第二章  大阪の魔女

 大阪。

 古くは小坂と書かれた日本第二の大都市は、四百年以上昔、日本の中心であった。大坂城を築いた豊臣秀吉の天下だったからである。

 その大阪城のお堀の近くに、眩しいくらいに白い、三十階建てのビルがある。それが豊国一神教の教団本部ビルである。ビルの前には噴水があり、正面玄関の車寄せのそばに、教主小山隆慶の銅像が建てられている。実物は百五十cmほどしかない小男だが、銅像は二mほどあり、本人の顔はどちらかと言うと凹凸のない貧相な顔で、牛乳ビンのそこのような眼鏡をかけた冴えないものだが、銅像のそれは、凛々しい顔で、眼鏡はもっとファッショナブルなものになっていた。銅像を頼りに本人を探すと、絶対に見つからないだろうというくらい、美化されたものだ。本人はそれに加えて、小太りで髪も薄くなり始めた、三十代半ばの男だからだ。

 豊国一神教とは、小山隆慶、本名小山隆が、三年前に妻の舞と始めた、最初は小さな宗教団体だった。しかし、日が経つに連れて、信者の数が爆発的に増え、その霊験のあらたかさと、資金力で、政治家や芸能人、マスコミ、財界人にまで信徒を持つようになった。何故これほど突如として成長したのか、宗教学者の間でも謎とされている。

 その後教団は瞬く間に支部を増やし、東京、名古屋、仙台と確実に版図を拡大していた。

 小山隆慶は、ビルの最上階にある教主の間にいた。彼は東大工学部の出身で、パソコンを自主制作できるほどのマニアで、しかもインターネットが何よりも好きなため、この部屋だけでなく、彼が出入りする部屋には全て、最新型のパソコンが備えられていた。

「フフフ……」

 彼は怪しげに笑いながら、キーボードを叩いていた。その時、ドアがノックされた。

「入りなさい」

 やや甲高い声で、隆慶は言った。その声に応えて、一人の男が入って来た。彼は一礼し、隆慶に近づいた。

「教主様、北海道の札幌支部が、今月末に完成いたします。これでまた、信徒の数が増えます」

 男が言うと、隆慶は男を見上げて、

「うむ。すぐに支部代表を総会で選出し、札幌に行かせなさい。それから、九州と四国の支部の方はどうです?」

「はい。九州は建設予定地を何とか確保いたしましたが、四国は近くの寺や神社に反対され、土地提供者がなかなか現れません」

 男は恐縮して言った。隆慶はニヤリとして、

「なるほど。やはり四国は難しいですか。あそこには恐ろしい方がお鎮まりあそばしていますから、仕方がないですね。九州の方、よろしくお願いします」

「はい、教主様」

 男は深々と頭を下げて、部屋を出て行った。

「私を呼んだ?」

 それと入れ違いに女が入って来た。新聞に載っていた写真の女、小山舞であった。薄紫色の着物姿が、妖艶さを醸し出している。

「どういうつもりだ、舞? 京都のゴルフ場予定地を再買収するとは? しかも、この私に一言の相談もなく!」

 隆慶はキッとして舞を睨みつけた。舞はその長い髪をスッと後ろに払い上げて、

「最高の宣伝ですわ。京都の景観を守るため、悪徳不動産業者から、ゴルフ場予定地を買い上げる。豊国一神教は、自然保護、そして古都の伝統美のために惜しみなく金を使う。いい話ではありませんか?」

 ニヤリとした。隆慶は立ち上がって、

「だがそのために九州と四国の支部開拓に支障が出ているぞ」

「そんなもの、いくらでも挽回できますわ。この大宣伝のおかげで」

 舞は隆慶の首に両腕を巻きつけた。こうして二人で並ぶと、舞は隆慶より十cm以上身長が高いようだ。隆慶は舞の顔を見上げて彼女の腰に手を回し、

「そうだな。お前はなかなかの戦略家だな」

「フフフ」

 二人はその後、長い口づけをかわした。


 藍は剣志郎の寂しそうな後ろ姿を思い出し、

( 悪いことしちゃったのかな? )

