第3話 一枚の想い(前編)

 あれから、何日経っただろうか。

 ぼんやりとした意識の中で、土の壁にもたれ掛かれながらダンはふと考えた。

 鉱山での作業中に落盤事故に遭ってしまい、閉じ込められてからどれほど経ったのだろうと。

 掘削用の道具は全て土と岩の下に埋まって掘る事も出来ず、今いる場所も鉱山のだいぶ深い所なので生きている内に発見されるのは絶望的だろうと。

 自分は、なんてバカだったのだろう。連日の雨が上がったので職場の鉱山に向かおうと家を出ようとした時。

 妻のリサが大丈夫かと心配そうに尋ねて来たのを平気だと笑い飛ばさずもっとちゃんと聞けばよかった、息子のコビーにこのくらいで休んでいちゃ男が廃るなどと変に格好つけるんじゃなかったと。

「あ、ああ……」

 ダンはかすれた声を出しながら薄汚れた作業着の膝を抱えた。

 一度思い出した家族の事が、とめどなく頭の中を駆け巡ってしまったのだ

 リサとはケンカもよくしたが、すぐに仲直りもする仲のいい幼馴染だった。

 そんなリサとお互い大人になって、慎ましくも村中から祝福されて結婚式を挙げた。

 コビーが生まれたのは、結婚して一年経った頃だった。

 生まれてすぐ大きな声で泣いたので、きっと元気な子に育つと二人で喜んだ。

 そしてその期待通りにコビーは元気に、少しヤンチャながらも育ってくれた。

 それだけでも嬉しいのに、村の学び舎で勉強して父親である自分の仕事に役に立つことがしたいなどと言ってくれた。

 それを聞いてもっとあなたも頑張らないとねと微笑んでくれたリサ。

 だったら僕ももっと頑張るよと無邪気に笑っていたコビー。

 もう二人には会えないだろうと、ダンは弱々しくなった力で作業着のズボンの裾を握りしめた。

「すまない……本当にすまない、二人とも……」

 ダンが膝に顔をうずめて家族への申し訳なさと寂しさで今にも泣きだしそうなその時。

「……さ…、………」

 不意に、音が聞こえた。

「? なんだ……?」

 ダンは顔を上げて耳を澄ませてみた。

 普段聞く杭を打つ金槌の音とも、ツルハシの音とも違う。

「も、もしかして!」

 ダンは自分が寄りかかっていた土砂の壁に張り付き、耳を澄ませてみた。

「…ンさ、ます……ダ……」

「あ、ああ……!」

 声だった。

 土砂越しのせいか途切れ途切れで小さいが、人の声が聞こえた。

「こ、ここ、ゴホッ、ここだああああああああ! ゴホッゴホッ! お、俺はここだああああああああああああ!」

 土埃でやられ、水も飲めず乾いて声を出すだけでも痛む喉に構わずダンは叫んだ。

 やっと来てくれた救助に自分に気付いてもらう為なら、喉がどうなろうとも構っている余裕など彼にはなかった。

「ここだ! ここに、ゴホっ、ここにいるぞおおお!」

 いつの間にか土砂を必死に殴り、涙や鼻水を飛び散らせながら必死に叫ぶ姿は、あまりに無様だった。

 しかし、ダンにはもうこの瞬間しか助かる希望はなかった。

 その希望を掴むためなら、自分がどんな姿であろうとも構いはしなかった。

「お、ユゥ…こ…だ」

「ここ…ね!」

 次の瞬間、ダンが叩いていた土砂が破裂した。

「ぬわあ!?」

 いきなりの事でダンは少し吹き飛ばされた。

「あ、居た!」

「だから居ると言っただろ」

 ダンが混乱する頭で破裂した方を見ると、そこには郵便局員の制服を着た竜人の少女と、彼女の肩に乗る緑のフェアリードラゴンが居た。

「どーも、竜人郵便です! ダンさん、大丈夫ですか!」

「ユゥン、ちゃん……あ、ああ」

 ダンが放心状態のまま頷くと、

「それなら良かった! では……」

 そう言うと少女は肩に下げていたカバンから一枚の紙を取り出してダンに差し出してきた。

「お手紙、お持ちしました!」

 ユゥンの行動が、ダンは訳が分からなかった。

 何故救出しに来ていきなり手紙を差し出すのだろうか。

 郵便局員ならそれは当然ではあるが、明らかに状況にそくしていない。

 それに、そもそもなぜ彼女は自分を救出したのかと。

「ああ、ありがとう……」

 とりあえず差し出された紙を受け取ったダンだったが、

「はい、届けられてよかったです!」

 色々な事が頭の中をめぐる一方で、洞窟の中でも眩しいほどの笑顔を浮かべる竜人の少女が、なんだか神話に出てくる天使に見えた。



 ダンが助け出される少し前。

「ええ! ダンさんが行方不明!?」

 鉱山の村へ配達に来たユゥンはある家の前で驚いていた。

「ええ……三日前の落盤事故で、鉱山の中に取り残されて……」

 しかし、ダンの妻であるリサの焦燥しきった顔を見るとすぐに表情を和らげた。

「きっと大丈夫ですよ、他の方たちがきっとダンさんを見つけて……」

 ユゥンの言葉の途中でリサは首を横に振った。

「いいえ、他の人はあの落盤で生きている筈がないって捜索を昨日打ち切ってしまって……でも、私にはとてもそうは思えなくて……」

「当然ですよ! ダンさんは強い人ですから、きっと生きてます!」

「おい、あまり無責任にそう言う事は言うもんじゃない」

