第十章  古代の魔神

 源斎はまた昔のことを思い出していた。


( こ、これまでか……)

 源斎は栄斎に草薙の剣で斬られた。その時であった。

( どこだ、ここは? )

 源斎の魂は、漆黒の闇の中を漂っていた。彼は辺りを見回した。するとはるか前方に、白い髪を足まで伸ばし、白い髭を胸まではやした、とてつもなく威圧感のある老人が立っていた。衣冠束帯のその老人は、かすかに笑って見えた。

「だ、誰だ?」

 源斎は漂う身体を動かしながら尋ねた。老人は、

「我は建内宿禰。大倭根子国玖琉命おおやまとねこくにくるのみこと( 孝元天皇 )の孫にして、うぬら小野家が継承する姫巫女流の最高の使い手ぞ」

 源斎はハッとした。

( 建内宿禰だと? 確か姫巫女流から黄泉路古神道を創始した男だ。一体これはどういうことだ? )

「うぬに力を貸そうと申したはず。よってうぬをここへ導いたのじゃ」

「お、俺を?」

 源斎は眉をひそめた。建内宿禰は源斎に近づき、

「我はその昔、姫巫女流の継承者によってこの根の堅州国に封じられた。うぬの力で、我を解放してほしい」

「どういうことだ?」

 源斎は尋ねた。


 そこで源斎はハッと我に返った。藍の剣が目前に迫っているのを彼はスッとかわした。

「またしても我が野望を阻む者は女か!?」

 源斎は藍を睨みつけた。藍も源斎を睨み返し、

「お前の唯一の敗北。それが栄斎様の真の後継者、楓様! お前は楓様に敗れ、楓様を恐れるあまり、楓様が亡くなるまで、根の堅州国から戻らなかった!」

「……」

 源斎は歯ぎしりした。藍は十拳の剣を下段、草薙の剣を中段に構え、

「楓様が宗家で初めて姫巫女合わせ身を修得したお方だからだ。お前には、姫巫女二人合わせ身を破る術などない!」

「ほざくな、小娘ェッ!」

 源斎はカッと目を見開いて黄泉剣を取り出した。そしてニヤリとすると、

「その姫巫女合わせ身はお前が生娘であればこそなせる術よ。今からその術、破ってくれるわッ!」

 指先から次々と黄泉の魔物を放った。源斎はけたたましく笑い、

「その女を辱めよ」

 藍は途端にザワッとして恐怖を感じた。

( 辱める? )

 黄泉の魔物達は藍に迫り、彼女の服を引き裂こうとした。

「くっ!」

 藍は神剣を使い、魔物をなぎ払った。

「きゃっ!」

 彼女の足を一匹の魔物が払った。藍はバランスを失って倒れた。そこへ何十もの魔物がのしかかり、藍の姿は見えなくなってしまった。

「気がふれるまで辱めよ! 宗家への怨み、たっぷりと晴らしてやる!」

 源斎は狂喜して叫んだ。しかしその魔物達の塊は、次の瞬間光に砕かれ、散った。

「な、何!?」

 源斎は驚いた。藍は無事だった。Tシャツが破れ、あちこち出血し、ジーパンも裂け、脚が露になっていたが、彼女自身は少しも疲労している様子はない。もちろん、「辱められた」形跡もなかった。

下衆げすな考えをする男め。この程度で私はやられはしない!」

 藍は再び強く輝き出した。源斎は眉間に皺を寄せて、

「おのれ。やはり貴様は、このわしが自分の手で殺してやる。そして、二人の女王の力も、あのお方の復活に捧げ奉る!」

「あのお方とは、建内宿禰か?」

 藍が尋ねると、源斎はニヤリとして、

「そのとおりじゃ」

「何故奴の復活に二人の女王の力がいるのだ?」

 藍は怒気を込めて言った。源斎は高笑いをして、

「知れたこと。あのお方は、姫巫女流も修得されている。だからこそ、黄泉路古神道の力となる二体の鬼と、姫巫女流の力の源である二人の女王の力が必要なのじゃ」

 藍は剣を構え直し、

「建内宿禰の復活など、絶対にさせない!」

 源斎に向かって走り出した。源斎はニヤリとして、

「愚かなり、小娘。我が力、とくと味わうがいい!」

 黄泉剣を振り上げた。

「源斎ィッ!」

 藍が剣を交差させて、源斎に突進した。

「うおーっ!」

 源斎は雄叫びと共に、黄泉剣を振り下ろした。その先から、どす黒い妖気が噴き出し、藍にぶち当たった。

「きゃあァッ!」

 藍は妖気に弾き飛ばされ、柱に叩きつけられた。

「くっ……」

 彼女は地面にずり落ち、気を失ってしまった。

「フッ。他愛もない。宗家もこれで滅びる。我が千六百年の悲願が今、達せられる」

 源斎は自分が自分でなくなりかけていることに気づいた。

( 何? わしは一体……。千六百年だと? それでは今喋っているのは誰だ? )

