11:好きだよ
「えっと……」
ごゆっくり、といわれても何をすれば良いのだろう。
盛大な勘違いをされているような気がする。
彼は自分の恋人でもなんでもなく、ただのクラスメイトだとはっきり言ったはずなのだが。
「とりあえず座ったら?」
促され、希咲は迷いつつもベッドに腰掛けた。
部屋の小さなテーブルには花が活けてある。桜に似た白い花。
あのメイドは花好きらしく、リビングにも違う花が活けてあった。
「……この花ってさ、落ちたところにあった花畑の花だよね。なんていう名前なんだろ?」
「さあ。でも、綺麗だね」
「うん」
それきり、沈黙。
知らない部屋で、クラスメイトの男の子と二人きり。
部屋に飾られた植物は空気を和らげてくれたが、気の利いた話題を提供してくれるわけでもない。何を話すかは自分で決めなければいけない。
昴も本棚のほうにぼんやりと目線を向けたまま、話題を考えているようだった。
「……あのさ、昴」
意を決して、言う。
彼には伝えておきたい言葉があった。
「うん」
「ごめんね」
「え?」
何に対しての謝罪なのかわからなかったのだろう、昴は不思議そうな顔をした。オッドアイが興味を惹かれたようにこちらを向く。
希咲は俯いて、膝の上に置いた手を絡ませた。
「……色々と。私が一緒に学校に来て、なんて言わなかったら、こんなふうに異世界に来ることもなかったし。魔法障壁にぶつかったときも、竜くんに殴られそうになったときも、何度も庇ってくれた。ありがとう。ごめんね」
深々と頭を下げる。長い黒髪がはらりと肩に落ちて揺れた。
「何を言い出すかと思えば……別にいいよ。異世界に来たのだって、希咲が意図してのことじゃないでしょう?」
「でも、間違いなくあなたは私のせいでここに来ることになったんだもの。責任は取るから。なるべく早く元の世界に戻れるように手を尽くすわ。魔物がいる怖い世界みたいだけど、剣も魔法もきちんと習うわ。何が起きても解決できるように頑張って、昴には迷惑をかけないようにするから――」
「元の世界でもそうだったけど」
昴は台詞を遮った。顔を上げる。
彼はまっすぐにこちらを見つめて言葉を続けた。
「頑張りすぎるのは希咲の悪癖だね。なんでもかんでも一人で背負い込んで、ここでも完璧な優等生になろうとしてる。そんなんじゃ疲れるでしょう。もっと肩の力を抜いて生きればいい。俺は優等生として振舞ってた希咲より、自由落下に絶叫したり、さっきみたいに部屋に怒鳴り込んできたり、そんなふうに素直に泣いて笑う希咲のほうが好きだよ」
好きだよ。
その言葉は脳天を直撃した。
肩から自然と力が抜けて、口が半開きになってしまう。
自分はさぞ間抜けな顔をしていることだろう。
それがわかっていても止められなかった。
(好き?――いや、ただ話の流れでそう言っただけで、特別な意味なんてないのはわかってるけど――)
かあっ、と顔に熱がのぼった。
赤くなっているかもしれず、希咲は慌てて顔を伏せた。
皮膚の下で心臓が踊っている。
鎮まれと念じても、いっこうに収まろうとしない。
(どうしよう。なんか変だわ私。妙に意識しすぎてない?)
