25:「私はここで死を選ぶ」

「昴!」

 希咲は彼の元へ急いだ。

 彼の傍に膝をつき、安否を確かめる。

(酷い傷……)

 改めて見ると、あまりの惨状に目を背けたくなった。

 胴を斜めに走る大怪我に加えて、腕や足、身体中あちこちに裂傷が走り、服には血が滲んでいる。

 顔色は紙のように白かった。俯いて動かない。

 口の端から血を零したまま、昴が、動かない。

 あまりのことに視界が眩み、心臓が恐怖で縮み上がった。

「昴、昴!!」

「へえ? もしかしたら、とは思ったけど、まさか本当に割り込んでくるなんて、仲間思いねぇ。全く泣けるわぁ」

 場違いに明るい声に、希咲はきっとそちらを睨みつけた。

 リングリールは射殺すような希咲の強い眼差しにも全く構うことなく、大笑いした。

「きひ、きひひ、きひひひひひっ! 良い気味だわ、ばぁかばーか!! このあたしをコケにしてくれた罪は重いのよ!! あんたさぁ、思いっきり蹴っ飛ばしてくれたわよねぇ? その借り返しとくわっ!!」

 リングリールが助走をつけてまで昴を蹴飛ばそうとした。

 希咲はとっさに割り込んで彼を庇い、背中に重い一撃を喰らった。

 背骨が折れたかと思うような衝撃とともに、昴と吹き飛ばされ、地面を転がる。

「…………っ!!」

 痛くてすぐには起き上がれなかった。内臓が傷ついたらしく、咳き込むと血が出て自分でもびっくりした。

 リュカが「キサキ!!」と悲鳴みたいな声で自分の名前を呼んだ。

 それでも呑気に倒れていられない。

 自分よりも昴のほうがダメージは深刻なのだ。

 こんな攻撃を受けたら本当に昴は死んでしまう。

 地面に手をついて無理やり上体を起こす。

 身体が小刻みに震え、視界が霞んでいる。

 それがどうした、知ったことかと自分を叱咤し、必死で地面を這う。

 希咲の視線はほんの一メートル先、横向けに倒れている彼だけを映していた。

「すばる……っ」

 彼の元に辿り着き、がくがくと揺れる腕を突っ張らせて上半身を持ち上げた。

 血の臭いが鼻をつく。

 吹き飛ばされたせいで傷口が余計に開いてしまったらしく、じわっと彼の身体から赤い液体が広がっていく。

 この出血量は――まずい。

「昴、お願い……返事して」

 彼の頬に手を当てる。

 けれど、反応はなかった。

 瞼はぴくりとも動かない。

 かろうじて上下している胸が彼の生存を教えてくれたが、それだけだった。

 地面の血溜まりはもう無視できないレベルまで広がっている。

「自分の心配したらどう?」

 声をかけられて、希咲はきっと顔をあげた。

 酷薄な笑みを浮かべ、死神のようにリングリールがそこに立っている。

 愛らしいその顔は、けれどもう悪魔にしか見えなかった。

「やぁだ、怖い顔。でもその怒りは見当違いだよ? 元はといえばさぁ、きっちりトドメ差さなかったそいつが悪いんだから。さあて、どきなさい、邪魔よ。死なれる前にそいつから目を抉っておかなくっちゃいけないの」

「……目を、抉る……?」

 残虐極まりない言葉を耳にして、喉が干上がった。

 そういえば、こいつはさきほど「魔王のこともあんたの目も諦める、おとなしく帰る」と言っていた。

 あのときは意味がわからなかった――わかりたくもなかった――ために聞き流していたが、リングリールは本当にそのつもりだったのか。

 リュカの右腕を切り落とし、昴の右眼を抉って、その能力を自分のものにしようとしているというのか。

(悪魔なんて可愛いものじゃないわ……こいつは

 体温が一気に奪われたかのように、寒い。

 身体の芯が凍えて死んでしまいそうだ。

「そうよ、そいつの目と、魔王の腕を奪ってリングのものにするの。どうせそいつはもうすぐ死ぬし、どっかの馬の骨が継承するくらいならリングが有効活用してあげるって言ってんの。わかった?」

