第六章 平成大阪夏の陣 黄泉路古神道編
藍と剣志郎は、森のアパートを出て、多摩センター駅に向かっていた。
「そのDVDに入っているソフトと京都の地図、どうするんだ?」
剣志郎が尋ねた。藍はDVDのケースを眺めたままで、
「とにかく、神社で調べてみるよ。小山隆慶が仕掛けたものが何なのか探るためにね」
「その言い方、俺には帰れってことか?」
剣志郎はムッとして言った。藍はケースから目を上げて剣志郎を見上げ、
「違うわよ。私、独りよがりだったわ。貴方や古田さん達に関係ないから関わるなって言ったけど、それは私の理屈。相手にはそんなこと関係ないのよ」
「えっ?」
剣志郎は藍の言葉にギョッとして立ち止まった。藍もそれに合わせて立ち止まり、
「つまり、もう貴方は完全に関わってしまっているのよ。古田さん達は大丈夫だろうけど」
「そ、そうか」
剣志郎は「関わっている」と言われて、少々怖くなっていた。するとその様子に気づいた藍が、
「安心して。私が必ず守るわ」
力強く言った。すると剣志郎は苦笑いをして、
「何だか情けないな。本来その台詞、俺が言うんだよな。お前に守ってもらうのか」
「情けなくないわよ。相手は貴方ではどうすることもできないような連中なのよ。肉弾戦ならともかくね」
「ああ」
剣志郎は肩を竦めた。そして、
「お前も気をつけろよ」
「ええ」
二人は互いに微笑み合って、また駅を目指して歩き始めた。
雅は大阪城のお堀の端にいた。
( さらに舞の結界が強くなっている。どういうことだ? )
雅は辺りを見回した。観光客がたくさん見えるだけで、怪しい者の姿はない。ただ、大阪城から北東の方角に、真っ白なビル、すなわち豊国一神教の教団ビルが目に入った。雅は続けて南西の方角に目を向けた。そこには、小山隆慶と舞が住むマンションが建っている。
「まさか……」
雅が一番恐れたことが実行されたのだ。
( 舞め、源斎と同じことを始めたか? 大阪の小野の分家を潰したのか? )
雅は歯ぎしりした。
「どこまでも狡賢い女だ」
藍は多摩センター駅で剣志郎と別れて、バイクで小野神社に向かっていた。
( 森さんを狙う理由は何だろう? もし、このDVDが目的なら、もう森さんは狙われないはずだけど……)
その時、ポケットの携帯が鳴り出した。藍はバイクを停め、携帯に出た。
「お祖父ちゃん? とうしたの? えっ?」
それは仁斎からの大阪の小野分家の神社と屋敷が火事で全焼し、一家全員が焼死した、という知らせだった。
「舞の仕業のようだ。京都の分家も警戒を強めている。しかし、黄泉路古神道を使って仕掛けて来られては、並みの術者ではやられてしまう」
「大阪に行った方がいいんじゃないの?」
「そうだな。準備をしてくれ。わしは京都と奈良に連絡を取る。姫巫女流の結界で、何とか舞の攻撃を凌がせるしかない」
「ええ」
藍は携帯をしまい、再びバイクで走り出した。
「小山舞。何をしようとしているの? どうして分家を……」
小山舞は教団ビルの一室から、大阪城を見下ろしていた。
「雅。お前になど私の計画がわかるはずがない。そして邪魔もさせぬ。小野の血は、全て滅してやる!」
舞は憎悪に満ちた顔でそう呟いた。そして、部屋の中央にあるパソコンで何かを見ている隆慶に近づいた。
「江戸曼荼羅の秘密は解けまして?」
舞は先程とは全く別の優しい笑顔で、隆慶に尋ねた。隆慶は画面を見たままで、
「ほどなく解ける。しかし、江戸曼荼羅を崩壊させるには、相当の呪力が必要だ。秀吉公のお力を持ってしても、難しいかも知れんぞ」
舞は隆慶に後ろから寄りかかり、
「大丈夫です。最後の切り札はわかっております。この曼荼羅を造った者の末裔ですわ」
