豊国大明神

第一章  豊国一神教

 東京。

 この大都市が日本の中心になったのは、千六百三年、徳川家康が幕府を開いて以来である。明治維新で幕府が倒されてからも、時の政府は政治の中枢を京都に戻さず、逆に皇室を東京に移らせた。一説には、これは行幸( 一時的な移動 )であり、日本の首都は京都のままである、とも言われている。


 その東京の二十三区の一角に、林がある。ここが都内かと思うほど、緑豊かな場所だ。

 その緑の中に神社がある。鳥居の脇には「小野神社」と立て札がある。邪馬台国の昔から伝わる、千七百年以上もの歴史を持つ古神道の一派で、祭神は天照大神、そして神社として形を成さしめた開祖である、小野おののたかむらである。

 今は小学校から大学まで全国的に夏休みだ。

 私立杉野森学園高等部の教師である、この神社の巫女である小野藍は朝早くから境内の掃除をしていた。真っ白なTシャツにジーパン姿で、とても巫女にも日本史の先生にも見えないが、れっきとした教員三年生である。

 藍はショートカットの髪から汗を滴らせながら、竹ぼうきで境内を掃いていた。

「あっつうゥ」

 彼女は目に入りそうな汗を拭って空を見上げた。林の間から夏の太陽がギラギラと照りつけている。小野神社の境内は、比較的涼しいのだが、今日はいつにも増して気温が高く、境内でも30℃以上あった。その上に竹ぼうきで掃き掃除をしていれば、尚更暑くなる。

「あれ?」

 藍は鳥居の前に白のセダンが停まったのに気づいた。

「あいつ、何しに来たんだろう?」

 藍は呟き、セダンから降りて来た男を見た。

 男の名は竜神剣志郎。藍と同じく杉野森学園高等部に勤務する教師で、藍とは高校も同じ( 二人共杉野森学園高等部卒である )で、俗に言う「腐れ縁」の仲である。剣志郎はモスグリーンのポロシャツにベージュの綿パンを履いていた。彼は藍に気づくと手を挙げて近づいて来た。その右手には、新聞が握られている。

「よう。朝から掃除か? お前にしちゃ、珍しいな」

「うるさいな。からかいに来たのなら帰ってよ」

 藍は剣志郎の冗談に文句を言い、背中を向けて社務所に歩き出した。剣志郎は苦笑いをして、

「悪かったよ。挨拶代わりだろ、そんなのさ。いちいち怒るなよ」

 藍は立ち止まって振り返り、

「怒ってなんかいないでしょ! あんたなんか相手にしてるほど暇じゃないのよ」

 反論すると、また踵を返して歩き出した。剣志郎は慌てて藍を追いかけ、

「お前に見せたい記事があるんだよ。お前の家、新聞とれないんだろ。知らないと思ってさ」

 右手の新聞をかざしながら言った。藍は歩きながら、

「新聞はとれないんじゃなくて、とっていないの! 他人ひと聞きの悪いこと、言わないでよね」

「悪かったよ。とにかく、見てくれよ、この記事をさ」

 剣志郎は藍の前に回り込んで、新聞を突き出した。藍は鬱陶しそうにそれを受け取り、紙面に目をやった。それはスポーツ紙の一面だったが、記事はスポーツに関するものではなかった。

豊国一神教とよくにいっしんきょうが京都の景観保護のためゴルフ場予定地を再買収?」

 藍は見出しを声に出して読み、剣志郎を見た。

「何、これ?」

「記事の内容も気になるんだけど、もっと気になるのはその記事の脇の写真の女なんだ」

「女?」

 藍は、結局お前は、と思いながら、その写真に目を移した。そして、ギョッとした。

「こ、この人……」

 自分でもそれとわかるほど、その写真の女は藍に似ていた。

 藍はTシャツにジーパンでショートカット。写真の女は着物姿で、腰まで届きそうな長い髪。藍はほとんどノーメーク。写真の女はケバケバしい化粧。そんな違いがあっても、どう見ても他人とは思えないほど、二人はよく似ていた。ややつり上がり気味の目。口が小さくて唇が薄いところ。そして、気の強そうな顔立ち。女の名は「小山 舞」とあった。

