第四章 九州へ
夕方になった。
藍は病院に行く用意をして、家を出た。
彼女の住む家は拝殿の正面から向かって右側にあり、昔造りの平屋である。彼女はボストンバッグを持ち、バイクに向かった。
「藍!」
そこへ剣志郎が駆け寄って来た。藍はびっくりして、
「あれ? どうしたの、剣志郎?」
剣志郎はキョトンとして、
「どうしたのってどういうこと?」
尋ね返した。
二人は社務所行き、話をした。
「そうか。お祖父さんが入院したのか」
「うん」
志郎は湯呑み茶碗をテーブルに置き、
「具合悪かったのか、お祖父さん?」
「いや、そうじゃないんだ」
藍は剣志郎を見て、本当のことを話そうか話すまいか迷っていた。剣志郎は藍にジッと見つめられたので、ドキドキしていた。
( な、何だ? )
剣志郎自身、何故これほどドキドキするのかわからなかった。
「じゃ、私、行かなくちゃ」
藍は立ち上がった。剣志郎も立ち上がり、
「なァ、藍」
声をかけた。藍は振り向いて、
「何?」
「誤解しないでくれよ」
「何を?」
藍はツンとして言った。剣志郎は穏やかに、
「俺と武光先生は何でもないんだからな」
「それが?」
「へっ?」
剣志郎はポカンとした。藍はキッとして彼を睨みつけ、
「自惚れないでよ。私が貴方と武光先生のこと、嫉妬しているとでも思ってるの?」
「えっ?」
「バーカ」
藍はボストンバッグを持ち、ヘルメットを被ると、外へ出た。剣志郎は慌てて藍を追った。
「藍!」
「うるさい!」
藍はバッグをバイクの後ろにくくりつけると、サッと跨がり、あっと言う間に走り去ってしまった。
「何だよ、もう……」
剣志郎は自棄気味に言った。
藍は次の日も休んだ。そして、その次の日も……。
とうとう、由加達が剣志郎、そして麻弥と共に九州に行く日になった。
由加達は東京駅の新幹線ホームにいた。
「全く! 何してるのよ、もっと余裕を持って来なさいよ」
真っ赤なベレー帽に、真っ白なブラウス、そして赤地にチェックのスカートを履いた由加は、お下げ髪をやめて髪を下ろすと、少し大人びて見えた。祐子は黄色い半袖のブランドもののTシャツに、ライトブルーのキュロットスカートを履いている。ちょっと太めを気にしている彼女にしては、やけに身体つきがはっきりわかる服装である。また波子は、白のノースリーブのサマーセーターに、ブルージーンズのスカートを履いていた。いつもの彼女からは考えられないほど、短いものだ。
「わかったよ、うるせえな」
不服そうに言ったのは田辺である。他の二人の男子、奥野と佐藤は先に来ていた。三人とも、近所のコンビニにでも行くような軽装だった。田辺はヨレヨレのTシャツに、決してビンテージものには見えない、ボロボロのジーパン。奥野はある若手の俳優がよく着ているポロシャツに、古着とは言い難い綿パン。佐藤は他の二人に比べれば普通の服装に見えるが、いつ洗ったの、というような襟元のポロシャツに、ジーパンである。みんな眠そうだ。それもそのはず、彼らが乗るのは、午前6時7分発の、博多行きなのだ。
「あんた達、もっとましな服持ってないの?」
祐子が言うと、田辺はムッとして欠伸を堪え、
「大きなお世話だよ」
「おい、東京を出る前からもめるなよ」
剣志郎が呆れて言った。彼も着古したポロシャツとジーパンで、「ましな服」には見えない。
「そうよ、みんな仲良くして」
剣志郎の隣でにこやかに言ったのは、白いブラウスに白いスカート、そして白い帽子を被った、まるで新婚旅行に行く新婦のような格好をした麻弥であった。この麻弥の服装には、由加達三人も、引きまくった。
そんな様子を、ホームの柱の陰から見ている者がいた。Tシャツの上にメジャーリーグのスタジャン、ジーパン、それに野球帽を被った藍だった。彼女は剣志郎達一行に気づき、慌てて隠れたのだ。
「何でよ、何で同じ新幹線なのよ」
藍は今見つかるとまた誤解されると思い、帽子のつばを下げ、サングラスをかけてマスクをした。人目にはかなり怪しい格好だが、見つかるよりはましだ、と彼女は考えた。
「まさか座席まで近くになったりしないわよね」
藍は呟き、サッと車両に乗り込んだ。
闇。
その中に、源斎と白装束の男はいた。
「仁斎の居場所がわからなくなった。どうやらあの小娘が、結界を張ったらしい」
源斎は男を見ずに言った。男は頷き、
「はい」
源斎はチラッと男を見て、
「小娘の始末はお前に任せる。奴が九州に行き、鬼を完全に封じてしまう前に、消せ」
「はっ」
源斎はフッと笑って、
「昔のことで、情けなどかけるなよ、
「かけません。情けなど、私の身体のどこにも存在しておりません」