 ユゥンが自分の肩に目をやると、いつものようにドゴンは呆れた顔をしていた。

「無責任じゃないよ! この村で一番の力自慢のダンさんは強いよ!」

「力自慢でも、大量の土砂に飲み込まれたらひとたまりもないだろうが」

 ドゴンがそう言うと、リサはみるみるその瞳に涙をため始めた。

「そう、ですよね。それにもう、三日も経っているし、もうあの人は……」

「リサさん……」

 ユゥンはどう言ってリサを慰めようか言葉を選んでいると、

「泣くなよ母さん!」

 不意に、家の中から少年の声が響いた。

「……コビーくん」

 ユゥンが家の中を見ると、何か袋を持ったコビーが険しい顔で立っていた。

「父さんは生きてる! きっと、きっと生きてる!」

「でも、もう……」

「たった三日じゃないか! 三日で父さんがくたばるかよ!」

 子供の故の浅慮さもあるかもしれないが、コビーには自慢の父親が死んだとはどうしても思いたくないようだった。

「……コビー、でも……」

「ああ、もういい!」

 コビーはリサにそう叫ぶと、ユゥンに速足で近づいてきた。

「ん? どうかしたのコビーくん?」 

「お姉ちゃん郵便屋さんなんでしょ、これ、父さんに届けられない?」

 コビーが差し出してきたのは、くしゃくしゃの紙だった。

 そしてそこには一文、『早く帰ってきて』とだけ書かれていた。

「あと、これ」

 更にコビーは持っている袋をユゥンに差し出してきた。

「これは?」

「郵便代、これで父さんにこれを届けて!」

 ユゥンが袋の中を見ると、それには銅貨や銀貨が大量に入っていた。

 おそらくはコビーが少しづつ溜めた彼の全財産であろう事は、誰の目にも明らかだった。

「コビーくん……分かった」

 ユゥンは袋の中から銅貨を一枚つまみ上げた。

「その郵便、引き受けた!」

「おい、馬鹿かお前」

 間髪入れずに罵倒してくるドゴンを、ユゥンは決意に満ちた顔で見た。

「ドゴン」

「なんだよ」

「郵便物を貰った。郵便代も貰った。だったら、私は配達員として、これを届けなきゃ、でしょ?」

「はっ、銅貨一枚で手紙を届けようってか……バカか」

 ドゴンはユゥンの顔を小さな指で指さした。

「いいか、銅貨百枚で銀貨一枚、銀貨十枚で金貨一枚だぞ? 手紙や小包は一つにつき金貨一枚という相場だバカ。計算できるか? 銅貨なら千枚だ、千枚」

「え、そうなの……」

 不安そうな顔になったコビーにドゴンは呆れた視線を送った。

「いやお前は気にするな、自分の全財産で父親を救いたいんだからな。問題はお前だ、ユゥン」

 ドゴンがまた睨むが、ユゥンは変わらず決意に満ちた顔をしていた。

「ドゴン、これを見て」

 ユゥンはコビーから貰った一文だけ書かれた紙をドゴンの目の前に差し出した。

「あ? 小汚いその紙がどうした」

「そう、これは手紙じゃない、紙なんだよ。ただ一言だけ書かれただけの、紙なんだよ。これに金貨一枚なんて、おかしいよ」

 ユゥンの言葉に、ドゴンは眉間にしわを寄せた。

「お前、手紙を根本から否定する気か?」

「違う、これは手紙じゃないって事。手紙にはたくさんの想いが詰まってるけど、これはただお父さんに帰ってきてって気持ちと言葉しか書いてない、ただの紙だよ。このただの紙に金貨一枚もの値段があると、ドゴンは思うの?」

「……お前」

「…………」

 ユゥンがジッと見つめてくるので、ドゴンは静かにそれを見つめ返した。

 そして数秒すると、舌打ちしながら目を逸らした。

「ちっ……三日だ」

「三日?」

 ドゴンが謎の日にちを言うのでユゥンが首を傾げると、彼はその小さな手の指を三本立てて見せた。

「三日分の昼飯を奢れ。それで探してやる」

 ドゴンの答えと共に、ユゥンは彼を両手で掴んだ。

「な、なにを……!」

「ありがとうドゴン!」

 そして頬ずりしてくる相方に、ドゴンはされるがままになっていた。

「ああもう、分かったからさっさと行くぞ。時間が惜しいからな」

「それもそうだ!」

 ユゥンの手から解放されると、ドゴンは彼女の肩に止まりなおした。

「ふう、おいリサ」

「……え、あ、はい」

 そして一部始終をただオロオロと見ていたリサを不意に呼んだ。

「あまり期待はするなよ、お前の旦那はまだ生きてるかも分からないんだからな」

 ドゴンの言葉にリサは目を伏せた。

「そうです、けど……」

「だがな」

 ドゴンは尻尾でユゥンを指した。

「さっきのこいつの言葉じゃないが、お前もダンの強さを信じてやれ」

「……はい」

 まだ目に涙は残っているが、リサの表情に僅かばかりの強さが戻ったようだった。

「さて、行くぞ」

「うん!」

 ユゥンはそう答えると同時に、空へと飛びあがっていった。

「……大丈夫、だよね?」

 家の前に残されたコビーが不安げにそう漏らすと、

「大丈夫、あの人たちを信じましょう」

 その手を強く握り返し、リサは空を見上げていた。


【続く】

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