第九章  豊国大明神 VS 姫巫女流古神道

 舞の周囲の妖気は、もはや誰も近づくことができないほどの状態になっていた。

「そしてたった今、月は満ちた! 我が呪術は最大の力を発揮する!」

 舞の叫びが境内に木霊した。雅はただ歯ぎしりしてそれを見ているしかなかった。


 その頃藍は栃木県上空まで来ていた。彼女の身体は自らの輝きと月の光によって幻想的な姿に見えた。

「えっ?」

 彼女は前方から迫って来る異様な妖気の塊に気づいた。月明かりの中に蠢いているそれはあらゆる災いの元の如く、周囲から浮き上がって見えた。

「何?」

 藍は飛翔を停止し、その妖気の塊に目をやった。その途端に、その妖気から発せられるおぞましいまでの憎悪と怨嗟が、藍の心の中に入って来た。藍はギョッとした。

「まさか?」

 それは秀吉の怨霊、いや、魔神霊であった。秀吉は周囲の死霊や魔物を吸い込みながら、地上の草木を腐らせ、人家を溶かしながら飛翔していた。

「妖気が凄まじくて、あらゆる物が腐って行く……」

 藍はすぐさま究極奥義に入った。彼女は柏手を4回打った。

「姫巫女流古神道奥義、姫巫女二人合わせ身!」

 天から古代倭国の女王卑弥呼と台与の神霊が降臨し、藍と一体となる。輝きが増した藍に、飛翔を続ける秀吉が気づいた。顔が険しくなり、周囲が妖気で歪んで見えた。

「うぬは誰ぞ? 我が行く手阻む者か?」

 秀吉の口から妖気が吐き出された。藍は秀吉の前に立ちふさがり、

「ここから先は行かせないわ。貴方はもはやこの世の者ではないのだから!」

そして、

「神剣、十拳の剣、草薙の剣!」

二つの剣を両手に出した。

「ぬうううっ」

 秀吉は藍が出した神剣のまばゆい光にに身じろいだ。藍は二つの剣を交差させて、

「闇に染まりし者は、闇に帰れ!」

秀吉に向かおうとした。するとそれを卑弥呼と台与が阻んだ。

「えっ?」

 合わせ身をしているのに、卑弥呼と台与が自分の行動を阻んだので、藍はびっくりして、

「どういうことなの、一体?」

二人の女王を見た。卑弥呼が藍の心の中に語りかけて来た。

『この者は、黄泉路古神道で操られているだけ。消し飛ばすことが我が流派の理ではない』

「あっ……」

 藍はハッとした。そんな藍を無視して、秀吉の魔神霊は再び飛翔を始めた。

「待って!」

 藍はすぐさま秀吉を追いかけた。


 舞の周囲の妖気は、すでに東照宮を腐らせ始めていた。

「雅、わかっているのだろう? もうお前は私に平伏すしかないのだ。今ならまだ命だけは助けてやる。命乞いをしろ」

 舞は半分狂気を帯びた顔で雅を見た。雅はその時、舞の周りの異変に気づいた。

( 何だ? )

 彼はほんのかすかだが、妖気の中に光を見たのだ。

「見間違いか? あれほどの妖気の中に留まる光など……」

 その時彼はあることを思い出した。

「もしや……」

 舞自身も、自分の周囲にかすかな光が巡っていることに気づいた。

「何だ、これは?」

 その光は次第に大きくなって行った。舞はそれを見て慌てたようだった。

「まさか、これは?」

 次の瞬間、その光がまるで太陽のような強烈な輝きに変わり、舞の周囲の妖気を消し飛ばしてしまった。

「ぐあああっ!」

 舞はその光の衝撃で地面に倒れ伏した。

「今のは紛れもなく姫巫女流。藍か? いや、違う」

雅が呟くと、舞がバッと立ち上がり、

「仁斎め! 小細工をしおって!」

 雅は舞を見て、

「どうする、バアさん? 妖気は全部消えてしまったぞ」

「まだだ。私は切り札を残しているんだよ、雅!」

 舞は右手だけを根の堅州国に入れ、そこからまた黄泉の玉を引き出した。

「むっ?」

 雅はその黄泉の玉を見て眉をひそめた。

「この妖気は……」

 舞は嬉々として、

「これが私の切り札さ! 魔神霊召喚!」

 黒い塊は空高く舞い上がり、女の姿になった。真っ黒な容姿のため、顔や服装はよくわからなかったが、秀吉と同時代の女性の霊を主体とした魔神霊のようだった。

「やはり……」

 雅はそう呟くと、フッと笑った。舞は雅の表情に気づき、

「何がおかしい? とうとう気がふれたのか、雅?」

さも哀れそうに言った。しかし雅は、

「気がふれる? 何を勘違いしているんだ、バアさん? 俺はあんたの切り札が読み通りだったので、思わず笑っただけだ」

「何だと? 強がりを言うな! 仮にこの魔神霊の正体がお前の読みと同じでも、お前にはなす術などない。朽ち果てよ、雅!」

 舞は柏手を4回打った。そして、

「黄泉路古神道秘奥義、魔神霊合わせ身!」

 雅は一歩下がり、

「そういうことか」

そして、

「それがあんたの切り札か?」

「そうだ。お前はもちろんのこと、源斎様でさえなし得なかった秘術だ。姫巫女流の姫巫女合わせ身と対をなす、黄泉路古神道の秘奥義よ。この秘術は私にしかできぬ」

 舞が言い放つと、雅はニヤリとして、

「それは違うぞ。源斎もその術のことは知っていた」

 舞は雅の言葉に激怒したようだった。

「嘘をつくな! もし源斎様が魔神霊合わせ身を知っているのなら、宗家の小娘との戦いで何故使わなかった? 知らなかったから使えなかったのだ」

「知っていたが使わなかったんだよ。魔神霊合わせ身は両刃の剣。敵を確実に倒せるが、自分にもその反動が返って来る。だから源斎は使わなかったんだ」

 雅の言葉に舞は一瞬色を失ったようだったが、

「そんなことはない! 操る魔神霊が自分より妖気が強ければ身体を乗っ取られることはあろう。しかし、私は隆慶のソフトで妖気を強くしている。魔神霊に乗っ取られるような愚かなことはせぬ!」

