第十章  小山 舞

 雅は、藍が秀吉の魔神霊を浄化したのを知った。

「藍の方は終わったようだな」

 雅が呟くと、舞はせせら笑って、

「何を言っている? あの小娘に、魔神霊となった秀吉を浄化することなどできぬ。取り込まれて死ぬだけだ」

「秀吉? あんたの宗教の神を呼び捨てか?」

 雅が軽蔑し切った顔で言った。すると舞はニヤリとして、

「神だよ。だけどね、私はその神の上に位置する存在なんだ。秀吉ごときにこび諂う必要はない」

「呆れた人間だな、あんたは」

 雅の言葉に舞はいささかも動じた様子はなかった。

「何とでも言うがいい。これから死んで行くお前に、何を言われようとかまわぬ」

「俺が死ぬのか?」

 雅はとぼけて尋ねた。舞はさすがにキッとして、

「ふざけたことを言うんじゃないよ。私のこの魔神霊合わせ身を上回る術をあんたが使えないのはわかっているんだ。強がりにもほどがあるよ、雅!」

雅は哀れむように舞を見ると、

「まだわからないのか。さっきの光は仁斎のジイさんがあんたに渡した引導だってことが」

「何?」

 次の瞬間、舞の身体が強く輝き出した。

「うわああっ!」

 舞はまばゆいばかりの光に包まれ、急速にその妖気を消失して行った。

「バ、バカな……」

 舞は自分の身体から妖気が完全に消えてしまったのを感じていた。と同時に憑衣していた魔神霊は、その光に耐え切れず、舞の身体から離れてしまった。

「それは姫巫女流の奥義の一つ、黄泉戸大神よみどのおおかみだ。黄泉路古神道のあらゆる奥義を封じ込め浄化する、究極の対魔奥義。さすが仁斎のジイさんだ」

「何だって?」

 舞は仰天していた。彼女はガクガクと震え始めた。

「そ、それでは私は……」

「そうだ。あんたはもう黄泉路古神道を使えない。これはどういう意味かわかっているな?」

 雅の言葉は舞にとって最後通告にも等しかった。舞の顔に急激に老いが現れた。皺が寄り、肌の艶が衰えて行く。

「うおおおお……」

 舞は実際の年齢にふさわしい容貌になってしまった。

「お、おのれ!」

 それでも舞は憎しみの眼で雅を睨みつけた。もはや勝敗は決したかに見えた。しかし、雅はまだ警戒していた。

( おかしい。バアさん、まだ何か隠し球があるのか? )

 舞は始めこそ狼狽えていたが、すでに落ち着きを取り戻している。雅にはそれが解せなかった。舞はニヤリとして、

「どうやら私は、実年齢でもまだ寿命は尽きていないようだね。これは賭けだったけどね」

「何?」

 雅は嫌な予感が当たってしまったことを知った。舞はクククと低く笑い、

「小野宗家に我が教団の布教読本が渡っていることは知っていた。仁斎が何か仕掛けて来ることも予想はしていた。ただ、私の知らない奥義を使われたので、少しばかり面食らったけどねェ」

言い放つと、再び妖気を身にまとい始めた。雅は唖然とした。

「バカな。妖気は全て浄化されたはず。それは一体……」

 舞は高笑いをした。彼女の顔がまた若返って行く。しかも、以前より若くなったようだ。ますます藍に似て来た。ただし、舞は藍と違って、凶悪な顔つきをしていたが。

「知りたいかい、この逆転劇の秘密を?」

「……」

 雅は舞の挑発めいた言葉に何も反応しなかった。舞はそんな雅の心の内を見透かすように、

「教えてやるよ。秘密はこれさ」

懐からDVDを出した。雅はギョッとした。

「それは、まさか……」

「隆慶が初めて作成した、憎悪と怨嗟を集積したものだよ。ここから妖気を取り出し、身にまとったのさ。これも我が結界を仕掛けてあったから、姫巫女流もどうすることもできなかったんだよ。仁斎は、私が妖気を取り込む時に結界を解除するのを知っていたから、今回の術を使ったんだろうけど、いくら仁斎が足掻こうと、我が結界は決して姫巫女流では破れないからねェ」

