第2話 親子の手紙

「んー……困ったなー」

 ユゥンはこめかみ辺りを左手で掻きながら、能天気な口調で呟いた。

「ねえ、リコちゃん? どうしても……」

「だ、ダメ!」

 改めてそう言われ、ユゥンは玄関ドアに隠れながら困った顔をしている十歳にも満たない赤い癖毛の少女に苦笑を向けた。

「ダメかなー?」

「うん、ダメ……悪い人から物を貰っちゃダメってお父さん言ってた……」

 少女――リコの言葉に、ユゥンは右手に持っている封筒を彼女に見えるように差し出した。

「私は見てのとおりただの郵便屋さんだよ? 全然悪い人じゃないよ?」

「だって、竜人は悪い人だってお父さん言ってたもん!」

 それを聞いてユゥンはこめかみを掻いていた手で額に触れて「あちゃー」と漏らした。

「トルサさんがそう言っちゃったかー。まいったなー」

 リコの父親であるトルサは元軍人で、かつてあった戦争で竜人とも戦っていた経歴を持っている。

 そのせいで竜人が行っている郵便を受け取らない事が多々あるので、彼が農作業に行っている時間帯を狙って配達に来たのだが、まさか娘のリコに貰うなと言っているとはユゥンは思っていなかった。

 しかも、トルサの妻であり、リコの母親であるマーサは既に病気で他界しているのでそれを止める者はいないのだ。

「困ったねー」

「何を困ることがある」

 そう言うとユゥンの肩に居たフェアリードラゴンのドゴンはリコの前に顔を突き出した。

「いいか嬢ちゃん、確かに竜人はお前の親父が経験した戦争でかなりの被害を出しまくった……危険で、馬鹿で、どうしようもない種族ではある」

「あはは、間違っているとは言い切れないけど、言い方がちょっとなー」

 ユゥンが苦笑いをしているのも構わず、ドゴンは続ける。

「だがな、戦争をしていたのはもう二十年も前の話だ。終戦してからはこの能天気娘みたいに、その無駄に頑丈な体と空と陸を行ける機動力でせっせと配達をする奴らが殆どだ」

「でも、お父さんが……」

 リコが繰り返し言おうとすると、それを遮るようにドゴンは続けた。

「お前の親父は確かに軍人だったから竜人に良い感情は持ってないだろうけどな、もうとっくの昔にイザコザは終わってんだよ。だからいつまでも昔の事を引きずっている親父の言う通りに郵便の受け取りをごねてないで、さっさと受け取れ」

