23:託された者の闘い(2)

(できるできないじゃない。やらなければ彼女が死ぬんだからさ――頼む、成功してくれ!)

 無数に散りばめられた光の破片のような。呪文のような図形のような。

 複雑な形をいくつも描いた魔導式に魔力を流し込み、祈りを込めて叫ぶ。

超加速アクセラレータっ!!」

 周囲に展開した魔導式が結合する。

 完成された魔法陣から解き放たれた光が身体を包み込んだ刹那、飛躍的に昴の身体能力は向上した。

 加速された神経電流が身体を駆け巡り、筋力までも強化される。

 マリアは機械人形で自己修復機能が働くから平気なのだが、人間がこの魔法を使った場合、効果時間が切れると反動として激烈な疲労感と筋肉痛に苛まれ、まず一時間はまともに動けなくなる。

 超加速アクセラレータは超人的な身体能力を得る代わりに、大きなリスクを負う魔法。

 使い方を見誤れば自滅する、悪魔のような魔法だ。

 そのリスクは説明されていたが出し惜しみなどしていられない。

 ――この魔法がなければリングリールと同じ土俵にも立てない!

 昴は疾風を置き去りにするような速度で下草を蹴散らして走り、飛んだ。

 まだ何やら喋っていたリングリールの側頭部に飛び蹴りを叩き込む。

 小柄な少女は十メートル以上もの距離を吹き飛んだ。

 全力で蹴りをかました自覚はあったがここまで景気良く吹き飛ぶとは思わなかったので、着地して少々罪悪感を覚えた。

 超加速を展開したのはほんの1秒だったが、それでも筋肉が悲鳴をあげて軋んだ。

 1秒で終了していなければどうなっていたことか――魔法を解除してふうと息を吐き、マリアを見やる。

「……!? スバル、さまっ!?」

 突然目の前に現れたように見えたのだろう、マリアは仰天した。

 だが彼女を見て驚いたのは昴も一緒だった。

 大鎌の一撃を受けたのか、マリアの右眼周辺はごっそりと抉られ、繊維やらコードやらの内部構造が剥き出しになっていた。

 額から頬にかけては痛々しく大きな亀裂。

 左腕がない上に右足も関節が外れてしまって、はみ出したコードが神経みたいに伸びている。

 他にも無数の傷を負っているが、何よりもその顔は衝撃だった。

 希咲が見たら卒倒しかねない。

「どうして、ここに、いるんですか!? 逃げて、くださいと、言ったでしょう!? しかも、いまの速度――超加速アクセラレータ? まさか、使えるわけが……どうして」

 大怪我を負ったことで言語機能にも障害が起きたのか、うまく音声を発生することができないらしく、マリアはたどたどしい言葉遣いでまくしたててきた。

「さっきマリアが使っただろ。それで覚えた」

「あの、複雑、極まりない、魔導式を――一流の魔導士でも、習得に五年は、かかる、高等魔法を、見た、だけでっ!?」

 マリアは片目を丸くし、それから、そんな場合ではないと気づいたらしく、あたふたとした様子で言った。

「いえ、そんな、こと。より、どうして? まさ、か」

「マリア!」

 背後から聞こえてきたリュカの叫びに、マリアが傷だらけの身体を震わせた。

 マリアが緩慢に振り向くのと、駆け寄ってきたリュカが体当たりする勢いで彼女に抱きつくのはほとんど同時だった。

 後から追いついてきた希咲もマリアの惨状を見て、反射的といった動作で顔を覆った。

