五の章 そして出雲へ

 源斎は蜥蜴と蜻蛉が敗れ、宗家から去ったのを知っていた。

「まあ良い。抜け忍と破門された陰陽師では所詮その程度よ」

 彼は二人を捨て駒程度にしか考えていない。わざわざ殺す手間をかけるつもりもない。

「楓の力が量れただけで良い。さすれば、俺が向かう先は決まった」

 彼は御所ではなく、出雲を目指していた。

「鬼の力」

 源斎はそう呟くと、京を離れた。


 末吉は屋敷の玄関が崩れてしまった事より、楓の身体の事を心配した。

「私は大丈夫。それより、耀斎様を見てあげて。お医者様もお呼びしてね」

「はい」

 末吉は使用人を数人集め、耀斎を屋敷の中に運んだ。耀斎は歩けると言ったのだが、楓がそれを聞かなかった。彼は楓に逆らう事はできず、素直に使用人に背負われて屋敷の中の客間に行った。

「これからどうなるのだろう?」

 楓は父も兄達もいないことに不安を感じていた。


 晋斎は出雲大社の近くにある小野神社で祭神である天照大神あまてらすおおみかみに祈っていた。

「黄泉路古神道を使う者が現れるとは、姫巫女流の一大事。一門の力を集めてこれに立ち向かうしかない」

 彼は源斎が出雲に向かっている事をまだ知らなかった。

「耀斎、無事か?」

 晋斎は都に行った嫡男の身を案じた。


 宗家には近隣の小野の分家から人が集まって来た。

 一同は奥の間で車座に座り、話し合っていた。

「さすが第一分家は早かったな。我らが一番と思うたが」

 大和(現在の奈良県)分家の当主である琳斎りんさいが言った。彼は本当は第一分家の継承者になるはずだったが、双子の兄である晋斎が継承者となり、跡目がいない奈良に養子に出された。その事を恨んでいる訳ではないのだろうが、周囲の者には彼の言葉はそう聞こえてしまう。

