10:未練など何もない

「…………」

 考えてもわからないため、希咲は思考を切り替えた。

「まあいいわ。それより、元の世界に戻る方法を知りたいの。鈴木さんは『鏡』を使って戻ったのよね? それってどこにあるの?」

「知らん」

 竜の子は堂々と断言したが、メイドは人差し指を頬に当てた。

「……確か、王宮の宝物庫に保管されていると聞きましたが、50年も前の情報なので。もしかしたら別の場所に移されているかもしれませんね」

「50年!? あなたたち、50年もこの『檻』の中にいるの!?」

 希咲はすっとんきょうな声をあげた。

(というか、実は私より年上だったんだ竜くん! メイドさんは機械人形だから当然としても、50年経っても外見が子どもって、竜は人間よりも遥かに長命なのかしら? 何歳なんだろう?)

「はい。『女神の右手』が持つ力は『破壊』。生物や無機物問わず、何もかもを破壊する最強の力。先代の魔王はこの力を欲望のままに振るい、大勢の人間や妖精、エルフ……たくさんの種族を殺しました。人間の王は王宮で英雄召還の儀式を行い、スズキタロウ様を召還し、見事、彼は魔王討伐を成し遂げたのです。次に『女神の右手』を受け継いだのが魔王様なのですが、再び世界に混乱をもたさぬよう、魔法障壁で閉ざされた『檻』から出ることを禁じられているのですわ。出たら世界平和のために殺されても文句を言うな、とのお達しです」

「……そんな……酷い。じゃあ竜くんは外の世界を知らないのね」

「同情するな。メイドもいるし、特に不便はない……退屈ではあるがな」

 竜の子の瞳に、悲しげな光が見えたのは錯覚だろうか。

 何もいえなくなった希咲に、メイドが尋ねてきた。

「ところで、キサキ様は本当に元の世界へ戻りたいのですか?」

「もちろんじゃない。どうしてそんなことを?」

「いえ……異世界から来る人間には共通点があるんですよ。むしろ、その共通点があるからこそ、こちらの世界に来ると思っていたのですが」

「?」

「こちらに来る異世界人は、元の世界に未練がないのです」

 希咲には返す言葉がなかった。

 どれだけ探しても見つからない。

 すうっと身体の芯が冷えたような気がして、拳を握り込む。

(未練がない……そうかもしれない)

 それなりに仲の良い友達はいたが、絶対に離れたくないというわけでもない。

 家族は小学生のときに事故で亡くなっている。

 暮らしていた家は遠縁のもので、高校を出たらすぐに一人暮らしをするつもりでいたし、向こうもそれを望んでいた。

 夜に一階へ降りたとき、早くいなくなって欲しい、という言葉を聞いたことだってある。

 表面上はうまく付き合っていたが、希薄な関係しか築けなかった。

(でも。私はともかく、笠置――昴は?)

 彼の家族構成なんて聞いたことがない。

 特別な右眼を持つ彼がどんなふうに暮らして、どんな思いで生きてきたかなんて、知るわけがない。

 彼を見る。

 だが彼は見慣れた無表情で感情を隠し、物言わぬ希咲の問いかけを完全に遮断していた。



 竜の子は殴りかけたお詫びも兼ねてしばらくこの家に滞在することを許可してくれた。

 昴も誠意を認めたらしく「ありがとう、助かる」と答え、竜の子もまんざらではなさそうだった。

 どうにか和解させられないものかとやきもきしていた希咲もほっとした。

 メイドも同じ心境だったらしく、嬉しそうに微笑んでいた。

 実際に竜の子の承諾は助かった。

 この先どうするか考える時間も欲しかったし、なんの知識もないのに旅立つわけにもいかない。

『檻』の外では魔物も徘徊しているという。

 ここは大陸の南端にあり、生息する魔物もかなり凶暴らしい。

 危険を承知で旅立たれるのならば最低でも一ヶ月は剣と魔法の修行です、とメイドにも言われた。

 剣と魔法なんてまさしくファンタジーの世界だ。

 どんな魔法が使えるようになるのか楽しみだったが、それよりも現実的な問題があった。

(……異世界にも時差があるとは知らなかったわ)

 元の世界では深夜1時くらいだろうか。

 いつもならば既に眠っている時間なので――夜更かしは美容に良くないため、テスト期間中を除けば早寝早起きをモットーにしていた――瞼が重い。

 眠気覚ましに周囲を一人で散歩してきたのだが、家に帰ると竜の子がリビングで古めかしい本を読んでいた。

 何度となく繰り返し読まれてきたのか、表紙はぼろぼろだった。

(50年間、外部との交流がないのなら、いくら本がたくさんあっても読み飽きちゃうだろうなぁ)

 近寄ってそれとなく内容を見てみたが、何が書いてあるのかさっぱりわからなかった。解読不能の古文書のようだ。

 話す言葉は伝わるのに文字は全く別物らしい。

 書物がわかりやすく日本語で書かれていてもびっくりするが。

「竜くんだけ? 昴とメイドさんは?」

「あいつらならメイドの部屋にいるぞ。ただし貴様は近づかんほうが良いと思うが」

「え、どうして?」

「まあ、行けばわかる。行きたいなら行くが良い」

「??」

 首を傾げても、竜の子はそれ以上会話をするつもりはないようだった。

 本に視線を落としてめくり始める。

 読書の邪魔をするのもなんなので、希咲はメイドの部屋に向かった。

 木製の扉には可愛いプレートがかけてあった。猫らしき絵と文字が書いてある。

 恐らく『メイドの部屋』とでも書いてあるのだろう。

 ノックしようと握り締めた手を上げたところで、扉越しに声が聞こえた。

「あの、スバル様……そんなにまじまじと見つめないでください。恥ずかしいです……」

 その瞬間、希咲は硬直した。

「別にいいだろ。減るものでもないし」

「あ、いやっ。もっと優しくしてください……そんなに乱暴にされたら私……、壊れてしまいます」

 哀願するようなメイドの声。

 昴に押さえつけられ、か弱い乙女の力では抵抗もできず、目に涙を浮かべながら震えるメイドの姿がありありと浮かんだ。

(何やってんのこの二人……この状況はまさか、お子様禁止の18禁的なアレでは)

