26:終焉

(……悔しい)

 視界がぼやける。

 悔しいと泣いたマリアの気持ちがいまならわかる。

 無力な希咲は何もできない。

 リングリールの歩みを止めることも、戦うことも、何も。

 悔しくて、情けなくて、涙が溢れて止まらなかった。

 ぽたん、とその雫の一つが昴の頬に落ちて跳ねた。

「うぅ~っ」

 希咲は顔を伏せて泣きじゃくった。

「どうしよお、昴、このままじゃ、リュカが、私、なにもできない、なにもっ……」

 ひくっ、としゃくりあげる。

 一ヶ月の努力なんて、絶対的な力の前では何もならない。

 昴がトドメを差しておけばこんなことにはならなかった?――違う。彼は悪くない。

 ここがPRGみたいな仮想世界なら良かった。

 邪悪なモンスターはみんな紛い物で、倒せば都合良く消えてくれて罪悪感も残らない。

 でも、ここは純然たる現実なのだ。

 相手がどれだけ卑劣で最低な魔族でも、人間の姿をしたものを殺すなんて誰でもためらうに決まってる。

 希咲だって彼の立場だったら、きっと一度は機会を与えていただろう。

 改心を願ってしまっただろう。

「~♪」

 リングリールが鼻歌など歌いながら戻ってきた。片手にした大鎌をバトンでも回すように気楽にくるくると回転させながら。

「マリアに謝るって、帰るって言ったくせに、うそつき……っ」

 涙目で睨みつけると、リングリールは鼻で笑った。

「そんな約束信じるほうがどうかしてるのよ。さあ、手ぇ出して」

 促されて、リュカが右腕を差し出し、思い直したように引っ込めた。

 袖を伸ばしたままでは疑われるかもしれないと思ったのだろう。

 袖をまくって、改めて差し出す。

 右腕の紋様は闇の中で仄かな赤い光を放っていた。

「そうそう、これよこれ。パパの右腕とおんなじだぁ。懐かしいなぁ、じゃあもらうね♪」

 リングリールは目を細め、大鎌を振り上げた。

 興味本位で触らせてもらったこともある、リュカの右腕。

 その腕が切り落とされ、血が飛び散る未来を想像して目を瞑る。

 ぎゅっと強く閉じた拍子にまた涙が零れた。


「そう簡単にやらせると思うなよ」


 ――と。

 下から声が聞こえて、希咲は目を見開いた。

 いつの間にか昴が目を開けて、倒れたまま片手をリングリールに向けて突き出していた。

「すばっ……」

 希咲の歓喜の声は、昴の呪文にかき消された。

雷光サンダーボルト!」

 ぎゃっという短い悲鳴があがった。

 見れば、リングリールは突っ伏して痙攣している。

 あの様子なら数秒は身動きが取れないだろう。

 雷の魔法をまともに喰らったらしい。

 昴は手をついて上体を起こし、手の甲で血で汚れた口元を拭った。

 身体から青いオーラが立ち上っている。

 希咲の目にはそれが青い炎のように見えた。

「腕を切り落とすとか、マジ勘弁。スプラッタが大の苦手の奴の前でさ。叫ぶとうるさいんだよ?」

「スバル!?」

「スバル、さまっ!?」

 リュカたちの声が視界の外から聞こえた。

 二人とも仰天している。

 だが昴は無視した。

 いや、ひょっとしたら聞こえていないのかもしれない。

 ふらふらと危なっかしくよろけながら立ち上がり、噴き上がるような激怒の眼差しでリングリールを貫く。

「あーそうだな、お前の言うとおり、トドメを差さなかった俺が悪い。そういう甘いとこは師匠マリア譲りみたいでね。でももういい。お前がどういう奴かはよくわかったし、お前は希咲を泣かせた。それだけで殺す理由には充分だ」

「えっ?」

 思いがけない言葉を聞いて驚いたのはわずかな時間だった。

 彼の身体から血が滴り落ちるのを見て、縋るように問う。

「大丈夫なの? 魔法使って、ほんとに平気? 死なないよね?」

 昴は答えず、どういう意味なのかわからない微苦笑を浮かべた。

「?」

 困惑していると、精神統一のためだろう、昴は深呼吸した。

 彼の全身が眩いほどの青い光を放つ。

 重病人みたいな顔色で、それでも彼は毅然と前を向き、唱え始めた。


「世界を構成せし四大元素エレメントの王、

 炎の精霊《フェニクス》よ」


 持ち上げた指先に光が灯り、沸き起こった風に彼の髪が靡く。


あかき五芒星の導きを以って、

 大いなる力の一端を此処に示せ」


 昴の周囲を光の粒子が踊り、差し伸べたその手の先に凄まじい速さで魔導式が構築されていく。

 いや、違う。

 魔導式が構築されているのは彼の手の先の一箇所だけではなかった。

 彼の斜め上、下、横、背後。

 いくつもいくつも、たくさんの魔導式が踊っている!