 それでもなんとか失神は免れたらしく、「だ、大丈夫?」と引き攣った声で問いかけた。

 でも、リュカの呼びかけにも、希咲の言葉にもマリアは反応しなかった。

 マリアはリュカに抱きしめられたまま、こちらを見上げて恨めしそうな顔をした。

「どうして、みんな、ここに、いるんですか。これでは、時間を、稼いだ、意味が」

「意味はあっただろ。皆に危険を伝えて、決意する時間をくれた。リュカも希咲もマリアを犠牲にして助かるくらいなら諸共に死んだ方がマシだって譲らないんだよ」

「そうよマリア、あなただけ残して逃げるなんて絶対嫌だからね」

「我もだ! 知らぬ間にこんなぼろぼろになりおって、我の許可なく死ぬなんて許さんぞ!!」

 希咲は怒ったような顔でマリアを睨みつけ、リュカは涙目で訴えた。

 皆の想いを受けて、マリアの表情が泣きそうに歪んだ。

「私は……姉や、妹たちに、比べて、50年も、余分に、生きた、のです。もう、十分です。どの道、この、怪我、では、長く、は、ありま、せん。ですから」

「だからなんだよ。たとえ寿命があと数日だって、他の人形よりも50年長く生きたからって、それがいま死んでいい理由になるのか? 違うだろ。俺が聞きたいのはマリアが生きたいのか死にたいのか、それだけだ」

 貫くような目で見据えると、マリアは顔を伏せた。

「……私、は」

「実は俺、書斎で『金魚の飼い方』って本を見つけたんだよね」

「!!!」

「金魚の飼い方?」

 希咲は不思議そうな顔をして、マリアに抱きついていたリュカも疑問符を浮かべた。

 マリアは顔から湯気が出そうなほど真っ赤にし――本当にこの機械人形はよくできている――激しくうろたえた。

「あ。あれは、隠して、おいた、のに」

「隠すのが下手すぎるよ。専門書の中に一冊だけ『金魚の飼い方』なんてあからさまに怪しい本があったら逆に興味を引かれるって」

 苦笑すると、「あう……」とマリアは呻いた。

『金魚の飼い方』と手書きで書かれていた背表紙の中身は、マリアがつけていた日記だった。

 一日一ページ、毎日欠かすことなく生真面目なメイドは日記を書いていた。

 その日の料理の献立、それに対するリュカの反応、そこから推察されるリュカの嗜好。

 この料理はもっと甘くした方が好まれるだの、嫌いな野菜を全部食べてくれて嬉しかっただの、湖に行って魚釣りをしただの、リュカに関するたくさんの情報や感想がその日記には詰まっていた。

 昴が読んだのはほんの数ページ。

 たったそれだけでも、どれほどこのメイドがリュカを愛して育ててきたのか、痛いほど伝わってきた。

「本当にこのまま置いていっていいのか? リュカと離れたまま独りで死んでも悔いはない?」

「……そんなわけ……ありません」

 震える声でマリアは言った。

「死にたく、ないに、決まってます……でも」

「『でも』なんていらないんだよ。マリアが生きたいなら俺は全力で支援する。あんな殺人狂のゴスロリ少女に希咲もリュカも、マリアも、誰も殺させてたまるか」

「そんなの……いくら、あなたでも、できませんよ。ですから、私は、こうして……なのに……私は……なんて、無力、なのでしょう。せめて、『大戦』の、前まで、の力が、あれば、皆を、守れた、のに……悔しい、です」

