13:時には夢を語ってみたり

 昴との実力差を改めて思い知らされてから、二日後。

「明日ここを発つのか?」

 穏やかな昼下がりのティータイム。

 マリアが用意してくれたハーブティーを飲みながら、明日『檻』を出ようと思っている旨を伝えると、竜の子――希咲命名・リュカは驚いた顔をして、尖った耳をぴんと震わせた。

 リュカの隣にいるマリアは何も言わない。

「お二人とももう実力は十分です。この『檻』から出て行っても大丈夫でしょう」――おとついの手合わせの結果を見て、そう太鼓判を押してくれたのは彼女だ。

 近いうちに希咲たちがそう言い出すのは予想の範囲内だったのだろう。

「うん。昴が風の魔法を使えば、飛んで穴から障壁を抜けられるって言ったの」

 人差し指で頭上を示してみせる。

 昴が上級の風魔法『飛翔フライ』を習い始めたのはつい昨日のことなのだが、もう彼のハイスペックぶりには驚かないことにした。

 彼は『なんでもあり』――それを神に許された選ばれし者なのだ、きっと。

「私も昴ほどじゃないけど、剣は使えるようになったわ。これなら『檻』の外にどんな魔物がいてもなんとかなるってマリアも言ってくれたの。とりあえず『鏡』があるっていうエレント王国の王都ブランディアを目的地にして、ついでに色んな場所を見て回るつもりよ。焦っても仕方ないし、気長に行くわ」

『檻』に落ちた当初は一刻も早く元の世界に戻らなければと焦っていたが、時間が経つにつれて段々とその焦りは弱くなっていった。

 なんのことはない。

 希咲がこの生活に馴染み、気に入ってしまったからである。

 自給自足の生活は大変だが――正直にいうと、いまでも野鳥や家畜の解体は苦手で、スーパーにいけば何の苦もなく肉が手に入る現代社会のありがたさを思い知った――朝陽とともに目覚め、畑や家畜の世話を手伝いつつ、自己鍛錬に励むのも悪くない。

 寝食を共にしていく間に、マリアもリュカも家族同然のようになった。

 何より一番の理由は昴だ。

 巻き込んでしまった彼のために早く帰らねばと思っていたが、彼自身が帰ることに執着していないことがわかり、なんだか拍子抜けしてしまった。

 無事に戻れるかどうかもわからないが、もし何年かかかって最悪、高校が退学扱いになっていたとしても、幸い希咲も昴も頭が良い。

 努力すれば大検を取って大学に行くこともできるだろう。

 それに、希咲には元の世界に戻る前に寄り道して調べたいことがあった。

 昴が宿す『女神の右眼』についてだ。

 昴は時々右目を押さえるような仕草をした。

 疼くことがあるらしい。

 反射的に「目が疼くなんて典型的な中二病じゃない」と思ってしまったが、彼の目は思春期にありがちな自己愛による妄想の産物なんかではなく、本当にこの世界の女神の能力を宿す特別な眼なのだ。

 万が一病気だとしたら、治す手がかりはこの世界にしかない。

 昴は病気という感じじゃない、と言っていたが、気になる。

「昴の目についても調べたいの。疼く原因を突き止めて、できれば解決したいわ。リュカも昴の目を見てるとなんだか不思議な気持ちになって、腕が熱くなったりするんでしょ?」

「まあな。どこか懐かしく、強烈に惹かれるような感じはあるな。元々、同じ女神の持つ能力だったから当然なのかもしれんが」

 リュカは向かいに座る昴のオッドアイを見た。

 リュカの右手で紅く輝く紋章。

 昴の右眼に宿る五芒星の蒼き光。

 その両方から神秘的な力を感じる。

「ね? もしかしたら二人と『神癒の左手』と『未来視の左眼』の所有者全員が揃ったら、何か起きたりするかもよ?」

「そんなまさか」

「――とも言い切れませんよ」

 うろんげな顔をする昴の台詞に繋げて言いながら、マリアは人差し指を立ててみせた。

 この場の皆がマリアに注目する。

「実はこんな言い伝えがあるんです。『女神の能力の所有者全員が揃うと、女神が現れてどんな願い事も一つだけ叶えてくれる』――と」

「え、ほんとに!?」

 現実にはありえないことが起きる、これぞファンタジーの真骨頂だ。

 魔法があるなら女神による奇跡だって起きても良い。

(ていうか、そもそもここに二人、女神の能力の所有者がいるわけだし。もう一人は平気で首を外せる機械人形だし!)

 何でも願いが叶うと聞いて、興奮しない人間はいないだろう。

 大なり小なり、皆何か不満を抱えて生きている。

 願いのない人間なんているわけがない。希咲はそう信じていた。

「ねえ昴、旅しながらあと二人、探してみない!? チートなスキルを授けてもらえたり、億万長者にだってなれるかもよ!?」

「女王にだってなれるかもしれませんね」

 マリアが朗らかに言う。

「えっ立花王国作っちゃう!? 私を讃える国歌を作って毎朝国民全員に歌わせて、私こそが唯一神である的な宗教まで立ち上げちゃおっか!?」

「なんだその邪教」

 昴の冷ややかな突っ込みを無視してヒートアップ。

 坂道を転がり落ちる石の如く、走り出した希咲の妄想は止まらない。

「いっそこの世界丸ごともらって、星の支配者になっちゃうとか! いやいや、もっとスケールを大きくしちゃう!? 一つの星なんて生温いわ、やるならとことんの精神で、そうよ、こうなったら銀河系、ううん、宇宙の全てをわらわの手に……!」

