19:そのとき空から降ってきたモノ

「……何が言いたいんだ?」

 暗闇に灯った蝋燭の火を消すが如く。

 ふっ――と、昴から全ての表情が消えた。

 怖いくらいの目で見つめられて、マリアは軽く頭を下げた。

「気に障ったなら申し訳ありません。ただ、スバル様はたまに――生きることに倦んでいた昔の私と同じ目をされることがあるので、気になっていたんです」

 まるで、いつ死んでも良いとでも言いたげな――活力のない、冷めた目。

 異世界から来る人間には元の世界に未練がないと言ったとき、希咲はわかりやすく動揺していたが、彼は違う。

 瞬時に無表情で感情を覆い隠してしまった。

 感情を殺すことに長けている――いや、長ける必要があったからそうなったのだ。

 さきほどマリアが殺気を発したときもそう。

 どうしたらよいのかわからず混乱し、怯えて硬直した希咲に対して、彼は即座に反応した。

 一ヶ月の間に生まれた親愛の情も何もかもを一瞬で捨て去って迎撃態勢を取った。

 希咲を害するそぶりをみせたら、たとえマリアを殺すことになってもためらわなかっただろう。

 あの反応は、ただ安穏と日常を過ごしていた人間にできるものではない。

 恐らく、彼は元の世界で愛されていなかったのだ。

 周囲は全て敵であり、身を守ることを最優先に考えてきたから敵意や殺気には人一倍敏感で、何があっても感情を切り離して即座に対応することができる。

(……可哀想な人)

 彼の過去を思うと哀れまずにはいられない。

 憂鬱な気分で思い出すのは出会った初日のやり取りだ。

 ――毒は入ってないでしょうね。

 あの質問は勇者と勘違いされて毒殺されるかもしれないと懸念したのだと思っていた。

 だが、違う。違ったのだ。

 あの後、腕をふるって夕食を作ると、昴は何故か困ったような顔で並べられた料理を見ていた。

 希咲やリュカは気づかない程度の、微かな困惑と動揺。

 彼は始終平静を装っていたが、気になって後で理由を聞いてみると、彼は他人の手料理が苦手だと言った。何が入ってるかわからないから、と。

 多分、彼は異物を飲まされたか、食べさせられたことがある。

 それも、恐らくは家族の手によって。

 一般的にその可能性が高いのは母親だろうか。

 家庭崩壊した家で育ったと言っていた。

 そしてそれは自分のせいだ、とも。

「…………」

 無言できゅっと唇を噛む。

 彼がどんな境遇で育ったかは知らない。

 それ以上踏み込むことは、彼自身が許してはくれない。

 もしも彼の心の傷を癒せる人物がいるとしたら――多分、一人しかいない。

(気づいてはいないのでしょうけれど。あなたが遠慮なく物を言ったり、素直に喜怒哀楽の感情を表したり――そんなふうに『対等』に接しているのは、キサキ様だけなのですよ?)

「……だから、私にとってリュカ様がそうであるように、スバル様にとってもキサキ様がそうであれば良いと思ったのです。守るべき人がいるなら、それは生きる意味になりますから。あなたがいなくなれば悲しむ人がいるということを、どうか忘れないでくださいね」

「……。……うん」

 微笑むと、昴はなんともいえない顔をして頷いた。

 それからふいっと顔を背けてしまう。

 余計なことを言って気分を害したかもしれないと、マリアは慌てた。

「あの――」

「言い忘れてたけど」

「えっ、はい?」

 謝ろうとしたところで、昴が顔を背けたまま言った。

 動揺しながら頷き、先を促す。

「マリアの手料理はおいしかった。安心して食べられたから。……ありがとう」

「………はい。それは何よりですわ。食べるということは、生きるということですから」

 頬を緩めて頷く。昴は頭を掻いた。

「うん。まあその、なんていうか。大丈夫だよ。希咲を無事に元の世界に戻すまでは、俺も死なないし、死ぬつもりもないからさ。希咲は俺に負い目を抱いてるみたいだけど、俺はこの世界に来て良かったと思ってる。元の世界にいたときより、いまのほうがずっと楽しいしね」

