18:話をしよう

「そうかな? だったら嬉しいけど」

 頭を掻いてはにかみながら笑い――そして希咲は急激に声のトーンを落とした。

「ところで」

「はい?」

 希咲はこいこい、と手招きしてマリアを近づけさせた。

 間違ってもリビングにいる昴には聞こえないよう、こっそりと耳打ちする。

「……昴にも似たようなことを訊いたのよね? 彼の家族も亡くなってるの?」

 詮索するのは良くないとわかってはいるのだが、どうしても気になって仕方なかった。せめて生死くらいははっきりとさせておきたい。

「いいえ。スバル様のご家族は生きておられるそうです。多分、とも付け足しておられましたが」

 マリアも希咲に合わせて小声で答えた。

「多分? どういうこと? 生死不明なの?」

「はい。詳しくは教えてもらえなかったのですが……」

 マリアはそこで言葉を切り、言い辛そうな顔で言った。

「なんでも、スバル様ご自身が家庭崩壊させてしまったそうです」

「……家庭崩壊?」

 不穏な響きを孕んだ言葉に、思わず希咲はのれんの向こうを見た。

 昴は楽しそうにリュカと話している。

 あの表情からは、家庭崩壊した家で暮らしていたなんて想像もつかない。

(なんで? 昴が何をしたっていうの? 何があったの?)

 聞けば少しは楽になるかと思ったのに、ますます興味は掻き立てられる一方だった。こんなことならば聞かなければ良かったと頭を抱える。

 直接問い質したいがそれはあまりに失礼だろう。

 家庭の事情を他人に根掘り葉掘り聞かれて楽しいわけがない。

 この一ヶ月の間にだいぶ距離が縮まってきて、笑顔を見せてくれて、それが心地よいと感じているのに、下手をすれば嫌われる。

 口も利いてくれなくなるかもしれない。

(うーん、気になるなぁ……なんでときどき、辛そうな目をするの? 待ってる人がいないなんて、どうしてそんな悲しいことを言ったの? 家族はいまどうしてるの? 何があったのよ? ああああ気になるううう)

 意味もなく髪を指に絡ませ、悶々としていると、

「キサキ様」

 マリアが不意に真剣な顔をして名前を呼んできた。

「はい」

 思いがけない凛とした声に、自然と希咲も姿勢を正した。

 窓の外は既に暗く、隣のリビングで昴たちが雑談する声の後ろで、虫の鳴き声も聞こえてくる。

 それほどに静かな台所で、マリアは言った。

 その澄んだ緑の瞳で、射抜くように希咲を見つめて、

「私はリュカ様のお世話係を命じられるまで、様々な人間と接してきました。ただの機械人形ではありますが、これでも人を見る目には自信があります。スバル様は相手が魔王様と知りながらも臆すことなく叱り、正道を説いてくださいました。このような人形にも気を遣ってくださる、とても素晴らしい方です。しかし、スバル様が抱いている心の闇はとても深い。その闇を払えるのは、この先も彼と同じ時を過ごすキサキ様しかおりません。どうか気に掛けてあげてくださいね」

 マリアは頭を下げてきた。

 彼女に頭を下げさせるほどの価値が、昴にあるということだ。

「……うん。というか、正直に言うと、言われるまでもなかったりするわ」

「?」

 マリアはきょとんとした。

「だって、彼の笑顔が見たいって――誰よりもそう願っているのは、きっと私だもの」

 もうこれ以上、彼の悲しい顔を見たくなかった。

 冷たい無表情のフィルターをどうにか外したかった。

 ありのままの、等身大の彼と触れ合いたかった。

 この感情をなんと呼ぶかなんて知らない。

 でも、間違いなくそう思っている自分がいる。

 彼ともっと話したい、彼の喜ぶ顔がみたい。

 彼が自分にしてくれたことの何倍ものことを返したい。

 そして願わくば、その先に彼の笑顔がありますように。

(異世界に一緒に落っこちた相手が彼でよかったって、いまは心底思えるの)

 もし時間を遡って共に落ちる相手を自由に選べるとしたら。

 希咲は親友の理緒でも、他の誰でもなく、笠置昴を選ぶだろう。

 ただ、彼に居て欲しいから。

(彼にとってはいい迷惑かな。ううん、そんなこと言わない気がするのよね。だって彼、お人よしだもの。一緒に来てって言ったら、いいよって言ってくれそう)

「……余計なお世話だったみたいですね」

 彼のことを思いながらどんな表情を浮かべていたのか。

 自分ではわからないが、マリアがこちらを見て嬉しそうに笑ったのは確かだった。

 焦って両手を振る。

「いや、そんなことないわよ? 彼には恩返しをしなきゃいけないと私も思ってたの。笑顔が見たいっていうのは決して恋とか浮いた話じゃなくてね、彼が私を笑わせてくれたからお返しをせねばという義務感で」

「はいはい。そういうことにしておきましょう」

 マリアは笑って希咲の台詞を受け流した。

 にこにこしながら、くるりと踵を返して歩き出す。

「それでは、リビングに戻りましょう。皆でカードゲームなどいかがですか」

「いいわね。最後の夜になるわけだし、楽しみましょう」

 最後の夜。

(そうだよね……明日にはここを発つ。マリアとも会えなくなるんだ……)