「末裔?」
隆慶は意外そうに舞を見た。舞は不敵に笑って隆慶から離れて窓の外を見やり、
「そうです。そいつさえ押さえれば、最終的には我らの勝ちです。しかし、その前に排除しておかなくてはならない存在があります」
「宗家の小娘と、小野雅か?」
隆慶は立ち上がって舞を見た。舞は振り返って、
「その二人だけではありません。宗家の先代の小野仁斎。いえ、日本中にある小野の分家の宮司達ですわ」
「そいつら全員が邪魔者だというのか?」
隆慶はいささかうんざりした顔で尋ねた。舞は隆慶に近づきながら、
「全員を始末する必要はありませんが、邪魔する者は全て排除します。例えそれが幾千、幾万であろうとも」
「……」
隆慶は舞のその時の顔をほんの一瞬であるが恐怖した。
武智は寛永寺から出て来たところで、雅に気づいた。
「どうした、雅? 大阪に行ったんじゃなかったのか?」
武智が尋ねると、雅は真剣な顔で、
「大阪の小野の分家が全員焼死した。舞の仕業だ」
「何だって? 小山舞は、そっちの方に動き始めたのか?」
武智は動揺していた。
「舞の結界は憎悪の結界だ。分家の人間の死が、結界を強くしていた。このまま分家を潰されて行くと、舞の結界は俺やお前にも破れなくなるかも知れん」
「もしそうなると、豊臣一族の怨霊復活を阻止できない。早く手を打たないと、本当に取り返しがつかなくなるぞ」
武智の言葉に雅は深く頷き、
「俺はもう一度大阪に行く。一緒に行くか?」
「いや、遠慮しとくよ。根の堅州国のあの光景は、そう何度も見て耐えられるもんじゃないからな」
武智が苦笑いして答えると、雅もフッと笑い、
「わかった。早く来てくれ」
姿を消した。武智は溜息を吐いて、
「大阪か。藍さんも動いているのだろうか?」
小野神社のあると思われる方角を見上げた。
藍は自分の家に到着すると、すぐさま部屋に行き、机の上のノートパソコンを起動させた。
部屋の中は、日本史の本がところ狭しと並んでいる本棚があり、神道関係の雑誌や本が平積みされ、鴨居には巫女の袴と表着がハンガーで吊るされている。
あまり女性を感じさせる部屋ではない。藍自身、自分が女らしさに欠けているのではないかと悩んでいるようだ。しかし、それは取越苦労だろう。彼女は知らないのだが、仁斎の下に、藍の縁談話がひっきりなしに届いている。ただ、仁斎がそれを全て握りつぶしてしまっているだけなのだ。
それだけではない。同僚の男性教師からも結構な数アプローチがあるのだ。それも杉野森学園の園長と理事長、そして仁斎の三者会談で本人に伝えないまま、葬り去られている。ひどい話なのだが、神職を継承する女性としては、仕方のないことなのかも知れない。仁斎が剣志郎を警戒するのは、その辺の事情があるのだ。今以上に剣志郎が藍と親密になると、場合によっては強権発動、すなわち、剣志郎は解雇されてしまうかも知れない。
「普通の女の子と同じってわけにはいかないんだよな」
藍はシミジミ思ったこともある。
「このDVD、何か秘密があるのかな?」
藍はマウスをクリックしてファイルを開いたが、特に隠しファイルのある形跡はなかった。
( 何故小山隆慶と舞は、森さんを監視しているのだろう? このDVDに何か秘密がないとすると、森さん自身が忘れている何かがあるのかも……)
藍はDVDをドライブから取り出した。
「武智さんなら何か知っているのかな?」
藍はそう考え、武智の名刺を取り出して電話番号を確認した。そして携帯でその番号にかけてみた。
「やあ、藍さん。どうしました?」
武智はすぐに電話に出た。藍はハッとして、
「すみません、突然電話して。今、大丈夫ですか?」
