第七章 女王降臨
藍は雅を睨み据えたままでいた。雅も藍を睨み返していた。
「藍、行くのは構わんが、そいつらの命、どうなっても知らんぞ」
雅が言うと、藍はビクッとして佐藤達に目を転じた。
( 雅を振り切って夜須川に行くことはできる。でもそんなことをしたら、武光先生や水野さん達が……)
藍は再び雅を睨んだ。雅はニヤリとした。
( さァ、藍。お前がこの窮地を切り抜けて夜須川に向かう方法はただ一つだ。早く気づけ )
源斎はスーッと中州に降り立つと、柏手を打った。
「ふるえ ふるえ ゆらゆらと ふるえ」
彼は呪文を唱え始めた。すると彼の周囲にゴルフボール大の黒い玉が現れ、彼の周りを回り始めた。
「何してるの、あのお爺さん?」
由加が呟いた。剣志郎はその時、藍に言われたことを思い出した。
『夜須川に封じられている鬼を甦らそうとしている男がいるんだ。それで、そいつが封印を破るのを阻止するために行くんだ』
( そうか。あのジイさんが藍が言っていた小野源斎。幕末から生き続けている、化け物のような男、か )
「封印は解けるぞ。千七百年の歳月が、結界を緩めた。そして、周りの地形の著しい変化も、それを助長している!」
源斎は狂喜して叫んだ。
「な、何だ、あれ?」
奥野が指差した。剣志郎達もそれに気づいていた。
「空間が裂けている……。そういうのって……」
由加は言葉を失ってしまった。剣志郎も、波子も、声を出せなかった。
「フハハハハハ!」
源斎は大声で笑い始めた。裂けた空間の向こうには、古代日本のムラの風景が見えていた。
「あれは弥生後期の風景か? いや、邪馬台国時代と言った方が正しいか……」
ようやく剣志郎は声に出して言った。
( 何が始まろうとしているんだ? あれは一体何だ? )
剣志郎の額に幾筋もの汗が流れた。
藍は意を決して地面に剣を突き立てた。
( 一度もやってみたことがないけど、この場から一刻も早く源斎のところに行くには、それしかない )
雅は笑うのをやめて身構えた。
( 来るか? 姫巫女流の秘奥義……)
藍は柏手を四回打った。
「柏手を四回? そんなの、あるのかよ?」
田辺が言った。すると佐藤が、
「あ、あるよ。宇佐神宮と出雲大社では、柏手は最初四回打つんだよ」
田辺は何でそんなこと知ってるんだという目で佐藤を見てから、
「小野先生って一体何者なんだ?」
「そんなこと、わからないよ」
佐藤は藍を見たままムッとして言った。
「姫巫女流秘奥義、姫巫女合わせ身!」
藍が叫ぶと、天から一条の強い光が射し、彼女を白く照らし出した。田辺と佐藤は唖然としていた。
「これが、姫巫女合わせ身か……」
雅は額の汗を拭って呟いた。
やがて天から、巫女姿の女性が舞い降りて来た。それはまさしく、倭国の女王卑弥呼であった。
「あれが、女王卑弥呼か……」
雅は眩しそうに上空を見上げ、舞い降りて来る卑弥呼に目を向けた。
( 何とか成功したわ )
藍はホッとした。卑弥呼は藍にスーッと溶け込むように同化した。その途端、藍の身体が強く輝き始めた。
「雅、ここで長々と貴方に関わっている時間はないわ」
藍はそう言うと右手を田辺と佐藤と祐子、そして左手を麻弥に向け、
「船戸の神よ、黄泉の汚れに染まりし者を押し止めよ」
すると田辺達の周りに光の結界が現れ、田辺達三人と麻弥は、それぞれその中で護られるように固まった。
「結界か。考えたな。あれは黄泉路古神道では破れない」
雅が言うと、藍は、
「これで貴方はあの子達に手出しできない。私は源斎のところに行ける」
「今から行っても手遅れだと思うがな」
雅はニヤリとして言った。藍はキッとして、
「そんなこと、行ってみなければわからない!」
そう言い放つと、柏手を二回打ち、
「高天原に神留ります、天の鳥船神に申したまわく!」
すると藍の身体がフワッと浮いた。
「源斎、お前の思い通りにはさせない!」
藍はそう言うと、凄まじい速さで、光と共に空の彼方に消えた。田辺と佐藤は顔を見合わせた。
「俺達、夢を見てるのかな?」
「それにしちゃ、生々し過ぎるよ」
二人は同時にフーッと長い溜息を吐いた。
