終の章 そして未来へ
楓は気がすむまで涙を流して栄斎と兄達の死を悲しみ、声を枯らした。そして気を取り直し、出雲の小野神社を目指して飛翔した。
楓が空から現れた事に、晋斎は仰天したが、すぐに笑顔になり、彼女を
「愚息がご迷惑をおかけしなかったかな?」
晋斎はそれとなく耀斎の事を尋ねた。心配なのである。
「そのような事はありませぬ、晋斎様。耀斎様は、私を助けてくださいました」
「そうか。それは良かった」
晋斎は耀斎の実力をよく知っている。だから楓が気を遣って話している事も承知しているのだ。それでも、宗家の人間に「助けてもらった」と言われるのは、父親として嬉しかった。
「無事であればそれだけで何より。して、源斎の奴めは?」
晋斎は神妙な顔になって尋ねた。楓は暗い顔になり、
「
「そうか。それでは致し方なし。あの国には、姫巫女流の者は行けぬからな」
「はい」
晋斎の慰めも苦痛だった。楓は、一瞬の隙を源斎に与えてしまった自分の未熟さを悔やんでいるのだ。後もう少し、踏み込みが速ければと思うと身体が震えるくらい悔しいのだ。
「楓殿」
晋斎が声をかける。楓ははっと我に返って晋斎を見た。
「全て自らの責めと思う事はない。源斎の事は、我らの不始末。黄泉路に落ちたるを見抜けなんだは、まさに言い訳のしようもない程の落ち度」
「……」
楓は晋斎が自分を気遣って言ってくれているのかと思ったが、晋斎の目は怒りに溢れていた。同時に
「源斎の妖気は感じられぬ。しばらくは戻るまい。楓殿も休まれよ」
晋斎は晴れやかな顔で言った。楓もニッコリして、
「はい」
と応じた。
第一分家の屋敷に向かう途中、晋斎が口を開いた。
「正直なところ、耀斎はどうかな、楓殿?」
「はい、ご立派になられておいでで、驚きました」
楓は耀斎の実力について尋ねられたと思い、そう答えた。すると晋斎は苦笑いをして、
「いや、耀斎を男としてどう見ておられるかとお尋ねしたのだが」
「え、男として、でございますか?」
楓は耀斎を成年男子として見ていなかった。第一分家の跡取りで、宗家に事あらば代わって宗家となる家の後継者としか考えた事がない。
「眼中にあらず、かな?」
晋斎の言葉に楓は慌てた。
「いえ、滅相もございません。私は宗家の娘ですが、跡目ではありませぬ。耀斎様とは釣り合いませぬ」
「それを聞いたら、
「は?」
楓は色恋には誠に疎い。同じ年頃の男共は、子供の頃は皆お転婆な楓の手下のような存在であったし、年上と言えば兄達か父栄斎、末吉くらいしかおらず、耀斎を男と見るという発想がそもそもなかった。幼い頃から耀斎を知っているため、そういう感覚を持った事がない。
「耀斎は楓殿と
「め、夫婦ですか?」
楓は赤面した。そんな事を言われると、意識してしまう。
「お嫌かな?」
晋斎はニヤリとして言った。楓は火照る顔を両手で冷やすように触りながら、
「そのような事、考えた事がございません故、何とお返事すればよろしいのか……」
「そうだな。耀斎とは幼き頃より顔見知り故、楓殿には答えようがないな」
晋斎は少しだけ期待していたのだが、楓の動揺ぶりから、もうこの話はしない方が良いと判断した。
「申し訳ございません、晋斎様」
楓は深々と頭を下げて詫びた。晋斎は逆に驚いて、
「いやいや、私が悪かった、楓殿。耀斎とは、今まで通り、よしなに」
「は、はい」
楓はそれでも慌てていた。耀斎は自分をそのように見ている。思ってもいない事である。
(私など、只お転婆なだけの粗忽者で……)
自分のような者が間違っても跡継ぎでなくて良かったと思っている程、楓は控え目なのだ。
源斎は打ちのめされていた。
(俺は怯えていた。あの女に震えてしまった。今のままでは勝てぬのか)
彼は根の堅州国を漂っていた。
『源斎、今は待て。我らには死はないのじゃ。あの娘もやがて衰え、死ぬ。それからでも遅うはない』
建内宿禰の声がした。
「はい」
源斎もそう考える事にした。そう考えるしか、楓に対する恐怖を拭い去る方法がなかったのだ。
「それにしても、宗家が憎い。この俺にこれ程までの辱めを……」
源斎はギリギリと歯軋りをした。
『憎しみは力となる。もっと宗家を、小野の者達を憎め、源斎。さすれば、うぬは彼奴らを超えよう』
「はい」
源斎はもはや建内宿禰の言うがままであった。
楓は晋斎に別れを告げ、再び飛翔して京の都を目指していた。
「源斎……」
彼女には何故か源斎を憎む事ができない。
(源斎も小野家に生まれなければ、あのような事にはならなかった。あそこまで自分の生まれを呪ったりする事もなかった)
まさに宿命である。時代は大きく変わろうとしている
小野一門は、宗家の跡目を定めるために話し合いをした。そんな折、明治維新が起こり、天皇家は京都から新都である東京に移った。
それに合わせて小野家も宗家を東京に移す事となり、徹斎の長男である亮斎が宗家後継となり、次男享斎は新たに定められた「京都小野家」の開祖となった。それが新たな火種になる事はまた別の話である。
楓は亮斎と享斎の教育に力を注いだ。
やがて楓は第一分家に嫁ぎ、耀斎との間に跡継ぎを儲ける。耀斎の宿願は成就したのだ。
時代は下り、昭和。耀斎と楓の孫に当たる
時代は更に進み、平成。仁斎の孫である藍の物語は、次の編にて。
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