「それなら良かったですわ。スバル様。どうかリュカ様のこと、どうぞよろしくお願いいたします。魔王だということはくれぐれも内緒にして、尊大な態度も控え、お二人の言うことはよく聞くように言い含めておきましたから。私にとっては可愛い子どものようなものですので」

 姿勢を正して深々とお辞儀する。

 リュカの魔力が戻るには時間がかかるだろうし、希咲は魔法は使えない。

 三人のうちで最も戦闘力が高く、頭が切れるのは間違いなく昴だ。

 リュカに仕えるメイドとして、一行のリーダーになる彼には礼を尽くす義務があった。

「わかってるよ。おとなしくしてるうちは面倒みるから。手に負えなくなったら返しに来るよ」

「あらまあ」

 くすっと笑う。

 念押ししてみたものの、リュカのことはそれほど心配していなかった。

 希咲も昴も面倒見が良く、世話焼きだ。

 リュカを託すには申し分のない二人だった。

(私は人間嫌いだったはずなのですが、お二人には人間不信の機械人形をも信用させる不思議な魅力がありますわ)

「それと、スバル様。『女神の右眼』は隠しておいたほうが良いかもしれません」

「なんで?」

 当然の疑問として、昴は首を傾げた。

「申し上げにくいことなのですが……」

 目を伏せて、続ける。

「実は、女神の能力は奪うことができるのです」

「……? え?」

 怪訝そうな顔をしている昴に、マリアは顔を上げて目を合わせた。

「50年前、魔王妃イルディオーネは『神癒の左手』を所持していました。かの左手はすべての傷を癒し、条件が揃えば蘇生さえ成す奇跡の手。だからこそ私たち人形部隊は城に魔王がいない、その時を狙って奇襲攻撃をしかけました。イルディオーネがいれば魔王は無限回復が可能でしたから、先に彼女を殺さなければいけなかったのです」

「ちょっと待てよ。魔王と同じく、イルディオーネも左手の継承者だったのか? それともまさか……」

 あまり考えたくないことなのだろう、昴の表情は曇っていた。

「その通り。彼女は人間の少女から能力を奪っていたのです」

 当時のことを思い出すと憂鬱な気分になる。

 この話をするのは気が進まないが、『女神の右眼』を持つ彼には伝えておかなければならない。

「私は以前『女神の能力は所有者が死ぬと即座に他の誰かに移る』と言いましたが、それは所有者が天寿をまっとうしたときのこと。能力が宿る体の部位を切り離した場合、その能力を奪うことができるのです。実例はありませんが……恐らくはもっと直接的に、殺害した場合も同じかと思われます」

「…………」

「これはイルディオーネ自身の口から聞きました。彼女は一つの村を滅ぼす過程で偶然、『神癒の左手』の所有者と出会い、戯れにその左腕を切り落としたそうです。するとその紋章は左手を離れ、宙に浮いた。その紋章に腕を突っ込んだら紋章は自分の腕に定着し、能力も完全に移った――そう言っていました」

 全く、怖気の走る話だ。動作不良でも起こしているのか、頭がきりきりする。

 年端もいかない少女の腕を切り落とし、その能力を我が物にするなんて――きっとその後、イルディオーネは自分の身に起きた奇跡に歓喜しながら少女を殺したことだろう。

『神癒の左手』を持っていたが故に、何の罪もなく殺された少女が哀れでならなかった。

「これは国の上層部でもごく一部の人間しか知らない事実です。まさか女神の寵愛を受けた能力保有者の目や腕を切り落とすなんて倫理にもとる真似、誰もしたことがありませんでしたから。この事実が広まれば新たな争いの火種になりかねません。だから国はリュカ様を隔離したのでしょう」