「さてと。俺も行くか。源斎様の下へ」
雅は言うと、スーッと消えた。
藍は夜須川に向かいながら、十五年前のことを思い出していた。
十五年前。
まだ藍が十歳の時であった。彼女は友達三人と、家の裏にある注連縄の張ってある井戸の周りで遊んでいた。その井戸はひどく古めかしい井戸で、上には蓋がされており、石が載せられていた。藍は仁斎に、決して井戸に近づいてはいけないときつく言われていた。
ところがその日は、藍の両親は北海道まで所用で出かけており、仁斎も宮司達の寄り合いで出かけていて留守であった。
元々好奇心旺盛な藍であったから、仁斎と両親がいない今日は、絶好のチャンスだと考え、井戸に近づいてみることにした。これに興味をそそられた友達三人が、藍の家にやって来たのである。
「何か、すっごく古い井戸だね」
三人のうち、おカッパの子が言った。藍は大きく頷いて、
「そりゃそうよ。私の家のご先祖様がまだ京都にいた頃からあるの。それを明治時代になって東京に引っ越したのと一緒に、ここに移したんですって」
「へえ。藍の家って、いつから神社やってるの?」
もう一人の小柄な三つ編みの子が尋ねた。藍はその子を見て、
「平安時代からよ。千年くらい続いてるの」
「ヘイアンジダイ? それって、昭和より昔?」
さらに別の一人の、ちょっと太めの子が口を挟んだ。するとおカッパの子が呆れ顔で、
「バカねえ。当たり前でしょ。千年も続いているのよ」
「そっか」
太めの子はヘラヘラ笑って頭を掻いた。
「入るわよ」
藍は注連縄の下をくぐり、井戸に近づいた。三人の友達もこれに倣って中に入った。
( 何これ? このザワザワした感じ? )
藍は寒くもないのに、身体中鳥肌が立っているのに気づいた。
「この蓋、重いのかな?」
太めの子が井戸の蓋に手をかけた。藍はギョッとして、
「だめ、触っちゃ!」
太めの子はキョトンとして、
「えっ?」
藍の方を向いた。その次の瞬間、蓋がバンと勢い良く跳ね上がった。
「キャッ!」
太めの子はその拍子に尻餅をついた。そのすぐ横に蓋が落ち、地面に突き刺さった。
「何?」
藍は井戸の底からこちらに向かって伝わって来る声のようなものに気づいた。
「みんな、井戸から離れて!」
藍は必死の思いで叫んで、三人を注連縄の外に誘導した。
「ぐおおおおおっ!」
雄叫びと共に、井戸の中から真っ黒な姿の人とも動物とも思えないものが飛び出して来た。
「やっぱり……」
藍は呟いた。
( この井戸、本当に黄泉路に通じる井戸なんだわ。あれは黄泉の魔物……)
「ぐぐぐ……」
黄泉の魔物は、藍達に気づいた。藍は恐れずに魔物を睨んだ。他の女の子達は、歯の根も合わないほど震えていた。
( どうする? 私、どうすることもできない……)
恐怖は感じなかったが、自分の無力さと興味本位の愚かな行動に腹が立ち、苛立った。
「待てよ、化け物」
声がした。それは中学生の雅だった。彼は学生服のボタンを一つずつ外しながら、井戸の結界に近づいた。藍の顔が喜色に輝いた。
「雅ちゃん!」
「藍、早く友達を連れて表へ逃げろ。後は俺が何とかする」
雅は制服をバッと脱ぎ捨てて言った。
「うん!」
藍はすぐさま注連縄の外に出て、三人の友達を追い立てるようにして井戸から離れた。
「ぐおーっ!」
獲物に逃げられた魔物は、憎しみの目を雅に向けた。
藍が知っているのはそこまでだった。そこから先、雅と魔物がどうなったのか、そして何故仁斎が雅を小野家から追放したのかは、未だもって知らない。
( しばらくして井戸のところに戻ってみると、そこにはお祖父ちゃんがいただけで、井戸の蓋は元に戻っていて、雅の姿はなかった。何が起こったのか、私は今でも知らないでいる)
藍はそんな思いを振り切るように首を横に振り、甘木を目指した。
剣志郎は小石原川の河川敷に向かって走っていた。由加達がこれに続こうとすると、
「お前達はここで待ってろ。危険だ」
由加達は剣志郎のあまりの剣幕に一瞬立ちすくんだ。
「な、何よ? 何であんなに大声出すのよ?」
由加は不服そうに言った。すると奥野が、
