20:天使の貌をした悪魔
マリアは人間に非常によく似た機械人形だが痛覚までは備わっていないし、戦時中には出自を同じくする仲間たちの無残な姿を何度となく見てきた。
よって彼女は動じることなく左腕――ほぼ肘から下の部位――が視界の外まで吹き飛び、潤滑油の役割を果たす半透明の液体が切断面から零れるのを見ていた。
左腕がなくなったことで身体のバランスが少し崩れたが、調子が悪いときは自分で関節を外したりすることもあるのでそれほどのショックは受けなかった。
左腕がなくなった、それをただの事実として処理し受け止める余裕があった。
むしろショックを受けているのはマリア本人よりも突き倒された昴のほうだった。
地面にしりもちをついた格好で、呆然としている。
月明かりでは顔色まではわからないが、光の下で見たら青ざめているのではないだろうか。
マリアはただの機械人形だというのに随分とお人よしだ。
だからこそマリアも好感を抱いているのだが。
「マリア――」
「大丈夫です、くっつきます!」
呼びかけを遮り、彼を庇う位置に立ってきっぱり言う。
「くっつくって……」
「鋭利な刃物ですぱっと切られたので切断面は綺麗です! 組織の一つも潰れてません! これなら繋げておけば二週間でくっつきますので心配ご無用!」
「そういう問題なのかっ!?」
昴が突っ込みながら立ち上がった。
普通の人間なら、たとえ機械であろうと人の形をしたものの腕が吹っ飛ぶ現場を見れば平静を保ってはいられないだろう。
しかし彼の自失は数秒で済んだ。
さすがは昴、並みの胆力の持ち主ではない。
本音をいえば彼を庇って戦う余裕など全くなかったので助かった。
(ええ、くっつきますとも――彼女が二週間も悠長に待っててくれるのならね)
腰を落とし、完全な臨戦態勢を取る。
あどけない少女の姿をした魔王の娘は、鎌を一振りして付着した液体を振り落とし、楽しそうに笑った。
「きひひひひ」
それは昔と何も変わらない、聞く者の神経を逆なでする魔女の如き笑い声。
「久しぶりだねぇ、ゲーティアの殺戮人形6番。何千何万の魔族を殺した人形がたった一振りでそのザマとは何事よ。この50年で平和ボケしたんじゃないの?」
小柄な身体を包み込む、緩やかにウェーブした金色の長い髪。
頭の上で結ばれた大きなリボン。大きくぱっちりした緑の瞳。フリルがいくつもついた黒のゴシックドレス。
姿だけ見れば人形のように愛らしい少女なのだが性格は最悪。
彼女は可憐な笑顔を浮かべて人間の手足を引きちぎる、天使の顔をした悪魔だ。
「6番とはまた随分と懐かしい響きですが、その
「メイド?」
リングリールは荒唐無稽な話を聞いたとばかりに片眉を跳ね上げた。
そして、胸に手を当てて噴き出す。さもおかしそうに。
「やぁだ、その格好は何の冗談かと思ってたけど、本気でメイドやってるの? きひひ、笑える。幾多の魔族を血の海に沈めた人形がいまじゃ皿洗いしてるってわけ? 大丈夫? 握力強すぎてご主人様の肩揉みした拍子に骨砕いてんじゃない?」
「ご心配には及びません、それなりにうまくやっていますから。それよりも何故あなたがここにいるんです? あなたは七賢者の手によって極寒の地エルレに封印されたと聞きましたが。先代魔王の末娘、リングリール」
左腕を失った不利を無視して、静かに睨み据える。
少女の正体を知って、昴が驚愕する気配が伝わってきた。
リングリールは重量のある大鎌を気楽にくるりと回転させて、肩を竦めた。
「さあねえ。リングたちにも原因がわかんないんだよねぇ」
「どういうことです?」
「リングたちはねぇ、こことおんなじ『檻』の中にいたのよ。ものすんごい頑丈な魔法障壁でどんなに頑張っても破れなかった。それが一ヶ月くらい前かなぁ、急に出力が弱まったから、お姉ちゃんたちと協力して強引にぶち破ったってわけ」
(一ヶ月前?)
