第9話 先生の手紙

 とある栄えた街の中に、その家はあった。

 民家よりは少し広いその家の一室では、長机と椅子を並べて十数人の子供が羽ペンを手に紙に向かっている。

 その子供は普通の人間をはじめとして犬の耳と尻尾を持った子や、同じように猫のような耳と尻尾を持つ子、更には背中に鳥のような翼が生えたり頭に牛のような角が生えていた子、肘から先が鱗に覆われた子など、様々な種族がいた。

「…………」

 そしてその様子を教壇から一人の女性が見ている。

 ピンと伸ばした背筋や鋭い目つきなどから形成されるその凛とした佇まいは、彼女がもうすぐ四十になるという事実がウソのように思わせる。

「……そろそろでしょうか」

 彼女がそう言うと、遠くから正午を告げる教会の鐘の音が鳴り響く。

 それは同時に、今日の授業の終了を意味していた。

「はい、筆を止めて紙を前に回してください」

 女性の言葉に子供たちは一斉に書く手を止め、それぞれが書いていた紙を前に回して教壇に立つ女性を注目する。

「ふむ、なるほど」

 回ってきた紙を一通り見ると、女性は目の前の席に座る猫人の男の子を見た。

「アレス、段々と字が上手くなってきましたね。ただ走り書きになりがちなので気を付けて下さい」

「はい!」

 男の子の返答にうなずくと、女性は次のその隣の翼が生えた女の子を見た。

「次にベッキー、慎重に書くのはいいですが、多少崩れるのを承知でもう少し早く書いてみてください」

「はい!」

「次に――」

 女性はその後も子供たち一人ひとりに文字の書き方のアドバイスをしていく。

「……はい。では本日は以上です」

「先生ー、ありがとうございましたー!」

 そして女性に子供たちが揃って礼をすると、女性も頭を下げて礼をした。

「はい、こちらこそありがとうございました。気を付けて帰るのですよ」

「はーい!」

 女性に返事をすると子供たちは次々に椅子から立ち上がって部屋から出ていく。

「ばいばーい!」

「さようなら、ティア先生!」

「はい、さようなら」

 を振って教室を後にする子供たちを見送ると、女性――ティアは自身の右手側にある窓を見た。

 正午なのでまだ日が高く、街の人々が働いたり昼食を取りに向かう様子が窓からうかがえた。

「……やはり、昼食もここで取れるようにしたいですね」

 そうすればそれを理由に授業を午前中だけにする事もなく、午後も授業が出来るのだがと小さくため息をつく。

「とはいえ、食事も用意するとなると、少々心許ないですね」

 今でも文字の勉強だけで一人辺り月に銀貨五枚をもらっているが、そこから家に回す生活費や勉強用の紙やインク代を差し引くと、あまり残っていない。

 そこから十数人分の食事、いやその昼食目当てでまだ増えると仮定し、月謝が増えるにしても厳しいものがある。

「……とはいえ、それでも親御さんが許してくれるかどうか」

 当然ながら保護者の意見を無視して子供たちに長時間も勉強を教えることはできない。

 どの家も子供が家の手伝いをしているというのもあるが、それよりも……、

「私が竜人、というのもあるでしょうね」

 戦争が終わっても……いな、戦争以前から竜人は他の種族に恐れられている。

 力が強くて頑丈な体に加えて飛行も出来るなど、他の種族からしたら十分脅威であり、ここ十数年で緩和してはいても、やはり完全に畏怖を拭い去る事は出来ないだろう。

 こうしてティアがどうにか教職に就いていられるのも、ある種の奇跡のようなものである。

「……でも、やらねばなりません」

 しかし、ティアには子供たちに字を教えるという確固たる意志があった。

 農家などの子供に文字を教えなくてもいいという意見は仕事がら耳にするが、それは違うとティアは断言する。

 文字の読み書きができれば、子供たちに将来の選択肢が出来る。

 農家の子供は農家になり、商家の子供は商家になる、それが今の世の中だ。

 家を手伝いたいならそれでもいい、それは子供たちの自由だ。

 だが、子供たちには人生の選択肢を与えられるべきだ。

 赤子が死にやすい時代であそこまで育った彼ら彼女は、もう立派な一人の人間だ。

 ならば彼ら彼女にも自分がやりたい事を選ぶ権利があり、チャンスがあるはずだ。

 そのチャンスを、ティアは作ってあげたいのだ。

「私も、まだまだ頑張らねば」

 今後も忙しくなるだろうが、変わらずに自分の仕事を全うしよう。

 そう決意しながら明日の準備に取り掛かろうとして、

「どーも! 竜人郵便です!」

 不意に聞こえたその声に、ティアは思わず手を止めた。

「……ユゥン?」

 ティアが訝しげな顔で玄関に向かうと、

「こんにちはお母さん! この時間だと教え処だと思ってこっちに来たよ!」

 娘のユゥンが郵便局員の制服を着て、いつも通りの変わらぬ天真爛漫な笑顔を浮かべて立っていた。

「……お仕事ですか、ユゥン」

「半分私用だけどね!」