「ええ。今まで雅と話していたんです。あいつは大阪に行きましたよ。大阪の小野家の方が全員焼死したとかで」
「そうですか」
藍はガッカリしたように呟いた。武智が、
「それで、御用は?」
先を促した。藍は我に返って、
「小山隆慶達に監視されていた人がDVDを持っていたのですが、その内容は彼らに狙われるほどのものではないのです。どうして監視されているのか、理由がよくわからなくて……」
「なるほど。連中がその人を監視していたのは、そのDVDのせいではありませんよ。貴方のお友達が、その人に連絡をしたせいなんです」
「えっ?」
藍は仰天した。武智は続けた。
「貴方のお友達が、森さんのところに電話して、何度かアパートを尋ねているのですよ。それに気づいた小山舞が、黄泉の魔物を放って、森さんの動きを封じ、監視していたのです」
その言葉に藍はショックを受けた。さらに関係ない人を巻き込んでしまったのだ。
「恐らく、その人は利用価値があると考えたのでしょう。だから、直接殺したりせず、貴女達をおびき寄せるエサにしたのですよ」
「……」
藍は黙り込んでしまった。武智が、
「どうしました、藍さん?」
「ごめんなさい。また、関係ない人を巻き込んでしまったと思って……」
「それは仕方ないですよ。森さんにしても、貴女のご同僚にしても、何も知らないのですから。あまり気にしない方がいい」
「はい」
藍はその時ふと思い出したことがあった。
「あのアパートの結界は、武智さんが張ったものですか?」
藍の問いに武智はしばらく黙っていた。藍は武智が機嫌を損ねたのかと思い、
「武智さん?」
すると武智は、ようやく口を開いた。
「そうですよ。以前お話したと思いますが、私は山王一実神道の継承者なのです」
「貴方は南光坊天海の末裔、すなわち、明智光秀の子孫なのですね?」
藍が畳み掛けるように尋ねた。藍は天海僧正が山王一実神道の復興に尽力した人物だったことを思い出したのである。そして、山王一実神道という宗派名を考案したのも、天海だと言われていることも。武智は笑ったようだった。
「私の先祖は明智光秀です。でも、明智光秀が天海僧正だったかどうかは、私にもわかりません」
「えっ? それ、どういうことですか? 明智光秀の子孫で、山王一実神道の継承者なのに、光秀が天海だったかどうかわからないって?」
藍は不思議に思ったことをそのまま口に出して尋ねた。
「私の先祖は、明智光秀ですが、南光坊天海が明智光秀であったかどうかは、私の家には伝わるものがありません。つまり、証拠がないのです」
「はァ」
藍の拍子抜けした声に武智はまた笑ったらしい。そして、
「小山舞達は本格的に動き出したようです。小野一門が、この件を調べ始めたからのようです。次は京都の分家が狙われるかも知れない」
「ええ」
藍は深刻な顔で頷いた。そしてもう一つの疑問を武智にぶつけてみた。
「豊国一神教の目的は、京都に都を戻すことなんですか?」
「それは豊国一神教の目的ではなく、小山隆慶の個人的な望みですよ。小山舞はもっと恐ろしいことを考えています」
武智の答えは藍の想像を超えていた。
「それはどういうことなんですか?」
藍は重ねて尋ねた。武智は一拍置いてから、
「連中が大阪城の鬼門と裏鬼門を押さえているのは、豊臣一族の怨霊を甦らせるためだけではないのです。ここからは私の想像になりますが、小山舞はさらにその奥底に眠っている、もっと凄まじい憎悪の塊を呼び出そうとしているのだと思われます」
藍は思わずゴクリと息を呑んだ。
「それは一体何ですか?」
武智は声を低くした。