「まあまあ、ノリノリですねぇ」

 拳を握って天井を見上げ、壮大な夢に瞳を輝かせる。

 マリアはぱちぱちと拍手してくれたが、昴はどこまでも冷静だった。

「聞くに堪えない戯言は止めて落ち着け。能力を与えて消滅したはずの女神がどうやって願い事を叶えてくれるんだよ」

「あら、霊魂になってもこの世界を見守っていてくださるのかもしれませんよ? 何しろ相手は女神様ですから。女神様補正でなんでもありですよきっと」

 マリアは微笑んで両手を胸の前で組んだ。

 彼女の背後に後光が差し、慈愛に満ちた微笑を浮かべる架空の女神が頭上に浮かんで見えた。

「女神補正って……そんな都合のいい話、あるわけないだろ。馬鹿馬鹿しい」

「スバル様は夢のないお方ですねぇ」

 張り合いのない昴にマリアは眉を八の字にし、頬に手を当てた。

「ほんとよねぇ。元の世界でも超絶クールだったし」

 拳を下ろし、唇を軽く尖らせる。

「ちょっとは人間味が出てきたなって思ってたのに、やっぱり根っこの部分は変わらないのね。夢も希望もない現実主義者すぎて冷めるわぁ。宝くじだってさ、結果も大事だけど、その過程で『当たったらどうしようかなー』って想像したり、友達や家族と夢を語り合って楽しむのが醍醐味ってものでしょ? なのにあんたは盛り上がってる人間の前で宝くじの当選確率なんて野暮なことを言い出すの? 将来は近所の奥様方から『空気が読めない残念イケメン』っていうレッテルを貼られるわね。間違いないわ」

「残念イケメンって……」

 ジト目で睨みつけ、人差し指を胸に突きつけると、昴はたじろいだ。

 それに満足して、大げさにかぶりを振ってみせる。

「そもそも私たちは充分に異世界という非現実的な状況にあるのよ? ちょっとくらい非現実を楽しんだって罰は当たらないじゃないの。大体ね、『女神の右眼』なんて大層なものを持ってるあんたが女神を否定しちゃうわけ? その台詞は鏡見てから言いなさいよ。正論ばっかり言ってると人はうざがって離れてくわよ? ちょっとは人生を楽しむってこと覚えなさい? もっと気持ちに余裕を持つの」

「……いや、なんで説教される羽目になってんの……?」

 懇々と語ると、昴はなんとも形容しがたい顔をした。

「……その話の真偽はともかくだな」

 と、ずれた話題をリュカが戻しにかかった。

「明日のいつ経つんだ? 朝か?」

「うん、朝。ご飯食べたら行こうかなって」

「そうか……」

 リュカは視線を落とし、考え込むような顔をした。

 表情が寂しげに見えるのは気のせいだろうか。

 皆で見守っていると、はっと我に返ったように、リュカは慌てて言った。

「まあ、貴様らがいなくなろうと知ったことではないがな。むしろやかましいのがいなくなって清々するわ」

 腕組みして偉そうにふんぞり返ったリュカを見て、苦笑する。

 一ヶ月の付き合いでよくわかったのだが、彼は天邪鬼だ。

 ここに滞在して一週間が経った頃、皆で夕食を取りながら「もし元の世界に戻れなかったらどうしよう」と愚痴ったことがある。

 半分は冗談だったのだが、彼は皆が解散した後、希咲一人になったときを見計らって、部屋に戻ろうとした希咲の服の裾を引っ張り、言いづらそうな顔をしながら「ずっといてもいいぞ」と小声で言ってくれた。

 あのときも「迷惑ではあるが」と余計な前置きをしてきたが、そんなふうに憎まれ口を叩くのは表面だけで、根は素直で優しい子どもなのだ。

 過酷な修行が祟って体調を崩したときも、口では「この程度で倒れるとは軟弱者め」と馬鹿にしながら、ときどき様子を見に来てくれた。

 熱にうなされながらも、扉の外からこそっと覗く少年の姿を見て自然と口元が綻んだ。

 眠っている間に枕元に置かれていた果物も、彼がわざわざ遠方から取ってきたものらしい。

「私はリュカと会えなくなるのは寂しいけどなぁ」

 そう言ってみると、リュカはぎょっとしたように硬直してから、顔を背けた。

「ふんっ。人間が魔王を慕うな。気色悪い」

 言いつつも、彼の尻尾は喜んでいる犬のごとく左右にぶんぶん揺れていた。

 尻尾は嘘をつけないらしい。

(可愛いなぁもう)

 実際は自分より年上なのだが、彼の姿はまるっきり子どもなので、完全に希咲は子ども扱いしていた。

 この一ヶ月でスルースキルも磨かれた。

 おかげで、多少の憎まれ口はなんとも思わない。

 ……とはいえ、全てを笑って許せるほど度量の広い人間でもないので、受け流せる「多少」の度を越えた悪口には言い返して喧嘩になったりもする。

 その度にマリアには苦笑され、昴には呆れられた。

 ちなみにリュカに嫌味なことを言われるのは昴も一緒なのだが、彼のスルースキルはまさに完璧だった。

 何を言われようと無視して相手にしない。

 こういうとき、昴は大人びているなと思う。

 実は彼のほうが半年も年下なことがつい最近判明し、学力も何もかも年下に負けたのかと特大ダメージを受けたのは秘密である。

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