第八章  源斎の秘密

 源斎は闇の中にいた。

( おのれ、宗家の小娘め )

 彼は雅が姿を現さなかったことに腹を立てていた。

( 雅め。どういうつもりか知らぬが、次に顔を合わせたら、殺す )

 源斎の表情は、まさしく鬼であった。


 藍は地面に降り立つと、すぐさま剣志郎に駆け寄った。その時、卑弥呼が藍から離れ、空に帰って行った。

「剣志郎!」

 彼女は剣志郎のそばに膝を着いて、大声で叫んだ。剣志郎は薄笑いをして、

「大丈夫だ。肋骨が折れたみたいだけど、生きてるよ」

 藍は由加を見て、

「古田さん、救急車を呼んで!」

「は、はい」

 由加は慌ててバッグから携帯電話を取り出した。奥野は河原に降りて来て、藍に近づいた。

「奥野君、剣志郎を仰向けにするの、手伝って」

「は、はい」

 普通なら『剣志郎』と言ったことをからかうところだが、今の奥野にそれだけの余裕はなかった。

「後はお願いね」

 藍は立ち上がった。奥野はびっくりして藍を見上げ、

「先生、どこに行くんですか?」

「宇佐神宮に武光先生達がいるの。合流したら、病院に向かうわ。貴方は古田さん達と一緒に一足先に病院に行っていて」

「でも救急車が来てからじゃないと場所が……」

 奥野が心配顔で言うと、藍はニッコリして、

「大丈夫。わかるわ。じゃ」

 そして光に包まれ、飛び去った。奥野は唖然としてそれを見ていたが、剣志郎はフッと笑って見ていた。

( さすが、藍だな。その辺の巫女さんとはわけが違う )

 その光景を雅は反対側の岸から見ていた。

( 藍、まだだぞ。源斎の力、まだ半分だ。奴はもう一体の鬼の力を手に入れに行くだろうからな )