「なっ、お前によく似てるだろ? 親戚か何かかな?」

 剣志郎が尋ねた。藍はそれには答えず、

「それより、豊国一神教って、新興宗教の団体だよね。どうしてゴルフ場予定地を再買収なんてしたんだろう?」

「そりゃあ、売名行為でしょ。そうすればマスコミが取り上げてくれて、只で宣伝してくれるからさ」

「そうかなァ……」

 藍は納得しかねるという顔で新聞を剣志郎に返した。剣志郎は新聞を小さくたたんで綿パンのポケットに入れると、

「豊国一神教のことは知ってるよな?」

「ええ。一応ウチも宗教法人ですからね。豊国大明神、すなわち、豊臣秀吉を唯一神として崇める宗教団体でしょ? で、この小山舞はその団体の教主である小山隆慶こやまりゅうけいの奥さんだよね」

 藍が言った時、

「舞、だと?」

 後ろで声がした。藍と剣志郎はビクッとして声の主を見た。そこには衣冠束帯の老人が立っていた。この小野神社の宮司、小野仁斎である。彼は藍の祖父でもある。

「その新聞、ちょっと見せてくれ」

 仁斎に言われ、剣志郎は慌ててポケットから新聞を取り出して広げ、仁斎に渡した。仁斎はそれを手に取って見るなり、ブルブルと震え出した。

「どうしたの、お祖父ちゃん?」

 仁斎の異変に気づいた藍が声をかけた。剣志郎もびっくりして仁斎を見ていた。仁斎は藍を見て、

「この女は、わしの妹だ」

「ええっ!?」

 藍と剣志郎は、あまりの衝撃に大声を出した。仁斎は新聞を剣志郎に返すと、

「藍、話がある。ちょっと社務所に来なさい」

 全く剣志郎の存在を無視して歩き出した。藍は仁斎と剣志郎を見比べていたが、

「は、はい」

 そして剣志郎に小声で、

「ごめん、後で電話するわ」

 言うや否や、仁斎を追いかけた。剣志郎は呆然としたままでその場に立ち尽くした。

「一体どうしたのよ、お祖父ちゃん? あの写真の女の人が、お祖父ちゃんの妹だなんて……」

 社務所に入るなり、藍は仁斎に尋ねた。仁斎は黙ったまま椅子に腰を下ろすと、藍にも座るように目で指示した。藍は仕方なく椅子に座った。

「お前にはまだ話していなかったが、あの女は黄泉路古神道よみじこしんとうに関わり、邪法に身を落としたのだ。だから、八十に近い歳であるのに、あのように若い姿をしているのだ」

 仁斎は言った。藍はさらに仰天した。

 黄泉路古神道とは、藍の神社の宗派である「姫巫女流古神道ひめみこりゅうこしんとう」の邪流である。元々は姫巫女流の一種であったが、その邪悪さ故に禁呪となり、伝える者がない宗派であった。

 しかし、いつの頃からか、その禁呪を学ぶ者が出始め、江戸末期には小野源斎、そして昭和に入ってからは、仁斎の妹である小野舞などが、その禁呪の魔力に魅せられて黄泉路古神道を学び、破門された。平安より続く小野の一門の中で、黄泉路古神道を修めた者が何人いるのか、知る者はいない。

「黄泉路古神道とは、この世ならざる力を手に入れて、その力により、時の流れに逆らう邪法だ。そんなものを得たあの女が関わっている豊国一神教は、とてつもなく危険な存在であろう。舞が目指すものが何であるか、調べる必要がある」

 仁斎は言った。藍は黙って頷いた。仁斎は続けた。

「豊国一神教の本部は大阪にあるようだ。大阪と京都の小野の分家に連絡して、その実体を探ってみることにする。お前もいつでも大阪に行けるように準備しておくのだ。事は急を要するかも知れんのでな」