 舞はDVDを投げ捨て、

「この結界は私にしか操れない。しかも、これは黄泉路古神道ではないから、妖気がなくても、解除はできる。あんたも知っているだろ、私は陰陽道も極めているんだよ」

 しかし雅は、

「何が極めているだ。あんたは黄泉路古神道も姫巫女流古神道も、そして陰陽道も、全部中途半端な術者に過ぎない。自惚れるな」

 舞はそんな雅の言葉をせせら笑った。

「強がりだけは一人前だね、あんたは。これで私は妖気を取り戻した。再び黄泉路古神道で魔神霊合わせ身をなす」

 舞は再度魔神霊を憑衣させた。雅は、

「愚かな。自滅の道を選ぶか……」

舞はますます凶悪な顔になり、口から妖気を吐き出した。

「人でなくなってしまうぞ」

 雅が叫んだ。しかし舞は半狂乱のようになって笑い、

「構わぬ! 人であろうとなかろうと、この世を統べるに不都合ではない!」

「……」

 雅はさっきの仁斎の術で舞が滅ぶのを望んでいたのだ。だが、そうはならなかった。彼は意を決したように、

「では俺も切り札を使うぞ」

「何? まだ戦うつもりか?」

 舞は哀れむような顔で雅を見ていた。雅は、

「あんたは、あんたを信じていた者まで平然と裏切り、見捨て、自分の欲のために利用した。そのことに一片の後悔もしていないのか?」

 冷静な口調で尋ねた。舞は雅の問いが何を意味しているのか理解するつもりはないらしく、バカにしたような笑みを口元に浮かべ、

「私は生まれてこのかた、後悔など一度もしたことはないよ」

「それが答えか。わかった。もう俺にはあんたに対する情はなくなった。これからどんなことが起ころうと、あんたは後悔しないのなら、俺も心置きなく切り札を使える」

 雅の謎めいた言葉に、舞はほんの少しだけ疑問を感じたのか、眉をひそめた。

「何のことだ?」

 しかし、舞のその問いかけには、雅は何も答えず、柏手を二回打つと、

「今から俺が使う切り札は、一度始めてしまったら最後、何が起ころうと止めることはできない。俺自身にもな。覚悟しろ、舞!」

 舞はギリッと歯ぎしりし、

「おこがましいことを!」

 雅は呪文を唱え始めた。

「黄泉の国に神留ります、道敷大神ちしきのおおかみに申したまわく、千引のいわを越えて我が願い叶えたまえ!」

「何だと?」

 舞は自分の知らない術を雅が使おうとしていることに気づき、焦りを感じた。

( 何をするつもりだ? 道敷大神とは、黄泉津大神の別の名。それにどんな意味があるのだ? )