 ぱたっ、と、下草の葉が水滴を受けて跳ねた。

 俯いて、マリアは泣きながら手を伸ばしてきた。

 傷だらけの右手を。

「無力じゃないだろ。さっき俺守ってくれたじゃん。マリアが突き飛ばしてくれなきゃ、俺は気づかないうちに死んでたよ?」

 伸ばされた右手を掴み、握り返す。

 機械人形の手はひんやりとして冷たい。

 誰だっただろうか。手が冷たいのは、心が暖かい人だと言ったのは。

 機械人形にもその言葉が適用されるのかは知らない。

 でも、マリアが本当に優しいのは確かだ。

 肉親といても心が冷えるだけだったが、マリアと一緒にいると安心して、心がほんわりと暖められるような気がした。

 家族よりも家族らしい人形だった。

「託しても……良い、ですか。私の未来を、この場の、全員の、命運を――あなたに」

「うん。任せて、なんて安請け合いはできないけどさ。俺はマリアの自慢の弟子なんだろ? 期待に応えられるように頑張るよ、師匠」

 強くその手を握り返してから、踵を返して歩き出す。

「よし、マリア、行くわよ。ここじゃ危ないもの」

「はい。お手数、おかけ、します」

 背後でそんなやり取りが聞こえた。

 希咲とリュカはなんとかマリアを安全圏に逃がしてくれるだろう。

 自分はそれまでの時間をなんとしてでも稼がなければいけない。

 リングリールは離れたところで立ち上がっていた。

 その周囲にはこれまでの間に紡ぎ上げたのであろう無数の魔導式がきらきらと輝いていた。

 これがもし結合して一つの魔法となるのなら、この辺り一帯が消し飛んでも良いくらいの圧倒的な魔導式の量。

 五メートルほどの距離を置いて止まる。

 リングリールは大鎌を手に、殺しそうな目でこちらを睨みつけている。

「いきなりやってくれたじゃないの、人間。わざわざ待っててあげたのよ、お別れの挨拶は済んだ?」

 マリアが健闘したらしく、リングリールもあちこち服が破けていた。

 距離が開いている上に光源が月明かりなので非常に見づらいが、近づいて見れば相応の怪我も負っているかもしれない。

「さっきは尻尾巻いて逃げたくせに、わざわざ戻ってくるとはとんでもない馬鹿なのね。その目があれば殺されないとでも思ってるの? それなら残念ね、気が変わっちゃった。あんたは全力で殺してやるわ。その生意気な目つきも気に入らないし」

「奇遇だな、俺もそう。お前だけは許さない」

 殺意を叩きつけると、リングリールは高笑いした。

「きひひひひっ、なぁに? ひょっとしてあれ、あんたの愛玩人形だったの? なるほど、あんたって人形に欲情する変態だったんだねぇっ!!」

 失礼極まりない台詞を吐きながら、リングリールは大鎌を手に斬りかかってきた。

 鎌を剣で弾こうとしたが、想像よりも重い一撃に拮抗させるのがやっとだった。

 少女というよりも途方もない膂力を持つ大熊を相手にしている気分だ。

 破られると悟って、自ら引いて後退する。

 リングリールはすぐさま鎌を横殴りに振るった。

 直撃すればただでは済まないだろうが、大雑把で見切りやすい。

 難なく横に跳んでかわす――瞬間、軌道が追って急激に変化した。

 首を狙う凶刃が迫ってくる。

 昴は剣を握る柄に象嵌されている青い宝石――魔力が込められた魔石に意思を叩き込んだ。

 魔石が昴の意思に応じて輝き、剣の周囲を水の皮膜が覆い、触手のようにうねってリングリールに襲い掛かった。

「――っ!?」

 この剣が普通の剣でないと知らなかったのだろう。

 いや、知っていても対処などできるわけがない。

 水はそのまま刃と化して鎌を握っていたリングリールの腕を幾度となく切り裂いた。

 たかが水、と侮るなかれ――水を細く絞って、高圧力を掛けて噴出するウォーターカッターは鉄板すらも容易に切り裂く力があるのだから。

 出血する右手首を押さえ、リングリールは距離を取った。

 憎々しげに叫ぶ。

爆裂閃光弾ライトニング・ブレッド!!」

 リングリールの周囲に浮かんでいた魔導式が結合し、頭上に巨大な魔法陣が輝いた。

 陣の中央から無数の閃光弾が降り注いでくる。

 マリアが喰らった光属性の魔法だが、その威力は桁違いだった。

 さきほどの攻撃を雨と形容するならば、この密度は大瀑布だ。

 まともに喰らえば肉片も残らないのではないだろうか。

 でも昴は鼻で笑った。

 命をかけた極限の戦闘で精神は高揚し、恐怖も緊張もどこかへ吹き飛んでいた。

 マリアをあんな目に遭わせた少女への怒りが他の感情を凌駕していた。

「この剣の属性が水だと知っての攻撃かよ!? 防げ《流水の神剣アクアブレイド》!!」

 再び剣から水が溢れ、巨大な盾を作り出した。

 熱を持った光属性の魔法と水が真っ向からぶつかって大量に蒸発し、霧が生まれる。

 嵐のような攻撃が収まった後、昴は無傷で直立していた。

「な、なんで生きてんのよ? しかも無傷ですって?」

「霧で光を拡散させただけだよ。濃霧の状態、つまり空気中の水滴が多いほど光は散乱する。学校で習わなかった?」

 混乱を挑発で返すと、リングリールはわかりやすく怒りの形相を浮かべた。

「……っ、ぶっ殺す!!」

「やれるもんならやってみろよ!!」

 激しい剣戟の音が鳴り響いた。

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