第四章  豊国一神教の計略

 剣志郎はまだ目的地にたどり着いていなかった。実は雅が剣志郎を足止めしていたのだ。先に進もうとすると、携帯が鳴ったり、そばにいた老人が話しかけて来たりして、立ち止まらされていた。

「あいつらがついて来て、邪魔してるのかな?」

 剣志郎はそんな裏事情を知らないため、由加達が悪戯しているのだと思っていた。とんだ濡れ衣である。その時、また携帯が鳴った。

「くそっ、またイタ電か?」

 剣志郎は舌打ちしながら携帯を見た。すると、そこには「藍携帯」と出ていた。剣志郎はびっくりして、慌てて電話に出た。

「はい」

「ごめん、遅れて。今多摩センター駅に着いたんだけど。どこにいるの?」

 藍が尋ねた。剣志郎はアタフタしながら、

「悪い、あんまり遅いから、先に先輩のアパートに向かい始めていたんだ。でも、場所がわからなくてさ」

「今どこなの?」

 藍は咎めるような口調で言った。剣志郎もムッとして、

「あのな、さっきお前の携帯に連絡したら、電源切れてたんだよ。仕方ないだろ」

 言い訳めいたことを言った。すると藍は、

「何怒ってるのよ。電源なんか切ってないわよ。電波状態が悪かったんでしょ。何よ、その言い方。だから関わるなって言ったのに!」

 剣志郎は藍の剣幕に仰天した。

( 怒らせたかなァ。謝っとくか )

と考えて、

「ごめんな、言い方が悪かった。今から駅に戻るから、そこにいてくれ」

「わかったわ」

 剣志郎は携帯を切り、駅へと歩き始めた。


 一方藍は多摩センター駅を目指してバイクを走らせていた。そう、剣志郎と話していたのは藍ではないのだ。そして、雅でもない。


「ククク……」

 暗闇の中で、低い声で小山舞が笑った。

「宗家の小娘にまともに立ち向かったのでは、私も勝ち目がない。私は源斎様と違う。もっと知的に宗家を攻めて、仁斎共々、殺してやる」

 舞は呟いた。

「雅め。私を陥れようとしているらしいが、我が信徒はお前の周りにもたくさんいるのだ。裏をかいたつもりが、命取りになるぞ」

 舞はこの上なく嬉しそうな顔をし、高笑いをした。


 剣志郎が駅前まで来ると、そこに藍がいた。しかし、いつもと様子が違う。どうしてそんなふうに感じるのだろうと思った剣志郎は、藍の姿をよく見直して、その答えを得た。藍は、白のサマーセーターにベルト付きのクリームベージュのタイトスカートを履いていたのだ。

「あ、あれ?」

 剣志郎は藍の出立ちに不自然さを感じたが、それ以上に奇麗で輝くような笑顔の藍にすっかり惑わされていた。

「さっきはごめんね、剣志郎。私の方が悪かったわ」

 藍は両手を合わせて剣志郎に言った。剣志郎はその表情にノックアウトされそうだったが、

「いや、俺が悪いんだからさ。とにかく、先輩のところに行こうか」

 踵を返して歩き出すと、藍は、

「うん」

 甘ったるい声で答え、剣志郎の右腕を掴んで、ベターッと寄り添い、腕を組んだ。剣志郎はすっかりドギマギして、

「お、おい、どうしたんだよ?」

 腕を振り解こうとした。すると藍はその腕を強引に引き寄せて、

「私と腕を組むの、嫌?」

 小首を傾げて尋ねた。剣志郎は、すでにどうかしてしまいそうだったが、

「嫌じゃないけどさ。誰かに見られると……」

「大丈夫よ。この辺りには、生徒も先生も住んでいないわ。それより、貴方の先輩の家ってどっちなの?」

 藍は全く意に介していない。剣志郎は溜息を吐いて、

「こっちだよ」

 そして、ギクッとした。藍の胸のふくらみが腕のあたりに感じられたのだ。

( ど、どうしたんだよ、こいつ? )

 変とは思いながらも、あまりの出来事に通常の思考ができない剣志郎はもはや敵の術中であった。

「待て」

 二人が角を曲がった時、後ろから男の声がした。

「えっ?」

 剣志郎は何だろうと思って振り返った。そこには、雅が立っていた。しかし剣志郎は雅とは面識がないので、誰なのか知らない。隣にいた藍が、

「チッ」

 舌打ちしたのが聞こえた。剣志郎はそれに驚いて藍を見た。すると、藍の顔は憎悪で歪んでいた。

「ヒッ!」

 剣志郎はそのあまりの形相に仰天し、藍の腕を振り解いて彼女から離れた。雅はゆっくりと二人に近づきながら、

「まさかあんた自らがここまで出て来るとは思わなかったよ。随分とご執心なんだな、宗家の小娘に」

 皮肉めいた言い方をした。剣志郎が藍と思っていた女は、正体を現した。それはあの新聞の写真の女、小山舞であった。確かに藍に似ていたが、舞は顔全体が憎悪に満ちている。何でこんな女に騙されたんだろうと剣志郎は不思議に思った。