と考えながら、家路を急いでいた。神社の近くの公園の前に出た時、藍はザワザワとした感覚を受けた。

( この感覚は……)

 藍は辺りを見回した。

「どこ?」

 彼女は殺気立って叫んだ。しかし周囲には誰もいない。いや、目に見えるところには誰もいないと言った方が正しいだろう。

「元気そうだな、藍」

 どこからともなく男の声がした。藍はビクッとして、

「そ、その声は……」

 息を呑んだ。彼女の数m先の空間から、右眼が隠れるくらい前髪を伸ばし、長い後ろ髪を束ねた白装束の男が現れた。

「み、雅!」

 その男は以前藍と戦った、元の許婚、小野雅であった。藍は途端に泣き出しそうな顔になり、

「今までどこに行っていたのよ? 心配してたんだから!」

 雅はフッと笑って藍に近づき、

「藍、手を貸してくれ」

「えっ?」

 雅の唐突な言葉に、藍はキョトンとした。雅は真顔になって、

「小山舞と小山隆慶のことは知っているな?」

 藍は、

「ええ……」

 小さく頷いた。雅は、

「あの二人の考えていることは、あまりにも危険過ぎる」

「どういうこと? 貴方、二人のことを何か知っているの?」

「小山舞は、俺が源斎の下にいた時に直接俺に黄泉路古神道を教えていた女だ」

「ええっ!?」

 藍はびっくりして雅を見た。雅は続けた。

「あいつらは途方もないことを考えている」

「途方もないこと?」

 二人は公園に入り、ベンチに腰を下ろした。雅が妙な白装束を着ていなければ、ただのデート中の男女に見えただろう。

「奴らの本部は大阪城の北東にある。そしてその反対側、南西に二人の自宅マンションがある」

「まさか……」

 藍は蒼ざめた。雅は空を見上げて、

「そのまさかだ。奴らは、大阪城の鬼門と裏鬼門を押さえて、あるものを復活させようとしている」

「あるものって、何?」

 藍は尋ねた。雅は再び藍を見て、

「豊国大明神。つまり、豊臣秀吉の怨霊だ」

「何ですって!?」

 藍はギュッと拳を握りしめて、

「小山舞の存在は、どうして今までわからなかったのかしら? 大阪にも、小野の分家も小野神社もあるのに……」

と呟くと、雅は、

「それは無理もないことだ。舞は特殊な呪術を使う。黄泉路古神道を使う者が放つ独特な気を、封じ込める結界だ。あの女が今まで表立ったことをしなかったのは、源斎に気づかれないようにするためだったのさ」

「えっ? 源斎に気づかれないようにするためって、どういうこと?」

 藍は雅を見た。雅は前を向いたままで、

「舞は源斎を裏切り、奴の下から逃げ出したんだ。それが三年前。しかし、さすがの源斎も、舞の結界を見破ることはできなかった。舞は目立たないように行動し、豊国一神教を隠れ蓑にして力を蓄えて行ったんだ」

「……」

 藍は話の壮絶さに、言葉を失った。

「やがて源斎は舞のことを探すのをやめ、鬼の解放に着手した。そして結局身を滅ぼした。源斎が死んだため、今度は舞が活動を開始した、というわけだ」

「そういうことなの……」

 黄泉路古神道が一枚岩ではないらしいことを知り、藍は複雑な思いだった。

「ねえ、源斎は他の誰かにも黄泉路古神道を教えたの?」

 藍が尋ねた。雅は首を横に振り、

「それはわからん。俺が知っているのは舞だけだ。しかし、源斎は百年以上も生きた男だ。他にも黄泉路古神道を修得した者はいるかも知れんな」

 藍は小さく頷いた。雅は立ち上がり、

「豊国一神教の、いや、小山舞のやろうとしていること、その真意はわからんが、危険過ぎる。秀吉一族、そして豊臣恩顧の武将達の怨霊は、出雲や奴国の怨霊とは違った意味で、日本を滅ぼしかねない力を持っている。奴らの野望を阻止しないと、日本が危ない」

