第六章  宇佐神宮の秘密

 源斎は闇の中にいた。

「宗家の小娘が宇佐に行くとはな……。雅、邪魔されるでないぞ」

 源斎はそう呟き、ニヤリとした。


 藍達は、藍と麻弥と佐藤、そして田辺と祐子に別れてタクシーに乗った。分けたのはもちろん麻弥である。

『藍、聞こえるか?』

 藍は心の中に直接語りかけて来る雅の声にハッとして、助手席に乗っている麻弥の横顔を見た。麻弥の目はうつろで、何も見ていなかった。隣の佐藤は、窓の外を見ている。運転手は大人しそうな年配の男で、何も話しかけて来る様子はなかった。

『宇佐神宮で、面白いものを見せてやろう。楽しみにしていろ』

 雅の声はそれきりしなくなり、麻弥は表情を取り戻していた。

( 雅……。宇佐神宮で何をするつもりなの? )

 藍は表情を強ばらせた。


 剣志郎達は甘木駅に到着していた。由加は不機嫌そうだ。何故なら、レストランが満席で、空席待ちの観光客が何十人もいたため、剣志郎が諦めさせたからだ。

「さてと。甘木まで来たのはいいが、ここから先はどこへ行けばいいのかな?」

 剣志郎が言うと、由加は急ににこやかになり、

「じゃあ取り敢えず、お食事にしましょう」

 剣志郎は肩を竦めて、

「はいはい。わかりました」

 由加と波子は顔を見合わせてニンマリとした。


 藍達は宇佐神宮の上宮の前に来ていた。

「こんなに歩くと思わなかったよ。駅前で昼飯食べて正解だった」

 田辺は息が苦しそうだ。祐子もゼイゼイ言いながら、

「ホント。帰りもまた歩くかと思うと、うんざりするわ」

 弱音を吐いた。麻弥はそれを微笑んで見ていたが、佐藤が周りを見渡しながら、

「何かここ、古墳みたいですね」

と言ったので、

「あら、佐藤君、いい感覚してるわね。そうよ。ここは古墳なのよ」

 藍はビクッとして麻弥を見た。

( 武光先生が喋ってるんじゃない。雅だ。雅が喋らせているんだ……)

「一体誰の古墳なんですか?」

 祐子が息を整えながら尋ねた。田辺も汗を拭いながら麻弥を見た。麻弥は上宮の御殿に目を向け、

「誰かしらね」

 ニヤリとし、チラッと藍を見た。藍の額に汗が伝わった。雨がやんでむすような感じだが、藍はここまで歩いても汗はかいていなかった。暑くてかく汗ではないのだ。

「先生、知ってるんですか?」

 麻弥の視線に気づいた田辺が、藍に尋ねた。藍はハッとして田辺を見て、

「知らないわよ。ここが古墳じゃないかという話は知ってたけど……」

「なァんだ、つまんない」

 祐子は残念そうに言った。すると麻弥が祐子を見て、

「そんなに知りたい?」

「ええ」

 祐子は麻弥の言い方にドキッとしたのか、半歩下がって応えた。麻弥の目は、いつもの彼女のホンワカしたものではなかった。しかし、彼女はニコッとして、

「この神社は、応神天皇、つまり神武天皇から数えて十六代目の天皇なんだけど、その応神天皇の母親である神功皇后、そして比売大神の三神が祀られているの。比売大神は、三人の女神で、タギツヒメノミコト、イチキシマヒメノミコト、タギリヒメノミコトというお名前なの」

 祐子はホッとした顔で頷いた。麻弥の顔がいつもの穏やかな顔に戻ったからだ。麻弥は御殿の反対方向を見て、

「ここに来る途中、大きな池があったでしょ? あの池、菱形池って言うんだけど、あの池は、この小椋山、または亀山と呼ばれる今私達がいるこの場所を築くために土を掘り出した跡なのよ」

「はい」

 田辺と佐藤も、麻弥の話に聞き入っている。しかし藍は警戒をしたままだった。

「そしてこの宇佐神宮の不思議なところは、主神である応神天皇おうじんてんのう、すなわち、八幡大神が、向かって左側に祀られていて、中央に比売大神、右に神功皇后じんぐうこうごうが祀られているの。これ、どういうことだかわかる?」