「一向宗徒達の怨霊を呼び出そうとしているのではないかと推測しています」
「一向宗徒の?」
藍も日本史の教師だ。
第六天魔王と呼ばれた織田信長が、躍起になって滅ぼそうとしていた石山本願寺は、大坂城が建造される前に、同じ場所にあった寺だということくらいは知っている。一向宗と織田軍の戦いは、凄惨を極めたものだ。もし、その一向宗徒の怨霊を小山舞が利用しようとしているのなら、それは恐らく豊臣一族の怨霊より始末が悪いかも知れない。
「ただ、これはあくまで私の推測ですから。小山舞がそこまでの力を持っているか、多少疑問ですしね。貴女も姫巫女合わせ身のような呪力を消耗する秘義を修得しているのですからお分かりかと思いますが、多数の霊を従わせることは、術者の能力に関わって来ます。小山舞に何か秘策があれば別ですが、今の段階では、私の推測は取越苦労の可能性が高いようです」
武智のその言葉に、藍はホッとした。しかしまさに小山舞には秘策があったのだ。その時の武智と藍には、知るべくもなかったのだが。
「あの」
藍は雅のことを尋ねようとした。すると武智はまるで藍の心を見透かすかのように、
「雅は、大阪の小野分家が全滅させられたために小山舞の結界が強まっているのを懸念していました。あの女の結界は人の憎悪を吸収して強化されるもののようです」
「そうですか」
藍は自分の気持ちを武智のすっかり読まれているのを感じて、とても恥ずかしくなった。
「私もこれから大阪に向かうところです。藍さんはどうされます?」
武智の問いかけに、藍は一瞬考え込んだが、
「祖父と相談して、結論を出します」
「わかりました。大阪で待っていますよ」
「はい」
藍は携帯を切り、部屋を出て仁斎のいる居間に向かった。
「お祖父ちゃん」
しかし居間には仁斎はいなかった。藍は嫌な予感に襲われ、家を飛び出した。しかし仁斎は神社の拝殿の前に立っていて無事だった。
「どうした、藍?」
仁斎は藍の様子がおかしいのに気づき、声をかけた。藍は呼吸を整えてから、
「京都の分家は大丈夫なの?」
「まだ何も起こっておらんよ。それより、すぐに大阪に行く準備をしなさい。大阪の分家が全員殺されたとなると、事は一刻を争う」
「ええ」
藍は大きく頷いて答えた。
その頃小山隆慶は、パソコンで東京の地図を見ていた。
「江戸の四神相応の図は、思った以上に安定している。どこから崩せばいいものか……」
隆慶は画面を見入って思案していた。舞はそれを後ろから眺めていたが、
「東に河があって
隆慶は頷いて、
「江戸城の東には平川という川があった。そして、南には江戸湾。さらに西には東海道。しかもその起点を徳川家の祈願寺である増上寺が押さえている」
画面をスクロールさせて、
「そして北に山。ここがやや崩れていると思ったのだが、こんなものが北を守護していた」
栃木県日光市にある東照宮をクリックして拡大した。隆慶は忌々しそうに、
「ここがこの中で一番安定している上、全ての力を強くしている。江戸曼荼羅はまさしく鉄壁の守りだ」
舞は画面を覗き込み、
「一説によると、江戸と日光の距離は、京都と伊勢の距離と同じだとか。結局は江戸曼荼羅は京都を手本にしているのです。阿弥陀が峰にかけられた秀吉公を呪縛する封印を解き、豊臣一族を呪縛する大坂の封印を解けば、きっと破れます。それでも破れない時は、例のものを使えば大丈夫です」
隆慶は舞を見上げて、
「しかし、危険だぞ、あれは。まだ早い」
ところが舞は、
「何を弱気な。やらなければやられる。それが呪術の世界なのですよ、教主様」
説教をするように言った。隆慶は再び画面に目を向けて、
「そうか。そうだな」