 舞は雅から一歩二歩と離れた。

「お前がいかような術を使おうと、妖気の強さは私の方がはるかに上。何もできぬ!」

 舞は空威張りのように言い放った。しかしそれは虚しい響きだった。雅は全く動じずに、

「黄泉路古神道奥義、黄泉比良坂返し!」

「!?」

 舞はギョッとした。しかし、雅の様子は全く変わらない。何も起こっていないように見える。

「失敗したのか?」

 舞は愉快そうに言った。雅はその舞の嘲笑に対して、スーッと右手の人差し指を舞の後方に向け、

「いや。失敗などしていない」

「ムッ?」

 舞は自分の真後ろに何かの気配を感じた。人ではない。魔物でもない。しかし、確実に背後に何かがいる。サッと人間の手が伸び、舞の右肩を掴んだ。

「うわっ!」

 舞は度肝を抜かれて、その手を払いのけ、後ろを見た。

「な、何だと?」

 そこには、首が折れた隆慶が、ニヤニヤしながら立っていた。舞は腰を抜かしそうだった。

「な、何故ここにいる? お前はもう、黄泉の国に行ってしまったはず……。まさか……」

 舞は雅を見た。雅は無表情のまま、

「黄泉比良坂返しは、死人を黄泉の国から呼び出し、術の対象者を黄泉の国に連れ去らせる奥義。これは、あんたが隆慶と仕掛けた黄泉比良坂越えの逆だ」

「そんな奥義、聞いたこともない。何故お前はそれを知っているのだ?」

 舞はゆっくりと近づいて来る隆慶から後ずさりして離れながら尋ねた。雅は再び柏手を打ち、

「この奥義は俺が編み出したもの。誰も知りはしない」

「お前が?」

 舞は隆慶を睨み、

「亡者は黄泉の国に帰れ!」

 黄泉剣を出し、隆慶を斬った。しかし、剣は隆慶を素通りしてしまった。

「ど、どういうことだ?」

「あんたはもはや俺の術中に落ちている。何もできない。そして、あんた自身も死人故、黄泉の国に帰るしかないんだよ」

 雅の言葉に舞はギクッとした。雅は続けた。

「あんたは、自分の呪力を高めるために、自らの命を断ち、黄泉返った。だからこそ、実力以上に妖気をまとうことができた。だが、それが仇になったな。あんたはもう、この世には留まれない」

「くっ!」

 隆慶だけでなく、今まで舞がその野望のために犠牲にして来た多くの人々が現れ、舞の身体を掴んだ。

「や、やめろーっ!」

 舞の身体は次第に根の堅州国に引きずり込まれて行った。

「ご、後生だ、雅! 助けてくれ。根の堅州国に他の者の力で引きずり込まれたら、自分の意志では二度と現世に戻れないことは、お前とて知っていよう? 助けてくれ、頼む!」

 舞はさっきまでの傲慢な態度はどこへ行ってしまったのか、今にも泣き出しそうな声で雅に助けを求めた。雅は眉一つ動かさずに、

「何も聞こえんな。あんたが今までして来たことは、この世と黄泉の国の理に逆らうことだった。今更命乞いとは、あまりにも身勝手な言動だな。さっきも言ったが、この術は一度始めてしまったら、術者にも止めることはできない。諦めて、根の堅州国に行け」

 舞は恐怖に引きつった顔で、雅を見ていた。身体半分が根の堅州国に入り込み、舞はすでに現世に戻れる状態ではなかった。

「ならば、せめて殺してくれ! 黄泉路古神道で不老不死になったままでは、根の堅州国では死ぬこともできぬ! 自害をすれば、さらに奥底の闇の国に落ちてしまう! 殺してくれ、頼む!」

 舞の絶叫を雅は哀れとも思わず、ジッと見つめていた。舞の身体に無数の亡者の手が取りつき、彼女をグイッと引きずった。舞は必死に抵抗していたが、力の差があり過ぎた。彼女はズルズルと根の堅州国に引き込まれた。

「雅ーッ!」

 舞の断末魔だった。彼女は隆慶達と共に、根の堅州国に消えた。

「隆慶や他の亡者は、あんたの心の奥底の恐怖心が作り出した幻想だ。黄泉比良坂返しとはまさしく深層心理を利用する奥義。あんたは自分自身の恐怖心によって、根の堅州国に引きずり込まれた。まさしく自業自得だ」

 雅は呟き、武智の遺体に近づいた。

「仇は討ったぞ、武智。俺のせいで、こんなことになって、本当にすまなかった」

 雅がそう言った時、武智の霊が光に包まれて現れた。雅はハッとして、

「武智?」

 武智の霊は、

「気にするな、雅。俺は俺で、小山舞とは因縁があったんだ。お前のせいじゃないさ」

 スーッと消えてしまった。雅は苦笑いをして、

「ありがとう、武智」

 彼の遺体を見た。


 藍は日光方面から放たれる驚異的な妖気が気になり、東照宮を目指して飛翔していた。

「舞の気配が、消えた?」

 藍は雅が舞を殺してしまったのだと思った。しかし、死んだのとは違う気配の消え方なので、彼女は余計に雅と舞のことが気になった。

「一体何があったのかしら?」

 藍は疑問を感じながら、日光を目指した。


 他方、仁斎も舞が現世からいなくなったのを感じていた。

( あの憎悪の塊のような舞の気配が消えたか。雅はどう決着をつけたのか……)

 彼は手に持っていた豊国一神教の布教読本を掃き集めた落ち葉の中に投げ、火を点けた。

「とうとう、落ちるところまで落ちてしまったか、舞」

 仁斎は白々と明け始めた東の空を見上げた。

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