 ノックしようとした格好で固まっている希咲の顔は真っ赤になり、そして真っ青になった。

 想像する通りの淫らな光景が繰り広げられているとしたら、竜の子が追い出され、近づかないように忠告された理由もわかる。

 耳を澄ましてもベッドの軋み音などは特に聞こえてこないが――ってどうしてそんなことを心配しなければならないのか。

(昴の奴、メイドさんがいくら小柄で可愛くて美人だからって、まさかそんな、そんなこと。ていうかメイドさんは人形でしょ!? 人形相手に興奮するようなド変態だったの!? 最ッ低っ!! 良い人だなって見直してたのにとんでもない破廉恥野郎だわっ!!)

「いやっ、スバル様!? そこは触っちゃだめですううっ!!」

 メイドの悲鳴が聞こえて、ぐらぐらと沸いていた希咲の感情はついに沸点に達し、

「――真昼間から何やってんのよこのド外道変態野郎がぁっ!!!」

 怒鳴りながら、どばんっ!!! と蝶番を吹っ飛ばす勢いで扉を開けた。

 というか、本当に蝶番が壊れて哀れな音を立てたが気にしていられない。

 怒り心頭で部屋に乱入し、そして、希咲の目は点になった。

 部屋の中で、二人は向かい合って座っていた。

 椅子が1つしかないらしく、メイドはベッドに座り、潤んだ目を昴に向けていた。

 昴は椅子に座り、分離したメイドの左腕を持って中身を見つめ、興味深そうに弄っていた。

「あら、キサキ様。お帰りなさいませ」

 メイドは笑顔で挨拶してきた。

 突如叫びながら乱入したというのに、その対応はメイドとして完璧だった。

 昴はちらっとこちらに目を向けたものの、コードのような何かを引っ張った。

「そのコードは引っ張っちゃ駄目ですってば! くすぐったいですひゃあんっ」

 片腕のメイドは本当にくすぐったそうにベッドの上で身をよじり、笑い声をあげた。

「……。……。………………何してんの?」

 棒読みで尋ねる。

「え? 見ての通り、スバル様が私の体がどうなっているのか知りたいと仰るので。好奇心旺盛なのは良いことだとは思うんですが、扱いが少々乱暴なのですよ。さきほどは人間の汗がつくと腐蝕しかねない部品まで触られたのでつい怒ってしまいました」

「凄いよこれ、基本は植物をベースにした有機物と無機物の融合体。皮膚の触感も人間そのもの。俺たちの心臓にあたる部分にはエネルギーの結晶体の《核》があるんだって。ロストテクノロジーで造られた人形だって言うけど、俺たちがいた世界よりも随分科学が発達してる。まともな機材があったら詳しく調べたかったのに残念だな」

「…………そうデスカ…………」

(なんだ、ただメイドさんの身体構造を調べてただけなのね……)

 すっかり毒気を抜かれて放心していると、

「ところで物凄い迫力で聞き捨てならない台詞を怒鳴ってたけど、あれはどういう意味? なんか変なこと考えてなかった?」

 昴がメイドに左腕を返還しながら尋ねてきた。

 長い間奪われていたのか、メイドがほっとした顔で左腕を接続する。

 かちっという音が聞こえた。

「えっ!? い、いや、別になんでもないわよ? ちゃんと信じてたわよ、うん!」

 焦って両手を振る。

 明らかに図星を突かれた様子の希咲を見て、昴は拗ねたような顔をした。

「あっそう。俺って信用ないんだね。ふーん」

「いや、ごめん! だってあんな台詞、いかにもそれっぽくて紛らわしいじゃない! 二人で閉じこもってあんなこと言われたら、そうよ、誤解を招くようなことを言う昴が悪いのよ! 身体を調べたいなら堂々とリビングでしなさいよ!」

 真っ赤になって逆切れすると、昴は視線を逸らした。

 低い声でぼそぼそと、

「どこかの誰かさんが首が取れただけで大騒ぎするから、遠慮して部屋で調査してたのに……」

「うわーん、ごめんってば!! 謝るから許してよ!!」

 両手を合わせて拝んでみせると、

 昴はついに堪えきれなくなったように噴き出した。

 口元に手をやって、くすくす笑う。

(あ。また笑った)

 何故なのだろう。彼の笑顔を見ると、きゅうっと胸が締め付けられたようになる。その癖、胸にほんわりと暖かい火が灯るような、不思議な感覚に囚われる。

 きっと、いままで彼が笑ったところなど見たことがなかったから、過剰反応してしまっているに違いない。

「嘘だよ。反応が面白いから意地悪しただけ。でもまあ、信用ないっていうのはショックだったけどさ」

「……すみません」

 素直に低頭する。もし自分が疑われる立場だったら相当に傷つく。

 いくら紛らわしかったとはいえ、反省はしなくてはいけない。

「ふふ」

 やり取りを微笑んで見つめていたメイドが立ち上がった。

「キサキ様、良かったらお座りくださいな。私はそろそろ夕食の下準備をしなければいけませんから、失礼しますね。それに、これ以上私がここにいますとお邪魔でしょうから」

「えっ?」

「後はどうぞごゆっくり」

 意味ありげに目配せして、メイドは部屋を出て行った。

 昴と二人で残され、部屋が静まり返った。


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