七の章 対決 その二
楓は源斎を睨みつけた。
「人でなくなるつもりか、源斎?」
源斎はその言葉に笑った。
「人でなくなる? そうだ。この俺は人を超え、神に近づく。日の本を統べる神にな」
「……」
楓は唖然とした。
(この男、魅入られている。建内宿禰の妖気に……)
建内宿禰は本当に源斎を日本を統べる者にするつもりなのか? 冷静に考えれば、それはあり得ない。その昔、建内宿禰は日本を自分の物にしようとし、姫巫女流から邪流である黄泉路古神道を創始したのだ。そんな野心の塊の建内宿禰が他の者に日本を渡すはずがない。源斎は捨て駒にされる。楓はそう思っていた。
「無駄な時を費やすつもりはない。お前は早々に片づける。あのお方のお力をお借りしてな」
源斎の妖気が更に黒さを増した。
「愚かな……」
楓はそう言いながらも、何とか源斎を救う事ができないかと考えていた。
(この男も哀しい存在。何とか救えないだろうか?)
「お前は何を考えている? この俺に勝てるとでも思うているのか?」
源斎の言葉が楓を現実に引き戻した。
「お前こそ、姫巫女流に勝てると思っているのか?」
楓は語気を強めて言い返した。しかし源斎は怯まない。
「先程はお前の気に押されたが、今は違う。俺の方がお前の上にいる。負けはせぬ。否、必ず勝つ」
「どうしても、出雲の鬼を目覚めさせるつもりなのか?」
楓は十拳の剣を中段に構え、尋ねた。源斎はせせら笑って、
「元よりそのつもりだ。お前を殺してから、ゆっくりと鬼の封印を解く」
「そのような事、断じてさせぬ」
楓の気が一気に膨らんだ。源斎はそれを感じてフッと笑い、
「虚仮威しか。俺には通じぬ」
源斎も妖気の量を爆発的に増やした。
「黄泉醜女合わせ身!」
源斎の指先から放たれた黄泉醜女が融合し巨大化した。その巨大な黄泉醜女が楓に向かう。
「神剣、草薙剣!」
楓は十拳の剣を出したまま、左手にもう一つの神剣を出した。
「何と!」
源斎はギョッとした。あの栄斎も剣は一つしか持たなかった。ところが楓は両手に神剣を持っている。
「こやつ、やはり……」
蜥蜴が警戒していた
「はァーッ!」
楓は二つの剣で巨大化した黄泉醜女を斬り裂いた。
「このような者をいくら繰り出しても同じ。源斎、諦めよ」
楓はもう一度源斎を睨んだ。すると源斎は楓を惑わす手法を用いて来た。
「か、楓……。父じゃ……。助けてくれ、楓……」
楓は思わず足を止めた。姿はそうでも中身はもはや違う。そう自分に言い聞かせていたが、父の声で、父の姿でそう言われると、彼女の感情は雪崩を打ったように混乱に陥って行った。
「父上……」
楓の目に涙が浮かんだ。源斎が乗っ取った父の姿がぼやけて見える。
「甘いわ、小娘!」
源斎は狡猾な笑みと共に楓に襲い掛かった。彼は再び黄泉剣を出し、楓を斬りつけた。
「く!」
楓は辛うじてそれをかわした。しかし、剣先から出る妖気で痛手を受けてしまった。
「卑怯な!」
楓は涙を堪えて源斎に怒鳴った。源斎はニヤリとして、
「それは俺にとっては褒め言葉よ。情に流されるなど、やはりお前は小娘。小野一門はその程度の存在という事の表れ」
「……」
確かに源斎の指摘通りであった。父栄斎ならば、迷う事なく斬り捨てている。例えそれが自分の血肉を分けた者だとしても。一門の
「やはり滅すべきは小野宗家、小野一門。栄えるべきは我らが黄泉路古神道よ」
源斎は嬉しそうに言ってのけた。
「滅びよ、小野の者共!」
源斎は剣を振り上げ、楓に突進した。楓は素早く飛翔し、源斎の剣撃をかわした。
「うぬ!」
源斎は悔しそうに楓を見上げた。楓は情を捨てる事にした。
(父ではない。あそこにいるのは、父の姿をした魔物)