 雅はスーッと空間に溶けるように消えた。


 剣志郎は甘木市内にある総合病院に運ばれ、すぐに手術を受けた。幸い、折れた骨は肺や内臓には達しておらず、大事には至らなかった。手術は夕方の五時頃終わった。

「とにかく、命に関わる怪我じゃなくてよかったわ」

 手術室から運ばれて行く剣志郎を見送りながら、藍が言った。麻弥はグッタリとしてソファに座っていたが、

「そうですわね」

 相槌を打った。しかし顔は引きつっていた。彼女は彼女なりに、自分の責任というものを感じているのだ。

「先生、これからどうするんですか?」

 由加が藍に目をやった。藍も由加を見て、

「竜神先生があんなことになってしまったのだから、旅行は中止ね。今夜は予約したホテルに泊まって、明日の朝すぐに東京に帰りなさい」

「帰りなさいって、じゃあ小野先生は帰らないんですか?」

 波子が口を挟んだ。藍は波子を見て頷き、

「私はまだすることがあるの。武光先生にお願いしてあるから、一緒に帰りなさい」

「でも……」

 波子と由加は不満そうに口を尖らせた。すると奥野が、

「お前ら、あのジイさんを見ただろう? 化け物なんだぜ、あいつは。早く帰った方がいいって」

「そうだよ。俺はそのジイさんを見てないけど、もう一人の男が使った術も凄かったんだ。未だに信じられないんだけど」

 田辺が同意した。この二人の意見が一致することなど、滅多にないことである。

「何よ、あんた達。結局は怖いから逃げ帰りたいんじゃないのよ」

 由加が二人を睨むと、田辺はムッとして、

「そうじゃないよ。俺達がいると、小野先生の足手まといになるんだ。俺と佐藤は、それを身を以て知ったんだから」

 隣で佐藤が大きく頷いた。

「田辺君の判断が正しいわ。貴女達は私と一緒に東京に帰るのよ」

 麻弥が弱々しいながらも、キビキビとした口調で言った。なおも口答えしようとする由加を制して、

「わっかりました。帰ります」

 祐子が言った。由加はキッとして祐子を見たが、祐子は素知らぬ振りをした。

「とにかく、一旦ホテルへ行きなさい」

 藍は追い立てるように由加達を歩かせた。

「小野先生」

 由加達が廊下の向こうに消えた時、麻弥が声をかけた。藍はハッとして振り向いた。麻弥はソファからゆっくりと立ち上がって、

「このたびは大変ご迷惑をおかけしました」

 深々と頭を下げた。藍は面食らったが、

「い、いえ、別に。武光先生は操られていたんですから仕方ありませんよ」

 しかし麻弥は顔を上げて、

「そうかも知れません。でも、私の心のどこかに、小野先生を陥れようという気持ちが働いていたのではないかという気がするのです。それをあの男に利用されて……」

 言いかけて涙を流して黙ってしまった。藍はニッコリとして麻弥に近づき、

「いいんですよ。武光先生は、剣志、いえ竜神先生と私のことを誤解しているんです。私達、単に高校の同級生で、それだけなんですから」

「……」

 麻弥は涙を拭いながら、藍を見た。藍は続けた。

「そしてあの男のことは、私達小野家の者の問題です。誰のせいでもないのです」

 藍の迫力ある眼光に、麻弥は一瞬ビクッとした。


 夜になった。

 藍の要望で剣志郎は個室に移された。藍は病室の四隅に清めた塩を盛り、結界を張った。

「藍か」

 剣志郎が目を覚ました。藍は剣志郎に近づき、

「気がついた?」

 剣志郎は軽く頷いてから、

「何してたんだ?」

 藍は周囲を見回しながら、

「結界を張っていたんだ。源斎にわからないようにね」

「……」

 剣志郎はジッと藍を見つめた。藍はそれに気づいて、

「な、何よ?」

「またあのジイさんと戦うのか?」

 剣志郎は心配そうに言った。藍は俯いて、

「そうなるでしょうね。源斎はとてつもないことをしようとしているのよ」

「そうか。それで今奴はどうしているんだ?」

 藍は再び剣志郎を見て、

「今は恐らく、根の堅州国にいるわね」

「根の堅州国? それ確か、記紀に出て来る、死の国のことじゃないか?」

「そうよ。まさにその死の国にいるわ。黄泉路古神道というのは、死や老いや病から完全に無縁になれる呪術を使う一派なのよ。もともと姫巫女流の呪術だったのだけど、禁呪として封印されていたものなの」

「死や老いや病と無縁になれる、か。そんなことできたら、そいつはもう人間、いや、生き物じゃないな」

 剣志郎は天井を見つめて言った。藍は大きく頷いて、

「そうよ。人間は老いたり、病気になったり、死んだりするから、人間なんだもの」

と答えた。


 源斎は闇の中、すなわち根の堅州国で、じっと傷が癒えるのを待っていた。彼は幕末の頃のことを思い出していた。


 時は一気に動乱の時代を迎えようとしている頃。ペリーが浦賀に来て、日米和親条約が締結されてから、十年ほど経った頃である。源斎はまだ十五歳の青年であった。

「このままでは日本は滅びる。隣国の清は、あれほどの大国でありながら、南蛮人共の手によって侵略された。ましてやこの日本では尚更……」

 源斎の父親である斎明(さいめい)は、西洋人の手によって日本が滅ぼされると本気で考えている攘夷派の人間だった。この父親の頑なものの考え方が、源斎の将来を決定づけてしまったのだ。

「徳川の世が終わるのは良い。しかし、南蛮人はそれだけでは収まるまい。必ずや、帝にまで害をなすはず」

 源斎は斎明の言にただ頷くだけである。

「よいか、源斎。我ら小野家一門は、千年近くの長きに渡り、朝廷を裏で支えて来た一族。今回はまさしく朝廷始まって以来の一大事。必ずや南蛮人を討ち、日本を守るのだ」

 斎明の考えが時代の潮流に取り残されていることを、源斎ははっきりと悟っていた。しかし、子は父に絶対服従の時代である。そんなことは決して口に出せなかった。

( 父上は自分の無知を知らぬ。世にこれほどの愚かしいことがあろうか)