「はい」

 藍はどんどん話が進んでしまっているので、呆気にとられていた。しかし、仁斎がここまで懸念するからには、小山舞という存在は、それほど危険なのだと思うしかなかった。

「ところで藍」

 仁斎は言った。藍は仁斎を見て、

「何?」

「あの男とは付き合っているのか?」

「えっ?」

 藍は何を聞かれているのか理解するのに時間がかかった。

「付き合ってなんかいないわよ。彼は勤め先の同僚よ。ただそれだけよ」

「高校も一緒だったな」

 仁斎は疑いの眼差しを向けていた。藍は苦笑いをして、

「そうだけど、付き合っていないわよ。本当よ」

 すると、仁斎は思わぬことを言った。

「まだあの男に未練があるのか?」

「えっ?」

 藍はまたキョトンとした。そして、

「雅のこと?」

 雅とは、藍が子供の頃に許婚とされていた、小野の分家の男である。彼もまた、黄泉路古神道を学んだため、一門から追放されている身だ。

「そうだ。未練があるのか?」

 仁斎の問いに藍は悲しそうな顔をして、

「ないわよ。今更、そんなこと考えてどうするのよ。十五年前に私と雅は許婚同士ではなくなったのだから」

「そうか。悪かった。忘れてくれ」

 仁斎は立ち上がり、社務所を出て行った。藍はその様子を見て、

「一体どうしたのよ、お祖父ちゃん……?」

と呟いた。

 仁斎は拝殿の裏にある注連縄の張られた大きな岩の前に立ち、柏手を打った。

「舞。今になって何を企む? やはり、源斎と通じていたのか……」

 仁斎は苦々しそうな顔で呟いた。源斎とは、江戸末期から生き続けていた黄泉路古神道の使い手で、日本を滅ぼそうとしていたが、姫巫女流の究極奥義に敗れ、死んだ男である。その男と小山舞が通じていたということは、小山舞も日本を滅ぼそうとしているのか、と仁斎は危惧した。

 藍はまだ剣志郎が外にいるのではないかと思い、社務所から出た。しかし、剣志郎はおろか、彼のセダンすら見当たらなかった。

( 怒って帰っちゃったのかな? )

 藍が諦めて家に戻ろうとした時、ジーパンのポケットの携帯が鳴った。

「はい」

 電話の相手は剣志郎だった。

「さっきはごめん。怒ってる?」

 藍が神妙そうな声で尋ねると、

「怒ってなんかいないよ。俺さ、どうもお前のお祖父ちゃん苦手でさ」

「そう」

 藍はクスッと笑った。とにかく、剣志郎が怒っていなくてホッとしたのだ。

「それよりさ、まだ話があるんだ。出て来られないか?」

 藍は境内を見回してから、

「ちょっと待って。もう少ししたら、電話する」

「わかった」

 藍は携帯を切り、ポケットにしまうと、家に戻った。


 しばらくして、藍は近くにあるファミリーレストランで剣志郎と待ち合わせた。

「待った?」

 藍が先に来てテーブルに着いていた剣志郎に尋ねた。本当は三十分以上前に来ていたのだが、

「いや、俺も今来たとこだよ」

 剣志郎は嘘をついた。その彼の言葉に、事情を知っている店員はクスクス笑っていた。どう見ても、ベタ惚れした男が女を待っていたようにしか見えなかったのだろう。しかし当の剣志郎はそんなことを思われているとは少しも気づいていないらしく、陽気に微笑んで藍を迎えた。

「何、話って?」

 藍は向かいに座って尋ねた。剣志郎は脇に置いた革のカバンから、薄いB5サイズの本を取り出して藍の方に向けてテーブルの上に置いた。

「これは?」

「豊国一神教の布教読本だよ。俺、大学のゼミで戦国史を勉強してたからさ、秀吉絡みのことには興味があったので、大阪の知り合いに頼んで手に入れてもらったんだ。とにかく、中を見てくれ」

 剣志郎は藍を促した。藍は本の表紙を捲った。

「あっ!」

 彼女の顔色が変わった。そこには中央に「豊国大明神」と書かれており、その右に「黄泉津大神よもつおおかみ」と書かれていた。

「黄泉津大神って、確かイザナミの別名だよな。それに、お前のとこの姫巫女流の邪法である黄泉路古神道に何か関係あるのかなって思ってさ」

 イザナミとは、国生み神話の女神の方の名前だ。彼女は国生みの途中死んで黄泉の国に行ってしまうのだが。皆さんご存じだろう。要するに黄泉の国の最高神である。

「お祖父ちゃんがひどく気にしていた理由がわかったよ。小山舞、確かに放っておけない」

 藍は言った。剣志郎は真剣な顔で、

「この前のジイさんと同じか?」

 この前のジイさんとは、藍が戦った小野源斎の事である。藍は剣志郎の問いに頷き、

「そうなるかも知れない。お祖父ちゃん、とても深刻な顔していたのよ」

「そうか……」

 剣志郎は、直接その目で藍と源斎の壮絶な戦いを見ているため、藍のことが心配だった。

「これ、借りていい?」

 藍はその本を手に取って尋ねた。剣志郎はハッと我に返り、

「ああ、いいよ。それより、大丈夫なのか? 豊国一神教は信徒が百万人を超える大宗教団体で、信徒には財界人や政治家もいるって話だ。ヘタをすると、大変な事になるぞ」

 すると藍はニッコリして、

「大丈夫よ。小山舞が黄泉路古神道を修得した者なら、政治家や財界を利用するまでもないわ。根の堅州国( 死の国 )に引き込んだら、それまでなんだから」

「おいおい、それじゃあ……」

 剣志郎がたしなめると、藍は笑って、

「だから、大丈夫よ。私は仮にも宗家の後継者よ。邪法を操る連中に負けたりしないわ」

「ならいいんだけどさ」

 剣志郎が言った時、

「ああ、藍先生、竜神先生!」

 素っ頓狂な声が入り口の方から聞こえた。二人がそちらに目をやると、そこには制服姿の女子高生が二人立っていた。一人はお下げ髪、もう一人はオカッバの子だ。お下げの子は細いが、オカッパの子は控えめに見ても痩せてはいない。

