第六章  椿と藍

 藍は星空の下、光に包まれて凄まじい勢いで飛翔していた。

( もし、椿さんが雅の言う通り、今度の一件に関わりがあるのだとしたら、私は……)

 椿を疑いたくはなかったが、雅の言葉に嘘があるとは思えない。藍の心は揺れていた。

「椿さんに会えば、全てがはっきりするはず!」

 藍はそう呟き、東名高速上空に向かった。


 その頃椿と剣志郎が乗る車は、静岡県に入っていた。

「?」

 椿は遥か後方に強い光の波動を感じた。

「もう来たの」

 彼女はフッと笑って、

「この先のサービスエリアに寄って下さいな。知り合いが到着するらしいので」

「知り合いが?」

 剣志郎はキョトンとした顔で尋ねた。椿は微笑んで剣志郎を見ると、

「ええ。貴方もよく知っている人ですよ」

 剣志郎はすぐに藍の事だとわかった。そして、椿が藍と戦うつもりなのだと悟った。

( わかっているのに、どうすることもできない。畜生…… )

 自分の不甲斐なさを悔やむ剣志郎だったが、もし彼が椿の術中になくても、藍を助ける事はできないだろう。この後藍と椿の間には、今までの藍の戦いを見て来た剣志郎にも想像がつかないほどの壮絶な展開が待ち受けているのだから。