雅は、

「どうやらまだよくわかっていないようだな。さっき仁斎のジイさんが仕掛けた術がどういうものだったのかが」

「何?」

 舞は目を剥いて雅を睨みつけた。


 藍は再び秀吉の魔神霊の前に出た。

「これ以上被害を広げさせない。ここから先には行かせないわ!」

「邪魔立ていたすな! 我が悲願は怨敵徳川の江戸を滅すること! 邪魔する者は、例え女子供とて容赦はせぬ!」

 秀吉の妖気は次第に邪悪さが増していた。さっきよりさらに容貌が凶悪化しているのだ。藍はそれでもひるまず、

「もはや江戸はありません! 関ヶ原で豊臣方として戦った薩摩と長州を中心とする倒幕派の力で、徳川の世は終わり、江戸は東京と名を変えました。太閤の怨敵はもういないのですよ」

しかし秀吉は顔をさらに憎しみで険しくし、

「そのようなこと、どうでもよいのじゃ。今わしがなさんとすることは、江戸を滅し、京を再び日の本の中心とすることじゃ」

「えっ?」

 藍は仰天した。秀吉の霊体が急激に巨大化したのだ。

「そこをどけっ!」

 秀吉の発する妖気は藍を弾き飛ばすように押しのけた。秀吉は藍が退いたのを見て、飛翔を再開した。

「このままじゃ東京まで行く間にどうすることもできないほどの憎しみの塊になってしまう! どうしたらいいの?」

 藍はなす術がない、と諦めかけた。すると今度は台与が心に語りかけて来た。

『憎しみに固まった心を溶かすのは、身近な人の言葉です。貴方の心に、秀吉の心を解きほぐす人を思い浮かべ、もう一度秀吉と向かい合ってみなさい』

「心を解きほぐす人?」

 藍は秀吉を追いかけながら、秀吉に関わりのある人を考えた。

「まだ邪魔するか!」

 秀吉の身体からたくさんの黄泉の魔物が現れ、藍に向かって来た。藍は草薙の剣と十拳の剣を合わせ、

「天津剣!」

一つの剣にすると、黄泉の魔物を次々に斬り裂き、消し飛ばした。

「ならばこれでどうじゃ!」

 秀吉の手の指全てから黄泉醜女が現れ、混ざり合って一つの巨大な黄泉醜女になった。

「黄泉路古神道?」

 藍はギョッとした。彼女は舞の高笑いが聞こえたような気がした。

「すでに秀吉は秀吉でなくなって来ている。早くしないと、心がなくなってしまう!」

 藍は巨大な黄泉醜女を天津剣で斬り裂き、秀吉の前に回り込んだ。

「江戸は、貴方に従っていた島津や毛利の子孫を中心とした倒幕派に占領され、徳川の世は終わり、武士の時代も終焉しました。貴方の仇は、すでに島津と毛利が討っているのです。もう終わっているのですよ、徳川と豊臣の争いは」

 藍のその言葉に、ほんの一瞬秀吉の顔が穏やかになった。しかし、

「江戸は日の本の中心にあらず! 京に日の本の中心を戻すのじゃ!」

 秀吉はなおも飛翔を続けようした。

「行かせないわ!」

 藍は秀吉を追いかけ、立ちふさがろうとした。しかし秀吉は予想以上に早く飛翔し、藍は突き放されてしまった。

「だめ、憎しみの炎が強くなっている。どうしてなの? このままじゃ、追いつけない……」

 藍が諦めかけた時、

『秀吉にとって心安らぐ人を思い浮かべるのです。強く念じなさい』

 卑弥呼の声が藍の心に届いた。藍は目を瞑り、一人の人物を思った。その時、飛翔する秀吉の前方に光に包まれた一人の尼僧の霊が現れた。秀吉はその尼僧を見て動きを止めた。尼僧はまさしく菩薩のような優しい微笑みを浮かべ、秀吉を見た。

「お、おねか?」

 秀吉の形相が急激に穏やかになり、巨大化した身体が元の大きさに戻った。それに伴い、どす黒い妖気が消失して行った。尼僧はまさしく秀吉の正室である北政所、おねであった。

「おおおっ……」

 秀吉の顔が人の顔に戻り、その両眼から止めどなく涙が流れ落ちた。おねはニッコリと微笑んで、

「さ、帰りましょう、殿下」

「おね……」

 秀吉とおねは抱き合い、天に昇り始めた。二人は藍の後ろに見える卑弥呼と台与を見て手を合わせた。

「皇祖神様、感謝いたします」

 秀吉は呟き、おねとともに光となり、天へと消えて行った。

「私のような他人の百万遍の言葉より、生涯を誓い合ったおねの微笑みの方が、秀吉の心に響いたのね。良かった……」

 藍の眼からも涙がこぼれ落ちた。そして、

「ありがとう、卑弥呼、台与……」

と呟いた。


 深夜の小野神社の拝殿の前に、仁斎は立っていた。

「藍、何とか終わったようだな。後は、舞と雅か……」

 仁斎は心なしか悲しそうだった。

「兄弟の仕出かしたことは、兄弟が決まりをつけんとな」

 仁斎は北の空を見上げた。

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