「でも、でも……!」

 ドゴンの言葉に泣きそうになるリコに、ユゥンは屈んで目線を合わせた。

「ねえリコちゃん、このお手紙、誰からだと思う?」

「……わかんない」

 リコがそう言うと、ユゥンは微笑みを浮かべた。

「これはね、あなたのお爺ちゃんから預かった手紙なの」

「おじい、ちゃん?」

 扉から少し身を乗り出して不思議そうな顔をするリコにユゥンは頷いて見せる。

「そう、あなたのお爺ちゃん。そしてこれは、トルサさんと仲直りしたいっていう手紙なの」

「お父さんと、仲直り?」

 ユゥンは再び頷いた。

 細かい事情を知っているわけではないが、トルサは自ら志願して軍に入ったらしく、そのせいで父親――つまりリコの祖父と仲違いをしているらしいのだ。

「トルサさんとあなたのお爺ちゃんに何があったかは知らないけど、ずっとケンカして顔を合わせてなかったんだよ――でも」

 そう言いながら、ユゥンは封筒を差し出した。

「こうして仲直りしたいって手紙を書いたから、私は持ってきたの」

「……おじいちゃんが?」

 リコが祖父についてどう聞いているか知らないが、少なくとも手紙に何か特別な意味を見出したのか、その封筒を注視しだした。

「うん、これで仲直りできるかは分からないけど、きっかけにはなると私は思うんだよ。だから、良ければ受け取って欲しいな」

「えっと、えっと……でもお父さんが貰うなって……」

 戸惑うリコを見て、ユゥンも困った顔になってくる。

 リコが父親の言いつけを破りたくない気持ちは、彼女にもよく分かるのだ。

 何故なら、ユゥンも父親が大好きだからである。

 大好きな父親の言葉を裏切りたくないリコの気持ちは、ユゥンには痛いほど分かった。

「んー、お父さんの言う事は聞かなきゃいけないけど、この手紙も受け取らなきゃいけない……困ったね」

 二人の少女が困り顔をしていると、その様子を見てドゴンが溜息をついた。

「はあ。もう強引に渡しちまえよ。俺達は郵便を届けるのが仕事なんだぞ?」

 ドゴンが急かすようにそう言うと、

「……それだ!」

 ユゥンがいきなり大きな声を出したので、ドゴンとリコは驚いた顔で彼女に注目する。

「な、なんだ、いきなり大声出しやがって……」

「ねえドゴン、私達って手紙を届けるのが仕事なんだよね?」

 確認するようにそう尋ねるユゥンに、ドゴンはわけも分からず首肯する。

「ああ、だからそう言っているだろう」

「でもリコちゃんはトルサさんから私から貰っちゃいけないって言われているんだよね?」

 リコにも確認するように尋ねると、彼女も戸惑った顔のままで頷く。

「う、うん」

「だったらさ」

 そう言うと、ユゥンは持っていた封筒を地面に置いた。

「私はここにから、リコちゃんはこれをくれる?」

 ユゥンの言葉に、ドゴンはなるほどと思った。

 確かにこれなら、とは言えない。

「え、でも……」

「私からは貰ってないでしょ? だから大丈夫!」

 ユゥンが笑顔でそう言うと、リコはゆっくりと玄関扉から出てきて、恐る恐る地面の手紙を拾った。

「だ、大丈夫、なんだよね?」

「大丈夫! だから今度は、リコちゃんがそれをトルサさんに届けてね」

「わたしが?」

 首をかしげるリコに、ユゥンは先ほど手紙を置いた地面をつついた。

「うん、私はここまでしかその手紙を届けられないから、トルサさんには手紙を届けられない……だから」

 ユゥンは地面をつついた指でリコを指差した。

「お爺ちゃんの大事な手紙を、大切な言葉をトルサさんに届けてね。小さな郵便屋さん」

「……うん!」

 リコが笑顔で頷き、それにつられてユゥンも笑顔になっていると、

「リコから離れろ!」

 不意に大声が響き渡り、二人と一匹は驚いて声のした方を見た。

 そこには、オーバーオール姿で農作業用のフォークをユゥンに向ける、怒りに満ちた表情のひげ面の大男がいた。

「お、お父さん! ダメだよ! この人は……!」

 リコが慌ててユゥンを庇おうとすると、ユゥンはそれを手で制した。

「こんにちはトルサさん、お元気そうで何よりです」

 ユゥンが笑顔で挨拶をするが、トルサは彼女を睨みながらフォークを向けたままだった。

「いいからその子から離れろ、この化物!」

「はい、ご希望とあらばそうします」

 トルサの怒号に従い、ユゥンは立ち上がってリコから離れた。

 それと同時にトルサはリコに駆け寄り彼女を左腕で抱きしめたが、右手に持ったフォークはまだユゥンに向けていた。

「大丈夫かリコ! あいつになにもされなかったか?」

「お、お父さん痛い……」

 リコがそう言うと、ユゥンの肩でドゴンが鼻で笑った。

「ハッ、おいおい、娘が痛がっているぞ、お父さん?」

「黙れ、この猛獣が!」

 怒鳴るトルサの言葉に、ドゴンは嘲笑を浮かべた。

「猛獣ねえ、まあお前ら人間からすれば喋ろうが何しようが俺らは獣に違いないが……果たして今どっちが猛獣なんだか」

「ドゴン」

「……フン」

 ユゥンが寂しそうな笑みを浮かべてたしなめると、彼はその顔を見て不機嫌そうに顔を逸らした。

「それじゃあトルサさんにリコちゃん、失礼しました」

 深々とお辞儀をし、リコに小さく手を振ってからユゥンは翼を広げて空へ飛び去って行った。



「……ふう、行ったか。さて」

 トルサはフォークを地面に置きながら緊張を解き、リコを自分に向き直させた。