雅は答えた。源斎は満足そうに頷いた。
藍の予想は外れてしまった。
彼女の乗る新幹線は全席指定で、他の新幹線に換える訳にも行かず、席に着いた。斜め前の席に剣志郎と麻弥、彼女の真向かいには由加。藍は通路側の席なので、真ん中の席の剣志郎からも、通路側の席の麻弥からも見える。隣は知らない男、由加の隣はあまり印象のない佐藤。彼は憧れの由加の隣で、心ここにあらずといった感じだ。よりに寄って藍は、一番目ざとい由加と向かい合わせ、関わりたくない麻弥とは斜向い。博多まで気づかれない自信がなかった。
「あれ?」
由加のその声に、藍はギクッとした。
( 気づかれた? )
しかし由加は、自分のバッグの中を見ていた。
「おかしいな、口紅がない」
「そんなもの、必要ないだろ、高校生に」
剣志郎が言うと、由加はムッとして剣志郎を見て、
「そんなことありません! 私もう十七歳ですよ。子供じゃないんですから」
「でもね、古田さん、お化粧はしないですんだ方がいいのよ」
麻弥はニコニコして言った。由加は麻弥を見て、
「それはそうかも知れませんけど……。それじゃまるで、小野先生みたいじゃないですか。化粧っ気ないなんて」
麻弥と剣志郎はその由加の返答に苦笑した。藍はその様子を見てムカッとしたが、どうすることもできない。
( こんなところで私の悪口言わないでよ、古田さん! )
藍が思った時、今度は通路を挟んで隣に座っている祐子が、
「あっ、こら!」
剣志郎が、
「何だ? うるさいぞ、水野。こんなところで大声を出すな」
「だって、田辺君が私のポテトチップスを盗ったのよ、先生」
祐子は膨れっ面をして訴えた。剣志郎は、そんなことで騒ぐなよ、という顔で、
「まァ、いいじゃないか。ほしけりゃ買ってあげるから」
「だってェ……」
祐子はしつこい。波子が隣で、
「だから田辺君に見せちゃダメだって言ったのよ」
「何だよ、その言い方は?」
今度は田辺がムッとした。そんな光景を藍はあきれ果てて見ていた。そして、病院で仁斎に言われたことを思い出した。
藍は仁斎を個室に入院させてもらい、病室の四隅に盛り塩をし、注連縄を壁に張りつけて結界を作った。こうしておけば、仁斎を殺そうとした連中に、仁斎の居場所を見破られないのだ。
「藍」
仁斎はベッドの脇に立っている藍を見た。藍も仁斎を見た。
「よいか。わしの命を狙ったのは、小野源斎と言う男でな。幕末に生まれて、歳は百五十歳を超えている、まさしく化け物のような男だ」
「百五十歳!?」
藍は仰天した。仁斎はゆっくりと頷き、
「そうだ。奴は我が姫巫女流と暗黒呪術を組み合わせて作られた、黄泉路古神道を修得している」
「黄泉路古神道を?」
藍は椅子に腰掛けた。仁斎は続けた。
「黄泉路古神道はその名の通り、黄泉の国の魔物共を使って人を呪殺したり、時の流れに逆らって、不老不死となったりするための呪術を使う、邪な呪法だ。決して、奴らの思い通りにさせてはならぬ」
「はい」
藍は大きく頷いた。仁斎は天井を見つめて、
「源斎の目的は恐らく九州の夜須川に封じ込められた鬼を甦らせることだろう」
「鬼?」
「うむ。藍、お前は九州に行き、鬼を完全に封じるのだ。二度とこの世に現れぬようにな」
仁斎は藍を見た。藍は、
「でもどうすればいいの?」
「心配するな。このような日のために、お前はわしのそばでわしのしていることを見て来たのだ。手順を教えるから、その通りにすれば必ず鬼を封じ込められる」
「わかったわ」
藍は再び大きく頷いた。
新横浜を通過する頃になると、由加達は居眠りを始めていた。日頃の夜更かしが祟って、朝は弱いのだろう。藍も腕を組んで眠ろうとした。
「先生」
その時、妙に色っぽい麻弥の声がした。藍は顔を動かさずに目だけで麻弥を見た。彼女は剣志郎の腕に自分の腕をからませていた。
( 何してるのよ、この女は? )
藍は思わずムッとしてしまった。すると剣志郎が、
「武光先生、まずいですよ。生徒達が一緒なんですから……」
( 生徒達が一緒でなければどうするつもりなのよ? )
藍はついそんなことを考えてしまい、ハッとして二人から目をそらした。目の前の由加は、すでに船を漕ぎ始めている。田辺や祐子達も、ウトウトしていた。佐藤一人が、由加の寝顔をドキドキしながら見ていたが、剣志郎達には注意が向いていない。
「あら、みんな眠ってますわ。何でしたら、個室に空室があるようですから、そちらにうつりましょうか?」
麻弥の大胆発言に藍はビクンと動いてしまった。剣志郎がそれに気づいたらしく、
「武光先生、冗談はやめて下さい。この旅行は遊びではなくてですね……」
小声で言うと、麻弥はフッと笑って、