「しかし、跡目の徹斎のみならず、慶斎も斎英も討たれてしまうとは、源斎め、どれ程の術を使うのか」

 摂津(現在の大阪府)小野家の蓮斎れんさいが呟いた。集った分家の者の中で一番の年長者だ。数えで六十になる。

「おお、それよ。楓殿は源斎とはうた事はないのか?」

 近江(現在の滋賀県)分家の欽斎が尋ねた。彼は数えで五十二。二番目の年長者だ。

「はい。まだ幼き頃、見かけた事はありますが、顔を合わせた事はありません」

 楓は欽斎を見て答えた。

「それと」

 楓は妖気を封じた玉を一同に見せた。

「この気、一体何者の気か、おわかりになりますか?」

 一同はその気を感じ、ギョッとして顔を見合わせた。

「黄泉の気じゃ。そのような気を、どこで?」

 蓮斎がようやく口にした。楓は蓮斎を見て、

「源斎の骸のそばです。ご存知なのですか?」

「黄泉の気の中でも、最もたちが悪い物じゃ」

 蓮斎は辺りをはばかるような低い声で応じた。他の分家の人間の顔も一様に暗い。

「質の悪い気ですか? 何者の気なのです?」

 楓は一同を見渡すようにして尋ねた。

「建内宿禰の物。間違いない」

 琳斎が言った。楓はその名を聞いてビクッとした。耀斎の言葉を思い出したのだ。

「やはりそうなのですか」

「む? やはりとは?」

 楓の返答に蓮斎が反応した。

「耀斎様もその名を……。私もそう思いましたが、そのあかしがないので」

「成程」

 蓮斎は楓の賢さに頷いた。そして琳斎を見た。

「どうじゃ、琳斎?」

「奈良には建内宿禰を封じている古き墓があり申す。しかし、何も異変はございません」

 琳斎は耀斎の名が出たのが気に食わないらしい。途端に仏頂面になった。奈良のせいにするなと言いたいのだ。

「勿論、奈良だけが彼奴きゃつを封じている訳ではないのは承知しておる。しかし、かなめは奈良ぞ」

 蓮斎は琳斎の反論を封じるかのように言い切った。琳斎も最年長者には異論を唱えられない。

「あの封印は一人の術者に破れるような代物にあらず。してや源斎如きになど」

 琳斎はそれでも別の方向から異を唱えてみた。

「私は、寧ろ出雲が危ういのではないかと考えております」

 楓は言葉を選ぶように慎重に話した。他の一同は一斉に楓を見た。

「何故そう思うのかな、楓殿?」

 琳斎の言いようは意地悪く聞こえた。

「出雲には古き鬼が封じられていると父上から聞いております」

「古き鬼か」

 蓮斎は腕組みをし、

「もしそうであれば、晋斎が危ういという事になるな」

「はい。一刻も早く、出雲に出立するべきかと存じます」

 楓は身を乗り出して蓮斎に進言した。

「しかし、その留守を突いて宗家を襲うとは考えられぬか?」

 琳斎には出雲などどうでもいいのだ。できれば滅んでくれてもいいとすら考えているのかも知れない。

「いや、もしそうなら手下が逃げた時に合わせて源斎が現れておるはず。それをせなんだは、奴にここを攻むる気がなしと見るべき」

 欽斎が言った。楓は欽斎の考えと同じだった。

「私も欽斎様と同じ考えです。建内宿禰が絡んでいるのならば、必ずや出雲の鬼を狙うはず」

「そうじゃな。源斎だけならいざ知らず、建内宿禰が彼奴の背後におるとなれば、事は小野家だけではすまぬ話になる」

 蓮斎も同意した。

「そもそも建内宿禰が黄泉路古神道を編み出したは、日の本を獲るため。宗家を滅するも彼奴の目指すところなれど、それにも増してこの国を獲るは彼奴の悲願よ。恐ろしき事じゃがな」

 楓は、自分達が相手にしようとしてる存在の大きさに身震いした。

「しかし、間に合うか? もし源斎が陰陽師達を囮としてここに差し向けたとするならば、奴はもはや出雲に辿り着く頃やも知れぬ」

 欽斎が時間的な不利を説く。しかし楓は、

「間に合います。間に合ってみせます」

と力を込めて言った。彼女には秘策があったのだ。

「私もご同道させてください、楓様」

 耀斎が入って来た。彼はふらつきながら正座した。

「耀斎、動いて大丈夫なのか?」

 蓮斎が近づいて尋ねた。耀斎は力なく笑い、

「大丈夫にございます、蓮斎様。私とて、小野の者。この程度で……」

 しかし彼は夜を徹して京の町まで来た。その上、蜻蛉の掌底を食らっている。応えていないはずがない。

「お断わり致します」

 楓は非情に徹する事にしていた。

「楓様……」

 憧れの楓に斬って捨てられるように同行を拒まれた耀斎は、目も虚ろになってしまった。

「貴方はお怪我をされています。ここにお残りください」

 楓は強い調子で耀斎に言った。それでも耀斎は、

「しかし、出雲は私の生まれ育ったところ。私の命に代えても守るべきところです」

「楓殿の言う通りよ、耀斎。お前は残れ。楓殿の足手まといになる」

 欽斎が間に入った。耀斎は「足手まとい」という言葉で、蜻蛉に軽くなされた自分を思い出していた。

「わかりました」

 彼はようやく諦めた。楓はホッとして、

「ご養生ください、耀斎様」

「……」

 耀斎は悲しそうな目で楓を見て、弱々しく頷いた。


 欽斎の心配が現実のものになろうとしていた。源斎はすでに出雲まで数里のところまで来ていたのだ。

「あの方にご伝授頂きし術、まだうまく使いこなせぬが、まさしく驚愕すべき技よ」

 源斎はフフッと笑った。建内宿禰が源斎に教えたのは、「堅州国かたすくに」を使っての移動だった。根の堅州国とは、所謂「死の国」である。その国を通る事によって、遠くまで一瞬にして行く事ができるのだ。源斎はまだその秘術を完全に修得しておらず、本来であれば一度で辿り着ける出雲にまだ到着できていなかった。しかも、その秘術は慣れないうちは酷く疲労する術であった。

「これを修得すれば、日の本をべるも容易たやすき事となる」

 源斎は前方に見える出雲に連なる山々を見据えた。

「鬼を我が手に」

 彼の言う鬼とは何であろうか?


 楓はいよいよ宗家を出発する事になった。

「本当に一人で大丈夫なのか、楓殿?」

 蓮斎が念を押すように尋ねた。楓は微笑んで、

「一人で行かなければ追いつけませぬ」

「む? それはどういう事じゃな?」

 蓮斎達には楓の言葉が謎めいて聞こえた。

「秘術にて参りますので」

「秘術とな?」

 欽斎も眉をひそめた。楓は一同を見て、

「はい。では、行って参ります」

と言うと、柏手を四回打った。

高天原たかまがはら神留かんづまります、あま鳥船神とりふねのかみに申したまわく!」

 楓はその祝詞のりとと共に光り輝き、上空へと舞い上がった。

「おお!」

 蓮斎達はその美しさに驚愕した。楓はまばゆい光に包まれ、飛び去った。

「あれこそが宗家の者のみに伝わる秘術、天の鳥船神……。本来ならば、あの子こそが宗家を継ぐべきなのじゃ」

 蓮斎はそう呟いた。

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