「大丈夫だったか、あいつからなにかされてないか?」

 両手で肩を掴みながら彼はリコに問いただしたが、彼女は悲しそうに父親を見上げていた。

「大丈夫だけど……お父さん、なんでそんなにあの人が嫌いなの?」

 娘の問いに、トルサは真剣な顔で答えた。

「あいつが竜人だからだ。竜人は、恐ろしいんだ……」

 そう言う彼の脳裏に、二十年前の戦争の様子が蘇る。

 人間に虐げられていた獣人が結束して反旗を翻したことで起こった戦争。

 世の歴史学者が呼称するに――人獣戦争。

 その人獣戦争の火の粉が自分の村や両親に振りかからないよう、父親の静止も振り切って二十歳前という若さに任せてトルサは兵士となった。

 そしていくつかの戦地を経験した中に、決して忘れられないものがあった。

 それは、ある戦地での追撃戦。

 こちらはそれぞれが剣や槍を武装し、甲冑で身を固めた百人の中隊。

 負傷した獣人の部隊を追撃して仕留めるという任務中の自分達の前に立ちふさがったのは、簡易的な鎧に手ぶらという軽装備の竜人たった一人。

 どう見ても無謀な行為で、こちらとしては路上の石ころをさっさと蹴飛ばして追撃をしようというくらいのつもりだった

 しかし、結果から言えば……追撃は出来なかった。

 何故ならそのたった一人の竜人に、武装した百人が戦闘不能にされたからだ。

 竜人が特に強力な獣人だと言うのはトルサも知っているつもりだった。

 しかし、剣を容易くかわし、槍を受けても物ともせず、十人をまとめて投げ飛ばすほどの怪力など、想定外だった。

 大怪我を負ったり骨を折ったりした者も居たが幸いトルサを含め、が、今でも思い出すとトルサは体の芯から震えてしまう。

 あんな化物の同類を、家族に近付けさせるなんてとんでもない。

 もしもリコに何かあったら、死んだ妻のマーサに申し訳が立たない。

 だから近づかないように、トルサはリコには竜人は悪者だと言い含めているのだ。

「……ん? リコ、何を持っているんだ?」

 追憶の彼方から戻ってきたトルサは、リコが何か持っていることに気付いた。

「これは……」

 一瞬言いよどんだリコだったが、意を決したように持っている封筒をトルサに差し出した。

「おじいちゃんからの、手紙!」

 それを聞いて、トルサは思わず目を見開いた。

「それを、誰から貰った……」

「貰って、ない。拾ったの、ここで拾ったの! 嘘じゃないよ!」

 地面を指差しながら必死にそう訴えるリコを見つめ、トルサは重々しく口を開いた。

「そうか、拾ったか」

 トルサは自分の娘が嘘を言うような子じゃない事をよく分かっているつもりだ。

 なので、拾ったと言うなら、その通りなのだ。

 かつて父親の静止の言葉を聞き入れずに戦場へ行った愚かな自分ではなく、自分が死ぬ間際でも自分とリコを心配してくれた、強く優しい妻そっくりな子なのだから。

「拾ったのなら、しょうがない」

 その封筒を見ながら、トルサは呟いた。

 これをあの竜人の娘が持ってきたことは、当然のように察することができる。

 ここまで届けてくれた事に、トルサも素直に感謝の気持ちがある。

 だが、彼の中にある竜人への恐怖が――百人を相手取りながらも圧倒したあの竜人の強大な力が大事な娘の近くにいると思うと、どうしようもなく怖いのだ。

 なので、決して娘には近づけさせないという決意は揺るがない。

 しかし、それでも……長年連絡も取らなかった馬鹿息子に、戦場へ行く最後まで必死に引き留めてくれた父親からの久々の手紙を届けてくれたことに感謝を感じないほど、彼は愚かではなかった。

「どれ、見せてみなさい」

 トルサはリコから封筒を受け取り、その中から一枚の便箋を取り出した。

 幸い、軍人だった彼には同世代では珍しく、字の読み書きは出来た。



「ったく、気に入らんな、あのひげモジャ」

 空を飛んでいる最中、ユゥンの肩でドゴンはそう愚痴った。

「しょうがないよ。トルサさんはリコちゃんがなによりも大切なんだから、自分に重傷を負わせた竜人に近付けさせたくないんだよ」

「それを分かっていくお前もお前だ。いくら速達だからと言っても、自重というものを知らんのか?」

 ドゴンが呆れながらそう言うと、ユゥンは「えへへ」と笑った。

「いやほら、私も一応トルサさんに直接言わなきゃいけない事あったし」

 ユゥンの言葉を受け、ドゴンは彼女を呆れた顔で見た。

「……言わなきゃいけないなあ、俺としては黙っているのがいいと思うぞ」

「そうかな? ちゃんと言った方がいいと思うんだけど?」

「止めとけ。なんて言ったら、もう二度と郵便を受け取らねえぞ」

 ドゴンの言葉に、ユゥンは腕組みした。

「んー、でも……ごめんなさいって、いつかちゃんと謝りたいんだよ」

「……親が親なら、子も子か」

「ん? それってどういう事?」

 ユゥンが尋ねると、ドゴンは更に呆れた顔で彼女を見た。

「戦争で一人も殺さなかった奴からは、やっぱり似たガキしか生まれないってことだ」

 ドゴンの言葉に、ユゥンは自分の後頭部を触りながら顔を赤らめた。

「いやはや、照れるなー」

「いや、全然褒めてねえぞ?」

 そんな会話をしつつ、一人と一匹は次の配達先へ飛んで行った。

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