 なんだか急に寂しくなって、鼻の奥がつんとした。

 胸の痛みをごまかすために軽く頭を振って、希咲は見慣れたメイド服を追った。


 ◆      ◆      ◆


 もうすぐ2時に差しかかる深夜。

 あらかたの荷造りを終え、マリアは外を歩いていた。

 夜行性の虫たちが涼やかな声で輪唱している。

 それを背景音楽にして、月明かりを頼りに下草を踏みしめて歩く。

 ここは、一ヶ月前はリュカローゼという白い花畑が広がっていた場所。

 希咲はこの花から取ってリュカの名前をつけた。

 緑の草が生い茂る畑の真ん中で、目的の人物は見つかった。

「こんなところにおられましたのね」

 声をかけると、障壁に空いた穴の真下から夜空を見上げていた人影――昴が振り返った。

 彼は片膝を軽く上げ、片腕をかけた体勢で座っていた。

 辺りが暗いため、彼の右眼が仄かに輝いているのがわかる。

 闇夜に灯る蒼い炎のようだ。神秘的で、とても美しい。

「……なんだ。マリアか」

 彼の表情が弛緩する。身体から緊張が抜けたのがわかった。

「はい、私ですわ。どうされたのです? 姿が見えないので探しましたよ。寝付けないのですか?」

「うん。一ヶ月もここにいたのに、本当に明日ここを出るのかと思うと感慨深いのかな。自分ではそんなつもりはないんだけど、なんか落ち着かないんだ。無駄に目が冴えてしまって、眠れない」

「では、少しお話をしませんか?」

 マリアは昴の隣に立ち、友好的な微笑を浮かべた。

「どうぞ」

 と昴は隣を示した。

「では失礼します」

 断って跪き、ふんわりしたスカートに手を沿え、裾を広げて座る。

 こんなに近くに座っても彼は警戒せず、ごく自然体でこちらを見ている。

 最初はどうなることかと心配したものだが、この一ヶ月で随分打ち解けることができた。

 皆で天体観測をしたり、罰ゲーム付きのカードゲームに興じたり、お弁当を作って遠出したりと、たくさんの思い出ができた。

(それも、今日で最後ですね)

 そう思うとなんだか寂しい。

 でも、寂しいと思えるのは、それだけの価値のある日々が送れたということだ。

 四人で過ごした一ヶ月のことは一生色あせない思い出として残るだろう。

 きっとマリアだけではなく、全員の胸の中に。

 だから、残るマリアは笑って送り出さなければならない。

 三人の旅にたくさんの希望があるように、無事であるように、祈りながら。

「まずは一ヶ月間お疲れ様でした。キサキ様ももちろん頑張っておられましたが、スバル様の頑張りはその上をいかれましたね。特に、キサキ様が魔法を使えないとわかってからは」

 くすりと笑う。

「彼女の分まで引き受けるといわんばかりでしたわ。キサキ様が寝入ったタイミングを見計らって、夜遅くに講義の続きをせがむんですもの。しかもどんなに疲れていようとほぼ毎日ですわ。あなたの不断の努力には、全く恐れ入りました」

 何故彼が希咲よりも強いのか――簡単な話だ。

 

 マリアが課した日々のトレーニングは決して楽なものではなかった。

 異世界は魔物もおらず、己を鍛える必要もない平和な世界だという。

 そんな世界でのんびりと暮らしていたならすぐに根を上げてもおかしくないのに、二人とも愚痴や弱音を吐くことはあっても、決して止めたいとは言わなかった。

 希咲は女性ながら昴とほとんど同じ内容のトレーニングをこなしてみせた。

 途中で体調を崩しても量を減らそうとは言い出さなかったし、マリアが提案すると突っぱねた。

 それは昴に負けたくない一心らしいが、そのライバル心と不屈の根性は非常に良い動力源となって彼女を飛躍的に成長させた。

 魔法が使えなくとも剣技だけで大抵の魔物は倒せるだろう。

 そして昴は、修行が終わっても剣の素振りや自主トレーニングを欠かさない彼女をさらに上回る量の訓練をしていた。

 マリアは睡眠を必要としない身体なので夜はいつも暇を持て余し、リュカの服のほつれを直したり、本を読んだりして時間を潰していた。

 だがこの一ヶ月は昴がほぼ毎日といっていいほどやってきて、専門家でも解読が難しい魔法の書物を片手にあれこれ質問したり、剣の手合わせを頼まれるものだから退屈する暇がなかった。

 彼があまりに飲み込みが早く優秀なので、50年前に記載や伝授を禁じられた破壊力抜群の『禁呪』まで教えてしまった。

 あれほど強大な魔法は使う機会がないほうが良いに決まっているが。

「キサキ様はスバル様を天才だと仰ってましたが、確かにスバル様の基本スペックは常人よりも並外れて高いですわ。でも、才能に驕らず努力されているからこそ、それほどまでに強くなられましたのに。どうしてキサキ様には内緒なのですか?」

「天才だって思われてるならそう見せたいだろ。それに、どうやっても俺を超えられずに屈辱に震える希咲を見るのは楽しいし」

「あら、意外と嗜虐心旺盛なのですね」

「壁は高ければ高いほど乗り越え甲斐があるっていうだろ。まあ、乗り越えさせるつもりなんてないけどね」

 昴は立てた膝に片腕をかけて、意地悪そうに口元を歪ませた。

「ふふ。スバル様にとって、キサキ様は大事な方なのですね」

「……。なんでこの話の流れでそうなるんだ?」

 困惑した様子の昴に、くすくす笑う。

「だって、キサキ様のことを話すとき、スバル様はとっても楽しそうですわ。最初に出会ったときも、キサキ様を殴ろうとしたリュカ様に本気で怒ってらしたでしょう。守る対象がいるというのは良いことですわ。大事な人がいれば、そう簡単に死ねませんものね」

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