 源斎はその時、父殺しを思い立ったのである。

 斎明は術者としては三流で、小野家の分家の中でも、最下層であった。『朝廷を裏で支えた』ことなどないのだ。力もないのに、弁舌の方が立つため、小野の分家の中では、目立っていた。しかし、所詮はそれだけのことであった。

( このままあの父を生かしておいても、俺はもちろん、日本のためにも、小野の一族のためにもならぬ )

 すでにこの頃の源斎は、小野宗家の当主である小野栄斎にも一目置かれるほどの実力の持ち主であった。だから多少自惚れてもいた。実力のある自分が、実力のない父親を殺すことは正当なことだと考えたのである。

「何だ、源斎? 妙に殺気立っておるが? 何かあったのか?」

 自分の部屋に声もかけず、音も立てずに忍んで来た源斎を見て、斎明はいささか驚いていた。

「何もありませぬ。しかし……」

 源斎は意味ありげに言葉を切った。斎明はムッとして、

「何だ? 申してみよ」

「これから起こりまする」

「何? わけのわからんことを申すな。これから何が起こるのじゃ?」

 斎明はその時、書をしたためていたのであるが、筆を投げ出し、立ち上がった。源斎はそんな父親を軽蔑した目で見たまま、スーッと右手の人差し指を斎明に向けた。

「父上が死ぬのでございます」

「何!?」

 斎明は何も防御の手立てができなかった。自分の息子であるから、油断したのかも知れない。しかし仮に源斎が自分を殺しに来たのだとすぐに悟ったとしても、実力に差がある二人では、何も変わらなかったであろう。

「うわァッ!」

 斎明の身体に、黄泉醜女が何体も取り憑いた。醜女達は斎明の身体を溶かし始めた。

「げ、源斎、貴様、まさか黄泉路古神道を……」

 溶けて行く顔を引きつらせながら、斎明は源斎を睨んだ。源斎は黙ってニヤリとした。

「お、愚か者めェッ!」

 斎明はそう叫ぶと、消えてしまった。源斎はカッと目を見開き、

「父上如きに愚か者呼ばわりされる源斎ではない!」

と怒鳴った。

 源斎は翌朝、京都にある小野宗家の邸を訪ねた。京の町は、折からの戦乱で荒れていた。しかし、宗家の邸は塀に傷一つついていなかった。源斎は栄斎の力に畏怖の念を感じていたが、今回のことは誇らしく思っていたので、強気だった。

「何用だ?」

 源斎は正門の前で栄斎の息子三人に出迎えられた。と言うより、中に入るのを阻まれたと言った方が正しい。

「……」

 源斎は何も言わずに三人を見た。長男徹斎、次男慶斎、三男斎英。いずれも源斎以上の力を持つ術者であった。しかし、源斎はもはや三人を超えたと思っていた。いや、栄斎すら超えたと思っていたかも知れない。