 麻弥は祐子達を見て尋ねた。田辺は、

「比売大神が祀られているところに、応神天皇と神功皇后を祀ったので、こうなったんですか?」

 麻弥は微笑んで田辺を見ると、

「近いわね。でもちょっと違うのよ。神社が造られて、最初に設祀されたのは、応神天皇なのよ。それなのに中央に祀られたのは、比売大神だったの」

「てことは、応神天皇より、比売大神の方が格が上だったんですか?」

 田辺は少しわかって来たという顔で尋ねた。麻弥は頷いて、

「そういうこと。でも、後になって応神天皇を主神とするようになり、左が上座ということになったわけ」

「はァ……」

 田辺は、祐子や佐藤と顔を見合わせた。祐子が唾を呑んでからゆっくりと、

「ということは、天皇より格が上って……その……」

 言いかけて口籠ると、麻弥は、

「そう。貴女の考えていることは正しいわよ。天皇より格が上の神。そして、大神と呼ばれている女神は一人しかいない。天照大神よ」

 祐子はびっくりして田辺に目をやった。田辺は何も言わずに祐子を見ていた。佐藤も黙ったままだ。

「でもそれは少し話が本末転倒ね。比売大神が天照大神なのではなくて、比売大神が天照大神の原型だったと言った方が正しいわね」

 藍が口を挟んだ。麻弥の顔が一瞬殺気立った。

「どういうことですか?」

 佐藤は眼鏡をクイッと上げて尋ねた。藍は佐藤に目を転じて、

「つまりもともとこの地に祀られていた比売大神、いえ、別の名前があったと思うんだけど、その神は応神天皇や神功皇后とは直接関わりのなかった神なのよ」

「ええっ?」

 佐藤はキョトンとしてしまった。祐子と田辺は顔を見合わせてポカンとしている。麻弥はますます殺気立って藍を睨みつけた。

「要するに、この地に眠っているのは、倭国の女王で、そこに便乗したのが九州遠征をしていた仲哀天皇ちゅうあいてんのう建内宿禰たけしうちのすくねの手引きによって暗殺させた、神功皇后と応神天皇の親子」

 藍がそう言うと、麻弥はギリギリと歯ぎしりした。

「仲哀天皇を暗殺させた?」

 田辺が仰天して叫んだ。藍はチラリと麻弥を見てから、

「そう。天皇家は何回か断絶していると唱える学者がいるけど、そのとおりなのよ。仲哀天皇が暗殺されて、最初の天皇家の血筋は途絶えたの」

「でも応神天皇は仲哀天皇と神功皇后との間にできた子供でしょう? 血筋は途絶えた訳ではないですよ」

 田辺は反論した。しかし藍は首を横に振り、

「違うわ。応神天皇は仲哀天皇の子供ではないの。いえ、神功皇后の子供でもないわ。彼は神功皇后の恋人だったの。そして神功皇后は仲哀天皇の妹だったのよ。応神天皇は他の妃との子供を跡継ぎにしたから、仲哀天皇で血筋は途絶えているのよ」