「おい、離れていろ」

 雅は剣志郎に言った。剣志郎は雅に言われるまでもなく、舞から遠ざかった。雅は舞をキッと睨んで、

「藍の手を煩わせるまでもない。ここで決着をつけてやる」

「ほォ。随分な自信だねェ、雅。あんたに黄泉路古神道を教えたのは、この私だよ。勝てると思っているのかい?」

 舞はバカにしたような顔で言い放った。しかし雅はそんな挑発に乗るつもりはないようだ。無言で舞に近づいた。舞は一歩二歩と後ずさりした。

「あんたこそ大した自信だな。この俺に勝つつもりなのか?」

 雅は逆に舞を挑発した。舞は目を見開いて、

「減らず口を叩くな。弟子が師に勝てるものか!」

「弟子? 笑わせるな。あんたは俺の師匠じゃない。源斎があんたを探すのをやめたのは、あんたがどうでもいい存在だったからだ。あんたにさせるはずだった役目を、俺が果たせると考えたからなんだよ」

 雅が言い返すと、舞はキッとして、

「何だって? 嘘を言うんじゃないよ」

「嘘ではない。本来なら、秘密を知っているあんたを許すはずがない源斎が何故探すのをやめたのか、よく考えてみろ」

 雅の言葉に、舞はグッと詰まった。源斎の悪逆非道な性格は舞もよく知っていた。だから、雅の指摘に反論できないのだ。殺すまでもない存在だと見られたのだ。それは舞にとって殺される以上の屈辱だった。

「ここで討たせてもらうぞ、舞!」

 雅の右手に漆黒の剣が現れた。剣志郎はそれに気づいて驚愕した。

( あ、あれは、九州で見たものと同じだ。こいつ、あのジイさんの仲間なのか? )