 源斎は途端に焦り出した。

( そうか。そういうことか。建内宿禰は最初からこのわしを依代としてこの世に甦ろうとしていたのか……)

『今更気づいてももう遅いぞ、源斎。うぬは我が糧となるのじゃ』

 建内宿禰の声が源斎の頭の中を駆け巡った。源斎は歯ぎしりした。いや、したつもりだったと言った方が正しいだろう。すでに彼の身体( とは言っても元は栄斎の身体だが )は建内宿禰によって支配されていたのだ。

「死ぬがいい、小娘! そしてうぬも我が糧となれ!」

 黄泉剣が振り下ろされ、その剣先が藍に迫った。

「そううまくはいかんぞ、建内宿禰!」

の声と共に、黄泉剣をはじいた者がいた。それは、藍の手から取った草薙の剣を持った雅であった。

「おのれ。雅め、またしても邪魔をするつもりか!?」

 建内宿禰がその姿を源斎とダブらせながら言った。雅はニヤリとして、

「お前の邪魔をするのは今回が初めてだ」

 源斎の身体を完全に支配した建内宿禰は、キッとした表情になり、

「先にうぬから我が糧としてくれるわッ!」

 妖気を撒き散らした。雅はサッとその妖気から飛び退き、

「藍の光の力には俺は立ち向かう自信はないが、暗黒の力なら、貴様のような化け物に負けはしないぞ」

 すると建内宿禰はフッと笑って、

「愚か者め。うぬの力など、この小娘の足下にも及ばぬのだぞ。よって我の敵ではない!」

 雅は内心焦っていた。

( 俺の黄泉路古神道がどこまで通用するか、全くわからんが、何としても藍が意識を回復するまで、奴を引きつけなければ……)

「死ぬがいい!」

 黄泉剣が振り下ろされた。雅はそれを草薙の剣と自分で出した黄泉剣で受け止めたが、黄泉剣は砕け、草薙の剣ごと雅は弾き飛ばされてしまった。

「その程度の黄泉剣などで我の攻撃を防げると思ったか? 草薙の剣のおかげで、命拾いしたことを喜ぶがいい」

 建内宿禰の嘲笑が雅の耳に届くかとどかないかというごく短い時間に、雅は黄泉剣の第二撃を食らっていた。

「ぐはァッ!」

( 何だ、今のは……。まるで見えなかった……)

 雅は血反吐を吐きながら立ち上がった。

「まだ立つのか、雅? 命だけは助けてやる。今からでも遅くはない。我に服せ」

「……」

 雅にも何故立ち上がったのか理由はわからなかった。それは藍への純粋な愛情だったのかも知れないが、雅はそれを決して認めようとしなかった。

( 俺には藍を守る義務がある! )

 彼はまるでフラッシュバックのように、井戸の脇で藍達を逃がし、黄泉の魔物を倒したことを思い出していた。

( あの井戸の蓋が、藍達の悪戯程度で開くはずがない。あの時すでに源斎は少しずつ宗家に悪意を送り込み、あの井戸の封印を緩めていた。藍達の行動はきっかけに過ぎなかった )

 雅は血を拭い、建内宿禰を睨んだ。

(こいつが、いや、こいつの後ろにいて、今この世に甦ろうとしている建内宿禰こそが、俺の両親を殺し、藍の両親を殺し、仁斎のジイさんを瀕死にした張本人。そして様々な災いの源だ )

「まだ刃向かうつもりか?」

 建内宿禰が次の一撃を放つ体勢に入った。

( 防げるか? )