 藍も立ち上がり、

「どうするつもりなの?」

「二人には死んでもらう」

 雅が冷たく言い放つと、藍はびっくりして、

「私には呪殺の手伝いはできないわ。二人を殺したりせずに計画を止める方法を探さないと」

 雅は藍を見て、

「そうか。お前はそう言うと思ったよ」

 そう言いながら、空間に溶け込むように消え始めた。そして、

「また機会があったら会おう」

 完全に姿を消した。

「雅……。また黄泉路古神道を使うつもりなの?」

 藍は悲しそうに呟いた。


 小山舞は光が全くない、真っ暗な部屋の中にいた。彼女は閉じていた目を開き、

「雅め。宗家の小娘と接触したな。私に刃向かうつもりか」

 そしてニヤリとし、

「だがお前は忘れている。お前に黄泉路古神道を教えたのは、この私だ。師である私に、お前が勝てるはずがない」

 彼女が壁の一方をキッと睨むと、サーッと黒い遮光カーテンが開き、窓から光が射し込んだ。そしてその窓の向こうに大阪城が見えた。舞は窓に近づき、

「我が神秀吉公、ご復活はもう少しですぞ」

 フッと笑った。


 夜になった。

 ライトアップされた大阪城が街の中に映えていた。その大阪城の天守閣の南側にある豊国神社の鳥居の前に、雅は立っていた。周りには誰もいず、静まり返っていた。

「この前より、舞の結界が強くなっているな。小野の分家の連中がいくら調べても、わかるはずもない」

 彼は豊国一神教の教団ビルに目を向けた。そして、

「舞バアさん。あんたの野望は俺が潰す」

 その時、彼の周囲を黒い玉が飛び回り始めた。

「むっ?」

 雅はそれが一体何なのかすぐに悟った。

「早速挑発に乗って来たか、バアさん」

 雅は右手に一メートルほどある漆黒の剣を出した。すると周囲を回っていた玉が突然顔が半分溶けた化け物に変化し、雅に襲いかかった。彼はニヤリとして、

「そんなもので、この俺を殺すつもりか。随分と舐められたものだな」

 剣を中段に構え、飛んだ。そして舞の放った化け物を次々に斬り裂いた。

「甘いぞ、バアさん」

 雅は着地と同時に教団ビルを睨んだ。そして剣をスーッと消すと、

「そっちがそういうつもりなら、俺もそれなりの対応をしてやる」

と言った。


「雅め、どうあってもこの私に刃向かうつもりか。許さぬ。必ず殺してやるぞ。お前も、あの源斎様も知らぬ呪術でな」

 舞は教団ビルの窓から大阪城を見下ろして叫んだ。


 一方藍は、仁斎から大阪と京都の小野の分家が豊国一神教に関する情報を得たことを聞き、社務所で仁斎と話をしていた。

「豊国一神教のことは、いろいろ情報が送られて来た。それは後でお前が目を通すだけで良いが、一つだけわしにも気にかかる情報があった」

 仁斎は深刻な顔で言った。藍は眉をひそめて、

「何?」

 仁斎はお茶を一口飲んでから、

「これを見ろ」

 地図を取り出してテーブルの上に広げた。それは大阪と京都が出ている地図だった。藍は不思議そうな顔で仁斎を見て、

「この地図がどうしたの?」

「よく見てみろ。大阪城の鬼門と裏鬼門に、豊国一神教の教団ビルと、連中の家がある」

「それは知ってるわ」

 藍は言ってしまってから、あっと思った。しかし仁斎はそのことには何も言わず、

「それより、もっと遠くを見てみろ。鬼門にあるのは、教団のビルだけではない」

「えっ?」

 藍はハッとして大阪城から北東の方角をずっと見た。

「あっ!」

 藍は思わず叫んでしまった。鬼門の方向にあったのは、秀吉が隠居後に住んだ伏見桃山城であった。