彼とメイドが部屋にこもった理由を勘違いしたとき、どうしてあんなに怒ったのか。
ひょっとしてメイドに嫉妬でもしたのか?――違う、あれはただ乙女が理不尽に暴行されているのならば助平な男に然るべき裁きの鉄槌を下さなければならないという義務感に突き動かされたからで、嫉妬なんてとんでもない。そうに決まっている。
(ああもうなに考えてるの。昴も昴よ。いきなり好きだなんて言われたら、どういう態度を取ればいいのよこっちは)
何を言えばいいのだろう? 笑って受け流せばいいのか? からかわないでよと怒るべきなのか?――対処に心底困っていると、昴はそれを察したようにさりげなく視線を外した。
「とにかくさ。負い目なんて感じなくていいよ。希咲は急いで帰りたいだろうけど、俺には待ってる人なんていないから。したいようにしたらいい」
「……え?」
待ってる人がいないとはどういう意味なのか。
尋ねようとするより先に、昴は立ち上がって背を向けていた。
「どこに行くの?」
「メイドの手伝い。居候なのに何もしないわけにはいかないでしょう?」
「えっ、それなら私も」
後に続こうとすると、昴は片手で制してきた。
「いいよ、眠いんでしょ? 元の世界だといまは深夜だからね。ベッドの使用許可は取ったから、しばらくここで眠ればいい。本格的に眠ると夜に寝付けなくなると思うから、夕飯ができたら呼びにくるよ。色々あって疲れてるだろうし、ゆっくり休んでて。じゃあ」
希咲が止める暇もなく、昴は部屋を出て行った。
ぱたん、と静かに扉が閉まる。
(……本当に、昴っていい人だなぁ。私が眠くて仕方ないってこともちゃんと見抜いてたのね)
浮き上がらせていた腰を落とす。硬いベッドは体重をほとんど押し返してきた。
彼もいなくなって、残ったのは自分ひとり。
窓の外を見る。
高く上っていた太陽はだいぶ低くなっていた。
自分たちがあけた穴から覗く空は青く澄み渡っている。
大気汚染のない空はこんなにも美しい。
突き抜けるように青いという形容がぴたりとあてはまる空は本当に実在するのだ。
視線を落とせば、眼下に広がるのどかな自然。
長く伸びた穀物の穂が風に揺れていた。
周囲には緑の野菜や果物らしき赤い植物が成っている。
家にいると人の話し声や車が走る音、子どもの笑い声が絶えず聞こえていたというのに、ここにはそれがない。
遠くで電車が走る音だってもちろん聞こえない。
空気の香りすら違う。
耳を澄ませば鳥の高い鳴き声が聞こえてくる。
文明が発達した現代日本には望むべくもない、とても清浄な、知らない世界にいる。それを実感した。
上体をベッドに倒し、再び窓の外、上空に展開された魔法障壁を見上げる。
魔法障壁のせいで空は白くかすんでしまっている。
青空を鑑賞するには邪魔だった。
(この『檻』から出られないなんて、竜くんは可哀想。人間の都合で自由を奪われるなんておかしいわ。ここを旅立つときは一緒に来ないか聞いてみようかしら。『女神の右手』を使わないなら、ただの竜の子どもよね。危険な力を持ってるからというだけで理不尽に拘束されるのは間違ってる)
重く感じる瞼を閉じる。
眠るならきちんとベッドに入って休むべきなのだろうが、動くのが面倒だった。
それに、何時間も眠るわけにはいかない。
昴だって自分と同じ条件なのに、積極的に働こうとしている。
こうして目を閉じるのは数分だけと決めた。
(本当に色々あったなぁ……ほんの数時間で人生が変わっちゃったわよ。早く帰らないと勉強が遅れてしまうわ。出席日数だって足りなくなる。留年なんてまっぴらごめんよ。昴だってそうよね、早く帰りたいわよね……でも、あれってどういう意味なのかしら。帰っても待ってる人がいないって。こっちの世界に来る人は、元の世界に未練がない人だけって本当なのかな? 彼も私とおんなじで、家族を不幸な事故で亡くしたのかな。私は一人っ子だけど、兄弟はいるのかな。もっと色々聞きたかったのになぁ。竜くんが魔王とか、特別な『女神の右眼』とか、そんなことより、私は彼のことが知りたい。なんであんな冷めた目をするのか教えて欲しい。そうしたら)
――そうしたら、彼が抱える孤独を打ち破ることができるのに。
(……変なの。さっきから私、昴のことばっかり。あいつは宿敵って決めてたのに、なんかもうそんなのどうでもよくなってる。彼のことが気になって仕方ないなんて、どうかしてる。きっと色々ありすぎて疲れてるのね……)
とめどなく思考は流れていく。
すう、と息を吸って、後は何も考えないようにする。
睡魔はすぐに襲ってきて、意識は夢に飲み込まれた。
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