「古田さん、水野さん。どうしてここに?」

 藍が尋ねた。お下げの子は、ニヤニヤしながら、

「それより、お二人こそどうしたんですか? もしかして、デート?」

 すると剣志郎と藍は小学生のように赤くなった。

「何言ってるの、違うわよ」

 藍が言う。剣志郎も、

「古田、お前なァ……」

 呆れ顔になった。古田と呼ばれた子は、サッと駆け寄って藍の隣に座った。もう一人の子も、剣志郎の隣に無理矢理座った。

「私、チョコレートサンデー食べたいなァ」

 太めの子が独り言のように言った。すると古田と呼ばれた子も、

「ああ、祐子、ずるいィ! 私も食べたーい!」

 藍と剣志郎は顔を見合わせた。

「勝手に食べればいいだろ」

 剣志郎が冷たく言うと、古田は、

「そんなこと言っていいんですかァ? 私達、口軽いですよォ」

 ニヤニヤして言った。藍はムッとして、

「何よ、脅かす気? 別にいいわよ、喋っても。私達、やましいことは何もないから。ね、竜神先生?」

 剣志郎を見た。剣志郎は藍のその答えにちょっとだけがっかりしたが、

「そ、そうですね」

 妙に他人行儀な口調で言った。古田は意外だったのか、

「ええっ?」

 驚いて藍を見た。すると祐子が、

「由加、諦めなって。先生脅かしちゃまずいって」

 たしなめるように言った。由加はしょぼくれて、

「わかったわよ。コーヒーでも頼もっと」

 メニューを手に取った。それを見ていた剣志郎が、

「哀れな奴だな。何でも頼め。奢るから」

 祐子と由加は、

「ホントですかァ?」

 口を揃えて尋ねた。剣志郎は、

「ただし、黙っててほしいからじゃないぞ。俺と小野先生は、別にデートしてたわけじゃないんだからな」

「はーい」

 由加と祐子はニッコリして答えた。藍はそんな二人を呆れて見ていた。

「ところで、デートじゃないのに、どうしてお二人でファミレスなんかに?」

 由加はサンデーを食べながら尋ねた。藍が、

「貴女達には関係ないわよ」

 祐子が、

「やっぱりデートだったんですね?」

「違うよ。この前のジイさんの仲間らしいのが現れたんだよ」

 剣志郎が喋ってしまったので、藍はキッと彼を睨んだ。剣志郎はその視線に気づいてビクッとした。

「ジイさんて、あの九州の……?」

 由加は恐る恐る尋ねた。藍は仕方なさそうに、

「そうよ。だから、関係ないの。いえ、関わらない方がいいわ。巻き込みたくないから」

「巻き込みたくないって言われても、あの時すでに巻き込まれていると思いますけど?」

 祐子が口を挟んだ。藍はピクンとして祐子を見た。

「かも知れないわね。だからこそ、知らない方がいいわ。あいつらは、どこで見ているかわからないんだから」

「ええっ!?」

 由加と祐子は、ビクッとして周囲を見た。藍はそれを見て、

「だから、今日ここで私達と会ったことは誰にも話しちゃダメよ。奴らの仲間がどこで聞いているかわからないんだから」

「はい」

 由加と祐子は真剣な顔で答えた。


 しばらくして、由加達が帰ってから、藍と剣志郎もファミレスを出た。

「俺も大阪の知り合いにもう一度聞いてみるよ。気になるからな」

 剣志郎が言うと、藍は、

「貴方も関わらない方がいいわ。この前は大したことなかったけど、今度はそうはいかないかも知れないから」

「だけどさ……」

 剣志郎がなおも何か言おうとすると、藍はそれを遮るように、

「私、貴方や古田さん達を守り切る自信がないのよ。だから、お願い、もうこれ以上関わらないで。これは、私達小野の一門の問題なの」

「わかったよ……」

 剣志郎はがっかりした様子で駐車場の方へ歩いて行った。藍はそれを申し訳なさそうに見ていたが、やがて踵を返して歩き出した。

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