「その目……。人を殺して来た者の目だな」

 徹斎がまるで源斎の心を見透かすかのように言った。源斎はニヤリとして徹斎を見ると、

「さすがですね。しかしその先は読めませんでしょう?」

 徹斎はカッと目を見開き、

「読めておる! 貴様、父上を殺しに来たな!」

 身構えた。慶斎と斎英もバッと身構えた。しかし源斎は全く怯んでいなかった。

「お三方には用はありませぬ。お退(ど)き下され」

「ふざけおって!」

 三人それぞれが光の剣を出した。

「貴様、分家の、しかも最下級の者が、宗家三兄弟を相手に勝てると思っているのかァッ!?」

 慶斎が怒鳴った。源斎は慶斎に目を転じ、

「思っておりますよ。我が術はお三方を一瞬にして葬り去れますので」

「貴様ァッ!」

 三人は一斉に源斎に斬りかかった。源斎はスーッと漆黒の剣を右手に出し、身構えた。

「何?」

 徹斎はこれに気づいて踏み止まったが、慶斎と斎英は構わず源斎に斬りつけた。

「やめろ、お前達! そいつの持っている剣は……」

 徹斎は叫んだ。だがすでに慶斎と斎英は黒い剣に真っ二つにされていた。

「他愛もない。宗家の方とは、この程度でしたか。これでは千年の歴史が泣きまするな」

 源斎は嘲笑して徹斎を見た。徹斎はキッとして源斎を睨み、

「愚か者め! 宗家の力、甘く見るな!」

 右手に別の長剣を出した。源斎はニヤッとして、

「ほォ。それは神剣十拳の剣。宗家の正当継承者のみが用いることのできる剣……」

「そこまで知っていながら、まだこの私に刃向かうつもりか? つくづく愚か者よ」

 徹斎は勝利を確信し、フッと笑った。

「しかしその剣にも斬れぬものがありまする」

 源斎は全く冷静だった。徹斎は眉をひそめて、

「何だと!?」

 源斎はバッと黒い剣を振り上げ、

「それこそがこの黄泉剣! 暗黒の魔剣でございます!」

「やはり……」

 徹斎はギリギリと歯ぎしりして、

「宗家の後継者として、貴様のように邪法に身を委ねた者を生かしておくわけにはいかぬ」

 次の瞬間、十拳の剣と黄泉剣がぶつかり合い、火花が飛び散った。

「なるほど。確かに長兄徹斎様。実力では栄斎様以上と噂されるだけのことはある」

「くっ……」

 徹斎は源斎の余裕の表情を見て焦っていた。

「おのれ!」

 徹斎は源斎から一旦離れ、次の一撃を繰り出すため、動こうとした。しかし足が地面に根を張ってしまったかのように動かなかった。

「そ、そんな……」

 徹斎の足は溶け始めていた。

「今すぐ楽にして差し上げまするよ、徹斎様」

「おおおっ!」

 源斎の黄泉剣が、徹斎を一刀両断した。徹斎は黄泉の黒火に焼かれ、消滅してしまった。

「はっ!」

 源斎はその時、門の中から迫る凄まじい気を感じ、思わず後ずさった。

「そうか。貴様、やはり黄泉路に足を踏み入れたか」

 白髪に白く長いひげの老人が姿を現した。源斎は身構えながら老人を見て、

「栄斎様か?」

 老人は大きくゆっくりと頷き、

「いかにも。わしが小野栄斎じゃ。貴様、源斎じゃな? 斎明はどうした?」

 源斎はニヤリとして、

「殺しました。我が手で!」

 右手を突き出し、握りしめた。栄斎はカッと目を見開き、

「自分の父親を殺しておきながらその態度、人としてあるまじきものじゃな。その思い上がり、叩き潰してくれるわっ!」

 そのあまりの気迫に、源斎は一瞬ビクッとした。

「ひとふたみよ いつむななやこのたり ふるえふるえ ゆらゆらと ふるえ」

 栄斎は呪文を唱え、柏手を二回打った。

「神剣草薙の剣!」

 栄斎がそう唱えると、右手に十拳の剣よりひとまわり大きい剣が現れた。

「徹斎、慶斎、斎英の礼、させてもらうぞ」

 源斎は十拳の剣の他に神剣があることを知らなかった。彼は焦っていた。

( 何ということだ。まずい。黄泉剣以上の力を感じるぞ、あの剣……)

「覚悟せい、源斎!」

 栄斎は剣を上段に構え、源斎に近づいた。

( くっ。足が動かん。何という、壮絶な気なのだ……。こ、この俺が動けぬ……)

『源斎よ、うぬに力を貸そう』

 どこからともなく、不気味な、男とも女ともわからない声が聞こえた。源斎はハッとして、

( 今の声は何だ? )

 周囲を見回した。

「どこを見ている!?」

 栄斎の剣が源斎を斬り裂いた。

「うおおおおっ!」

 源斎はそこで何もわからなくなった。

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