 大吾は仕方なく小野神社に戻り、経緯を仁斎に説明した。仁斎は腕組みして考え込んでいたが、

「丞斎を問い質す他にわしにできることはなさそうだな」

 大吾は、

「俺は羽田から大阪に飛びます。それが一番早いでしょうから」

「そうしてくれ。椿の事はともかく、君の兄さんの事、頼んだぞ」

「はい」

 大吾は再び車に乗り込み、羽田に向かった。仁斎は見送りもそこそこにして家に入り、電話に近づいた。

「丞斎、貴様何を隠している?」

 彼は呟いた。


 剣志郎の車はサービスエリアの駐車場の一番端に停車していた。エンジンはかかったままである。

「貴方はここにいなさいね。動いちゃダメよ」

 椿はそう言い残すと、車を降りた。剣志郎は椿が立ち去ると、何とか車内から出ようとドアのロックに手をかけたが、何故かドアは開かない。

「どうなってるんだよ、このドアは?」

 中から開けられないドアなんて、チャイルドロックかパトカーの後部座席のドアくらいだ。

「くそ、何ともならないのか」

 剣志郎は諦めてシートにもたれかかった。

「藍……」

 それでも彼は藍の身を案じていた。

「来たようね」

 椿は東の空を眺めて呟き、

「高天原に神留まります天の鳥船神に申したまわく!」

 光と共に舞い上がった。周囲にいたサービスエリアの利用者達は、仰天して椿が飛び去るのを見ていた。

「はっ!」

 椿の波動を感じてサービスエリアに接近していた藍は、椿自身が近づいて来るのを感じて、前方に目を凝らした。

「椿さん?」

 サービスエリアから光が近づいて来るのが見えた。やがてそれは、椿とわかる大きさになった。二人は空中で停止して対峙した。

「早かったわね、藍ちゃん。そんなに彼氏の事が心配なの?」

 椿は嘲笑するような顔で藍に語りかけた。藍はムッとした顔で、

「あいつは彼なんかじゃありません!」

 そう言い返してから、

「そんなことより、貴女は一体何をしようとしているんですか?」

「あら、雅から聞いたんじゃないの? だからここまで追って来たんでしょ? まさか嫉妬に駆られて追いかけて来たのではないわよね?」

 椿の言い回しは、藍の感情を逆撫でしようという悪意に満ち溢れていた。しかし藍は、

「雅から話は聞きました。でも私は貴女の口から聞きたいんです。本当はどういうつもりなのか」

「……」

 椿は藍を黙ってジッと見ていたが、

「そこまで私の事を信じてくれているのは嬉しいけど、甘いわ、藍ちゃん。そんなことでは小野宗家は滅びるわよ」

「どういう意味です?」

 藍はカチンと来て尋ねた。椿はフッと笑って、

「言葉通りよ。貴女は甘過ぎる。命のやり取りをするのが宿命の宗家の継承者が、そんなに甘い考えでは、先が見えているわ」

「椿さん……」

 藍は椿が本当に邪な考えに染まっているのを知り、ショックを受けていた。

「それほど甘い人が宗家の継承者なら、私が引導を渡してあげるわ。覚悟しなさい」

 椿の右手に剣が現れた。藍は、

「十拳の剣?」

 椿はニヤッとして、

「この剣は、宗家の者にしか出せないと聞いているのでしょう? 違うわよ」

「えっ?」

 椿の言葉に藍はギクッとした。椿は藍を見たままで、

「十拳の剣は、ある程度の呪力を有した者になら、出す事が可能な剣。でも、驚くのはまだ早いわ、藍ちゃん」

 ニッコリしてから真顔になり、

「神剣、草薙の剣!」

 左手にもう一つの光り輝く剣を出した。

「まさか……」

 藍は信じられなかった。草薙の剣を十拳の剣と同時に出せるのは、歴代の宗家の継承者でも数えるほどしかいない。椿はそれら継承者と同等の呪力を持っているという事なのだ。

「どう? 私こそ宗家の継承者に相応しいと思うでしょう、藍ちゃん?」

 椿は高笑いをした。藍は下唇を噛んで、

「貴女は間違っています。姫巫女流の真の理は、力ではありません」

 すると椿はキッと藍を睨んで、

「そういうことを口にするのなら、何が真の理なのか、私に教えてちょうだい。それができないなら、ここで死んでもらうわ」

 十拳の剣で藍を指し示した。藍はついに意を決して、

「ならば、貴女の信じる力がどこまで私に通用するかやってみて下さい。私も手加減はしません」

 藍は柏手を四回打ち、究極奥義を繰り出した。

「姫巫女流秘奥義、姫巫女二人合わせ身!」

 天の一部が輝き、倭国の女王卑弥呼と台与が降臨した。椿は狡猾な笑みを浮かべて、

「姫巫女二人合わせ身はさせないわ!」

 呪符を何枚か藍に投げつけた。二人合わせ身が完成する前に、藍の周囲に椿の張った結界が現れ、二人の女王は藍に近づけなくなってしまった。

「臨兵闘者皆陣列前行!」

 椿の九字が響いた。

「えっ?」

 藍は五芒星の結界に囲まれてしまい、飛翔術も破られてしまった。

「ああっ!」

 彼女は凄まじい速さで落下し始めた。

「くっ!」

 藍は何とか軌道修正してサービスエリア外の林の中に落下し、上着をストッパー代わりに木に巻きつけ、あちこちにぶつかりながら、衝撃を和らげる事に何とか成功し、地面に転がり落ちた。その音に気づいた何人かが、林の方に駆けて来た。

「何だ、何かが墜落したみたいだぞ」

 ガヤガヤと十人余りの人々が、藍が落下した付近に集まり始めた。椿はそんな騒ぎを全く気にする様子もなく、剣を下段に構えたまま、藍に向かって下降した。野次馬達は、椿に気づき、ビクッとして立ち止まった。

「何だ、あれは? 人が空を飛んでいるぞ!」

 幾人かが椿を見上げて指差した。

「さすがね。どうやら私も甘かったみたい。貴女は思ったより頭がいいようだわ」

 椿はスーッと林の中に降り立ち、倒れている藍に近づいた。

「ううっ」

 藍は傷だらけになりながらも、何とか立ち上がった。顔は擦り傷と土で、酷い状態だった。息も絶え絶えである。

「どうするの、藍ちゃん? 究極奥義はおろか、もはやどんな術も使えない貴女が、私とどうやって戦うつもりなの?」

 椿は微笑んだ顔で藍に近づき、そう尋ねた。藍は顔の土を拭い、血をハンカチで拭き取って、

「私も、何の備えもしないで、ただ闇雲に貴女を追って来たわけではありません、椿さん」

 柏手を二回打って、

「高天原に神留まりまして事始めたまいし神ろき神ろみの命もちて天の高市に八百万の神等を神集え集えたまい神議り議りたまいて我が皇御孫尊は豊葦原の水穂の国を安国と平らけく知ろしめせと天の磐座放たれて天の八重雲をいつの千別きに千別きて天降し寄さしまつりし時に誰の神をまづ遣わさば水穂の国の荒ぶる神等を神攘い攘い平けむと神議り議りたまう時に諸の神等皆量り申さく天の穂日の命を遣わして平けむと申しき!」