(……嘘)

 希咲は目を剥いた。

 どんな魔法でも、対応する魔導式は一つだけだ。

 魔法の難度が上がるほど魔導式はより長く複雑なものになるが、それでも、同時に複数の魔導式を構築することなんてありえない。

 加えて、彼が唱えている呪文もいつもの断片的な文章で構成されたそれではなかった。 

(これは、これだけの魔導式を必要する魔法は、何? こんなの、私は知らない――)

 疑問の答えは、リングリールが教えてくれた。

「冗談……冗談でしょ? 禁呪ですって? なんで……、そうかっ、機械人形、あんたが教えたのね!?」

 リングリールが顔色を青ざめさせて、あたふたと上体を起こした。

 感電してうまく身体を動かせないらしく、その動きは滑稽ですらあった。

 リュカがマリアを抱え、こちらへと退避しようとしている。


「過去は我が右眼に。

 未来は我が左眼に。

 始まりは我が左手に。

 終わりは我が右手に」


 呑気に見ているわけにはいかない。

 昴の詠唱を聞きながら、希咲もそちらに向かい、手を貸した。


「さらば吼えよ、滅びの嘆きを。

 刹那に潰える命が為に――」


 無数の魔導式は昴の周囲を取り巻き、膨れ上がっていく。

 魔導式が放つ光で昴の全身が照らされ、神々しくすらあった。

 膨大な魔力に大気がびりびりと震える。

 マリアの身体の部品や神剣を抱えたリュカとともにマリアを担いで歩きながら、希咲はその奇跡に釘付けになった。

「なんで、なんでよ、究極魔法を使うには、魔導士が五人は必要なはず……!!?」

 リングリールの顔は真っ青だ。

 同情の余地はない。

 昴がせっかく与えたチャンスを棒に振ったのは彼女自身なのだから。


きたれ、熾天の焔!

 大地を砕き、空を引き裂け!

 光と共に凱歌を上げよ!

 我に仇なすもの全てに等しく終焉を与えん!」 


 その叫びと同時に、魔導式が結合し、見たことのないほどに巨大な魔法陣となった。

 詠唱通り、あかい光で構成された魔法陣は直径十メートルはある。

 規格外の大きさでありながら、その内部に書き込まれた呪文もまた精緻。

 発動すればどれほどの威力を誇るのか、想像もつかない。

 希咲たちが昴の元へ引き返した直後、昴はその発動呪文を唱えた。


とがいだいて無へと還れ――

 ジャッジメントフレア!!!」


 巨大な魔法陣から煉獄を思わせる業火が濁流となって飛び出した。

 町一つを軽々と飲み込む大津波のようだ。

 避けるなんて不可能、どれだけ速く走ったところでこの圧倒的な炎の質量からは逃れられない。

 成す術もなくリングリールは炎の顎に飲み込まれ、断末魔をあげてこの世から骨も残さず消滅した。

 下草も美しい花々も何もかもを飲み込んで蒸発させ、畑を一面荒野と化して、ようやく炎は消えた。

 ただ一度の魔法により、視界の全てが焦土になってしまった。

「…………」

 あまりの威力に唖然としていると、隣で昴の体が傾いだ。

「昴!? うわっ」

 慌ててマリアから手を離し、昴を支えたが、弱った身体では支えきれなかった。

 もろともに倒れそうになり、なんとか膝をついて彼を抱きとめることに成功する。

 マリアもリュカも急いで傍に寄って来た。

 皆が不安げに見守る中、昴はぐったりと脱力している。

 到底動けるような状態ではなかったのに、こんなぼろぼろの身体で、それでも彼は皆のために戦ってくれた。

 止まっていたはずの涙が再び溢れ出し、もう止まらなかった。

「スバル!」

「昴、昴!? 死んじゃだめよ!?」

 叫んだリュカに続いて、泣きながらそう言うと、

「……ずるいなぁ」

 希咲の腕の中で目を閉じ、掠れた声で昴はそう言った。

 口元が小さく歪んでいる。

「え?」

 きょとんと目を瞬く。

「そんな顔されたら、死ねないじゃん」

 彼はふらっと頭を傾かせ、希咲の肩の上に載せた。

 彼の髪が頬をくすぐる感触と、その体温。

 ――心臓が、どきんと跳ねた。

「……でも、もう限界。死なないけど、寝かせて」

「……うん」

 できるだけ傷に障らないように苦心しながら彼を下ろし、膝枕する。

 仰向けになった彼と目を合わせて、

「お疲れ様」

 涙を湛えたまま、微笑む。

「ほんとに、……本当に、ありがとう」

 顔をくしゃくしゃにした、泣き笑いの状態でお礼を言うと、傷だらけの昴はなんだかとても満足そうに笑い返して――意識を失った。

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