「あら、他人の目を気にするなんて、竜神先生って結構純情なんですね」
剣志郎は呆れ顔で、
「とにかく、私も休ませていただきますので」
シートにもたれかかり、目を瞑った。麻弥は仕方なさそうにシートにもたれ、窓の外に目をやった。藍は二人を見るのをやめて、寝た振りをした。その時、彼女の身体を悪寒が走り抜けた。
( またあのザワザワだ……。この前武光先生から感じたのは気のせいだと思ったけど、やっぱり……)
藍はまた顔を動かさずに麻弥を見た。すると麻弥は不意に席を立ち、車両を出て行った。
( 武光先生、変だ……。何だろう? )
藍は麻弥が何しに行ったのか気になったが、向かいの由加が起きるとまずいので、仕方なく麻弥が戻るのを待つことにした。
麻弥はトイレの隣にある洗面室の鏡の前にいた。その鏡の中には、白装束の男、すなわち雅と呼ばれた長髪の男がいた。
「いいか、お前は小倉で途中下車して、宇佐に向かうのだ。もう一人の教師、竜神剣志郎には、甘木に行くように仕向けろ。宇佐でことがすめば、夜須川の鬼の封印は破りやすくなる」
雅は言った。麻弥はうつろな目で頷いた。
藍はいつの間にか、すっかり寝入ってしまっていた。新幹線は、名古屋に近づいていた。
「あれ?」
由加は、目の前にいる帽子を目深に被りサングラスにマスクをした、妙な雰囲気の女性がウトウトしているのに気づいた。
「この鼻と顔の輪郭、どこかで見たような……」
由加はジッと藍の顔を見つめた。剣志郎がフッと目を開いて由加に気づき、
「こら、古田。他人の顔をあまりジロジロ見るんじゃないよ」
すると由加は剣志郎を見て、
「だってこの人、多分小野先生ですよ」
「えっ? 小野先生?」
剣志郎も席を立ち、マジマジと藍の顔を近くで見た。麻弥も目を覚まして、
「小野先生がどうかしましたの?」
寝ぼけマナコで尋ねた。
「ほーら、やっぱり!」
由加は帽子とサングラスを外して言った。剣志郎と麻弥はびっくりしていた。
「えっ?」
そこでやっと藍は目を覚ました。周囲に由加、剣志郎、そして麻弥がいるのに気づき、藍はハッとした。
( ここ、新幹線の中だった! )
彼女は帽子とサングラスを由加が持っているのを見て、全てバレていることを知った。
「あっ……」
藍は真っ赤になって下を向いてしまった。頭の中がグルグル回り、わけがわからなくなり始めた。
新幹線が名古屋を出た頃になって、ようやく藍も落ち着き、話を始めた。
「九州にね、用があったんだ。まさかみんなと同じ車両だなんて思わなくてさ……」
「何でサングラスなんかかけて、マスクまでしてたの?」
由加が意地悪く尋ねた。藍は由加を見て、
「そ、それはその……」
「ホントは、竜神先生と武光先生の間に何かあるんじゃないかって心配になって、変装してついて行くつもりだったんでしょう?」
由加はまるで名探偵気取りで言った。藍はムッとして、
「違うわよ! そんなんじゃないってば」
「ムキになって否定するところが怪しいなァ」
由加はますます意地悪く言った。藍は重ねて反論しようとしたが、剣志郎が、
「小野先生、ちょっと……」
デッキの方を親指で示し、立ち上がった。藍は頷いてそれに従い、デッキに出た。
「何かあったのか、藍? お祖父さん、入院しているんだろう?」
剣志郎は声を低くして尋ねた。藍は扉に寄りかかって、
「お祖父ちゃん、ある男に殺されかけたのよ」
「ええっ!?」
剣志郎は仰天して藍を見た。藍は、
「私の家と私のことを知ってる貴方にだけ話しておくわね」
源斎のことや、九州に行く理由について説明した。剣志郎はあまりの話の内容に一瞬呆然としてしまったが、
「そうか。わかった。武光先生には話すか?」
「いえ、やめた方がいいわ」
藍は首を横に振って言った。剣志郎は肩を竦めて、
「そうだな。騒ぎを大きくするだけだな」
「違うの。武光先生に話さないでほしいのは、別に理由があるからなのよ」
藍は辺りを見回しながら言った。剣志郎はキョトンとして、
「別に理由がある? 何だ、それは?」
「今は言えない。もう少し待って」
「ああ」
二人は席に戻った。
「何を話していたんですか?」
由加がニヤニヤして尋ねると、剣志郎が、
「お前には関係ないことだ」
「えーっ!?」
由加はそう言って剥れた。今度は麻弥が、
「本当に何を話しておられたんですか?」
藍に尋ねた。藍は苦笑いをして、
「大したことじゃないんです。気にしないで下さい」
麻弥は不服そうに剣志郎を見てから、
「そうですの」
黙ってしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます