第三章 武智光成
翌日になった。
藍は仁斎に言われたことが気にかかっていたが、仁斎はまだ動く時ではないと言い、大阪と京都の分家からの連絡を待つことになった。
そんな中、剣志郎が懲りもせずまた豊国一神教のことで藍の携帯に連絡をして来た。藍は慌てて家の外に出て電話に出た。
「関わらない方がいいって言ったでしょ。いい加減にしないと、本当に知らないわよ」
「まァ、そう言うなよ。俺の中学時代の剣道部の先輩で、小山隆慶と同じ会社に勤めていた人がいるんだよ」
剣志郎が言ったので、藍はびっくりして、
「同じ会社に?」
大声で鸚鵡返しに尋ねた。剣志郎はその声の大きさにしばらくクスクス笑っていたが、
「そうだ。ちょっと出て来られないか? その人のアパートまで一緒に行ってほしいんだ」
「近くなの?」
「ああ。多摩センター駅のそばだ。そんなに遠くないよ」
藍はしばらく考えてから、
「わかった。多摩センター駅で落ち合いましょ。先に行ってて。私も調べたいことがあるから」
剣志郎はちょっとばかり寂しそうな声で、
「わかった。待ってるよ」
「うん」
藍は携帯を切り、出かける準備をするために家に入った。
「どうした、藍? 何かあったのか?」
仁斎が尋ねて来たので、藍は隠してもまた疑われると思い、
「剣志郎の先輩で、小山隆慶と同じ会社に勤めていた人がいるの。その人のところに行ってみることになったのよ」
仁斎は不審そうな目で、
「あの男、お前に気があるようだから、気をつけろ」
「まさか。彼はただの同僚よ」
藍が一笑に付すと、仁斎は、
「そう思っているのは、お前だけだぞ」
藍はとうとうムッとして、
「行って来ます!」
ヘルメットを持つと家を出た。その様子を見て仁斎は、フーッと溜息を吐いた。
「何よ、お祖父ちゃんたら、変なこと言って……」
藍は思わず九州の病院での出来事を思い出し、赤面した。
( あれは、そんなつもりじゃなくて……)
ではどんなつもりだったのだ、ともう一人の自分が問いつめる。藍自身、剣志郎に対する自分の感情がよくわからなかった。
「とにかく、多摩センター駅まで行くしかないか」
彼女はバイクに跨がり、エンジンをスタートさせた。
一方剣志郎は自分の住んでいるアパートから出て、駅に向かっていた。
「あっ!」
剣志郎は前方から由加達が歩いて来るのに気づいた。今日は二人よりさらにうるさい江上波子もいる。由加や祐子より頭半分くらい大きい波子は、ヒョロヒョロした、大きな丸眼鏡をかけた女の子だ。一昔前ならカッコ悪かった眼鏡が、今ではかっこいいのだから、流行とはわからないものだ。しかも、三人の中で一番顔立ちがいいのは明らかに由加なのだが( 本人もそう思っているらしい )、男子生徒に人気があるのは、アッケラカンとした性格の波子だ。実際彼女は話も上手で、男子達とよく喋る。三人の中では男っ気があまりない祐子は、波子の性格がうらやましいらしい。
「会いたくない連中が……」
剣志郎は由加達をやり過ごそうと、目の前のコンビニエンスストアに入った。そして、雑誌のコーナーで立ち読みして、由加達が通り過ぎるのを待った。由加達はほどなくコンビニの前を通り過ぎ、剣志郎の視界から見えなくなった。
「行ったか?」
剣志郎は店員が睨んでいるのにも気づかず、何も買わずに店を出て、駅に向かって歩き出した。
「せーんせい!」
由加の声がした。
剣志郎はビクッとして立ち止まった。すると、コンビニの陰から三人が現れ、ニコニコした。
「な、何だ、偶然だな。どうしたんだ、こんなところで?」
剣志郎がとぼけると、波子が、
「先生、しらばっくれないで下さい。私達に気づいてコンビニに入ったの、わかってるんですよ」
「えっ?」
剣志郎は図星を突かれて汗まみれになった。由加がニマーッとして、
「藍先生とデートですかァ?」
剣志郎はムッとして、
「違うよ。ただ会うだけだよ」
言ってしまってからハッとした。祐子がニヤニヤして、
「やっぱり小野先生と会うんですね? 竜神先生って、隠し事ができない性格なんですね」
「……」
剣志郎は女子高生に手玉に取られている自分が情けなかった。
「もしかして、昨日の話の続きですか?」
由加が興味津々の目で尋ねた。剣志郎はそんな由加の質問を完全に無視して、
「じゃあな」
三人をよけて駅に向かった。由加はムッとして、
「何ですか、それ? やっぱりデートなんですね?」
嫌味っぽく言った。剣志郎は立ち止まって振り返り、