「何ですって!?」

 田辺も祐子も佐藤も、すっかり驚いていた。すると麻弥がニヤリとして、

「藍、日本史の授業はその辺にしておけ。これから面白いものを見せてやる」

 男の声で言った。

「た、武光先生、その声は一体……?」

 祐子は蒼ざめて言った。田辺と佐藤はギョッとして麻弥を見た。

「三人共、武光先生から離れなさい!」

 藍はキッと麻弥を睨んで叫んだ。祐子達は後ずさりをして麻弥から離れた。周囲にいた観光客達も、麻弥から発せられる異様な殺気を感じ、身じろいだ。

「黄泉醜女(よもつしこめ)!」

 麻弥は藍を右手の人差し指で指し示して叫んだ。するとその指先から、顔の半分が腐り落ちた化け物が現れ、藍に向かった。

「うわァッ!」

 田辺は腰を抜かしてへたり込んだ。佐藤は真っ青になってヘナヘナとしゃがんでしまった。祐子は、

「きゃああっ!」

 絶叫して気絶した。観光客達も仰天し、逃げ出した。倒れる者、泣き叫ぶ者。様々だった。

「神剣、十拳剣とつかのつるぎ!」

 藍が右手を振ると、彼女の右手に一メートルほどもある光り輝く長剣が現れた。

「はっ!」

 神剣が宙を斬り、化け物は一刀両断され、煙のように消えた。藍は再び麻弥を睨み、

「雅! いい加減、武光先生から離れて姿を現しなさい。女を操って戦うなんて、貴方らしくないわよ」

と叫んだ。

「そうだな」

 麻弥の背後の空間に、突然長髪の男が現れた。小野雅であった。彼はニヤリとして、

「俺が宇佐に来た理由がわかるか?」

「女王の力を借りて、夜須川に封じられている鬼をこの世に解き放つつもりね」

 藍が言うと、雅は倒れかけた麻弥を抱き止めて、ゆっくりと地面に寝かせてから藍を見て、

「半分当たっている」

「半分?」

 藍はキッとした。雅はフッと笑って、

「お前がこの俺に勝てるとでも思っているのか?」

「何ですって!?」

 藍は十拳の剣を下段に構え、一歩前に出た。雅は不敵な笑いを口元に浮かべて、

「黄泉剣!」

 すると彼の右手に漆黒の剣が現れた。何もかも吸い込んでしまいそうな黒さの剣である。形や長さは、十拳の剣と全く同じに見えた。

「行くぞ!」

 雅は剣を振り上げ、藍に突進した。振り下ろされる漆黒の剣、そしてそれを受ける藍の剣。火花が飛び散り、藍の靴が地面にめり込んだ。

「どうした? 姫巫女流の力、その程度か?」

 雅が嘲笑すると、藍はムッとして雅の剣をはね除け、

「姫巫女流を舐めるな!」

 雅はまたニヤリとした。そしてバッと後ろに飛び退き、剣を地面に突き立てると、柏手を打った。藍はハッとして一歩退いた。

「黄泉路古神道奥義、魔神霊ましんれい召喚!」

「……!」

 藍はギョッとした。

( 魔神霊というのは、黄泉の化け物と人霊を合わせた混合霊体と聞いている。一体何を? )

 地鳴りがして、亀山全体が揺れ始めた。

「まさか、魔神霊って……」

 藍が口にした時、彼女と雅の間の地面を裂いて、真っ黒な固まりが吹き出した。それは宙に浮かび、やがて古代人の男の姿になった。黒いままなので、顔などはわからなかったが、髪型や服の輪郭などで、弥生時代頃の人間らしいことはわかった。雅は高笑いをしてから言った。

「お前の読み通りだ、藍。卑弥弓呼ひみここだ」

「やはり……」

 藍はギリッと歯ぎしりし、魔神霊を見上げた。

 卑弥弓呼とは、邪馬台国と覇権争いをしていたと思われる狗奴国くなこくの王である。邪馬台国のことが比較的詳しく書かれている中国の史書である三国志の一書の魏書の倭人の条でも、狗奴国は邪馬台国と対立していることが書かれているのみで、その実体はわかっていない。大和朝廷の時代に出て来る、熊襲の祖先ではないかという説がある。しかし、真相は歴史の闇の中である。

「うおおおっ!」

 卑弥弓呼の魔神霊は、雄叫びを上げた。彼の右手には巨大な槍が握られていた。

「さァ、卑弥弓呼よ、汝が仇敵の神殿を焼き尽くせ!」

 雅が命ずると、卑弥弓呼の魔神霊は槍を振り上げて、宇佐神宮の二之御殿( 比売大神が祀られている場所 )に投げ下ろした。

「ああっ!」

 藍は仰天した。槍は空を切り裂くような音と共に、二之御殿に向かった。卑弥弓呼が叫ぶ。

「うおおおおっ!」

 二之御殿に槍が突き刺さった。するとそれと同時に、二之御殿の屋根に黒い炎が走った。

「あれは、黄泉の黒火……」

 藍は蒼ざめた。雅はニヤリとして、

「そうだ。黄泉の黒火はこの世にならざるもの。この世の水では、あの炎を消すことはできない」

「……」

 藍は歯ぎしりして雅を睨んだ。

 やがて黒い炎は、二之御殿ばかりでなく、一之御殿と三之御殿にも燃え移った。神宮の人達が必死に消火活動をしているが、全く火の勢力は弱まらなかった。いや、返って強まっていたかも知れない。

「……」

 藍は意を決して剣を地面に突き立て、柏手を打った。雅は笑うのをやめて藍を睨んだ。

「ひとふたみよ いつむななやこのたり ふるえ ふるえ ゆらゆらと ふるえ」

 藍がそう呟くと、彼女の身体が金色に輝き出した。雅はビクンとして藍を見た。田辺や佐藤は気を失った祐子を抱き起こしながら、藍の姿を見ていた。

「小野先生って一体……?」

 藍は再び柏手を打ち、

大綿津見神おおわたつみのかみよ、黄泉の炎を消し去りたまえ!」

 すると、亀山の脇にある菱形池の水が渦を巻いて空高く舞い上がり、滝のように宇佐神宮の上宮に降り注いだ。

「何ィ!?」

 雅は焦っていた。

( 藍の力を見誤っていた。これほどの術を使えるとは……)