 私用と言ったかこの我が娘はと思っていると、ユゥンは肩から提げた郵便カバンを探り出した。

「うわー、いざ渡そうと思ったら緊張してきたなー」

「……本当に書くとはな」

 気分が高揚しているユゥンに、彼女の肩から郵便の相棒であるドゴンは心底呆れた顔を向けていた。

「ユノちゃんが頑張ったのを見てたら私もって思ってね。それにどんな手紙でも届けるのが郵便局員の仕事なんでしょ? なら自分の手紙も届けないと」

「……そういう事ですか」

 どうやら娘が自身で書いた手紙を母である自分に届けに来たようだと悟り、ティアは皺が寄った眉間に指を当てた。

 昔から自由気ままな性格だったのを心配して自分に出来る限りの教育を施したが、やはり完全に治すことはできなかったようだと痛感していたのだ。

「……ユゥン、郵便が来たことを知らせてくれるのはいいですが、もう少しお淑やかに。あなたも立派な女性なのですから」

「あ、はい……」

 つい昔の調子で注意すると、ユゥンは分かりやすくシュンとした。

 こういう素直なところは母親として色々とありがたいのですがと、ティアは小さく笑みを浮かべた。

「しかし、あなたの元気な声は私にとっては嬉しく、安心できます。きっと配達先でもそのような方は少なくないでしょう」

「お、お母さ……あだっ!」

 顔を綻ばせたユゥンの脳天に、ティアのチョップが入った。

 ユゥンだけにしかやらない、一種のお仕置きである。

「さて、無駄話が過ぎましたが、お手紙を頂きましょうか」

「は、はい……」

 頭の痛みに耐えながらユゥンがカバンをまた探り出すと、

「……容赦ねえ」

 ドゴンがそう漏らし、ティアは彼に視線を向けた。

「そういえばドゴンさん、うちのユゥンがいつもお世話になっています」

「え、まあ、そうか?」

 ティアの視線にドゴンが落ち着かない様子であった。

 その鋭い目つきもあるが、明らかに好意的なものでなかったのだ。

「――しかし」

「う……」

 ドゴンが思わずその小さな身を竦ませたが、ティアは構わずに言う。

「あなたはフェアリードラゴンでも真面目で、仕事熱心だと聞いていましたが、ユゥンの私用での寄り道を容認しているのですか?」

「それは、その……一応ちゃんとした郵便であるからして」

「しっかりしてください。何のために竜人郵便局員の相方としているんですか」

「……はい」

 齢二百を超えて竜人の教師に説教されているフェアリードラゴンの姿が、そこにはあった。

「あ、あった」

 ようやくユゥンがカバンから封筒を取り出すと、ティアは小さくため息をついた。

 そして、

「相変わらず整理整頓が苦手なようね。あなたは昔からそういうところがあります」

 と言おうとしたが、

「はい! お母さん!」

 満面の笑みを浮かべて手紙を手渡すユゥンの姿に、出かかった言葉を飲み込んだ。

「……ありがとう。ちゃんと読ませてもらいます」

 封筒を受け取ったティアはしげしげとそれを見つめる。

 十中八九、ユゥン自身が書いたであろうこの手紙。

 その手紙を書けるのも、自惚うぬぼれではなく事実として自分が教えたからだ。

 そう思うと、ふとティアは自分の教育を受けた一人であるユゥンに尋ねたくなった。

「……ユゥン」

「ん? なに?」

「仕事は、どう? 楽しい?」

 字を書く教育を施され、郵便局員という道を選んだ一生徒は、今の仕事をどう思っているのであろうか?

 そんなティアの若干不安も含んだ質問に、

「うん! 楽しいし、みんなの笑顔や思いを届けられて、とってもやりがいがある!」

 ユゥンは迷いなくそう言い切った。

 それだけで、ティアはなんだかホッとしていた。

「……そう、ならいいわ」

 あくまで一例かもしれないが、字が読み書きできることで自分の娘は後悔のない選択が出来た。

 それだけで、なんだかティアは救われた気がした。

「急にどうしたのお母さん?」

「なんでもないわ……それとユゥン」

「なぁに?」

 首をかしげるユゥンに、ティアは柔らかな笑みを向けた。

「……たまには家に帰ってきなさい。あなたの好きなものの作り方を、忘れてしまうでしょ」

「うん、分かった! また今度帰るね! バイバイ、お母さん!」

 そう言って、肩にしょんぼりしたドゴンを乗せてユゥンは飛び立っていった。

「……またね、ユゥン」

 飛んでいくユゥンを見届けながら、ティアはどこか心が軽くなった気がしていた。

「さて、いったい何が書かれているのやら」

 そして手に持った封筒に視線を落としながら、どこか楽し気な足取りでティアは教え処の中に戻っていた。

 自分の教育方針が本当に合っているかは分からない。

 だが、間違ってもいなかったはずだと、変わらず元気な愛娘を見てティアは確信したのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る