「そうだよ。邪魔だからついて来るな!」
開き直ったふりをして言った。さすがにそういう返答を予期していなかったのか、三人はびっくりして目を見開き、その場に立ち尽くした。
「ついて来るなよ」
剣志郎は念を押し、再び歩き出した。
( うまくいったのはいいが、今のを藍に喋られたら、言い訳できないなァ……)
言ってしまってから、無性に心配になってしまった。
その頃藍は、雅が現れた公園に来ていた。しかし、雅の気配はない。藍はガッカリしてその場を離れようとした。その時、
「ちょっとすみません」
男の声が藍を呼び止めた。藍はハッとして声の主を見た。そこには、真夏だというのに、グレーのスーツを着込んだ、身長が百八十cmくらいある男が立っていた。目つきは鋭く、やや長めの髪をムースでオールバックにしている。年齢は雅と同じ三十歳くらいか、それより一つ二つ上に見えた。同時に藍は、その男から強い気を感じた。
「誰?」
藍は咄嗟にバイクから降りて身構えた。すると男はニヤリとして、
「私、こういう者です」
スーツの内ポケットから名刺を出して藍に渡した。藍はそれに目をやって、
「毎朝新聞の、武智光成さん?」
「そうです。小野藍さんですね?」
「何で私のことを知っているんです?」
藍の目が鋭くなった。武智は両手でそれを制するような仕草をして、
「私は少なくとも貴女の敵ではありませんよ。味方ではないとしてもね」
「何故私に近づいたんですか?」
藍は武智が、いや、武智と名乗るこの男が、新聞記者ではないことを見抜いていた。武智は声を低くして、
「貴女は豊国一神教に関していろいろと調べているようですね」
「どうしてそんなことまで?」
藍がますます疑いの目を強めたので、武智は、
「私は小野雅から貴女の話を聞いています。そして、私は
種明かしをした。藍は武智の正体に仰天した。すると武智はその様子をまるで無視するように、
「とにかく、立ち話でするようなことではないので、喫茶店にでも入りましょう」
「でも私、行くところが……」
藍が渋ると、武智は、
「そのためにも、話しておきたいことがあるんです」
藍はびっくりして武智を見上げた。
剣志郎は小田急線で多摩センター駅に到着し、改札を出て藍を探していた。
「どこにいるんだろう?」
彼は携帯を取り出し、藍にかけた。しかし、電源が切られているのか、電波状態が悪いところにいるのか、つながらなかった。
「どうしたんだ、あいつ?」
携帯を切り、剣志郎は周囲を見回した。
「まだ来ていないのかな? でも、渋滞関係ないから、何かあったのか……」
剣志郎は藍が過敏なまでに関わるなと言っていたことを思い出し、ゾッとした。
「あいつに限って敵に捕まったなんて……」
そうは言ったが、そんなことはないだろうという考えが頭の中を支配した。どちらかというと楽観主義者なのだ。
「仕方ないな。先に先輩のところに行っているか」
剣志郎は歩き出した。
藍と武智は、近くの喫茶店に入っていた。
「何ですか?」
コーヒーを注文した後、武智が自分のことをジッと見ているのに気づいて藍は少々ムッとして尋ねた。武智は笑って、
「いや、失礼。確かに奇麗な方ですね、藍さんは」
藍は面と向かって奇麗な方などと言われたのは生まれて初めてなので、すっかりびっくりしてしまった。
「な、何ですか、いきなり……」
藍は耳が赤くなっているのをはっきりと感じて、思わず右手で触ってしまった。武智は笑うのをやめて、
「重ね重ね失礼しました。雅の奴が惚れた女性はどんな方なのか、興味があったので、あいつの頼みを聞いたんです。貴女に手を貸すように言われましてね」
「ほ、惚れた?」
藍は雅が藍に惚れているという武智の爆弾発言にますます顔を赤らめた。しかし武智は真剣な顔をして、
「気をつけて下さい。貴女がこれから行こうとしているところは、小山舞が待ち伏せしていますよ。そこに貴女が乗り込んで行くとまずいことになる」
「えっ? どういうことですか?」
藍はようやく火照りがとれた顔を扇ぎながら尋ねた。武智は声を低くして、
「小山舞が特殊な結界を張れるのはご存じですね?」
「はい」
武智は辺りをチラッと見てから、
「その結界の中では、あらゆる呪術が使えなくなります。たとえそれが姫巫女流の究極奥義でも」
「そうなんですか……」
藍は自分の恐れていたことが現実になりそうなので、ひどく憂鬱になった。
