六の章 対決 その一
楓が初めて天の鳥船神の術を使ったのはわずか三歳の時である。
兄徹斎が修行しているのをそばで見ていて、まさしく見よう見真似で会得したのだ。
「この子は生まれながらにして術者だ」
父栄斎は、実は楓を後継者にしようと本気で考えていた。しかし、一門の集まりで猛烈な反対に遭い、断念したのだ。徹斎達ですら、嫉妬ではなく寧ろ畏敬の念を持って楓に接していた。それ程楓の才能は抜きん出ていた。
それに加えて、全てにおいて控え目な彼女は、一門衆の中でも人望が厚く、成長するにつれてその美しさも増し、「まさに姫巫女」と言われた程なのだ。源斎がほとんど楓に関する知識を持ち合わせていないのは、父である斎明が一門の中で相手にされておらず、ほとんど接触の機会がなかったためである。その事も、今回の騒動の一因となっていた。
「兄様……」
楓は飛翔しながら、兄達の無念を思い、涙した。
「生まれてこの方、人を怨んだ事などないけれど、源斎だけは許せない」
彼女はそう呟き、出雲を目指した。
源斎は再び根の堅州国を通り、更に出雲に近づいていた。
「出雲に眠るは最強の鬼。その鬼を解き放てば、俺は日の本を手に入れられる」
源斎はその野望に満ちた目をギラつかせ、ニヤリとした。その時彼は、不意に楓を感じた。
「何!?」
源斎はギョッとして振り向いた。楓の近づき方が尋常な速さではないからだ。
「何事だ? 人の速さにあらず。あの女、何をした?」
源斎は楓の「異変」に気づきはしたが、まさか飛翔しているとは夢にも思っていなかった。蜥蜴の、
「楓は空を飛びます」
という話も、精々高い木に飛び上がる程度と解釈していたのだ。勿論源斎は楓を過小評価している訳ではない。徹斎達より上と考えている。それでも、飛翔にまで考えが及ぶ事はなかった。
「姫巫女流には、早駆けの秘術があるのか?」
源斎は自分の家の地位の低さに死んだ父斎明を恨んだ。
「父上が賢明ならば、俺はもっと上に行けたのだ」
しかしそれは逆恨みである。
一方、出雲の晋斎も、源斎が近づいている事を感じていた。
「黄泉の気がこちらに向かっているか。私で歯が立つのか?」
晋斎は黄泉路古神道に底知れぬ恐怖を覚えた。
「む?」
空気が振動している。晋斎は驚いて神社の拝殿に行った。
「何事だ? 大社が震えているのか?」
晋斎は幼い頃から、何故第一分家が出雲にあるのか、父から聞かされていた。
「ここは日の本の
その父の言葉は、身に染みついている。そして嫡男耀斎にも伝えた。
「源斎が近づいている事が関わっているのか?」
晋斎は不安になった。
「もし、封印が破れし時は、この命に代えて鬼を止めねば」
もはや耀斎とは会う事は叶わないと晋斎は思った。
楓はすでに伯耆の国(現在の鳥取県)上空に来ていた。
「出雲まであと少し……」
源斎の動きが気になる。彼女は源斎の元の身体に残っていた建内宿禰の妖気を頼りに彼を探していた。
「まだ大社には着いていないはず。何としても、その前に止めなければ」
楓はより飛翔の速度を増し、出雲へと向かった。
源斎も楓の急接近を感じ、道を急いでいた。
「根の堅州国の術をうまく使いこなせておれば、これ程気に病む必要もなかったものを」
自分の未熟さを嘆く暇もない。出雲に着く前に楓に追いつかれてしまえば、彼の計略は終わってしまうかも知れないのだ。それだけ源斎は楓の未知なる力を恐れていた。
「俺は負けぬ。このまま終わりたくはない」
源斎の野望は果てがなかった。楓の脅威は拭い切れないが、それでも自分の力の方が優っていると考えてもいた。
「黄泉路古神道は姫巫女流の邪流にあらず。全く別の流派。姫巫女流を超えた存在なのだ」
彼は自分に言い聞かせるように呟いた。
他方宗家では、蓮斎達が最悪の事態に備え、話し合いを続けていた。
「よもや楓殿が敗れる事もないであろうが、もしもの場合どうするべきか、皆の考えを聞きたい」