 剣志郎のこの妙な思い違いが命運を分けた。舞はそんな剣志郎の迷いに気づいているのか、彼をチラッと見てニヤリとした。

「黄泉の国に行け、舞ッ!」

 雅は剣を上段に振り上げ、舞に向かって突進した。しかし舞は微動だにしなかった。

「何ッ!?」

 雅は剣志郎の思ってもみない行動に唖然とした。雅の振り下ろした剣を剣志郎が真剣白羽取りの要領で受け止めたのである。

「やめろ、人殺しめ!」

 剣志郎は雅を怒鳴った。雅は剣を引き戻し、消した。そして剣志郎を睨みつけ、

「見当違いの正義感がこの先どういう結末をもたらすのか、その目でしっかりと見るがいい」

 剣志郎は雅の言う意味がわからなかったが、

「ありがとう、坊や」

 舞の全身総毛立つような声にハッとした。彼が振り向くと、舞は異空間( 彼らの言う根の堅州国 )に消えかけていた。

「あ、あ……」

 剣志郎は自分のしたことが間違っていたことに気づいた。舞は雅を睨んで、

「大阪で待っているよ、雅。決着をつけるためにね」

 高笑いをして消えた。剣志郎は再び雅を見た。雅も剣志郎を見て、

「今見聞きしたことを藍に話して、お前の行動が正しかったかどうか、尋ねてみろ。この一件の責任、とってもらうぞ」

 根の堅州国に消えて行った。

「お、俺は……」

 剣志郎はしばらく呆然としてその場に立っていた。


 その頃藍は嫌な予感がするので、多摩センター駅に着くと、すぐに剣志郎を探し始めた。

「どこに行ったんだろう?」

 辺りを見渡したが、剣志郎の姿はなく、気配もしなかった。

「まさか……」

 藍が走り出した時、ようやく剣志郎の気配がした。

「剣志郎?」

 藍は気配がする方に走った。しばらく行くと、剣志郎が呆然とした顔で歩いて来るのが見えた。

「剣志郎!」

 藍が叫ぶと、剣志郎はビクッとして彼女を見た。

「あ、藍?」

 訝しげな目で、剣志郎は独り言のように呟いた。藍は剣志郎に駆け寄ると、

「どうしたの、血が出てる……」

 剣志郎の額に手を伸ばした。剣志郎はハッとして身を引き、額を拭った。手の甲に血の色が移っていた。

「あの時……」

 剣志郎は真剣白羽取りが危うく失敗しかけたのだと気づき、ゾッとした。

「ほら、ちゃんと拭きなさいよ」

 藍がハンカチを取り出した。剣志郎はそれを手で制して、

「いや、大丈夫だよ。とにかく、先輩のところに急ごう」

 踵を返して歩き出した。すると藍が、

「何を隠しているの? ちゃんと話しなさいよ、男らしくないわね」

 鋭い口調で言った。剣志郎はギクッとして立ち止まり、藍を見た。


 一方武智は、芝増上寺に来ていた。ここは江戸時代、徳川家の菩提寺であった寺である。そして同時に東海道の事実上の起点であった。

「どうやらここは無事のようだな。日枝神社も何も起こっていなかったし。後は寛永寺か」

 武智は呟き、増上寺をあとにした。

 ここで位置関係を説明しておこう。

 芝増上寺は、江戸城、すなわち現在の皇居の南にある。

 寛永寺とは徳川家の祈願寺であり、東叡山とも呼ばれているのは、京都御所の鬼門を護っていた比叡山延暦寺に対応しているためだ。

 付け加えると、寛永寺と江戸城の間には、神田明神がある。

 また、日枝神社は元は日吉山王社と呼ばれていて、戦国時代に太田道灌が江戸城を開いた時、比叡山の守護神である日吉大社を勧請したものである。

 武智が増上寺や日枝神社、そして寛永寺を警戒しているのは、小山舞達の動きと関係があるようだ。


 藍と剣志郎は駅まで戻り、中のベンチに座って話をしていた。

「あっきれた。私がそんな格好するわけないの、一番良く知っているはずじゃないの?」

 藍は舞に騙された話を聞いて、言葉のまま、呆れていた。剣志郎はまさしく穴があったら入りたいくらいの心境だったろうが、

「言い訳のしようもない……」

 小さくなった。そして、

「おかしいとは思ったんだけど、あんまり奇麗だったんで、見とれてしまったんだ……」

 すると藍はますます呆れて、

「結局男って、すぐに色香に騙されちゃうんだから」

「いや、その時は、お前だと思ってたんだよ。だから、その……」

 剣志郎が言い出したので、藍はカッと赤くなり、

「そんな、的外れなお世辞言ってもダメよ。貴方はやっぱり、関わらない方がいいのよ」

 その時、武智の言葉が藍の脳裡をよぎった。

『関係なくはないですよ。貴女と関わりがある人は、皆関係者です。小山舞にその人は関係ないと言ってみたところで、それは貴女の理屈でしかない。まさしく関係なく狙われるのですよ』

( そうだった。私がいくら関係ないと言ってみても、小山舞には通用しない。すでに剣志郎は小山舞と接触してしまった。関係ないではすまされないんだ……)

 藍は思い直して言った。

「それで、もう一人の男が現れたのね?」

 この段階では、まだ藍はその男が雅だと知らされていない。剣志郎は、

「そう。それで、その男がいきなり手に真っ黒な剣を出して、小山舞に斬りかかったので、慌てて割って入って、剣を受け止めた時に、ちょっと頭に当たったらしいんだ」

 額の辺りを触った。藍は剣志郎の額を見て、

「切れてはいないみたいだから大丈夫だと思うけど。それで、舞とその男はどうしたの?」

「二人共消えたよ。あの、九州で見たジイさんのように、異空間に溶けるように」

 剣志郎が説明したので、藍は男の正体に気づいた。

「その男、前髪が長くなかった?」

「え? ああ、長かったな。後ろの髪も長くて、何かで束ねていたよ」

 剣志郎が言った時、藍は確信した。

「その男、小野雅よ。私の許婚だった……」

「ええっ!?」

 剣志郎はすっかり驚いていた。そして、雅が言っていたことを思い出した。

「そうか。許婚だったのか。だから、お前のことを……」

「えっ? 私のことを何か言っていたの?」

 藍が身を乗り出して尋ねた。剣志郎は気まずそうに、

「今見聞きしたことを藍に話して、お前の行動が正しかったかどうか、尋ねてみろって言われた。責任をとってもらうって……」

 藍は溜息を吐いた。そして、

「貴方、とんでもないことをしたわ。小山舞を助けてしまった。雅が怒るのも無理ないわ」

「そ、そうか」

 剣志郎はますますしょぼくれてしまった。しかし藍は、

「でも、人としては正しかったと思うわ。貴方は間違っていないわよ」

「そ、そうか。ありがとう」

 剣志郎は力なく微笑んで、藍を見た。藍は立ち上がって、

「それより、貴方の先輩のところに行きましょ。話を聞きたいわ」

「ああ、わかった」

 剣志郎も立ち上がった。そして、

「俺が狙われたくらいだから、先輩大丈夫かな? ただのプログラマーで、呪術なんて知らないから」

 独り言のように言うと、藍は剣志郎を見ないで歩き始め、

「大丈夫よ。何らかの事情で、小山舞は貴方の先輩に手出しできないんだと思う。だから、貴方を操って、先輩も何とかしようと考えたのよ」

 剣志郎は慌てて藍を追いかけ、

「どういうことだ?」

「わからないわ。行ってみないことにはね」

 藍は振り返らずに言った。剣志郎は、何となく藍が機嫌が悪いことを悟った。

( 俺がヘマしたから、やっぱり怒ってるんだろうなァ……)

 剣志郎はまた落ち込んでしまった。スタスタと歩いて行く藍に、小走りについて行く様は、完全に尻に敷かれた夫のようでもあった。

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