 祝詞を唱え、柏手をもう一回打ち、椿の結界を破った。椿の仕掛けた呪符は、ボオッと炎に焼かれて消えた。椿は呆然としていた。まさか自分の結界が藍如きに破られると思っていなかったようだ。

「!」

 次の瞬間、二人の女王が藍に同化し、姫巫女二人合わせ身は完成した。椿は歯ぎしりした。彼女は、

「勝負は預けるわ、藍ちゃん」

 飛翔術でその場から逃げ去った。藍はそれを追おうとしたが、目の前がグラグラと揺れ、足下がふらついた。そして、

「ううっ……」

 呻き声を上げ、そのまま倒れた。二人の女王は、それと同時に藍から離れ、天に帰ってしまった。

「何てこと……。あんな小娘に、呪符を破られてしまうなんて!」

 椿は屈辱にまみれて、吉野山を目指した。

「姫巫女二人合わせ身も撃破する方法はあるけれど、今は急がないとね」

 椿は姫巫女二人合わせ身すら恐れてはいないのだ。


 仁斎は丞斎と電話で話していた。

「椿の様子が変だ。お前は何を隠している? あいつに何があったのだ?」

 しばらくの沈黙の後、丞斎は言った。

「椿は、自分の出生の秘密を知ってしまったようなのだ。どうして気づいてしまったのか、わしにはわからんのだが」

「出生の秘密だと? どういうことだ?」

 仁斎は声を荒げて尋ねた。丞斎はゆっくりとした口調で、

「あいつの本当の父親は二十五年前に死んだ長男ではないのだ」

「何? お前の子供は、男二人だったが、次男は若くして病死したと聞いているぞ。それでは一体誰が椿の父親なのだ? 意味がわからん。順を追って説明しろ」

 仁斎の言葉に、丞斎はようやく全てを語り始めた。


 丞斎の子は、真斎と康斎という二人の双子の男子だった。継承者候補が双子だと、醜い争いになるため、小野一門は、双子の一方を他の分家に養子に出すことになっていた。それを嫌った丞斎は、弟康斎は病死と嘘の報告をし、一門を欺いていた。結局はそのことが裏目に出てしまい、丞斎は大変な後悔をする事になる。

 二人が成人した年、継承者は真斎と決まり、康斎はその資格なしと決定された。

 しかし、その丞斎の裁定に康斎は承服せず、姫巫女流を継承させてもらえないのなら、自分は陰陽道を極め、今日から小野奇仁と名乗り、京都小野家に復讐してやる、と言い放って姿を消した。

 数年後、康斎は吉野山中に潜んでいる事を突き止められ、丞斎と真斎の手で、記憶封じの呪術をかけられ、自分が京都小野家の者だという事を忘れさせられてしまった。丞斎は、康斎がすでに妻と死別し、忘れ形見の女の赤ん坊を一人で育てていたことを知ると、康斎を知り合いの神社に預けて一介の神職者として働かせる事にし、残された子を真斎の子として育てる事にした。それが椿なのである。

 この事は、京都小野家の中で秘中の秘とされ、宗家には報告していなかった。

 椿は丞斎の指導で見る見るうちに呪力を高めていき、わずか3歳で養父真斎を凌駕するほどの力を持つに至った。丞斎は危機感を覚えたが、椿の能力に京都小野家の復興を思い、いつの日か宗家の地位を奪還する時のため、椿の出生の秘密を未来永劫秘することを決意した。