「雅が心配していたのは、貴女の呪力の程度なのです。姫巫女流の究極奥義が使えても、貴女自身の呪術のセンスがどれほどのものなのか、彼は心配していました」
「!」
藍は意表を突かれた思いだった。確かに、自分自身の力がどれほどのものなのか、藍自身わかってはいない。源斎と対峙した時もそうだった。すると武智は、
「しかし、取越苦労だったようです。貴女はすばらしいセンスをお持ちだ。雅が心配する必要はないですね」
藍はホッとしたが、剣志郎のことを思い出し、
「でももし、武智さんの言う通りなら、私の友人が先にそこに行ってしまいます。危ないのではないでしょうか?」
「それは大丈夫です。貴女のお友達は雅が見張っていますよ」
武智は事も無げに言った。その時、注文したコーヒーが来た。二人はウェイトレスが立ち去るのを待った。
「雅が? じゃあ、どうして……」
藍は言いかけてまた赤くなった。武智はニコッとして、
「どうしてここに来なかったのか、ということでしょう? それは、小山舞が待ち伏せしているところに、貴女と貴女のお友達が一緒に行ったのでは、うまくいかないからなのです。まァ、お友達は囮なのですよ」
「お、囮? そんな、ひどい……」
藍は立ち上がって叫んだ。喫茶店にいる全員が一斉に藍を見た。藍はそれに気づいて恥ずかしそうに椅子に腰を下ろして、
「彼は関係ないんですよ? 囮だなんて……」
すると武智は真顔になり、
「関係なくはないですよ。貴女と関わりがある人は、皆関係者です。小山舞にその人は関係ないと言ってみたところで、それは貴女の理屈でしかない。まさしく関係なく狙われるのですよ」
「……」
藍は言葉が出なかった。武智はまたニコッとして、
「雅がついているんです。大丈夫ですよ。あいつも小山舞には礼をしたいでしょうからね」
「えっ? それ、どういうことですか?」
藍が尋ねると、武智は、
「雅の両親を直接殺したのは、小山舞なんですよ。雅はそれを知って舞に近づき、源斎に近づいた。両親の仇を討つためにね」
「そうだったんですか……。何も知らなかった……」
藍が呆然とした顔をしてそう言うと、武智は小さく頷いて、
「無理もありません。あいつは、そのことを隠すために小野の宗家を去った。そして、二度と貴女に会えなくなるかも知れないと思いながら、黄泉路古神道に手を染めたんです」
「……」
藍は泣き出しそうだった。雅が姿を消してから、随分と彼のことを怨んだ。彼が自分の両親を殺したと言っている仁斎の言葉を信じたからではない。こんなに心配している自分を放って、どこかに行ってしまったことを怨んでいたのだ。しかし、それは何も知らない者の愚かな思いだったのだ。雅は自分の数千倍も苦しんでいたのかも知れない、と知って、恥ずかしさで消え入りそうだった。武智はそれを見かねたのか、
「私はこれから京都に行きます。何かわかったら連絡しますよ。雅を通じてね」
「は、はい」
藍は恥ずかしそうに返事をした。二人は立ち上がり、喫茶店を出た。
「では、私はここで。お友達のところに行っておあげなさい」
「はい」
藍は立ち去りかけたが振り返り、
「武智さん、貴女は豊国一神教に対してどういう立場なのですか?」
武智はフッと笑って、
「そのうちわかりますよ。案外、戦国時代が専攻だった貴女のお友達の方が私の正体をご存じかも知れませんよ」
「えっ?」
藍は何のことかわからず、ポカンとしてしまった。
「それでは、また会いましょう」
右手を上げて立ち去る武智に、藍は我に返って深々とお辞儀をした。そして、
「剣志郎、大丈夫かな?」
すぐさまバイクへ走った。
武智は公園で雅と落ち合っていた。
「余計なことを話していないだろうな、武智?」
雅が鋭い眼で尋ねた。武智はニヤッとして、
「そんなことしていないさ。藍さんの力はお前が心配するようなものではない。安心しろ」
雅は真顔のままで、
「お前がそう言うのなら、大丈夫なのだろう。しかし、問題はあの男だ」
「ああ、同僚の男性教師か」
武智は煙草を取り出して火を点けた。雅は武智から離れながら、
「俺はこれからそいつのところに行く。お前は、江戸曼荼羅(えどまんだら)が崩されていないか、確認してくれ」
「わかった」
雅は武智の返答が終わると、スーッと消えた。江戸曼荼羅とは何であろうか?
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