彼女はこみ上げて来る悲しみを打ち消し、
「お前は姫巫女流を何もわかっていない」
「何!?」
源斎は楓の言葉に眉をひそめ、声を荒げた。
「姫巫女流秘奥義、姫巫女合わせ身!」
楓は剣を腰に差し、柏手を四回打った。彼女の身体が光り輝く。
「な、何事だ?」
源斎はその輝きの凄まじさに目を細めた。
『源斎、来るぞ。備えよ。よもやあの娘がこの奥義を修得していようとは思わなんだ』
建内宿禰の声がした。源斎は、
「秘奥義? 合わせ身だと?」
黄泉路古神道にも「黄泉醜女合わせ身」という技がある。しかしそれとは異質なもののようだ。源斎は楓の奥義に理由もわからず怯えていた。
「建内宿禰様が備えよと仰せになるとは、いかほどのものなのか……」
源斎が楓を見上げていると、天から光が射し、楓を照らした。そして雲間から一人の荘厳な光を背負った巫女姿の女性が現れた。
「む?」
源斎は更に目を細めた。建内宿禰の声が、
『やはり倭の女王か』
と言った。
「何と!」
源斎は噂にだけ聞いた事があった。姫巫女流の秘奥義。祭神である天照大神を呼び出し、自分に降ろす術。それを今目の前で楓がなそうとしているのだ。
『源斎、うぬには勝てぬ。退くのだ』
源斎は建内宿禰の言葉に耳を疑った。
(勝てぬ? 退け? 馬鹿な……。この俺の中には退くという言葉はない!)
先程まで怯えていた自分を忘れてしまったかのように、源斎は激高し、楓を睨んだ。
楓に巫女姿の女性が憑依し、輝きが増した。
「源斎、お前を滅する!」
楓は剣を構え直し、光と共に源斎に向かって降下した。
「俺は負けぬ!」
源斎は身体中の妖気を放出し、剣を構えて楓を迎え撃った。
「源斎!」
二つの剣が源斎の黄泉剣を打ち砕いた。
「ぐおお!」
源斎はその衝撃で後ろに跳ね飛ばされ、倒れた。
『やめよ、源斎。ここは退くのじゃ』
建内宿禰の声がまた聞こえた。しかし源斎は、
「俺は負けぬ!」
と立ち上がり、もう一度黄泉剣を出した。そして、
「黄泉醜女合わせ身、
と叫ぶと、合体した黄泉醜女を更に合体させ、それを剣に憑依させた。
「俺は勝つ!」
源斎の底知れぬ執念に、楓は立ち止まってしまった。
「この男をここまで駆り立てる物は何?」
楓には源斎の考えが理解できなかった。
「死ね、小娘! 滅びよ、宗家! 滅せ、小野一門!」
源斎のその呪いのような言葉に、楓は彼の心の奥底を覗いた気がした。
(この男は、自分の生まれを呪っている。全てが、そこに行き着く……)
しかし同情はしない。楓は源斎を見据えた。
「はァッ!」
源斎の剣撃を二つの剣で受ける。
「ぬうう!」
源斎は後ろに飛び、再び突進した。
「姫巫女流は滅びない!」
楓は敢えてそう言った。「小野家は滅びない」と言えば、源斎の「呪い」を肯定した事になると思ったからだ。小野家は滅びる事はあるかも知れない。だが、姫巫女流の
「姫巫女流古神道奥義、神剣乱舞!」
「くぬううう!」
源斎は楓からの光の剣撃を受け、後退した。黄泉醜女は光で消失し、剣は粉々に砕けた。
「うおおおお!」
彼は恐怖を感じた。ようやくわかったのだ。
(まさか、まさか、まさか!)
考えたくなかった。しかし、もう認めるしかない。
「俺は、負けるのか?」
源斎は楓を見た。楓は剣を中段と下段に構えていた。
「源斎、覚悟!」
楓が剣を交差させて走って来る。
「おのれえええ!」
源斎は悔しさを堪えきれずに叫び、根の堅州国に逃げた。
「くっ!」
楓の剣は虚しく
「逃げられた……」
抑えていた感情が爆発し、楓は泣いた。
「父上ーッ!」
その叫びは、周囲に響き渡った。
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