納得したように頷いた。その時だった。舞はキッとして部屋の片隅を睨んだ。
「そこにいるのは誰?」
彼女は誰もいないところを見て怒鳴った。するとその誰もいない空間から、雅が現れた。
「さすがだな、バアさん。よく俺がいることに気づいたな」
雅が皮肉めいた口調で言うと、舞はニヤリとして、
「当然よ。私はお前に黄泉路古神道を教えたのだ。お前がどれほどうまく気配を消そうとも、私にははっきりとお前の居場所がわかる」
すると雅もニヤリとした。
「強がりを言うな。東京でお前が助かったのは、あのバカな正義感の男がいたからだ。あいつがいなければ、お前は真っ二つになっていた」
雅の言葉に舞は険しい顔つきになり、
「黄泉路古神道の奥義を数多く伝授された恩も忘れ、よくもこの私の邪魔をしに来てくれたな。宗家の小娘にまで手を貸させて」
雅はキッと舞を睨んで、
「藍は関係ない。俺はあんたとの過去の遺恨を断つためにここに来たんだ」
舞に近づいた。舞はチラッと隆慶を見てから、
「過去の遺恨、だと?」
「そうだ。黄泉路古神道を源斎から伝授されたあんたは、あんた独自の方法で新たな奥義を生み出した。それに気づき、あんたのことを調べ始めたのが俺の親父だ」
雅が言うと、舞はせせら笑って、
「よせばいいのに、あの男は私に黄泉路古神道を修得するのをやめろと言った。だから始末したのさ。源斎様に言われたからじゃないよ」
「そういうことか」
雅の目が怒りに満ちて行くのを舞は気づいた。しかし舞は忌々しそうに雅を睨みつけ、
「親ばかりでなく、息子のお前までこの私に刃向かうとは、つくづくお前ら第一分家は邪魔な存在だ。ここで血脈を断ってやる!」
すると雅は、
「この前も言ったはずだぞ、バアさん。本気で俺に勝つつもりなのか?」
「何だと?」
舞は雅の挑発に怒りを露にした。雅は、
「あんたは源斎がいなくなったのをいいことに行動を開始したようだが、源斎以上に宗家の藍が自分にとっては危険な存在と気づき、藍を何とか抹殺できないものかとあらゆる卑劣な手段を考えた。だが、俺と、そして武智光成にそれを悉く潰された」
「くっ」
雅の言葉に舞は歯ぎしりした。雅は隆慶を見て、
「その男がどんな力を持っているかわからんが、無駄なあがきはやめろ。俺にも勝てないあんたが、藍に勝てるはずがない」
すると突然舞が大声で笑い出した。
「何がおかしい?」
雅が怒鳴ると、隆慶が立ち上がり、
「お前はこの私には勝てぬぞ。そして宗家の小娘もな。しかも、このビルの中では尚更だ」
「何ッ?」
雅はキッとして隆慶を睨んだ。隆慶は不敵な笑みを浮かべたままで、キーボードを叩き、マウスをクリックした。
「何のマネだ?」
雅は眉をひそめた。
「こういうことだ!」
隆慶はマウスをダブルクリックした。すると、部屋の各所に備え付けられた大型のスピーカーから、
「フルエ フルエ ユラユラトフルエ」
コンピュータによる合成の声が流れた。雅はビクッとして周囲を見渡した。そして、
「こ、これは……」
「気がついたか? お前は知らぬ間に六芒星の中心に立っていたのだ。我が秘術から逃れることはできない!」
隆慶は狂喜して叫んだ。雅の額に汗がにじんだ。
( スピーカーの位置が六芒星の角。つまり、呪文の集中するところが、今俺が立っているここだ……)
「ヨミジコシントウオウギ ヨモツシコメ!」
合成の声が呪文を唱えると、各スピーカーから黄泉醜女(よもつしこめ)が現れ、雅に襲いかかった。雅はスーッと漆黒の剣黄泉剣を出し、
「ふざけたことをッ!」
次々に黄泉醜女を斬り、消し飛ばした。しかし隆慶は余裕の笑みを浮かべ、
「今のは小手調べだ。次が本番よ」
マウスをダブルクリックした。