昴たちがやってきた時期と一致する。
ひょっとしてリングリールたちを封印していた『檻』とこの『檻』は対になっていたか、あるいは相互補完のような形で成立していたのだろうか。
この恐ろしい三姉妹の封印を解いてしまった責任を感じているのか、昴は複雑な顔をしている。
彼らがこの世界に召還されたのはただの偶然なのだが、慰めの言葉をかけることはできなかった。
彼女は注意を逸らすにはあまりに危険な相手だ。
リングリールはくるりと大鎌を回転させ、肩に担ぐ格好をしながら明るく言った。
「晴れて自由の身になったリングはお姉ちゃんたちと相談して、決めたの。お姉ちゃん二人はあの忌々しい『檻』を造って閉じ込めたエレントの王を国ごとぶっ潰す。リングは次の魔王探しに旅立つ。新しい魔王が協力するなら良し、抵抗するなら右手を切り落として能力を奪ってから殺せって言われたよ」
リングリールはにっこりとそう言ったが、笑い返すことなどできるわけがない。
この少女はリュカを本当に新たな魔王の座に据えるか、殺すと言っているのだから。
(上の姉妹二人が向かったというのならば、エレント王国は滅亡しているかもしれませんわね……)
マリアたち戦闘兵器を人形部隊に配属し、使い物にならなくなるまで戦わせた王がいる国。リュカをこの『檻』に閉じ込めた元凶たちが暮らす国。
正直に言うとあの国には何の未練も執着もないが、先代魔王の娘たちが引き起こしたであろう災禍を思うと、良い気味だと笑う気には到底なれなかった。
築かれた屍山血河、炎上する町、母親の亡骸に縋って泣く子ども――そんな悲惨な光景を見るのは過去の大戦だけで充分だというのに。
この三姉妹たちが、マリアの愛する平和を脅かす。
「んで? そのリュカってのが新しい魔王の名前なのかな? きっとそうだよね? じゃなきゃこんな大層な『檻』の中にいないだろうしね。壊されたくないなら素直に案内してくれるかなぁ、殺戮人形」
リングリールは大鎌を振って風斬り音を立て、微笑んだ。
無邪気を装った笑みが癇に障って、睨みつける。
「よく言いますね、リングリール。案内しようとしまいとどうせ壊そうとするくせに。あなたは過去にそうやって命乞いした人間を何人殺してきたのです?」
「さあねえ、数えるのなんて面倒くさいしいちいち覚えてないわ。あんたにはママを殺された恨みがあるし、ちょっとずつちょっとずつ焦らしながら徹底的に壊してあげるね。それと、そこにいる人間の右眼ももらうね」
リングリールは会話の途中で立ち上がっていた昴をひた、と見つめた。
凶眼に見つめられて、昴がわずかに身じろぎする。
あてられているのだ。類稀なる美少女の貌をした、獰猛な化け物の気配に。
まともな生物なら吐き気を催さずにはいられない、ありとあらゆる悪意をごっちゃにして煮詰めてぶちまけたような、汚濁そのもののリングリールの《気》に――
昴はよく正気を保っていられると賞賛してもいい。
気の弱い者ならリングリールと対峙することも敵わず、昏倒するほどなのだから。
まだリングリールは戦闘態勢に移行すらしていない。
それなのにどうだ、あの小さく華奢な身体から放たれている威圧感は。
(……本当に化け物ですわね。リュカ様と同じく、50年間『檻』に封じられていたくせに、彼女の《気》は全く衰えてなどいない。それどころか力を増しているようにも感じる……ここに来る前に何人か殺して調整してきた、ってことでしょうね……)
奥歯を強く嚙み締める。
「なんでこんなとこに『過去視の右眼』を持ってる人間がいるのか知らないけど、その辺りの事情は興味ないからいいよ、言わなくて。どうせリングのものになるんだからさ」
マリアの苛立ちにも気づかず、リングリールは上機嫌に笑う。
「『破壊の右手』に『過去視の右眼』まで手に入るなんてラッキー、お姉ちゃんに褒められちゃうな♪ ご褒美になにしてもらおうかな~♪」
きゃは、と一人で盛り上がっているリングリールは隙だらけだった。
マリアはその隙に、斜め後方にいる昴にちらりと視線を送った。
「スバル様、私が時間を稼ぎます。リュカ様とキサキ様を連れて逃げてください。一刻も早く」
「そんな、俺も」
「姿こそ愛らしい少女ですが、あれは王国の精鋭部隊を蹴散らし、十二の町を滅ぼした魔族です。あなたの敵う相手ではありません!」
動こうとしない昴に焦れて叫ぶと同時に、
「あらあら、リングの前で呑気に雑談とは、随分と余裕なんだねぇっ!?」
豹変は一瞬。
神速の域でリングリールが飛び出し、鎌を振るってきた。
言葉を交わしつつも彼女の一挙一動には注意を払っていた。
何があっても対処できるよう身構えてはいたが、それでもどうにもならないほどに彼女の行動が早かった。
魔族の身体能力には個人差があるが、魔王の娘たちは人間の限界値のはるか上を行く。
どれだけ才能があろうと、しょせんは人間でしかない昴が勝てるわけがない。
そして『大戦』での無茶が祟り、かつて殺戮人形と謳われていたマリアは戦闘能力を大きく減じている。
しかも身を守る武器も盾もない。
絶対的に不利な状態で勝ち目などあるはずがない。
それでも身をよじって、紙一重で避けようとして、振り下ろされた鎌がそこで急激に軌道を変えた。
華奢な身体には似つかわしくない圧倒的な腕力と膂力にものを言わせて強引に軌道を捻じ曲げられた鎌がわき腹に食い込む。
ざっくりとメイド服が裂けて、衝撃に
「くっ……」
骨格で止まったから致命傷ではない。
機能停止には程遠い――大丈夫。まだやれる、と自分を鼓舞する。
地面を蹴って大きく距離を取ると、リングリールは追ってきた。
斜めに袈裟斬りに振り下ろされる鎌を、倒れ込むようにして地面に身を伏せてかわす。
凶暴な音を立てて風を切る鎌を真上に見ながら、マリアは足を跳ね上げた。
リングリールの軸足を渾身の力で蹴りつけ、蹴倒す。
常人ならば足の骨が砕けただろう強力な一撃を受けて、リングリールは倒れ込んだ。
その拍子に怪我をすることを恐れたのか、獲物も手放していた。
彼女の身体が地面に叩きつけられるのを横目に見ながら跳ね起きる。
楽観視していたほど傷は浅くはないのか、骨格が不気味な軋みをあげたが、努めて気にしない。
地面に転がっている大鎌を掴み、少女の喉元に突きつける。
リングリールは途端に目の焦点を首もとの鎌に合わせ、忌々しそうに睨みつけてきた。
「形勢逆転ですね。このままおとなしく帰るなら良し。そうでなければ首を撥ねますよ」
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