「いや、確かに危険だよ。だってあのジイさん、空中に浮いてたんだぜ。インチキ宗教の教祖のトリック写真とは訳が違うよ」
「そうね。由加、ここで待ってようよ」
波子は奥野に同意して言った。由加は何となく煮え切らないといったように二人を見て、仕方なさそうに頷いた。
一方雅は、真っ暗な闇の中にいた。
( 藍……)
雅は一体何を考えているのか? 彼の今後の行動が、全てを決定して行くのである。
源斎は狂喜していたが、剣志郎が近づいて来るのに気づき、振り向いて剣志郎を睨んだ。
「何者だ? 我が結界に断りなく近づく者は?」
剣志郎は源斎の威圧感のある声にビクッとして立ち止まった。彼は川の中程にある中州に立つ老人を見据えて、
「貴様が源斎か?」
すると源斎はニヤリとして、
「なるほど。お前が小野宗家の小娘と一緒に九州に来た男か」
「何?」
剣志郎は自分のことを知っている源斎に恐れを感じた。
( こいつ……)
「ならば死んでもらわねばなるまい」
源斎の右手が剣志郎を指し示した。するとその五本の指の先から、黄泉の化け物が湧いて来て、剣志郎に向かって飛んで来た。
「何だ、あれは?」
剣志郎はギョッとした。その時彼は藍の声を聞いた。
「剣志郎、伏せて!」
剣志郎はその言葉にハッとして河原に伏せた。次の瞬間、閃光が走り、五体の化け物は消滅した。
「雅め、失敗しおったか」
源斎は呟き、苦々しそうに剣志郎の横に立っている藍を睨みつけた。
「あ、あれェ? 藍先生だ。いつの間に?」
由加は呆気にとられて言った。奥野と波子は顔を見合わせた。
「さすが姫巫女流。我が術を一瞬にして破るとはな」
源斎の身体が再び宙に浮いた。藍は剣志郎を気遣いながらも源斎を睨んだままで、
「あの封印は破らせはしない。そして源斎、お前を倒す!」
源斎はニヤリとして、
「お前ごときがこのわしを倒すじゃと? 笑止な」
「黙れっ!」
藍はスッと十拳の剣を構えると、源斎のいる中州に飛んだ。
「ならば返り討ちにしてくれるわっ!」
源斎の右手に真っ黒な黄泉剣が現れた。
「源斎ッ!」
藍は降下しながら、源斎に剣を振り下ろした。源斎はフッと笑ってこれを黄泉剣で受け止めた。
「くっ!」
藍は源斎の力に押され、弾き飛ばされたように中州を転がった。生えている草や小石で、藍は手や顔に擦り傷を負った。その傷口から血がにじむ様を見て、
「宗家の力、やはりその程度か。とんだ茶番だ」
源斎は言い放ち、大声で笑った。藍はギリッと歯ぎしりして、源斎を睨んだ。
( あの源斎という男、藍を弾き飛ばしたようだが、一体どうやって? 剣は受け止めただけで、振り払った訳ではないし……)
剣志郎は、源斎の謎の力に恐怖を感じた。
「わしは今、鬼を解き放つところだ。邪魔立ていたすな」
源斎はまるで藍を無視するかのように背を向け、再び宙に開いた結界の穴を広げるため、呪文を唱え始めた。
「ひふみよいむなやこともちろらねしきるゆゐつわぬとそをたはくめかうゑにさりへてのますあせえほれけ」
剣志郎はその不思議な言葉に眉をひそめて、
「あれは確か、
と呟いた。
「させない!」
藍は頬を伝わる血を拭うと、源斎に向かって飛んだ。
「寄るな!」
源斎の右手から五体の黄泉の化け物が現れ、融合して一体となり、巨大化した。
「そやつは先程のものとわけが違うぞ」
源斎は嬉しそうに言った。
「十拳の剣に斬れないものはない!」
藍はグッと剣を振り上げ、向かって来る化け物に振り下ろした。真っ二つ、にしたはずだった。しかし化け物は二つに分かれはしたが、スーッと元に戻ってしまった。
「こ、これは……」
藍は唖然とした。源斎はそれを見届けてから、
「
呪文を続けた。
藍は焦っていた。
( 何故斬れない? 何故消滅しない? )
さっきから何度も一刀両断にしているのに、そのたびに元に戻ってしまっている。
「藍! 目で追うな! 心で感じろ! そうすれば、斬れるはずだ!」
剣志郎が叫んだ。藍はハッとして顔を上げ、迫り来る化け物を見た。
「心で、感じる……」
藍は目を閉じた。仁斎の言葉が思い出された。