「オキツカガミ ヘツカガミ ヤツカノツルギ イクタマ ヨミガエシノタマ タルタマ チガエシノタマ ヘビノヒレ ハチノヒレ クサグサノモノノヒレ」
「何だと?」
雅はさらに焦った。
( まさかこいつ、黄泉津大神を呼び出せるのか? 何故それほどまでの呪力がある? )
しかし、隆慶の呼び出そうとしているのは、黄泉津大神ではなかった。
「トヨクニダイミョウジン コウリン!」
「豊国大明神だと?」
雅は部屋の天井にできた、暗黒空間に目をやった。
「まさか、そいつが呼び出したのは……」
「そのまさかよ。我らが守護神にして絶対神であらせられる、豊臣秀吉公の御霊よ」
舞が歓喜の声をあげた。雅は唖然としていた。
「バカな……。天海がかけた秀吉封じの結界は、まだどれも破られてはいないはず。秀吉が現世に現れるなど……」
舞は雅の動揺を嘲笑し、
「そのとおり。まだ秀吉公は現世にはご復活できない。しかしこの部屋をよく見渡してみよ。ここは現世ではないのだ」
隆慶がその言葉にニヤリとして雅を見た。
「何!?」
雅はハッとして部屋を見回した。確かにその部屋は、現世ではなかった。部屋の壁は全て黄泉の化け物で埋め尽くされており、天井も妖気の漂う別の世界となっていた。
「これは黄泉路古神道の奥義の一つ、黄泉比良坂越え。現世と黄泉国を入り交じらせる、秘技中の秘技。源斎でさえ、使いこなせなかったものを、何故貴様らが?」
雅は舞と隆慶を睨んだ。隆慶は雅を蔑むような目で見て、
「これこそ、この私が開発した、新しい呪術。インターネットで集めた日本中の怨嗟、憎悪、怒り、悲嘆などの負のエネルギーを蓄積させ、それを呪力に変換させた。すなわち、我が呪力はあの小野源斎、いや建内宿禰すら凌駕するものなのだ」
雅は呆然とした。
「そんな、バカな……」
その時、天井にできた暗黒空間から、どす黒い色をした人間の腕らしきものが現れた。
「秀吉か?」
雅はなす術無く、それを見ていた。その時だった。
「タリツ タボリツ パラボリツ シャヤンメイ シャヤンメイ タララサンタン ラエンビ ソワカ!」
真言が聞こえて来た。雅はハッとして、
「これは、太元帥明王真言(たいげんすいみょうおうしんごん)か」
舞と隆慶はその声に焦った。
「まさか、あいつが?」
舞は辺りを見回した。部屋の片隅に一人の男が立ち、印を結んでいた。男は武智であった。
「貴様らの邪法など、我が真言の前には全くの無力!」
武智は叫び、さらに太元帥明王真言を唱えた。すると、黄泉比良坂越えが消滅し、秀吉と思しき者の腕も消滅した。
「おのれェッ! この礼は、必ずするぞ!」
舞は隆慶を伴い、根の堅州国へと消えた。
「危なかったな、雅。俺がもう少し遅かったら、さすがのお前も生きてはいなかったな」
武智がニヤリとして言うと、雅もニヤリとして、
「確かにな。それにしても、よく俺がここにいるとわかったな?」
「もちろん。お前が死ぬと、悲しむ人がいるのでね」
「何?」
雅は何のことだという顔をした。武智は肩を竦めて、
「冗談だよ。隆慶の呪術があまりにも凄まじくて、外まで妖気が漂っていたんだ。今教団ビルの周辺は大騒ぎだし、ビルの中の連中は、皆呪力に当てられて気を失っているよ」
「そうか」
雅は隆慶の呪力の秘密を考えた。
「あの男、呪術者でもないのに、何故あれほどの呪力を使いこなしたのかな? 呪力を集めるというのは、何となく想像がつくのだが」
「そうだな。舞より、あの教主様の方が厄介かも知れんな」
武智は同意した。
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