 雅は死を覚悟した。幼い頃藍と遊んだ日々が鮮明に頭の中に浮かんで来た。

「むうっ!」

 しかし建内宿禰の第三撃は阻まれた。藍の振り下ろした十拳の剣によって。

「何!?」

 建内宿禰と雅は、ほぼ同時に驚き、叫んだ。

「小娘め、もう気がついたか……?」

 建内宿禰はそう言いかけて、藍の異変に気づいた。藍は気を失ったままだったのだ。

「どういうことだ?」

 宿禰が身じろいだ時、藍の後ろに卑弥呼と台与の姿が浮かび上がった。

「ぬゥッ!」

 建内宿禰は怯え出した。彼は明らかに動揺していた。彼は後ずさりして藍から離れた。

「そうか。姫巫女二人合わせ身の究極の形とは、依代である者が意識を失うことだったのか。完全な依代と化すことによって、二人の女王の力は最大限に発揮される」

 雅は呟いた。そしてフッと笑い、

「生まれつき人と争うことが嫌いな藍の優しさが、二人の女王の力を抑制していたということか」

 建内宿禰はまるで固まってしまったかのように動けなくなっていた。藍が、と言うより二人の女王が雅を見た。雅はゆっくり頷き、草薙の剣を投げた。藍の左手がそれを受け取った。

『建内宿禰よ、今こそ千六百年前の決着、つけようぞ』

 卑弥呼と台与が言った。建内宿禰は悔しげに下唇を噛み、

「戯れ言を! 今一息で、我はこの世を統べる者となるのじゃ。邪魔はさせぬ!」

 顔中汗まみれになって反論した。すると卑弥呼が、

『ならば今度こそ消す。神剣合わせ身!」

と言った。

「何!?」

 建内宿禰はギョッとした。

( 聞いたことのない奥義……。何をするつもりか……? )

 藍の右手には十拳の剣、左手には草薙の剣があったが、その二つの剣を近づけ、合わせたのである。

「何と!」

 雅もこれには仰天した。

( こ、これは……)

 十拳の剣と草薙の剣は、キラキラと輝きながら一つになり、一周り大きい剣に変化した。

天津剣あまつつるぎ!』

 台与が言った。建内宿禰は度肝を抜かれた。

「な、何じゃ、あの輝きは……」

『斬!』

 まさに一瞬の出来事であった。天津剣により、建内宿禰は一刀両断され、そのどす黒い妖気は急速に消失して行った。そしてそれと同時に、そこから今まで源斎の手にかかって殺され、吸収されていた宗家や分家の人々の魂が解き放たれ、天に昇って行った。

「親父、お袋……」

 雅は自分の両親が微笑んで天に昇って行くのを見た。彼はそれに微笑み返した。

「ぐおおおおっ! 我は滅さぬっ! ここは一度消えるが、またいつの日か、必ず戻って来る! 覚悟していろ!」

 建内宿禰は叫ぶと、爆発したかのように四散し、消滅した。

『雅よ』

 卑弥呼が雅に語りかけた。雅は卑弥呼に目を向け、跪いた。

『これからもこの娘のことを守っておあげなさい』

「はい」

 雅は頭を下げて答えた。すると卑弥呼と台与はニッコリして消えて行った。同時に藍がバッタリと倒れ伏した。

「藍!」

 雅は藍に駆け寄り、彼女を抱き起こした。

「み、雅ちゃん……」

 藍は記憶の混濁を起こしていた。自分は十五年前にタイムスリップして、雅も十五歳の少年に戻っていた。

「しっかりしろ、藍。建内宿禰は消滅したぞ」

 雅は彼女を揺すった。藍はようやく意識がしっかりして来て、パッチリと目を開いた。

「私、一体……?」

 彼女は強く頭を振り、立ち上がった。雅も立ち上がり、

「お前は建内宿禰に勝ったんだ」

「私が? でも、何も覚えていない……」

 藍は考え込むように首を傾げた。雅はフッと笑い、

「まァ、いい。とにかく全て終わった。早くお前の生徒達が待つ、甘木へ向かえ」

「うん」

 藍は大きく頷いたが、すぐにハッとして、

「雅はどうするの?」

 すると雅は自嘲気味に笑い、

「俺は一度は黄泉路に足を踏み入れた者。たとえどんな理由があろうとも、宗家に戻ることはできない」

「で、でも、お祖父ちゃんにわけを話してさ……」

 藍は半ベソ状態で言ったが、雅は首を横に振り、

「だめだ。それはあってはならぬことだ。あの井戸の事件以来、俺は姫巫女流とは袂を分かったのだ。もはや戻ることはできない」

「だけど私、貴方のことが……」

 藍がそこまで言いかけると、雅は人差し指で藍の口を封じた。彼は真剣な目で、

「それ以上言ってはいけない。お前にはあの男がいるではないか」

 藍の頭の中に、剣志郎の笑顔が浮かんだ。藍は耳まで赤くなった。雅は再びフッと笑い、スーッと消えて行った。

「雅!」

 藍は大声で叫んだ。それが大社中に響き渡り、古代出雲で起こった悲劇のように、消えて行った。

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