「何ということを……。康斎は今はどうしているのだ?」

 仁斎の問いに丞斎は、

「康斎は四年前に死んでいる。椿には一切そのことは知らせず、秘密裏に処理した。椿の秘密を知る者は、わし以外誰もいないはずなのだ。それなのに、椿は自分の過去を知ってしまった。どういう経緯で知り得たのか、皆目見当がつかんのだ」

「椿は吉野山で何かをなそうとしている。しかも、そこには小野奇仁なる人物がいるそうだ。椿は全てを知ってしまっていると考えた方が良かろう」

 仁斎の推理に、丞斎は絶望的になった。

「康斎が復讐を果たそうとしているのだ。我が子椿の力を借りて……。わしは、とんでもない術者を育ててしまった……」

「自分で蒔いた種は、自分で始末をするのだ、丞斎。わしもこれから吉野山に向かう。お前も準備をしろ」

「わかった」

 仁斎は受話器を戻すと、自分の居室に向かった。

「吉野山はこの世をひっくり返すほどの神気が溢れている場所だ。急がんと大変なことになる」

 仁斎の額に汗が伝わった。


 一方剣志郎は、ドアのガラスを蹴り破ろうとしていた。

「この、この、このーっ!」

 隣に駐車した家族は、剣志郎の行動が異様な光景に見えたのか、慌てて車を離れた。

「こんな時に何もできないなんて!」

 渾身の蹴りが、ようやくガラスを破った。剣志郎はジャケットを敷いてガラスの破片から身体を守り、這い出すようにして車から出た。

「藍!」

 彼は椿が立ち去った方へ駆け出した。

「藍!」

 しかし返事はない。彼はあちこちを見渡していて、林のそばに人だかりができているのに気づいた。

「どうしたんですか?」

 剣志郎はそこにいた一人の老人に声をかけた。

「林の中に、女の人が倒れているみたいなんだよ」

「女の人?」

 彼は藍だと直感し、柵を乗り越えて、林の中に飛び込んだ。

「おい、危ないぞ!」

 後ろから聞こえて来る声を無視して、剣志郎は倒れている藍に向かって走った。

「藍!」

 剣志郎は足下が悪い林の中をよろけながら藍に近づいた。藍は完全に気を失っているらしく、動かなかった。

「藍、しっかりしろ!」

 剣志郎は藍を抱き起こした。体温はある。息もしている。彼はホッとしたが、藍の目元に涙の跡があるのを見て、

「何があったんだ、藍?」

 その時、剣志郎の携帯が鳴った。それは大吾からだった。

「北畠、貴様!」

 剣志郎は、大吾の真意を知らなかったので、彼にいきなり怒鳴ってしまった。

「何を怒っているんだ、竜神? 今どこにいるんだ?」

「お前、何を企んでいるんだ?」

 剣志郎は、藍のことでパニックになっており、大吾に当たり散らした。

「落ち着けよ、竜神。説明するから」

 大吾は何とか剣志郎を説き伏せ、理由を話した。剣志郎は、事件の背後に椿がいるらしいという大吾の言葉に、ようやく彼を信用し始めた。

「今、俺と藍は東名高速のサービスエリアにいる。藍は気を失っていて、どうしたらいいかわからないんだ」

 剣志郎は泣き出しそうな顔で大吾に助けを求めた。

「藍さんは大丈夫だ。こちらからもわかる。とにかく、俺は羽田から大阪に行って、奈良に向かう。お前も藍さんを助け出したら、奈良に向かえ。できるだけ急いでくれ。大変なことが起ころうとしているのかも知れないんだ」

「わ、わかった」

 剣志郎は大吾の迫力にビクッとして答えた。

「……」

 剣志郎は意を決して藍の上半身を起こし、両腕を持って彼女を背負った。気を失っている人間を背負うのは骨が折れる。力が抜けているからだ。

「くそっ!」

 それでも剣志郎は藍を落とさないように気をつけながら歩いた。さっきは一気に走って来た道のりが、とんでもなく遠く思えた。

「雅……」

 藍がそう呟くのを聞いて、剣志郎は全身の力が消えてしまいそうになったが、

「藍は俺が守る!」

 大声で気合いを入れるように言い、歩を速めた。

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