『姫巫女流の極意は、見えぬものを見、聞こえぬものを聞くことにある。五感に頼らず、第六感を磨くのだ、藍』
( わかったよ、剣志郎、お祖父ちゃん )
「はァッ!」
再び剣が化け物を真っ二つに斬り裂いた。藍は次に跳躍した。
「そこだ!」
二つに斬り裂かれた化け物から、ゴルフボール大の黒玉が出て、それが再び化け物の中に戻ろうとしていた。藍はそれを捉えて、剣で黒玉を突き、砕いた。
「ギャーッ!」
化け物は本体を砕かれたため、消滅した。
「むっ?」
源斎はそれに気づき、呪文をやめた。
「おのれ、宗家の小娘め、どうあってもこのわしの邪魔をするつもりか?」
源斎は地面に降り立ち、藍を睨んだ。藍はスッと剣を中段に構えて、
「次はお前だ、源斎」
すると源斎は高笑いをした。
「何がおかしい!?」
藍が怒鳴ると、源斎は、
「もはや鬼を封じていたものは消失した。鬼の力は我が力となる」
「何?」
藍はギクッとした。源斎の後ろに見えている空中に開いた穴から、どす黒い妖気が吹き出し始めていたのだ。剣志郎もビクッとした。
「何だ、あれは?」
妖気が吹き出しているのは、由加達にも見えた。いや、由加達ばかりでなく、そばを通りかかった人々全員が、その異様な光景を目にしていた。
「さァ、来れ、邪馬台国に滅ぼされ、怨みを遺して死んで行った
源斎が叫ぶと、黒い妖気は源斎を取り囲み、スーッと源斎の身体に吸い込まれるように入ってしまった。
「しまった!」
藍は舌打ちした。源斎の身体から、凄まじい妖気が発せられ、目が血走り、長い髪が逆立った。
「まずは……」
源斎が右手を振ると、剣志郎の身体が宙に浮いた。
「うわっ!」
そのまま剣志郎は河原に叩きつけられた。ゴキッという鈍い音がした。どこかを骨折したようだ。
「ぐふっ!」
剣志郎は口から血を吐いた。周囲の人々はそれを見てざわついていた。
「先生!」
由加が大声で叫んだ。源斎は藍を見て、
「先程いらぬことを言った礼だ」
満足そうにニヤリとした。藍は手をギュッと握りしめていた。その手は、怒りで震えていた。
「よくも、よくも剣志郎……」
藍は源斎を睨んだ。
「お前は許さない!」
藍の怒りに呼応するかのように、忿怒の形相の卑弥呼の顔が、藍の顔とオーバーラップした。源斎はギョッとした。
( こやつ、女王の力を……。しかし、それにしては力が弱い)
源斎はフッと笑った。
「つまりは力を使いこなしておらぬということか」
しかし彼の読みは甘かった。藍は強烈な気を放ち、源斎に向かった。
「何!?」
一瞬出遅れた源斎は藍の突進をかわし損ね、十拳の剣で左肩を斬られた。
「うおおっ!」
源斎は空に逃れ、黄泉剣を下段に構えた。
( たった今、女王の力、手に入れたというのか? 先の攻撃とはうって変わって、まるで鬼神の如き勢い……)
源斎の額に、汗がにじんだ。
「これが姫巫女合わせ身……。宗家究極の秘奥義か……」
藍は宙に浮かぶ源斎を睨んで、
「源斎ッ!」
と叫ぶと、飛翔した。源斎は身構えて妖気の放出を強めた。
「その程度で驕るな、小娘!
源斎が言うと、飛翔している藍を押し戻すほどの凄まじい妖気が、源斎の身体から発せられた。
「はっ!」
藍は周囲にいる人々に害が及ぶのを察し、気を取り直して源斎に向かった。
「させない!」
藍は十拳の剣を振り上げ、源斎に接近した。源斎も黄泉剣を中下段に構え、藍を睨んだ。
「はァッ!」
「うおおっ!」
二つの剣がぶつかり、辺りを照らし出すような激しい火花が飛び散った。
「何と!」
源斎は目を疑った。黄泉剣の刀身にヒビが入り、粉々に砕けてしまったのだ。
「ハーッ!」
藍の次の一太刀が、源斎の眉間を斬り裂いた。
「ぐわァァッ!」
斬られた傷口から、源斎はどす黒い妖気を噴き出しながら、地面に落下した。
「おのれ。この程度で死ぬものか。わしは……死なぬ!」
源斎はスーッと空間に溶けるように消えて行った。
「しまった!」
藍は慌ててそれを止めようとしたが、源斎は完全に姿を消してしまった。
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