29:旅立ち(1)

 見晴らしの良い、優しい風が吹く丘で。

「なんていうか、マリアらしい最期だったな」

 マリアの墓の前に佇み、昴が呟いた。

 墓といってもそんなに大層なものが作れたわけではない。

 平らな石をリュカが磨いて墓石にし、ここにマリアが眠る目印にした。

 近くに澄んだ湖があるこの丘は四人でピクニックに来た場所だった。

 前は一面に花畑が広がり、蝶が舞って幻想郷のように美しかったのだが、いまは緑の草原になっている。

 マリアがここから見える風景が好きだと言っていたから、自然と墓はここに作ることに決めた。

「あんな大怪我負って、もうとっくに稼動限界を迎えてただろうに。俺が最低限動けるようになるまで意地で生きてたんだろうな」

 マリアが動かなくなっていたのはリビングだった。

 マリアは椅子に座り、上体をテーブルに預け、目を閉じていた。

 ――私は睡眠を必要としない身体なので、夢を見たことがないんです。ですから、人間が見る夢に少しだけ、憧れるんですよ。

 そう言っていた彼女は、まるで幸せな夢でも見ているかのように、微笑んでいた。

(……最後に夢は見れた? マリア)

 マリアが昨日あんなに元気だったのは、燃え尽きる直前の生命が見せた最後の輝きだったのだろうか。

 それともメイドとしての務めを果たすべく無理に明るく振舞っていたのだろうか。

 もう知る術はない。

 彼女の笑顔を思い出してまた涙がこみ上げそうになり、希咲は目元を擦った。

(私より、リュカのほうが辛いよね)

 リュカはマリアの墓の前に座ったまま何も言わない。

 身体を縮めるようにして体育座りしている。

 翼に守られた小さな背中が余計に小さく見えた。

 黙したまま、ただ、風が吹くに任せる。

 リュカは微動だにせず、昴も何も言わない。

 希咲もまた、言うべき言葉を持たなかった。

 5分は経っただろうか。

 悲しみに沈んだ空気を断ち切るように、昴が動いた。

 足元にいるリュカを見下ろして、

「……先に『穴』の下で待ってる。気持ちの整理がついたら来いよ。30分経っても来ないなら迎えに戻ってくる」

 そう言って、昴はこちらを見た。

 左右異なる色の目が、お前はどうする? と訊いてくる。

 昴と座り込んだままのリュカを交互に見る。

 リュカに寄り添って留まるべきか、昴と一緒に離れるべきか。

(私がリュカの立場だったら、どうだろう……こういうとき、誰かに傍にいてほしいかな。ううん、きっと邪魔だよね。私なら、一人で泣きたいもの)

 誰に憚ることもなく、大声を上げて悲しみをすっかり吐き出してしまいたい。

 そうして無理やりにでも消化して、気持ちに区切りをつけなければいつまでも引きずって、前には進めないから。

「……そうだね。私も先に行くね、リュカ」

 リュカは答えなかった。




 家に立ち寄って、玄関先にまとめていた荷物を背負う。常備薬が入っているウェストポーチをつけて、剣帯も腰に巻いた。昴はマリアから譲り受けた神剣を腰に下げてリュックサックを背負い、さらにリュカの分の荷物まで抱え上げた。

「持とうか? 傷に響くんじゃない?」

「いや、いいよ。マリアが厳選してくれたから、そんなに重くないし」

「……そう」

 希咲は昴の顔を見て、また目を伏せた。

 昴の目が少し赤かったから。

 二人とも黙り込んだまま、ただ歩く。

 マリアがいなくなっても今日も太陽は昇り、『檻』の中の空を鳥が高く飛んでいる。

 動物は自由に大地を駆け、足元を虫が跳ねた。

 鳥の姿を追ってぼんやりと空を見上げ、視線を落とす。

 少しして、昴があらぬ方向を見て、右眼を押さえた。

「……疼くの? 大丈夫?」

「ああ、うん。なんか……なんなんだろうな。疼くっていうか、呼ばれてるような気がして……中二病とか言うなよ」

 昴はちょっと恥ずかしそうな顔をした。

「心配しなくてもそんなこと思ってないわよ」

 苦笑してから、希咲は真顔になった。

「ねえ、願いが叶う云々はおいといて、本当に『左眼』と『左手』の所有者を探してみない?」

「え?」

 昴は目を瞬いた。

「だって、気になるじゃない。昴と対になる左眼の持ち主が昴のことを呼んでるのかもよ? どんな人なのか、興味ない?」

「それは、あるけど……」

「じゃあ決まり。エレント王国を目指しながら、所有者の情報も集めましょ」

「エレント王国か……リングリールの姉たちに滅ぼされてないといいんだけどな」

「そうね……」

 たちまち、空気が重くなった。

 リングリールの化け物じみた強さと非道さは身を持って知った。

 姉二人も似たような性格だとしたら、本当に国が滅んでいてもおかしくはない。

 圧し掛かる沈黙に耐え切れなくなったのか、昴が話題を変えた。

「昨日の夜、マリアが餞別ですってノートをくれたんだ」

「ノート?」

「うん。中を読んだら『魔法大全』には載ってない軍用魔法やら、絶対これ一般には公開されてないって断言できるような特殊魔法まで書かれてた。自分が知る限りの魔法を詰め込んだんだろうな、凄い情報量だよ。これ読んでもっと強くなって、何があっても希咲とリュカを守れってことなんだろうな」

「……ふふ。私も昨日、マリアと色んな話をしたわ。本当に、長生きしてほしかったなぁー……」

 再び訪れる沈黙。

 彼女との思い出を一つ一つ数え上げ、浸っているうちに『穴』の下に着いた。

 昴が二週間前にこの辺りは究極魔法で焼き払ってしまったので、ある一定の地面を境に綺麗さっぱり何もなく、剥き出しの焦土が広がるばかりだ。

 知らない人が見たら火事でもあったのかと思うだろう。

 昴はその場に荷物を下ろした。

 どうにも重い空気を変えようと思ったのか、少しだけ明るさを取り戻した声で、

「久しぶりに魔法使うわけだし、気合入れないとな。試しにちょっと浮いてみるか。希咲、手ぇ出して」

「うん」

 右手を差し出すと、昴はためらいなく手を握った。

(……ほんと、いくら必要だからとはいえ、ちょっとは照れたりしないのかな? ひょっとして私、異性として見られてない!? リュカと同じで昴にとっては単なる保護対象なのかしら!?)

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