「……そうか……」

 昴はそれだけ言って、自身の右眼を片手で覆った。

 残酷で重い話題に、空気までも暗くなってしまった。

「……リュカ様には袖の長い服を着るようにと注意しておきました。スバル様も眼帯で隠すなりなんなりして対策を講じるべきかと」

「……隠すっていうのもな……視界が狭まるし……でも、そうするべきなのかもな……」

「いえ、嫌なら良いですわ。さきほども言った通り、この事実はごく一握りの人間と魔族しか知りません。もし敵が現れても、あなたならきっと返り討ちにできます」

 ぽんぽん、と肩を叩いて笑う。

 馴れ馴れしいかと思ったが、これ以上彼に暗い顔をして欲しくはなかった。

 心配のあまりアドバイスしてしまったが、彼は強い。

 その辺にうろついている魔物程度なら鼻歌混じりに殲滅できるだろう。

 そんなに過敏になる必要はないのだ。

 励ますように、マリアは言葉を重ねた。

「大丈夫ですわ。なにせあなたは私の自慢の弟子ですからね」

「……うん」

 頷いて手をおろし、昴が不意に立ち上がった。

 左右の色の異なる瞳でマリアを見下ろし、微かに笑う。

「俺が短期間で強くなれたのは、マリアのおかげだよ」

 見上げた彼の、遥か頭上には白銀の満月。

 満月に照らされて彼の輪郭が神々しく浮かび上がり、輝いている。まるで月の光に祝福されているかのようだ。

(……本当にスバル様はお綺麗な方ですわ。キサキ様が嫉妬せずにいられないのもわかります。常人とは雰囲気が違いますもの)

 吹き抜けた風にささやかに揺れる髪も、仄かに輝く右眼も、なんと美しいことだろう。まるで名画を見ている気分で、マリアは彼の姿に釘付けになった。

「なんか、マリアって母親みたいだったよ。俺のこと色々心配してくれてありがとう。本当に世話になったな。楽しかったよ」

「……いいえ、どういたしまして」

 マリアは立ち上がり、彼に向き合った。

 心からの笑みを浮かべる。

「こちらこそ楽しかったですわ。どうかおげ――」

 お元気で。

 という言葉が中途で切れたのは、頭の中で猛烈に嫌な予感が膨れ上がったからだった。

 戦闘のために作られた兵器としての本能が告げるまま、顔ごと視線を跳ね上げる。

 満月の中央に、黒い点が浮かんでいた。

(何?)

 何かが障壁の穴の真上から、重力のままに凄まじい勢いで落下してくる。

 見る間にその何かは拡大していく。

 小さなゴマが豆粒ほどの大きさになり、近づくにつれて曖昧な輪郭がはっきりと人影の形を取った。

 その人影を正確に捉え、それが誰であるかを認識した瞬間、マリアは極限まで目を剥いた。自分の目に映るものが信じられない。

(あれは――まさか――)

 大きな鎌を持って落下してくる人影。

 狂気の笑みを浮かべたその少女は落下地点、障壁に空いた穴の真下に立つ昴を狙っていた。

 首を刈り取るつもりなのだろう。

 生物が息をするように、意味もなく理由もなく彼女は人を殺す。

 だからこそ、彼女たちはいずれも魔女と呼ばれ恐れられた。

 魔王の娘、リングリール。

 十二の町を滅ぼし、国の精鋭部隊をも壊滅させた災厄の末娘。

 身の丈よりも大きな鎌を操り、その不気味なシルエットから、彼女は死神と呼ばれていた。

 冒険者ギルドの討伐難易度を照らし合わせるなら間違いなくランクSS。

 彼女を殺すならば国の一個師団は必要だ――

「――スバル様っ!!!」

 マリアは渾身の力で昴を突き飛ばした。

「――っ」

 即座に自分も離脱しようとしたが遅すぎた。

 振り下ろされた鎌は昴を逃すべく伸ばしたマリアの左腕を容赦なく切断した。

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