ、こんにちは……」
「緊張なさらず、顔をお上げになって下さい」
「……えっと」
ユゥンは頭を下げたまま周囲を伺った。
今更ながら、下手に動いたら両側にいる兵士たちに槍で突かれそうな気がする。
槍程度ではユゥンは傷一つ負わないが、王族に敵対したと見なされるのは流石に避けたかった。
「いい、のかな?」
ユゥンが頭を下げたままちらりと前を伺うと、あの燕尾服の老人が手で小さく立てとサインを送ってきた。
「……それじゃ、その、失礼します」
ユゥンが緊張しながら顔を上げて立ち上がると、白い外壁の屋敷の主に相応しい真っ白なドレスに黄金のように輝く金髪、そしてサファイアのように澄んだ青い瞳をした、ユゥンより少し年上の女性――ヴィクトリア王女が玉座で優しく微笑んでいた。
「失礼というならばこちらこそ。配達中でしたでしょ?」
「いいえ、今日の分は全部配り終えたので、念の為に町の方まで郵便がないか見に来ていました」
「余計なことを言わんでいい」
ドゴンが小声でそう言っていると、ヴィクトリアが上品な笑みを浮かべる。
「ふふ、可愛らしいだけじゃなく、仕事熱心な郵便屋さんね」
「いやー、それほどでも」
「……お前はもう黙っていろ」
ドゴンはそう言って、ユゥンの肩から手前の床に飛び降りた。
「それで王女様、通りがかった我々に郵便の依頼という事ですが?」
「はい、そうです。セヴィー、例のものを」
「ただ今」
先ほどの燕尾服老人はそう答えると歳を感じさせない確かな足取りでユゥンの元に来て、一枚の封書を差し出した。
「うわ! すごい!」
そしてその封書を見て、ユゥンは驚いた。
普段見る少し黄色い紙とは違う真っ白な紙と、繊細な細さで描かれた宛名。
紙や字を日常的に目にする郵便屋でも一生で一度でも見られたらかなり幸運という――ユニコーン皮紙とグリフォンの羽根ペンによる筆記であった。
「ふふ、素直な人ですね」
「だってすごいですよこれ!」
ヴィクトリアが可笑しそうに笑うと、ユゥンは興奮気味にセヴィーがもつそれを指さした。
「ユニコーン皮紙は作る手間と質の良さで通常の何十倍も値段が張りますし、グリフォンの羽ペンも普通のよりも細い字が書ける最高級品! 揃って見られるなんて、私すごく幸運です!」
「おいバカ、落ち着け。王女の
足元のドゴンにそう言われ、ユゥンは慌てて頭を下げた。
「す、すいません! つい珍しくて!」
「……ぷふっ!」
ヴィクトリアが口を押えながら噴き出すと、老人が彼女の方を責めるような目つきで見た。
「……ヴィクトリア様」
「ふふ、ごめんなさい、セヴィー。この方があまりに可愛らしくて」
セヴィーと呼ばれた老人はやれやれと言わんばかりに首を振ると、ユゥンに再び封書を差し出した。
「……よいか、本来ならばこのような機密文書は一介の郵便屋に預けるものではないが、王女殿下の御意向でお前たちに預ける。くれぐれも届けられなかったという事のないようにな、いいな」
「……はい」
セヴィーの雰囲気に、ユゥンは少し違和感を覚えた。
機密文書というが、どこか渡すのが面倒そうなのだ。
まるで、気の進まない事をやらざる負えない事を渋々とやっているように。
「……それでは、承ります」
とりあえず封書を受け取り、そこに書かれている差出人の名前を改めて見て、ユゥンは小さく首を傾げた。
「……あの、念の為に確認したいんですが」
「……なんだ」
セヴィーがどこかそう訊かれるのを分かっていたような顔なので、やっぱりなのかなと思いつつ、ユゥンは訊ねた。
「この手紙は、バチンにあるお花屋さん宛てでいいんですよね?」
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