 リングリールはにっこり笑った。見た目には天使としか映らない笑顔で。

「わかったらそこをどきなさい」

「…………」

 希咲は退かなかった。

 そればかりか、両手を広げ、昴をリングリールから守ろうとした。

 決意の炎を灯した希咲の瞳を見て、リングリールの気配が張り詰めた。

 笑顔はそのままに、怒気が膨れ上がる。

「邪魔って言ってんのよ。そんなに殺されたいの?」

「…………」

「いまなら見逃してあげるよ? あんたに用はないもの。命が惜しいなら無様に尻尾巻いて逃げなさい」

「逃げないわ」

 断言する。

 希咲にはリングリールに対抗できるほどの力はない。戦おうとしたところで、勝負にもならず、一方的に蹂躙されて終わるだけだ。

 彼女の気分次第で自分など一瞬で殺されてしまうだろう。暴風の前の塵のように。

 でも、逃げるという選択肢は端から存在しなかった。

「彼を見捨てるくらいなら」

 ――そうだ。

 自分たちのために命懸けで戦い、いまもまた自分たちを庇って傷ついた彼を見捨てるくらいなら。

 あの笑顔を永遠に失うことになるのなら。

「私はここで死を選ぶ」

 昴はその選択を望まないだろう。もし意識を保っていたら逃げろと言ってくれたはずだ。

 でも、たとえ昴が許しても、希咲自身が許せない。

 傷ついた彼やマリア、自分が名づけたリュカを見捨てて、自分だけ生き延びるという選択肢だけは絶対に取れない。

「あっそう」

 リングリールは呆れたような顔をして、肩を竦めた。

「50年前にもいたわねー、あんたみたいな奴。見逃してやるって言ってんのに嫌だ、恋人や家族と一緒に死ぬってでも動かなかった馬鹿。まあ全員お望み通りにぶち殺してあげたけどさ。ここにも馬鹿がいたわ」

 リングリールの周囲に魔導式が踊る。

「…………!」

 これからわが身に起きるであろう最悪の出来事を覚悟して、希咲は震えた。

 わずかに引き攣った希咲の顔を見て、リングリールの顔が喜悦に歪む。彼女は根っからの殺人狂だ。人が恐怖する様を見て楽しんでいる。

 唇を噛み締め、死の恐怖に抗う。

 強く在ろうと努力する。

(逃げないわ)

 睨み付けることしかできないのなら、最後まで睨みつけて死んでやる。それが希咲の矜持だ。

「あんたみたいな最低な奴に、私は死んだって屈しない」

「きひひひひっ。別にいいわよ、リングはただぜーんぶまとめて肉塊にするだけだもの――」

 リングリールの周囲を踊っていた魔導式が結合し、希咲の目の前に魔法陣が開く――

「待て!」

 何らかの魔法が発動する寸前で、左手で声が上がった。

 邪魔されて興ざめした、という顔で、リングリールがそちらを向く。

 希咲も視線だけ動かしてそちらを見た。

 そこにはリュカが立っていた。

「お前の狙いは我なんだろう? 腕はやる。だからキサキは傷つけるな。スバルの目も諦めろ」

「えー、やだよ――」

「拒否するなら我はここで死ぬ」

 自分の胸に手を当てたリュカの宣言に、リングリールは片眉をあげた。

「……へえ、そう来たか。確かに自殺されたら困るわねぇ」

「リュカ、さま、そんな!」

「マリア。この状況で何か言えるのか」

 リュカの静かな声に、マリアはぐっと言葉を飲み込み、俯いた。

「スバルとキサキは本来ならこの場にいるはずのなかった人間だ。それなのにスバルは我やマリアのために戦ってくれた。キサキもスバルを庇って死のうとしている。だったら……ならば、我ができることなんて一つしかないだろう」

「だめよリュカ! そんなのだめ――!」

「いいんだ。わかってくれ。我は右腕よりもキサキたちが死ぬことのほうが恐ろしい。スバルのために命を懸けようとしたお前ならわかるだろう?」

「…………」

 リュカの笑顔に、希咲はそれ以上何も言えなくなった。

 リュカも同じなのだ。誰一人死んで欲しくないと思っている。

 だから、皆のために、腕を差し出そうとしている。

 そんな悲壮な覚悟を見せられては、何も言えるわけがない。

 マリアが泣いている。

 片目から涙が零れ落ちて、地面に降り注ぐ。

 リュカはそんなマリアを見て、申し訳なさそうに笑った。

「……すまなかった。みんな……我の覚悟が足りなかったせいで、酷い目に遭わせてしまった。でも、もういい。ありがとう。右腕を……失うくらい、平気だ」

(嘘だ)

 反射的にそう思った。

(腕を切り落とすんだよ? 物凄く痛いに決まってるじゃない。怖いに決まってるじゃない。笑わないでよ。見てるこっちが悲しくなるじゃないの)

 そんなことしなくていいと言いたかった。そう叫びたかった。

 もしリュカが右腕を差し出したところで、こいつがそれで満足して帰る保証なんてどこにもない。その残忍な性格上、恐らく皆殺しにしようとする。

 止めるべきだとわかっている。

 ――でも、状況がそれを許さない。

 吐き出し損ねた言葉がぐるぐると胸の中で渦を巻く。

 手酷く蹴られた背中が痛い。

 気持ち悪くて吐いてしまいそうだった。

「『右眼』も欲しいけど『右手』のほうが欲しいもんなぁ。わかったよ、『右眼』もそのおねーさんのことも諦めてあげる。だから自殺なんてしないでよ」

 そこで、ようやく希咲の目の前に浮かんでいた魔法陣が消失した。

 リングリールはリュカに向かって、片手をひらひらと振った。

「じゃあ準備するから、おとなしく待っててね。あ、そうそう、ひとつ警告しとくよ。逃げたり抵抗するそぶりを見せたら……今度こそ殺すよ?」

 リングリールは凄絶な笑みを見せてから歩き出した。

 目的はもちろん、離れたところに転がっている大鎌を取りにいくためだ。

 リュカの、綺麗な文様が浮かび上がる右腕を切り落とすためだ。

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