「こ、これは……」

 藍が呟くと、仁斎は、

「舞の妄想だけなら、それほど恐れることもない、と思っていた。しかし、それだけではなさそうなのだ。秀吉は死後も豊臣家の行く末を見守ろうと、その遺体を京都の阿弥陀が峰に埋葬させた。京都そのものが、大阪の鬼門を押さえていると見た方が正しかろう」

 藍はさらに、

「小山舞は、一体何をしようとしているの?」

「まだわからん。しかし、何か企んでいることは間違いない。でなければ、源斎がいなくなった途端にあの女が動き出すはずがない。あまりにもタイミングが良過ぎる」

「ええ、そうね」

 藍は腕組みをして考え込んだ。仁斎は地図を丸めながら、

「しかも、舞がやろうとしていると思われることは、黄泉路古神道ではできないことだ。あの女、陰陽道や修験道にまで手を広げているのかも知れん」

 藍はギクッとした。

( 陰陽道、修験道……。どちらも使い方次第でこの世を混乱させるもの。舞という人、一体何をしようとしているのかしら? )

「それより藍」

 仁斎が言ったので、藍はハッとして仁斎を見た。仁斎はジッと藍を見つめて、

「お前、何かわしに隠し事をしていないか?」

 藍はドキッとしたが、

「し、してないわよ。どうしてお祖父ちゃんに隠し事しなくちゃいけないのよ?」

 動揺を隠し切れず、声を上ずらせながら尋ね返した。仁斎は藍を見据えたままで、

「竜神という男と、レストランで会っていたのではないか?」

 尋問のように言ったので、藍はピクンとしてしまった。

( 何でそんなこと知ってるのよ? )

「お前が顧問をしている歴史研究部の生徒達がここに来てな。私達を邪魔者扱いしたと文句を言っていたぞ」

「ええっ?」

 藍はムカーッとしたが、

「古田さん達がここに来たの?」

「そうだ。舞のことを、あの子達に話したのか?」

「話してないわよ。関わらない方がいいって言っただけよ。邪魔者扱いしたわけじゃないわ」

「それならいいが」

 仁斎は納得していないようだ。藍はそれでも、隠し事が雅のことでなくて良かったと思っていた。

「何にしても、舞が動き出したのには何か理由があるはずだ。場合によっては、お前に大阪まで行ってもらうことになるかも知れん」

「ええ。大阪の分家の人は、協力してくれるの?」

「無論だ。こちらから出かける時は、連絡を取る。大阪駅で落ち合う手はずになっている。成り行き次第で、京都にも応援を頼むことになる」

「そう……」

 藍は不安だった。

( 黄泉路古神道に対してなら、自信がある。いくら小山舞が黄泉路古神道を修得しているとは言っても、源斎以上ということはあり得ない。それなら負ける気はしない。でも、陰陽道や修験道が関わって来ると、彼女の強さは未知数だ……)

 しかし、黄泉路古神道には、仁斎や藍、そして源斎すら知らない呪術があるのだ。舞が源斎を裏切ったのには、その辺りが関連しているのである。

「不安か、藍?」

 仁斎が藍の様子に気づいて尋ねた。藍は深刻な顔のまま仁斎を見て、

「うん。小山舞の力が、未知数だわ。源斎と違って、私の知らない力を使って来るかも知れない」

 すると仁斎は、

「確かにな。だがな、藍、姫巫女流は古神道の中で最強の秘奥義を持っている。二人の女王の力、よくわかっておるだろう? 舞がどれほど陰陽道や修験道に通じようと、敵ではない」

「だといいんだけど……」

と藍は呟いた。

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