「うわァ、水が押し寄せて来るゥッ!」

 田辺と佐藤は祐子を引き起こして逃げようとした。しかし、水は黄泉の黒火を消すと、スーッと消滅してしまった。

「ど、どういうことだ?」

 佐藤は眼鏡をクイッと上げて呟いた。

「この世ならざるものは、この世ならざるものを使って制する」

 藍は雅を睨んで言った。雅はフッと笑い、

「それでこそ戦いがいがある!」

「何?」

 藍はサッと剣を引き抜き、下段に構えた。雅は卑弥弓呼を見上げ、

「この女を殺せ!」

 藍はその言葉に計り知れないショックを受けた。

( 殺せ? )

「ぐおおおおっ!」

 卑弥弓呼の魔神霊は、雄叫びと共に藍に襲いかかった。

「先生、危ない!」

 田辺と佐藤が声を揃えて叫んだ。藍はキッと卑弥弓呼の魔神霊を睨み据えて、

「お前ごとき黄泉の化け物に破れる姫巫女流ではない!」

 言い放つと、地面から剣を抜き、バッと上段に構えた。

「うおおおおっ!」

 卑弥弓呼の魔神霊は再び槍を出し、藍に向かって投げつけた。

「はァッ!」

 藍は気合いと共に剣を振り下ろした。槍はその衝撃波で砕け散り、卑弥弓呼も真っ二つに裂かれた。

「ぐわわわわっ!」

 二つに裂けたのは卑弥弓呼と黄泉の魔物だった。卑弥弓呼は穏やかな顔になり、黄泉の魔物は卑弥弓呼の放つ光によって消滅した。

「……」

 雅は唖然としていた。

( これが姫巫女流か……。源斎様が恐れるはずだ……)

 藍は卑弥弓呼を見上げて、

「さァ、お帰りなさい、天へ」

 卑弥弓呼はニッコリとして天に消えて行った。藍はそれを見届けてから雅を睨み、

「今度は貴方の番よ、雅」

 すると雅はニヤリとした。そして大声で笑い出した。藍はムッとして、

「何がおかしいの?」

「俺がここへ来た理由の一つは女王の力を手に入れることだ。そしてもう一つの理由は……」

 雅はそこで意味ありげに沈黙した。佐藤と田辺は生唾を呑み込んだ。

「何?」

 藍は苛立って怒鳴った。雅はフッと笑って、

「お前をここに引きつけておき、夜須川の守りをさせないためだ」

「……!」

 藍はハッとした。そしてようやく、

「じゃあ、貴方は囮?」

「そのとおりだ。俺は囮だ。お前を夜須川にではなく、宇佐に来させるためのな」

「ということは……」

 藍の額を汗が流れ落ちた。雅は不敵に笑って、

「そうだ。今頃夜須川には、源斎様が行っておられる。そして、鬼を封じた結界を破っておられる頃だ」

「……」

 藍はギリッと歯ぎしりしし、何かを唱えようと柏手を打った。すると雅は、

「そうはさせん。お前を夜須川には行かせんぞ。ここで始末をつける」

 黄泉剣を藍に向けた。


 一方剣志郎達は、昼食をすませて、小石原川( 夜須川 )の方に向かって歩いていた。

「思っていたより、大きな川ですね、夜須川って」

 前方に見える川を見下ろして、由加が言った。剣志郎は頷いて、

「そうだな。ホントにこの川が、神話に出て来る天の安河だったんじゃないかって気がするよ」

 すると調子に乗った奥野が、

「そうでしょう? このあたりを中心にして、周囲にある地名が、読み方や位置がほぼそのままに奈良の地に当てはまるんですよ。とっても不思議なところなんです」

「なるほどな」

 剣志郎はさも感心したように頷いてみせた。波子がウットリして、

「ロマンよねェ……。千七百年前、ここが倭国の都だったかも知れないって考えると」

 誰にともなく言った。

「あれっ?」

 最初にその異変に気づいたのは、奥野だった。

「どうした?」

 剣志郎は奥野が見ている方向に目を向けた。彼が見ていたのは、小石原川の中州の上だった。

「むっ?」

 剣志郎は中州の上に人がいるのに気づいた。白い着物姿の老人のようであったが、その老人は宙に浮いていた。

「何だ、あれは?」

 剣志郎は不思議に思って走り出した。奥野達も剣志郎を追って川に近づいた。

 中州の上に浮かんでいる老人とは、言うまでもなく源斎であった。彼は小石原川を見下ろしてニヤリとし、

「ここだ。ここに鬼と、そして女王の宮殿が封じられているのだ」

と呟いた。

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