蓮斎は他の者達を見渡しながら言った。
「これだけの面々がおるのですから、心配いらんでしょう」
琳斎は相変わらず他人事のように言った。欽斎が、
「しかし、源斎の手下が陰陽師と忍だけとは限らんぞ。まだ他におるやも知れぬ」
「そうだ。それに建内宿禰も源斎だけを手駒としているとは限らぬ。備えあれば憂いなしじゃ」
蓮斎も同意した。琳斎は忌ま忌ましそうな顔をして、
「ならばそうすれば良いでしょう。私は、もし楓殿が敗れし時は、宗家は終わりと思うておりますが」
と嫌味な事を言った。欽斎がムッとして、
「お前は何故そう歪んだ物の考え方をするのだ、琳斎。今は小野一門の一大事なるぞ」
「小野宗家の一大事でございましょう? 我が奈良分家は、無関係にございます」
「琳斎!」
蓮斎が堪りかねて怒鳴った。琳斎はギクッとして蓮斎を見た。
「小野家は一つ。宗家だけの事ですまぬから、こうして集まっておるのじゃぞ。栄斎殿は源斎に身を奪われたとの事。今は宗家は楓殿のみ。楓殿を助ける事こそ、我らの務めぞ」
「……」
琳斎は反論こそしなかったが、全く納得した様子がなかった。
源斎はとうとう出雲の国に入った。周囲は田畑ばかりで
「おお」
彼は鬼の力を感じていた。
「これが大社の下に眠りし鬼の力か」
彼は満足そうに笑った。
「勝てる。この力を手に入れし時、俺は楓を超える」
その時だった。
「何?」
彼は背後から迫る光に気づいた。
「楓? まさか……」
源斎は空高く近づいて来る光を見て唖然とした。
「そんな……」
まだ信じられない。しかし、その光に包まれている楓には、幼い時にほんの一瞬見かけた女の子の面影が間違いなくあった。
「源斎!」
楓も源斎に気づき、地面に降り立った。源斎はようやく我に返り、
「それが姫巫女流の秘術か。やはり侮り難し」
「源斎、大社には行かせぬ。宗家の名に賭けて!」
楓は全身から気を放出して言った。源斎はニヤリとした。
「その程度か。宗家の者と思い、案じていたが、取越苦労であった」
「何?」
楓は源斎の身体から放出される妖気に身を引いた。
「これは……」
源斎は楓の顔を見て、
「怯えておるのか、楓? 俺の力はまだこの程度ではないぞ」
と言い、右手に漆黒の黄泉剣を出した。
「くっ……」
楓は一歩退き、
「十拳の剣!」
と右手に光り輝く剣を出した。源斎は嘲笑し、
「その剣は、お前の益体もない兄徹斎が振るいし剣。俺の黄泉剣には勝てぬ」
兄を愚弄された事に怒った楓は、一足飛びに源斎の懐に踏み込んだ。
「何と!」
源斎は意表を突かれた。
「タアッ!」
源斎は楓の上段からの斬撃を黄泉剣で辛うじて食い止めた。
「うぬ!」
それを振り払い、攻撃に転じる。左からの袈裟斬り。しかし、楓はそこにはおらず、剣は宙を切っただけだった。
「おのれ、小娘!」
源斎が思わずそう言うと、楓は負けずに、
「巫山戯た事を! 私は十七。お前は十五であろう! 小娘呼ばわりされる謂れはない!」
と言い返した。
「黙れ!」
源斎は怒りのあまり、剣を捨て、両手の指全てから
「何、これは?」
楓は初めて見る黄泉醜女に驚いたが、
「姫巫女流に敵なし!」
と叫ぶと、十体の黄泉醜女を次々に斬り捨てた。醜女は十拳の剣で斬られると、霧のように消えてしまった。
「……」
源斎は楓の対応力に完全に気圧されていた。
(何故だ? 何故こやつはこれ程に強いのだ?)
『源斎、何をしている? 早う鬼を解き放て』
頭の中で建内宿禰が言った。
『しかし建内宿禰様、こやつの力、侮れませぬ』
『ならば我が力を貸そう』
建内宿禰のその声と同時に、源斎の周囲にどす黒い妖気が漂い始めた。
「何?」
楓はそれを見て眉をひそめた。
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